37.最悪の矢
よろしくお願いします。
「危険ではありませんか?」
「そうかも知れぬ。想像していたよりも戦闘は大規模になりそうであるからな」
随行の文官が不安げに言うと、代官は同意した。
木戸を開いた窓の外に見える景色は、いくつもの篝火でかなりはっきり見えるくらいに照らされている。
「こちらは良く見えないはずだが……む、これはいかん! こちらに来て、壁に身体を寄せたまえ!」
「え、は、はい!」
何かが見えたらしい代官の指示で文官の男性が窓際の壁に背中をぴったりつけた。その直後、窓から一筋の矢が飛び込んでくる。
「うわっ!?」
「建物に届くほどの矢を放つとは、何を考えているのか……」
「エモニエ様、急いで逃げましょう! 矢が壁を抜けてくるやも知れません!」」
狼狽えている文官に落ち着くように言い、代官は、一瞬だけ窓から顔をのぞかせて、外の様子を確認した。
「部屋の中に入る時の方が危ない。この建物は頑丈で、矢が壁を貫通する可能性は低い。なるべく壁の側に居た方が安全だ」
「そ、そうなのですか?」
「以前にも別の領地で似たようなことがあった。その時、君のように慌てていた一人が扉へ向かっている最中に、背中に矢を生やして死んだよ」
青褪めている若い文官へ安心するようにと代官は続ける。
「先ほど見えた射撃本数からして、どうやら狙いはこの部屋では無いようだな。私を狙っているなら、この窓が開いているのをいち早く見つけて集中的に矢を放り込んでくるはずだ」
たった一本は流れ弾だろうと代官は推察する。
「では、ここは安全なのですか?」
「安全? どうやら君は、いまいち状況を……いや、それ以前にこの仕事について理解ができていないようであるな」
隣にいる文官をぎろりと睨みつけると、代官は窓から離れて壁沿いを伝って移動を始めた。矢の向きと敵方の位置を考えて、矢が入って来にくいルートを探る。
「領主を失った土地の人々から見た我々は、どのような相手に映ると思うかね?」
「え……そ、それはもちろん、国王陛下の使者であり、エモニエ様は王の代理であらせられますから、当然敬意を払うものでありましょう。実際、屋敷を守っている者たちはそれを理解しておりました」
青年の言葉に、代官はため息が漏れた。
「さあ、急ぎたまえ。矢が来ないうちに。二の矢は来ていないが、いつまたはぐれ矢が部屋に迷い込むとも限らぬ」
ようやく扉の前までたどり着いた代官は、青年を先に廊下へと出し、自らも後を追って扉を閉めた。
「た、助かった」
幾つかの蝋燭で明るく照らされた廊下に出て、青年は座り込んだ。
「助かったとは言えぬな。……先ほどの話に戻るが、この仕事で訪れた地の人々が、本当に私たちを歓迎しているとでも思っているのかね」
屋敷の中で右往左往している使用人たちには安心して廊下で待機するように言い、兵士たちは建物の中で表と裏を固めるように指示を出す。
「彼らにとって、私たちは侵略者だ。大昔、我が王国の祖がその地を併呑したときと同じとまでは言わないが、似たようなものだろう」
「ですが、すでに王国に併呑されて何世代も……」
「君は、平民たちの何人が国王陛下のご尊顔を拝したことがあると思うね? そして、会ったことも無い相手と、顔を知っていて上下の立場を幼少期から教え込まれている領主と、どちらに親しみを覚えると思うかね?」
代官の説明に青年はしばらく考えていたが、まだ納得はできていないようだった。
「平民にとって、領主は税を取り、権力を振りかざす相手ではないのですか? 少なくとも、私は平民たちがそういう感情を持っていると教わりました」
「教わったのかね。そうかね」
文官たちは貴族家の出身者ばかりで、王国という国の単位で物事を見る。政治をシステムとして覚え、その頂点が王であるのが当然だと教えられる。
しかし平民たちはどうだろうか。
彼らの世界は自分が住んでいる村や町。それと行商人が回る近隣程度が彼らにとっての世界のすべてだ。領主より偉い人がいるのは“知っている”だろうが、自分の生活と結びつきを感じない、どこか遠くの関係無い話でしかないだろう。
「もう少し、現地の人と話をするべきであろうな」
自分も昔はそうだった、と代官は思った。
貴族が見ている世界と平民が見ている世界は違う。考え方も違う。だから、意見が違うのは当然なのだ。その溝を埋めるのが、自分の仕事であると代官は考えていた。
「もっとも、このような状況では話をするどころではなかろう。外の人々が落ち着いてくれなければ、我々の出番も……」
話しながら階段へと向かい、一階に降りて直接指揮を取ろうとしていた代官の下へ、一人の使用人がスカートを翻しながら息せき切って駆け付けて来た。
「オルタンス様がお怪我を! 矢が、矢が刺さって……!」
「なんと……」
矢の狙いが彼女だったのか、偶然当たったのかは不明だが、彼女が外からの攻撃を受けたという点が何よりも問題だった。
「エモニエ様……!」
「ふむ。彼らはどうやら自分たちを絞首台に上げる書類にサインをしてしまったようだ。こうなっては、我々も積極的にならざるを得ん」
青年に兵士たちを前に出し、防御を固めている者たちを下がらせるように伝えると、自身は目の前にある下り階段ではなく上りへと向きを変えた。
「君は、止血の道具と綺麗な湯を用意してくれたまえ。それと、医師でなくとも良いから治療の経験がある者と、腕力のある者をできるだけオルタンスのいる部屋に寄越してくれ」
「腕力、ですか」
疑問を浮かべた使用人に、代官は頷いて答えた。
「矢を抜くときはね、暴れずにはいられないほど痛いものなのだよ」
冗談めかして言ってはいるが、代官の心境は暗澹たるものだった。
平和で、豊かな未来が待っていたはずの旧伯爵領が、無意味で無駄で無残な戦いへと向かっていて、それを止めることができないことに。
「貴族に生まれようとも、何十年生きていようとも、人の力は微々たるものであるな」
せめて将来有望な部下を助けられる程度の人間ではありたい。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
コレットが悲痛な叫びをあげて姉の身体を抱きかかえている部屋に入りながら、代官は感情に流されてミスを犯さぬよう、冷静であることを自らに命じた。
お読みいただきありがとうございました。
少し短くなってすみません。
次回もよろしくお願いします。
 




