29.変わらぬ故郷、変わっていた故郷
よろしくお願いします。
「ここがそうなんだね!」
「あんまい大きか声ば出すぎいかんばい。畑ば耕しよっ人のびっくいすっけん」
そう言うヴィーも、懐かしそうに周りを見回している。
旧オーバン伯爵領に到着した二人は、いくつかの農村を通り抜けて、旧伯爵邸がある町へと到着した。
町の名前はジェノオーバン。三百年前にはオーバン王国の王都であった場所だが、当時から変わらず農地に囲まれた自然豊かな町であり続けている。
王国から派遣された兵士たちが町の出入り口を固めているが、二人は馬車に乗ったまま中へと通された。馭者から話は伝わり、確認もあっという間に終わった。
そして、馬車はそのまま町を抜けて旧領主館へと到着する。
「そがん大した日数や無かったばってんが、えらい久しぶいのごたっ感じのすんね」
そんなふうに呟きながら馬車を下りてきたヴィーを最初に出迎えたのは、代官であるシプリアンではなく、屋敷の使用人たちだった。
「ヴィオレーヌ様!」
「おお、ここでなんばしよっと? まだここで働きよっとね?」
使用人たちはヴィオレーヌの無事を喜び、自分たちの状況を口々に伝え、ヴィーはそれを嬉しそうに聞いていく。
傍から見ると数名の男女に囲まれてもみくちゃにされているようにしか見えないが、中央に居るヴィーが誰よりも嬉しそうだった。
それを見て、コレットは安心と寂しさを味わいながら、ゆっくりと馬車を下りた。
「……コレット。やっぱりあなただったのね」
「お姉ちゃん」
聞き覚えのある声に振り向いたコレットは笑顔。対して、声をかけた方であるオルタンスは厳しい表情だった。
いや、怒りと言っても良いかも知れない。
「……お姉ちゃん?」
「ちょっと、こっちに来なさい!」
コレットの腕を掴んで、オルタンスは人だかりができているヴィーから離れ、屋敷の蔭へと連れ込む。
そこは庭師が道具置き場にしている場所で、隠れて一服する場所でもあるのか、かすかに煙草の臭いが漂っていた。
「説明して頂戴」
「な、何を……?」
「全部よ、全部!」
そう言われても、とコレットはどこから話すべきかと迷った挙句、まず自分が王都でトラブルに巻き込まれた話から始めた。
それがヴィーとの出会いに繋がるわけだが、そこまで話を進める前に、オルタンスが口を挟む。
「ほら、見なさい。紀行文を書きたいなんて言って、旅に出てすぐに危険な目に遭っているじゃない。悪いこと言わないから、すぐにでも家に帰るのよ」
「……やだ」
コレットは背負っていたバッグから布に包まれた小さな荷物を取り出すと、オルタンスの胸元に押し付けた。
「わたしは、自分の生き方を自分で決めたいんだ。最初からちょっと失敗はしたけれど、今はヴィーもいるから、危なくないし」
ヴィーと一緒に世界を見て回る“約束”もした。
「二人で一緒ならどうにかなる。お父さんにもお母さんにも心配かけて申し訳ないけれど、だからって簡単に止める気は無いよ」
「はあ……」
ため息が漏れる。
オルタンスが文官として独立する前、共に実家で暮らしていた頃のコレットはもっと弱々しいイメージだったのが、今は自分の意思をはっきりと宣言した。
「とにかく、私も仕事があるからこの話はまた後で。それで、これは何?」
「近衛騎士隊のイアサント様から、お姉ちゃんにって」
受け取った包みを揺らしていたオルタンスは、イアサントの名前を聞いた直後には包みを開いていた。
「これを、私に?」
「そう、お姉ちゃんに渡してくれって。あの人、耳まで真っ赤にして渡してきたものだから、わたしの方が周りに誤解されちゃって、大変だったんだから」
中身は小さなブローチだった。
銀細工のシンプルな物だが、洗練されたデザインは素人目にも高価な物だと分かる。
「イアサント様が……」
「じゃあ、わたしは行くね。代官さんに挨拶しないといけないし、荷物も下ろしておきたいから」
馬車に載せていた荷物を自ら下ろすこと自体が貴族としては異例なことだが、それを当然のようにやるコレットと、さらには元貴族令嬢でありまだ十歳だというヴィーも同じように馬車の荷物を抱え、手伝っている使用人たちと笑い合っているのを見て、オルタンスは自分が王都を離れている間に何が起きたのかと首を傾げていた。
