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42.彼と彼女の

お待たせいたしました。

 飛び迫る矢を叩き落とす。

 などという行為は、熟達した武芸者であっても、それなりに気が張った状態で尚且つ万全な体調と姿勢であって初めてどうにかなるもので、今のヴィーには無理な相談だった。

 躱すという選択肢が最善であるのはわかっていながら、最後まで護ると決めた相手を見捨てるなど不可能だ。


「ヴィー!」

顔ば下げとかんば(頭を下げておかねば)!」

 震える両足を押し付けて、迫る矢に対して身体を大の字に広げる。

 小さな身体で完全に受け切れるか心配だったが、それでも直接当たるよりはだいぶマシなはずだ。


 鉄砲の弾に比べれば、矢など随分と遅く感じる。

 眼前に迫るものが弾丸でなくて良かったと思っていたヴィーの前に、別の人物が滑り込んできた。

「お待たせしました。ヴィオレーヌ様……」

「お前……」


 ヴィーに覆いかぶさるように仁王立ちしていたのは、ボドワンだった。

「ぐっ……どうにか間に合いましたか。どうにも判断が遅く、お恥ずかしい限りです」

 どん、という衝撃を受けたボドワンは、口の端から血をこぼしながらも笑顔を向けてきた。

「どうか、どうかご覧ください。わが身の不始末は自分自身で片付けますから」


 そう言って振り返ったボドワンの背中に、矢が突き立っているのが見えると、ヴィーは「止めんか」と叫んだ。

早よう(早く)矢ば抜いて(矢を抜いて)傷ば(傷を)……」

「不要です、ヴィオレーヌ様」

 額にびっしょりと汗をかいているが、それでも笑みは崩さない。

「無様な姿を見せた者に薬はやらないのが武士道というものでしょう?」


 どうか、このままやらせてほしいと懇願するボドワンの目に、ヴィーは死の覚悟を見た。

「パメラだろう? もうわかっている。諦めて出てくるんだ」

「ボドワン……どうして……」

 呼びかけに応えて、弓矢を抱えたパメラが暗がりからゆっくりと姿を見せた。

 王国兵士たちが捕まえようと前に進み出るが、代官が止める。


「不要である」

「ですが……」

 兵士たちの戸惑いに、代官は頭を振った。

「決着は町の者たちがつけてくれるとも。……そうであろう?」

「お任せを。この騒動の贖罪とまでは申しませんが、この命にてヴィオレーヌ様だけは、どうか……」


「またそれなの!?」

 激高したパメラが、たった十メートルだけ離れた場所で弓を構えた。

 狙う先はボドワン……ではなく、その陰から見えるヴィーへ向けてだ。

「口を開けばヴィオレーヌ様の……その子のことばかり! 夢を見ているのも大概にしてよ!」


 小柄な幼女が青年の蔭で自分を見る姿は、仄あかく揺れるかがり火に照らされて、まるで悲劇のヒロインのようにパメラの目には見えていた。

「何を馬鹿なことを……それが、お前の本心なのか?」

「そうよ! 相手はこんな小さな子供なのに、まるで女王様に傅くみたいになついていた貴方をずっと近くで支えてきたのよ!」


 パメラの献身はようやく実を結ぼうとしていた。

 伯爵が死に、ヴィーが出奔したことで町の若者たちをまとめるのは自然とボドワンの役目になり、彼と近しくしていた彼女は補佐の立場に定着していった。

 そのままであれば、公私ともに彼のパートナーとして周囲からも歓迎される幸せな結末が訪れていただろう。


 しかし、予想もしなかったことが起きた。

 ヴィオレーヌが領地へ戻ってきたのだ。


 正確に言えば、代官の手伝いとして雇われただけで、帰ってきたわけではなかったが、ボドワンを始めとした若者たちは再び彼女の下で領地をさらなる発展へと導けると期待した。してしまったのだ。

