2.腹切り娘
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「“討った”と言ったのか。伯爵家当主であり、自分の父親であるヴィクトルを」
「は。城門にてヴィオレーヌ様を誰何した者が聞いております。その際、オーバン伯爵の首を証拠として見せられた、と」
「ふむ……その娘、正気か?」
「私には何とも申し上げられませんが、会話ができぬような狂人ではありません。ただ、少し考え方は“独特”かと」
王の執務室は、その権威には似つかわしくないほどに殺風景であり、重厚なデスクに羊皮紙で作られたいくつかの書類と筆記具が置かれているだけで、何の飾り気も無い。
その殺風景さを彼は愛していたのだが、今は難しい顔をして座っていた。
近衛騎士隊長イアサント・ムイヤールから、珍妙な来客について報告を受けたからだ。
「ヴィオレーヌ・オーバン、か。それにしても、まだ10歳の小娘なのだろう? そんな小娘に、近衛騎士の、それも部隊長が殺されかけるとはな」
その幼女に対して恐怖すべきなのか、それとも近衛騎士のレベルの低さを嘆くべきなのか。王の視線に射抜かれ、膝を突いて報告をしていたイアサントは視線を落とした。
「実に恥ずかしい失態でございました。ドミニクが功を焦っていた面もございますが、あれは家柄では無く実力にて部隊長にまでなった男です。私程ではありませんが、腕は立ちます」
つまり、ヴィオレーヌが規格外である、とイアサントは言外に伝える。
「……オーバン伯爵家の沙汰については規定通りとしよう。だが、その娘については一度話をしてからにする。よいな?」
「御意。では、謁見の間に案内いたします。護衛も増やしておきますが、陛下の隣は今回、私が立っておりますので、ご安心を」
「任せる」
こうして、首桶を抱えたヴィオレーヌ・オーバンが謁見の間に呼ばれたのは、彼女が控えの間に入ってから実に二時間を過ぎてからのことだった。
長いようにも思えるが、約束も無いまま王を訪ねてきて、この程度待つだけで済むのは幸運だったと彼女は考えている。
「立派かねぇ。綺麗ばってんが、派手じゃなか。こん城は、外ん見た目よいた中の方がおいは好いとぅね」
ごつごつとした無骨な壁はいかにも頑丈そうで、この部屋も戦闘時には王城という要塞の一部として機能するのだろう。
王よりも先に入室し、拝謁の時間を待つヴィオレーヌは、手ぶらだった。
首桶と不正を示す書類は既に城の者に預けてしまっており、王は自分と会う前にそれを精査するだろう。もちろん、当人ではなく、役人たちが確認し、報告を受けるという形で。
「国王陛下がお越しです。陛下のお許しが出るまで、顔を上げるのも、直言も控えてください」
「心得た」
妙に古臭い言葉を使う幼女に、忠告に来た文官は不思議そうな顔をして室内の隅へと戻っていった。滞りなく謁見が終わるようにすることが、彼の使命なのだろう。
ほどなく、イアサントを連れた王が現れ、玉座へと腰を下ろした。その動きは一切の乱れも無く、厳かで張りつめた空気の中、王だけがリラックスしていた。
「直言を許す。ヴィオレーヌ・オーバン、何か余に話したいことがあるそうだが、まずは質問に答えてもらおう」
「は。全てお答えいたします故、何なりと」
随分と固い話し方で返答をしたヴィオレーヌに、王は面を上げて自分を見ることを許した。
ゆっくりとも機敏とも言えない動きで見上げているヴィオレーヌの顔立ちに、王は見覚えがあった。彼女の母親である、ブノワトと瓜二つだった。
「母親に良く似ている」
「母上ば、ご存知であられましたか」
「一度だけ、言葉を交わしたことがある。今のお前よりもいくつか年上の時だったが……美人だった。病で亡くなったのだったか」
「おいば……いや、私を生んだ時に死にました。母の顔を憶えてはおりませぬが、そうですか、似ておりますか……」
自らの頬を撫でるヴィオレーヌを、立ち合いとして謁見の間にいる数人の文官たちは憐憫を含んだ目で見ていた。幼い少女が、見も知らぬ母親の姿を自分の姿に重ね合わせて思い出しているのだから。
だが、王とイアサントを含む、彼女が城門で見せた行為を知っている者たちだけは違う。美しくも儚い表情と行動のギャップに、薄ら寒いものを感じていた。