そして、気付けば旧領主館の中にすっかり荷物が収められ、馬車と馬はそれぞれ別の場所へと運ばれていく。
「……どうなっているの?」
オルタンスは王都に近い領地の貴族の娘として生まれ育ってきて、教育を受けて仕事を始めてからも、生活における細々としたことは城の侍女や雇っている家政婦に任せてきた。
貴族として当然のことで、王国では当たり前のことだったはずだ。
考え込む彼女に、一人の老婆が声をかけた。
「なんばしよっと? 大丈夫ね」
かろうじて“大丈夫”は聞き取れたオルタンスは、地元の人たちと良い関係を築かねばならない自分の任務をようやく思いだし、強張った笑顔を見せた。
「だ、大丈夫です」
「そんない良かばってん」
ははは、と乾いた笑みを浮かべて、立ち去る老婆に小さく手を振ったオルタンスは、すでに始まっているだろうヴィーと代官の顔合わせに参加すべく、急いで領主館へと飛び込んだ。
ブローチを、そっとポケットにしまいこんで。
☆
「王国標準語ば話しきっとは、少なかとですよ」
屋敷内のゲストルームをコレットと二人で使うことになったヴィーは、代官との挨拶を済ませて簡単な状況説明を受けると、そう言って頷いた。
「大体がさ、かん辺境に余所から人が来っことてんそがん無かけん」
使用人たちは辛うじて多少話せるが、現地語との翻訳となると難しい。大した教育を受けていないので、少し難しい用語になるとどうにもならないのだ。
「然様でありましたか……」
「前はもっとひどかったごたっとです」
シプリアンの執務室では、ヴィーとコレットが並んで座り、その向かいに代官が座っていた。オルタンスは、彼の後ろで控えている。
「亡き母上が、侍女たちにもちゃんとした言葉ば教えんばいかんて言うて、おいが生まるっまでの短かか日数で、最低限ば教えたらしか」
伝聞でしかないが、余所の土地から嫁入りしてきたヴィーの母親にとって、言葉が通じずに苦労することは多かったのだろう。
彼女の苦労は功を奏して、今や代官やオルタンスら文官と、駐在している武官たちの生活はどうにかなっている。
もしヴィーの母親が早逝していなければ、少なくとも領主館の者たちはもっと円滑に意思疎通ができていたかも知れない。
「ご苦労なさったのでしょうな」
「ああ、そうだ。代官殿、元はここの貴族ばってんが、今のおいは平民やけん、敬語てん使わんで良かとですよ」
代官はしばし考える。ここは書類の上では既に王国直轄地となることが決まっているが、民心はそう簡単に切り替わるものではない。彼女の扱いを間違うのは命の危険にすら繋がるのだ。
「そうかね。ではこの口調で失礼させていただく」
普通なら民衆の人気があるヴィーに対しては敬語を貫いて丁寧に扱うべきだろうが、屋敷前での騒動や侍女たちの視線、そしてヴィーという人物の性格から親しい雰囲気を醸成すべきだと代官は結論付けた。
「早速だが、明日からこのオルタンスと共に旧伯爵領……まずはこの町から回って、説明をお願いしたい」
「今からでん良かとばってん?」
「いやいや、長旅が終わったところで無理はさせられぬよ。それに、久しぶりの故郷なのだから、やりたいことや会っておきたい人もいるだろう」
「優しか人やね。そいぎんた、ちょっと行きたかところんあっさ……」
「護衛を付けようか?」
代官の提案に、ヴィーは頭を振って断った。
「うんにゃ、近かとこさん墓参りやけん、良かよ」
それからヴィーはコレットだけを連れて、屋敷の裏手に回りこみ、しばらく歩いたところにある墓所へと向かう。
墓地までの道は、石畳では無く土を踏み固めただけのものだったが、その脇を走る水路はしっかりと整備されていて、綺麗な水が流れていた。
町の中でもこのあたりは畑が広がっていて、水路は畑を四角く切り取っているかのように縦横に流れている。
本流から支流へと、分かれる毎に次第に細くなっていく水路は、きらきらと陽の光を照り返して、畑が祝福されているかのように輝いていた。
「綺麗な町だね」
「気に入ったない、良か」
ヴィーは南を指差して、あちらに海があると言った。
「この領地は、干満の差の激しか海に接しとっと。そいけん、前は雨の酷かときに満潮になったいすっぎ、川から水の溢れてきよったとよ」
「前は……ってことは、今は大丈夫なの?」
ヴィーは得意げに頷いた。