「あなたさえ、帰って来なければ!」

「違う、違うんだよパメラ……。ヴィオレーヌ様は、この人は違うんだ」


「近づかないで! そこをどいて!」

 矢が自分へと向いても、ボドワンは剣を抜かなかった。

 それどころか、鞘ごと放り捨ててみせる。

「僕が悪かった。僕たちが間違えていたんだ。僕たちにはヴィオレーヌ様の立場しか見えていなかった。成果しか知らなかった。あの方の心を知らず、考えようともしなかった」


 ぎりぎりと弦を引き絞る音にも、ボドワンは引き下がろうとはしない。

「あの方はもう、この地とは無関係だ。僕たちはそんな人に何かを無理やり背負わせようとしていた。最初から、僕たちは最初から間違えていたんだ」

 だから武器を置いて、やり直そうとボドワンは言った。

 それでも、パメラは弓を離さない。


「そうね。だからここで間違いを糺すのよ。あの子さえいなければ、あなたも目が覚めるでしょう? 町はもう充分に発展しているし、この子は必要ないのよ」

「だからと言って、殺していいわけじゃない!」

「殺さなきゃ、あなたの目が覚めない!」

 再び矢が放たれたものの、ヴィーへは届かない。


「どうして、どうしてなのよ……」

 矢は、ヴィーを守るために伸ばされたボドワンの手のひらを貫いて、止まった。

「ごめんな、パメラ」

 ボドワンは手のひらに突き刺さった矢を無理やり引き抜き、真正面からパメラを抱きしめる。無事な右手で、しっかりとパメラの背中を引き寄せた。


「僕はあの御方に憧れていた。でも、僕が好きなのは君だけなんだ。誤解させてごめんよ。もう迷わないから。僕は僕の考えで、僕たちの考えで生きていかないといけないんだ」

 だから、と続けるボドワンの声は、少しずつ小さくなっていく。

「……だから、僕たちでやりなおさなくちゃ。誰に命じられてでもない、誰のためでもない、僕たちが考えて、僕たちの……ために……」


「ボドワン! ボドワンっ! ああぁっ……」

 膝から崩れ落ちたボドワンの身体を支えながら、パメラは泣きながら周囲を見回す。

 しかし、誰かに助けを求める声をあげることができなかった。

 彼女にとって、周りは全て敵。ボドワンも同様で、彼と自分は王国の使者へと弓引いた反逆者なのだから。


「……くっ!」

 パメラは意を決し、ボドワンの身体をそっと地面に横たえると、腰の後ろに差していたナイフを抜いた。

 王国兵たちが反応するが、代官は諫める。

「わからないかね? 彼女は戦おうとはしていないのだよ。愛のために死のうとしているのである」


「お願いします! 全部の責任は私にありますから! 何もかも私がそそのかしたせいなんです! だから、彼を助けてください!」

 その代わりに、とパメラは自分の喉に向けてナイフの切っ先を構えた。

「私と、仲間たちの罪はこの命で償います。だから、お願いします……」

 代官は答えず、それでもパメラは止まらなかった。


 一度刃を離したパメラは、一度だけ息を吸い込み、そのまま勢いよく自分の首へとまっすぐに突き入れた。

「あっ!?」

 だが、彼女の細い首に刃が届くよりも早く、石ころが彼女の手の甲を強かに打って、ナイフを落とさせた。


当たったばい(当たったぞ)、ああ、全く……手裏剣てん(手裏剣なんて)そがん稽古(そんなに稽古)しとらんとこれね(していないのに)……良かったばい(良かったよ)……」

 石を投げたのはヴィーだった。疲労で座り込んでいた彼女が、手近に落ちていた石ころを投げつけたのだ。

「パメラ。早まっぎ(早まっては)いかん。……代官殿(代官殿)おいからの個人的な(俺からの個人的な)お願いの(お願いが)あっとばってんが(あるのですが)少し薬ば(少し薬を)わけてもらえん(わけてもらえない)やろか(でしょうか)

「“ヴィーさん個人の頼み”でしたら、問題無いでしょうな」


 膝の力が抜けたパメラが座り込む後ろで、ボドワンに王国兵士たちが近づいて矢の除去と治療を開始した。他に傷つき倒れている若者たちも保護される。

 それを呆然と見ているパメラに、座り込んだままのヴィーがにっこりと笑って告げた。

元気かとは(元気なのは)良かばってん(良いけれど)若っかとに(若者に)付き合うとも(付き合うのも)疲るっばいね(疲れるな)腹の減ったろう(腹が減っただろう)? 飯ば食うて(飯を食べて)そいから(それから)頭ば下げて回ろうさい(頭を下げて回ろう)おいも付き合うけんが(俺も付き合うから)


 ヴィオレーヌが朗らかに言ってのけた内容に、パメラはガックリと両手を突いて項垂れた。

 彼女たちが命がけで自分を殺そうとしたことを知ってなお、ヴィーは全てを許して自分の責任において片付けようとしているのだから。

「……参りました」

「ん。まだ精進の(まだ精進が)足らんばいね(足りないようだな)


 そんな言い方で、ヴィオレーヌはボドワンとパメラを許した。

ありがとうございます。

次回もよろしくお願いします。

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