「本題に入ろう。お前の持ってきた首、オーバン伯ヴィクトルであると確認した。そして、お前の言を信用するならば、彼はお前が殺した。間違いないか?」
「間違いございませぬ。おいが、父上ば討ち申した」
ざわめきが謁見の間に満たされ、王の手ぶりですぐに鎮まる。
「根拠は、お前が提出した書類だな?」
ヴィクトル・オーバン伯爵は、王城へと報告せねばならない麦の収穫高を誤魔化していた。理由は不明だが、この数年オーバン伯爵領では麦を始めとした穀物の収穫量が増加していた。
にもかかわらず、伯爵は例年通りの収穫高を報告し、王家への上納分を誤魔化していたのだ。
「不義を行っただけに留まらず、責めば負うて腹ば切るごと勧めたとこれ、愚かな父上は拒絶ばしたとです」
「……領兵に手伝わせて、殺したわけか」
「とんでもござらぬ。こいは身内ん恥やけん、おいが自分でやりました。恥ずかしかとですけど、最後まで、無様か抵抗ばしとったです」
詳細を語るヴィオレーヌを、誰も止めはしなかったし、疑問をさしはさむこともしなかった。
彼女は伯爵の書斎で見つけた二つの異なる内容が記載された帳簿について父親を問いただし、罪を認めながらも家の存続を盾に彼女を説得しようとしたという。
だが、不忠を何よりも嫌った彼女は、父親を断罪することを選んだ。
「おいば殴ろうちしてきたとば、逆に脇腹ばぶっ叩いて肋骨ば折って、そのまま止めば刺してやったとです」
もう少し力があれば、苦しめずに済ませるくらいはできましたが、と言葉が続いたところで、王は手を上げて止めた。
「もう良い。それで、屋敷や領地はどうなっているのだ。放置してここへ来たのか?」
ヴィオレーヌは頭を掻いて、恥ずかしながら、とはにかんだ。
「屋敷には優秀か執事のおっけん、お沙汰のあって王様の使いが来るまで、いつも通りすっごと言うときました。畑ば耕しよっ民草は、おいたちがおらんでも、問題はなかでしょう。あん人らは、我がどんだけで生きていかるっくらい強かけん」
だから、とヴィオレーヌは改めて平伏する。
「使用人たちは、何も関わっとらんとです。民草はそいこそ、何の起きとっこっちゃいも知らんけんが、どうか寛大なご処置ばお願いします」
「オーバン伯爵領については、分かった。法に基づいて、一時的に王家直轄領として代官を置く。その後はどうなるかわからないが、調査をして問題がなければ屋敷の者たちは自由にさせよう」
貴族家での勤務経験がある者であれば、他の家で新たに職を得ることも難しくないだろう。
王の言葉に安堵した様子を見せたヴィオレーヌは、笑顔を見せていた。
「それで、お前についてだが」
「はい、わかっとります。狭かとこで良かですけん、部屋ば貸してもらゆっぎ、自分でやりますけん。申し訳無かとですけど、躯は良かごと始末してください」
「ん?」
王は一瞬、ヴィオレーヌの言葉が理解できなかった。こいつは何をやろうとしているのか。
「自分で、とはどういう意味だ?」
「おいは父殺しの罪人ですけん、腹ば切って死ぬとです。
死ぬとです《死ぬのです》。苦しかとは覚悟しとっけん、介錯もいらんですけん」
頭痛を覚え、王は眉間を押さえた。
それをどう感じたのか、ヴィオレーヌは俄かに困惑の表情を見せる。
「あー、死罪やけん、斬首ですか。そいはそいで良かですけど……」
「待て、待て。そうではない。どうしてそう死に急ぐ。オーバン伯爵領はいつからそのように命が軽い土地になったのだ」
「軽かとは思うとらんです。ただ、罪滅ぼしばせんばち考ゆっぎ……」
「もう良い。しばらくは城内の牢にて処分を待て。良いな、腹は切るな。勝手に死んではいかんと肝に銘じておけ」
「……御意のままに」
王の命令を平伏して受けたヴィオレーヌの声が些か不服そうに感じられたのは、王だけでなくイアサントも同じだった。
「一つ、聞いておこう。もし罪を赦されるとしたら、何を望む? 元の伯爵領で女領主としての地位が欲しいか? それとも、どこかの貴族家に嫁ぐか」
「むぅ……どちらも、あんまいおいには合わんごたっです」
ヴィオレーヌは数秒考えて、答えを出した。
「もし許さるっない、旅ばしたかです。伯爵領しか知らんけん、もっとこの国ば見てみたかった……」
寂しそうに笑う彼女の表情は、全てを諦めた顔だった。
弱冠十歳にして、こうも自然に死を受け入れることができるものなのか、王にはまるで理解できなかったが、その願いには共感できた。
