34.彼女のために
よろしくお願いします。
「いま少し、お話をいたしませぬか」
気絶したヴィーを連れてコレットとオルタンスが出ていくと、代官はデジレにそう声をかけた。
「……農地の改革。特に治水についてお窺いしたいのであるが」
「知られてしまいましたか。ヴィオレーヌ様とともに領地を見て回られたようですから、当然でありましょうな」
デジレは、領地の秘密であるとして隠したかった内容であったことを認めた。
「私どもはヴィオレーヌ様がなさったことの意味を理解しております。恐ろしいまでに進んだ技術であり、この王国のどこにもないものでしょう。違いますか?」
「いや、違わぬよ。灌漑・治水工事に関して、およそ王国内でこれほど進んだ場所もなかろうと思う」
代官は率直に答えた。隠し立てしても話は進まないと思ったからだ。
「それをわかっていたからこそ、デジレ殿は町の者たちに緘口令を?」
「いやはや、そんな立派なものではございませぬよ」
ただ、自分が知る範囲の人々に、標準語の使用を控えるように頼んだだけだという。
「いずれ王国に発覚するにしても、見ただけでは判別がつきませんから……平民なりの多少の抵抗というわけです」
貴族に対する……というよりは王国に対する抵抗だと“自白”したに等しいが、代官は問題視しなかった。この程度のことは想定していたし、それよりも理由の方が気になる。
「ヴィオレーヌ殿に対する忠義、ですかな?」
「それもございますが……私は商売人ですから、利益を考えてのことでもあります」
今の旧伯爵領は、農産物の収穫増によって多少景気が良くなっている。食糧事情が改善したことは、町全体を明るくしていた。
「この技術が王国のものとなり、不作が続く土地へ伝授されたとしたら、王国そのものは収入が増えるかも知れません。ですが、作物が大量に、それも安定して収穫できるとなれば、価格は下がってしまうものです」
「それは、国王陛下や王政府が考えることではないかね? 君が不安がるのも理解できるが、治水の技術は王からの褒賞として与えるものとしても使えるもの。おいそれと広めるとは思えぬ」
「私どもがそれを信用する理由はありません」
「む……」
不敬そのものの言葉だが、デジレは堂々と言い放った。
「とはいえ、すでにヴィオレーヌ様がお伝えしてしまった以上、私どもにはどうすることもできません」
デジレとしては、ヴィオレーヌが広めた技術なのだから、彼女が納得して王政府へと伝えるというのであれば何も言うことはないのだ。
「ですから、私にできることといえば、伏してお願いするのみです」
デジレは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「ヴィオレーヌ様は、この土地に縛り付けておいて良いような方ではございません。どうか、あの御方が望まれるような、自由な人生を送れるよう、ご協力いただきたい」
「ふふん」
代官は思わず笑みを浮かべた。
商売人だから利益を考えているなどと言っているが、何よりもヴィオレーヌのことを第一に考えているではないか、と。
「国王陛下がどうお考えかはわかりませぬ。ですが、私自身は彼女の自由を奪う真似はしないと約束いたしましょう。ただ、そのためには必要な条件があります」
代官が答えると、デジレは顔を上げてうなずいた。
「承知いたしております。町の若造どもに関しては、安んじてお任せください」
すでにヴィオレーヌ自身は「問題なし」として無罪放免となっているし、伯爵の係累とはいえ、すでに貴族の地位を追われている。当地で何かがあったとしても責任を負うべき立場ではない。
しかし、ボドワンらが代官たちに害を及ぼし、しかもヴィオレーヌの名を出してしまえば、話は変わる。
「デジレ殿。ご協力いただくお礼と言ってはなんですが、私から一つ教えてあげましょう」
早速警備に赴こうとしたデジレを引き留めた代官は、にやりと笑う。
「ヴィオレーヌ殿は現在、自らのご意思で“ヴィー”と名乗っておられますぞ」
