30.フォーコンプレ姉妹
よろしくお願いします。
ボドワンについては「後で話す」と伝え、とにかく短気を起こさないようにと注意だけしておいたヴィーは、墓地からの帰り道でずっと腕を組んだまま考え込んでいた。
「つくづく、おいは詰めの甘か。まさか、あがん考えば起こすてん思わんやった」
「ちゃんと止めないと、あの人たちが反逆者になっちゃうよ?」
「ボドワンたちには、そこまでのつもりは無かごたっばってんが……誤解さるっぎどがんしゅうでんなかけんね」
説明を聞く限りでは王国との戦争を望んでいるわけではなく、実力を示してオーバン伯爵としてのヴィーの復権を狙うことが目的らしい。
『ヴィオレーヌ様が率いた僕たちが力を見せることで、王もこの領地を治めるべき人物が誰なのか、理解するでしょう!』
息巻いているボドワンの瞳が、曇りなくまっすぐに自分を見ていたのをヴィーは憶えている。
彼はそう言うが、戦闘というものは必ずしも指揮官の考えた通りにはならない。むしろ、予想外の方向へと流れていくものだ。
「ボドワンの目。あがんなった連中ば見たことのあっ。西郷どんの取り巻き連中が、あがんやったばい」
思い出すたびに、どうも落ち着かなくなる前世の記憶。央一郎として戦死した西南戦争のことが否応なく頭に浮かんだ。
「西郷どんは、多分あがんとこまで戦うつもりてんなかったはずばい。ばってんが、若っか連中に火の点いたぎん、どがんもならんごとなった」
西南戦争の発端は、政府が送りこんだ警官と西郷の教え子たちとの衝突からだった。もし同じようなことが起きれば、旧オーバン伯爵領の人々は王国の敵となってしまう恐れがある。
「……あがん戦いば、ここでまですっことなかとよ」
同じことを繰り返してはいけない。
「コレット。悪かばってんが、こんことは秘密にしとってくれんね。おいがどがんかすっけんが」
「わかった。誰にも言わないよ」
コレットが即答したことに、ヴィーは目を丸くして驚いた。
「こがん言うとはおかしかばってんが、大丈夫とね? コレットの姉ちゃんは、王国文官やろ?」
「別に、ヴィーはお姉ちゃんと敵対するわけじゃないんでしょ?」
「そうばってんが……」
唖然としていたヴィーは、頭をくしゃくしゃと掻きむしって「わかった」と剣の柄を叩いた。
「コレットの姉ちゃんには迷惑かけんごとすっし、王様から頼まれた仕事もしっかいこなそうたい」
「うん。わたしも手伝うから、頑張ってね」
問題はあるが、きっと大丈夫。互いにそう確認した二人が屋敷に戻った時にはもう、夕暮れ時だった。
二人はそのまま代官が主催する歓迎会で夕食をとり、後は旅の疲れを癒すために自室へと戻ることになっていたのだが、コレットには用事があった。
「待っていたわ。色々聞かせてもらうわよ」
部屋の前で、一足先に食事を済ませていたオルタンスが待っていたのだ。
「ふむ……そいぎ、おいは少し余所さん行っちょくけん、部屋さん入って二人でゆっくり話しんしゃい」
「すみません。ヴィオレーヌさん」
「気にせんで良かよ。もうおいの家じゃなかとやけん。そいぎね」
「ありがとうね」
背を向けたヴィーが手を振って去っていくと、コレットは姉を促して部屋へと入った。
流石に伯爵家のゲストルームは広く、応接のためのソファも用意されている。
「この時間にお湯をお願いするのは悪いから、わたしは水でいいかな。お姉ちゃんはお酒?」
「……私も、水でいい」
「そう。ちょっと待っててね」
備え付けの小さなキッチンには、飲用の水が入った甕がある。そこから水差しへと移し、さらに木製のコップへと注ぐ。
手間ではあるが、客室にこの量の水を備えるだけでも人手が必要になる。それだけ、オーバン伯爵が潤っていたことにほかならない。
辺境ではなかなか難しいことのはずだった。
