31.夜の訪問者
よろしくお願いします。
「ヴィオレーヌ様」
屋敷の外に出て、家を出た時と些かも変わっていない裏庭をぶらぶらとしていたヴィーに、一人の少女が声をかけた。
「パメラ。どがんしたとね」
「お話がしたくて……忍び込んじゃいました」
現在、少数いた伯爵領の私兵たちは一時的に自宅待機となっていて、屋敷の警備は代官と共に来た王国兵士たちが行っている。
これといった危険も見当たらない現状、裏の抜け道を知っているパメラにとって彼らの目を盗んで忍び込むのは難しくなかったようだ。
「といっても、屋敷の中にどうやって入ろうか迷っていたんです」
はにかむパメラ。いつもなら使用人の誰かに声をかけてヴィーを呼んでもらうところだが、今は代官たちがいるので悩んでいたらしい。
「さんことせんででん、普通に声ばかくっぎよかやんね」
「そうしたいのはやまやまですけれど、他のみんなの手前、あまり堂々とはできません」
裏庭の一角に、庭園を眺めるためのベンチが備えられている。そこへ彼女を案内したヴィーは、隣り合って座った。
「よいせっ、と」
ヴィーはパメラの隣に飛び乗るようにしてお尻をのせる。足が地面まで届かないのが不安だが、ぶらぶらとつま先を揺らす彼女は、同性のパメラから見ても可愛らしい。
「そいで、なんの話ね?」
「……久しぶりに、稽古をつけてもらえませんか?」
「うん? 今からや?」
頷いたパメラが、背負っていた二振りの木刀を取り出し、一振りをヴィーへと手渡した。
「暗かばってんが、良かね?」
「構いません」
領内から反乱が始まるのを阻止することで頭がいっぱいになっていたヴィーは、丁度良い機会だと思い、受け取った木刀を構える。
「“約束”は、無しでお願いします」
「……良かよ」
約束無しの稽古。本身ではないものの、互いにどう動くかの約束をしないもので、実戦形式の稽古となる。
力量が明確に表れるものだが、その分、危険は大きい。互いの信頼が必要な稽古なのだ。
ヴィーは右肩に背負うような八相の構え。
対してパメラは切っ先をぴたりとヴィーの左目へ向けた正眼の構えだった。
「相変わらず、綺麗か構えたいね」
「ええ、ありがとうございます」
会話の間に、じりじりと二人の間は縮まっていく。
暗い、建物からの漏れるほんのりとした灯りが二人の輪郭を辛うじて浮かび上がらせている程度で、細かな表情までは見えない。
パメラの剣術は、基礎から全てヴィーの指導によるものだ。それは他の若者たちも同じで、他の土地からやってきた一部の者たちや、領兵として指導を受けた者を除いた、町にいる若者三十名程度が該当した。
中でもボドワンは抜きんでた腕前を持っていたが、パメラは然程目立つわけでもなかった。最初の頃などは木刀に振り回されているような状態だったころを思えば、かなり上達してはいるが。
「本気で来て良かけんね」
「もちろんです」
黒い髪を首の後ろで一まとめにしたパメラは、ヴィーに比べて三十センチは身長が高い。当然、剣が届く距離も遠い。
それでも、彼女は思い切った踏み込みでヴィーの攻撃範囲へと入った。
「えぃっ!」
鋭い掛け声と同時に、差し入れるような最短のコースを切っ先が走る上段打ちがヴィーの頭を狙う。
軽く振り上げたヴィーの剣が、攻撃を斜めに摺り上げて逸らす。
これが前世の央一郎なら、派手にカチ上げて相手を万歳させていただろうが、今の腕力ではとても不可能だ。
「ぬぅん!」
可憐な幼女が出してはいけないような唸り声と共に、小手を狙う反撃を繰り出した。
「うっ……!」
辛うじて両手を引き寄せて避けることに成功したパメラは、さらに切り返しを繰り出そうとして、ヴィーを見た。
が、隙を見つけられない。
距離を取り、仕切り直しを選んだパメラを、ヴィーは追わなかった。
「我ながら、腰ん引けた技ばってんが……」
「冗談でしょう。私はいつも驚いています。失礼ながら、あなたの年齢でそれほど戦いの覚悟ができている人を他に知りません」
「褒められたち思っとくばい」
なるほどパメラからしたらヴィーの腕前は驚愕すべきものなのだろうが、当人からしたら「どうにも鬱屈が溜まる」ほど、小手先の技を駆使する羽目になっている。
今度は、ヴィーから動いた。
木刀を背負ったような形から、相手の懐に飛び込むような八相打ち。頭を思い切り下げて小さく身体を畳んだ姿勢は、元より小さな彼女の身体を、さらに狙い難くしていた。
反撃を入れる場所が見当たらないと判断したパメラは、木刀を前面に押しだして愚直に防御に徹する。
実際、これが正解だった。