「国を見て回るか」
「はい。さぞ楽しかでしょうね」
無垢な笑みを見せられ、王は毒気が抜かれたかのように脱力してしまい、言葉を返すことなくヴィオレーヌを牢へと案内するように命じた。
イアサントを通じて命じられた近衛騎士たちが近づくと、ヴィオレーヌは彼らに促されるままに退室していく。暴れるどころか、騎士たちに向かって、「城内は不慣れやけん、案内ば頼むね」と伝えるほど落ち着いていた。
「……なんなんだ、あいつは」
と、執務室に戻った王は愚痴るように言った。
「とにかく、どうにか処理をせねばならん。法ではどうなる?」
「調べましたが、貴族による殺人は特に規定が無いのはご存知かと思いますが、貴族間での殺人に関しては、その係累に復讐の権利があるとしているのみです」
イアサントはすらすらと答えたが、内容は王に舌打ちをさせるに充分なものだった。
「貴族が好き放題やるための法め。何の役にも立たん。二年前もそうだった。半年前も。この国は貴族の特権が強すぎる。苦労して王派閥を育てても、貴族同士の争いで勝手に殺し合ってしまう。結果はどうだ。国力は削がれ、馬鹿な貴族が好き放題に殺し合って残された流民が路頭に迷う。結果、そいつらも盗賊になって罪を犯す」
吐き捨てるように貴族たちを非難するのを、イアサントは黙って聞いていた。
彼も同意見で、王の直属として騎士たちが地方を巡回してはいるものの、領地の広大さに対して人数は足りず、中には金と女で現地の貴族に抱き込まれてしまう者も出る始末だった。
「このままでは、また王国は内乱の続く崩壊した地域になるぞ」
ひとしきり不満をぶちまけた後、王は椅子に座り直し、背もたれに身体を預けて大きなため息を吐いた。
「ヴィオレーヌは、強いと言ったな」
「はい。剣の腕前などはわかりませんが、年齢を考えれば異例なほどかと。何より、死を恐れていないのが強みです」
突然の質問だったが、イアサントはよどみなく、正確に答えた。
「死を恐れぬ。しかし忠義は知っている、か」
王は、ヴィオレーヌが自分の行動について説明していた内容を思い出していた。王に対する忠義と、それを裏切った父親への怒りからの行動であったとの証言。事実であれば、彼女は自分に対して尽くしてくれるだろう。
「いささか、自分でも酔狂に過ぎる方法ではないかと思うが」
と、前置きをした上で、王はまずヴィオレーヌに罪はないことを明言した。さらに、彼女には功績があると続ける。
「王国に不義を行った輩を断罪したのだ。これは余にとって報いてやらねばならん功績ではないか?」
「陛下がそうお考えであれば、そうすべきでしょう」
何か悪いことを考えているな、とイアサントは感づいたが、敢えて問うことはしなかった。
むしろ、彼も王と同様、あの不思議な幼女に興味が湧いていたのだ。
「婿をとって伯爵の地位を継がせるのは駄目だ。貴族院の連中がうるさくわめくだろう。だが、余の部下として密かに使うのであれば、誰も文句は言うまい」
それは、王が以前より考えていたことだった。
各地の貴族領へと密偵を送り、その状況を調査させるという計画だ。不備が見つかればその貴族や所属する派閥の力を削ぐことができる。もし今回のオーバン伯爵のような不正があれば、断絶を命じることすらできるのだ。
だが、信用できる人物は少なく、調査能力があるかどうかも疑問だった。
「貴族令嬢であれば旅をしていても不思議ではない。それにあの年齢だ。まさか余が放った密偵だとは夢にも思うまいよ。それに……」
「万が一露呈しても、彼女なら秘密を漏らさず死ぬだろう、と?」
「いや、まずは命令などせず、王都内で自由にさせてみよう。悪さをするなら改めて処断し、使えそうなら、改めて声をかければ良い」
そうすれば、ヴィオレーヌが王都内で問題を起こしたとしても、貴族たちから王に追及の声は上がらないだろう。もし「王が貴族だからと温い処分で済ませたから被害が出た」などと意見が出たなら、それこそ貴族に対する法を強化する都合の良い機会となる。
「あの娘が、単なる狂者か逸材か、見極めるとしようではないか」
王の笑みに釣られて、イアサントも意地の悪い笑顔を浮かべていた。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。