「ヴィオレーヌさんから、どこまで聞いたの?」
「ヴィーよ」
姉にコップを渡したコレットは、向かい合って座ると一口だけ水を飲んでのどを潤し、姉の言葉を訂正する。
「ヴィオレーヌって名前、もう彼女は名乗ってない。貴族籍を失った……返上って言った方が正しいかもだけれど、その時からヴィーって名乗ってる」
だから彼女のことを尊重して、“ヴィー”と呼ぶべきだとコレットは言う。
「わかったわよ。それで、ヴィーさんから、この領地の話は?」
「別に。ただ、町の人はみんな、彼女を慕ってるってことはわかった。思っていたよりもずっと。すごく、ね」
コレットの頭にはボドワンの姿が浮かんでいたが、口には出さない。
それが約束だから。
「私はね、国王陛下からこの土地で急に収穫量が増えた理由を探るように言われているの」
「そうなの?」
「ヴィーさんの父……オーバン伯爵が実の娘に殺された理由は、そこにあったのよ? 収穫量が急増したのに、伯爵は王国への報告を誤魔化していたの。今まで通りの収穫に見せかけて、差分を懐に入れていたのよ」
収穫量の増加分を買い取っていた商人も判明し、事情聴取も終わっている。
ヴィーの証言についての裏取りは取れていて、そこまでの報告はすでに完了していた。だからこそ、ヴィーが自由の身になれたわけだが。
「それなら、問題は解決したんじゃないの?」
「まだ解決はしていない。どうしてこの領地が豊かになったのか、もしかすると何か重大な秘密があるのかも知れないの。王国を豊かにする秘訣が」
王が心から欲しているのは、その情報だった。
「だというのに、言葉は通じなくてどの畑がどうなっているのか、見た目以外はわからない。手詰まりになっているところに、陛下が助けを送ってくださった」
それがヴィー本人だったことは意外だったが、その理由はオルタンスにも推察できた。
「陛下は、あのヴィーさんが収穫増加に関わっていると思っているはず」
「……ヴィーが?」
コレットは首を傾げた。
確かに十歳とは思えない戦闘能力だし、驚くほど領地の人々に慕われている。だからと言って、数年前からの収穫量増加に関わっているとまで考えるのは無理があるのではないか。
「本当にそうだとしたら、ヴィーは六歳とか七歳の頃から関わっていることになるんだけれど……。待って。本当にそうだとしたら、ヴィーはどうなるの?」
当然の疑問に、オルタンスは息を吐いて天井を仰いだ。
「陛下が放っておくはずがないわね。……でも良かったじゃない。うまくいけばヴィーさんは晴れて王国官吏。ひょっとすると農産大臣あたりの役職を貰えるかも」
「……そうなったら、わたしたちの旅はどうなるの?」
コレットの視線を受け止めたまま、まっすぐに見つめ返すオルタンスは答えない。
「お姉ちゃん、教えて。どうしてそこまでして成果を求めるの? 普通にしていれば、お父さんから領地を譲ってもらってフォーコンプレ家を継げるのに」
順風満帆な人生で、何が不満なのかとコレットは口にした。
途端、オルタンスの表情が険しくなる。
「……家を捨てようとしているあなたが、それを言うの?」
「う……」
「あなたがあなたの人生のために家を出たように、私にも私の人生を選ぶ権利があるとは考えられないの? 姉は妹のために我慢するのが当然?」
まだ中身が残ったコップをテーブルに置き、オルタンスは立ち上がった。
「明日は朝から領地を案内してもらう。あなたじゃなくて、ヴィーさんにね。あなたは好きにしなさい。そうね、できれば……“彼女の力になって、私の役に立って”頂戴」
何も言えないまま、コレットは姉が部屋を後にするのを見送った。
そして、ヴィーが戻るまで一言も口にせず、コップの中で揺れている水面を見つめていた。
ありがとうございました。