「ちゃんと整えたけん、大丈夫。そいよいた、コレットは姉ちゃんと話ばせんで良かとね」
「夕食の後でも大丈夫。今は、この景色を見て、憶えておきたいから」
豊かな実りを生み出す力強い大地の潤いをどう表現するべきか、コレットはとても楽しそうで、それを見るヴィーも嬉しそうだった。
ほどなくたどり着いた墓地は、かなり古いものや新しいものが混じって雑多な印象ではあるが、どれも綺麗に清掃されている。
「ここがオーバン家の墓地たい」
ここにはヴィーの母親も眠っているが、先に彼女が向かったのは、最も新しい墓石の前だった。
自害した執事のものだ。
彼は平民ではあるがオーバン家の遠戚にあたり、その縁で執事として仕えていた。だからこそ、オーバン伯爵は彼を身内と信じて不正の片棒を担がせたのだろう。
「……すまん。おいがお前のことばちゃんと見とったない、気付いたっちゃろうばってんが……」
ヴィーは墓の前で膝を突き、詫びた。
彼女は執事までもが加担しているとは露ほども思っていなかった。だが、冷静に考えてみれば協力者が全くいないというわけでもないだろうし、そこまで調べてから王に報告すべきだった。
「今更悔いてでんどがんしゅうもなかばってん……」
「ヴィー……」
部外者の立場で何が言えるだろうか、ヴィーを慰めたい一心で言葉を探したコレットだったが、名を呼ぶ以上のことはできなかった。
罪人でありながら、執事がきちんと埋葬されているあたりは王なり代官なりの配慮だろう。民衆を不安にさせないためにそうしたというのもあるのだろうが、ヴィーにとってはありがたかった。
「ヴィオレーヌ様」
それは男性の声で、ヴィーは素早く立ち上がって腰の剣に手を置いたが、相手の正体を知ってすぐに手を離した。
「ボドワン! そいにパメラも一緒ばいね! 元気しとったね!」
「はい。ヴィオレーヌ様もお元気そうで」
ボドワンと呼ばれた青年は、短髪でキラキラと大きな瞳をしていて、まっすぐな性格を示しているかのような視線をヴィーに向けている。
彼の少し後ろをついてきていたパメラは、おどおどとした視線をヴィーに向けながら、ボドワンがヴィーに駆け寄るのを懸命に追いかけていた。
「お久しぶりです。こちらに戻られたと聞いて、探していました。ここに居られたのですね」
「いつ以来やろうか。しょっちゅう稽古に付き合ってもろうたとこれ、何も言わんで出ていったけんね。本当に、すまんかった」
「やめてください。事情は伺っております。伯爵様のことは残念ですが……僕たち、色々考えていたんです。あれから……ヴィオレーヌ様が町を出られて、お城で牢屋に入れられたと聞いてから……」
ヴィーと再会して、心が揺さぶられているのだろう。いつの間にかボドワンは涙を流しており、パメラが心配そうに肩を抱いていた。
「ありがとう、パメラ。……ヴィオレーヌ様。よくご無事でお戻りになられました。ここにいるパメラだけじゃない、他の、あの時の仲間たちと話し合って、決めたんです」
「おお、聞くばい。若人の門出ばいね。なんばしゅうで思うとっとね?」
墓地の土の上、ヴィーはどっかりと胡坐をかいて座り込んだ。もしここに酒樽でもあろうものなら、枡に注いで呷っていたかも知れない。
そして、その後ろではコレットが事の成り行きを見守っていた。
「ありがとうございます」
聞いてくれるだけでも感涙しそうなボドワンは、ヴィーの前で跪いた。パメラも、それに倣う。
「ヴィオレーヌ様。僕たちはあなたの臣下となり、身命を賭してあなたの手足となって働くことを誓います」
まるで騎士が叙任したかのような言葉を並べられ、ヴィーは怪訝そうな顔を見せた。
「おい、ボドワン。そいは……」
「ヴィオレーヌ様、僕たちが力を合わせて協力します。この領地をあなたの手に取り戻すのも、そう時間はかかりません。どうか、安んじてお任せください!」
「……はあ?」
ヴィーがボドワンの考えを問う言葉を口にするまで、たっぷり十秒以上必要だった。
ありがとうございました。
新しい『誤字報告機能』にて、前回更新分を早速修正させていただきました。
申請者の名前が表示されずIDのみで、修正するとその報告そのものが消えてしまうので、
お礼が伝えられませんでした。
いつもありがとうございます。本当に助かります。