「なるほど、なるほど」
それだけで、デジレは理解できた。
家名を捨てたヴィオレーヌは、名前をも変えて新たな人生を歩み始めたのだろう。
同時に、相手が貴族であるという遠慮はいらぬともいえる。平民である彼女に、デジレは好きなだけ援助をしても誰からも文句は言われぬだろう。
「大変良いことをお聞きいたしました。では……」
「デジレ殿、お気をつけて」
「は。お任せください。若いのにはまだまだ負けませんよ。しばらく門前が騒がしくなりますが、どうぞご安心ください」
「ええ、お任せいたしました」
こうして話はまとまり、門の外は町の者たちが固め、門の中では王国兵たちが彼らの出方に神経を尖らせているという状況になった。
なんとも剣呑な雰囲気だが、この時点で一番騒々しかったのは、ヴィーとコレットが宿泊する部屋だっただろう。
両手を縛られて座らされたヴィーが、コレットからきつい説教を受けていたのだから。
「わたしたちの約束を忘れたの?」
「いや、そがんことは……」
「忘れてないのに、自殺しようとするなんて! そんなに軽い約束だったってことだよね?」
「いや、そがんことは……」
衝動以外の何物でもない行動だったので、ヴィーは言い訳もできずにコレットに言われるがままになっている。
「それくらいにしなさい」
と、オルタンスが妹を止めたのは、三十分ほど経ったあたりだった。
「ヴィーさん、この件で代官や私……いえ、王国からの兵士にも、怪我人や死者が出たりすれば、大問題になります。それはご理解されていますね?」
「……うむ、おいにもそいはわかっとっ」
デジレが対応すると言っていたが、ヴィーとしても黙ってみているつもりはなかった。
切腹するかどうかはさておいて、状況を片付けてしまう責任は自分にあるとヴィーは自覚していたし、今ならまだ間に合うとも思っていた。
「私としても、国王陛下や近衛騎士隊長に報告しなければならないような状況を望んでいません」
代官としても同様だろうと付け加える。
「ですが、ヴィーさんの知識を万が一にも失うわけにもいきません。ここはデジレさんたちにお任せして、屋敷の中で待機していただければと思うのですが」
「うんにゃ、そいはできんばい」
きっぱりと断ったヴィーに、オルタンスは眉間に皺をよせ、コレットは微笑んだ。
「こいばっかいは、おいが責任ばとらんばいかんことやけん。そいと、おいがこがんことば望んどらんてしっかい伝えんば、話は終わらんやろ?」
「わたしもそう思う」
「ちょっと!」
ヴィーに同調したコレットに、オルタンスは困惑する。
本来ならコレットはヴィーを連れて逃げてしまう選択だってとれるはずで、なによりヴィーが危険な目に遭うことを避けたいはずではないか。
「ヴィーさん、これは本当に危険な状況ですよ?」
「わかっとっさい。ばってんが、おいじゃなからんばいかんとよ」
コレットに拘束を解いてもらったヴィーは、立ち上がって両肩をぐるぐると回してみた。動きに問題はなさそうだs。
「そいぎ、外におっ人たちに話ばしてくっけん」
と、ヴィーが刀を腰に佩いた直後だった。一人の使用人が、一通の手紙を持って部屋を訪ねてきた。
「ヴィオレーヌ様へ渡してほしいと言われたのですが、顔を隠しておりましたので……」
誰からなのかは不明だと使用人は言ったが、差出人の署名があった。
「ボドワンからばい……」
実力を示す戦闘を始める前に、もう一度話がしたいという内容だった。
場所は、あの墓地だ。
「ヴィー……」
コレットが問うまでも無い。ヴィーは迷わず、その場へ向けて出発した。まっすぐな性格のボドワンが罠を仕掛けているなど考えられないからだ。
それでも、戦闘になる可能性は拭えない。
だからヴィーはコレットを屋敷に残すことを選び、渋々だが彼女も了承した。
だが、コレットはこのことを後に後悔することになる。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。
 