もし半端に避けようとしたら、ヴィーが身体ごとぶつかって木刀を擦りつけるようにして斬りかかっていただろうし、反撃を狙うならば、その懐を通り過ぎてわき腹を痛打していただろう。
勢いがついたヴィーの身体は、その軽さをカバーできずにパメラの木刀に止められ、否応なく再びにらみ合いの状況へと移った。
「ふぅーっ……」
鼻で息を吸って、薄く開いた口からゆっくりと吐き出す。
互いに同じ呼吸をやっているのは、先ほどまでの攻防で弾んだ息を整え、緊張で高鳴る心臓を落ち着かせるためだ。
この時、ヴィーの方は相変わらず体力が続かない自分の幼さを悲しみ、パメラの方は未だ技巧的に届かないことに歯噛みしていた。
だから、技で届かないなら力で勝る方法を取る。
「行きます!」
声を出して気合いを入れる。気組みと言っても良いかもしれない。大声を出しながら相手を圧倒するつもりで飛び込んでいくのは、そういう意味では有用なのだ。
それを教えたのもヴィーなのだが、彼女は百も承知で真正面からパメラの攻撃を待った。
再び、上段からの打ち下ろし。
ヴィーは半歩だけ右へとずれることで避けた。
切っ先が下がりきったところを狙って、ヴィーは自分の木刀を上から重ねて体重をかける。パメラの木刀を押さえてしまうためだ。軽い体重でも、さすがに持ち上げるのは不可能だろう。
「……おぉっ?」
体重をかけた木刀に、手応えが無い。
気付けば、パメラはくるりと柄を小さく回して押さえつけから逃れ、さらに踏み込んでヴィーの頭に向かって、柄頭を思い切り叩きつけようとしていた。
見下ろすパメラの目に、殺意がある。
背筋が凍るような死の予感を感じ取ったヴィーの口元に浮かんだのは、笑みだ。
「さん簡単には、死なんばい」
木刀を手放した。
「えっ?」
武器を捨てることがどれほど難しいか、パメラはわかっていた。だから困惑する。非力な女性なら猶更であり、相手である自分の方は木刀をしっかりと握ったままだというのに、と。
もちろん、ヴィーは勝負を捨てたわけでも、命を諦めたわけでもない。
木刀は邪魔だから手放しただけだ。
「よいっ、しょおっ!」
「ひゃあっ!?」
打ち下ろしてくる木刀の柄ごとパメラの両手をしっかりと抱きしめたヴィーは、そのまま座り込んだ。
想定以上の速度で引き落とされた上半身を思い切り逆さまにされて、過度にお辞儀をさせられた身体は転倒を余儀なくされる。
パメラが気付いた時には、地面に背中から落ちて夜空を仰いでいた。
「組討術。こがん戦い方もあっとよ」
「初めて、知りました……。あの、すみません。つい熱くなってしまって……」
「良か、良か。ボドワンとかの、何人かにしか教えとらんばってん、よう受け身んとれたね」
「……彼には、教えていたんですね」
するりと起き上がったパメラは、落ちた自分の木刀を拾い、ヴィーから返されたものとを合わせて背中に背負いなおした。
「隠すつもりてんなかったとばってんが、熱心に頼んできたもんやけんがね」
「そうですか」
静かな声だった。
「夜分に失礼しました。それと、稽古をありがとうございます。とても勉強になりました。どうか、お元気で」
「ん。身体は痛うなかね?」
鼻を啜ったような音が聞こえたが、ヴィーにはパメラの顔は暗くて見えなかった。
「……身体は、大丈夫です」
「そうね。気ぃつけて帰らんばよ?」
パメラは答えず、屋敷の外へ向かって歩き始めた。その方向には裏口があり、そこからこっそりと入ってきたのだろう。
「どがんしたとこっちゃい」
様子がおかしいと思いつつも、ヴィーはコレットのことが気になってきて、早々に部屋に戻ることにした。話し合いもそろそろ終わっているだろう。もし終わっていなくても、寝室に入って眠らせてもらうことにする。
「……む」
額が熱いと感じて手を当てると、ぬるりとした熱い液体の感触がある。わずかに切れているらしい。最後の柄頭がわずかに当たっていたらしい。
「やるばいね」
痛みよりも、教え子の成長を喜ぶ気持ちの方が大きかった。
しかし、別の問題が持ち上がる。
「コレットに聞かるっぎんた、しゃーらしかね」
仕方なく、ヴィーは敷地内の井戸に廻り、冷たい水で額を洗うと、前髪で傷を隠すことにした。
「一晩も経てば塞がっやろ。パメラは気になっばってんが……ボドワンのことば済ませてから、話ば聞いてみゅうかね」
予定通りであれば、明日は朝から伯爵領の視察と説明が待っている。
気になることは多いが、全て終われば、自分もコレットも見たことがない土地への旅が待っている。
自由への期待が、ヴィーの心を鷲掴みにしていた。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




