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28.旧オーバン伯爵領

お待たせいたしました。

第二章開始します。

よろしくお願いします。

 オーバン伯爵領は、()()()()()()()()、貴族領となっているが、最早その領主は存在せず、ヴィオレーヌが貴族位を喪ったことで、一族も絶えた。

 現状は仮に王が派遣した代官による統治が行われ、領主殺害と納税の不正に関する捜査が行われている。


 だが、伯爵の屋敷で働いていた執事が自殺をし、他の使用人たちは何も知らなかったこともあって、捜査は遅々として進んでいない。

 さらに伯爵領に到着した代官たちは、大きな問題に直面していた。

 言葉が通じないという問題に。


「あの、ちょっとお話を伺いたいのですが……」

「どっからきたこっちゃしらんばってがさんきかんごたっはなしばされたっちゃなんもわからんばい」

「……王国標準語でお願いします」

「あぁんもぅなんちいいよっこっちゃわからんわからん」


 可愛らしいはにかみを見せた農民の女性は、会話が成立したのかどうかすら判然としない早口言葉を残し、手を振って去っていく。

「えぇ……」

 残されたのは、王国文官であり旧オーバン伯爵領の調査官として代官に同行してきたオルタンス・フォーコンプレ女史だ。彼女は現地の案内役を探していたのだが、交渉どころか言葉を交わすことから躓いていた。


「どうなっているの……王国が成立してから数百年。オーバン伯爵領が外国だったのはもう何代も昔の話だというのに……」

 シルベストル王国は、周辺に存在していた小王国群を併呑して成立した過去がある。それら新領地に対してさほど厳しい政策は行わず、恭順すれば旧王族もその地を治める貴族として登用することが多かったため、王都から離れれば離れるほど、多種多様な文化が未だ残っているのだ。


 言葉もその一つで、多少言葉が通じにくい程度のことはオルタンスも覚悟していたし、王も代官も、必要があれば現地で協力してくれる通訳を雇うことも考えていた。

 だが、通訳どころかまともに王国標準語を話せる人間すら見当たらない。

 幸いにも屋敷にいた者たちは言葉が通じたので、どうにか伯爵についての調査は進んでいる。しかし、収穫量の増加につながる部分はまだ調査開始すら覚束ない状況にあった。


「まずいわ……このままだと、無能扱いされて王都に戻されちゃう」

 最悪の場合、地方に飛ばされてその土地の領主と縁を結ぶようなことにもなりかねない。

 オルタンスは、それだけは避けたかった。

 彼女は貴族子女の中に一定数存在する“貴族位継承権を有する令嬢”なので、周りにいる男性陣は隙あらば彼女のハートを狙っている。


 だが、今の彼女はその権利を重荷に感じていた。元々望んでそうしているわけでもない。

「あの子じゃないけれど、私も自由になりたい」

 貴族でいることが苦痛だというわけではない。貴族の生き方を強いられることが苦痛だった。

「私が次女なら良かったってわけでもないけれど」


 彼女の妹は特殊な能力があり、それが原因かは不明だが、しばらく前に自分の力で世界を見て回りたいなどと言って家出してしまったらしい。

 実家からの手紙でそれを知ったオルタンスは、妹を説得する機会を得るため、知り合いの騎士たちに見かけたら教えてもらえるように連絡を回し、自分も機会があれば外へ探しに出る仕事を欲しいと上司にも伝えていた。


「それが、どうしてこんな辺境までくることになったのかしら……」

 これも偏に近衛騎士隊長イアサントによる厚意と好意からの手配が原因なのだが、もし彼女がそうと知っていたなら、その時点で彼の恋は終わっていただろう。

「ただいま戻りました。やはり言葉が通じる人物がいません。領内の見回りは独自に行うべきかと思うのですが」


「そうか……だが、吉報があった。通訳及び案内役の件は、目途が立つようであるぞ」

 今は代官たちの宿兼事務所となっているオーバン伯爵屋敷に戻ったオルタンスに、報告を待っていた代官が口髭を伸ばしながら伝えた。

「先ほど王都から急ぎの通達が届いたのだが、国王陛下が伯爵領出身の人物を手伝いとして送ってくれるそうだ。まあ、掛けて聞きたまえ」


 歩き回って疲れただろう、と代官はオルタンスにソファを勧めて、侍女にお茶を用意するように伝えた。

「手伝い、ですか。王都で伯爵領出身の人物が都合よく見つかったのですね」

 向かいに座った代官が葉巻の端をカットするのを見ながら、オルタンスは少しだけ肩の荷が下りたような気がしていた。


 だが、それは気のせいだった。

「見つかったというか、向こうから来ていたと言うべきだな」

「それは、つまり……」

 伯爵領出身で“向こうから来た”という言葉でオルタンスが思い当たる人物といえば、一人しかいなかった。


「……例の、ヴィオレーヌ嬢だよ。随行が一名ついて、現在こちらに向かっているらしい。連絡員との速度差を考えると、明後日かその翌日に到着するのであろうな」

「吉報と呼べるのですか、それは?」

 オルタンスが不安がるのもわかる、と代官は言う。

 貴族位を剥奪された者が王国に従順であろうかという疑念と、彼女自身が父親を殺害した張本人であるという事実があるのだから。


「だが、そう心配することもあるまい。近衛騎士隊長のイアサント・ムイヤール殿の推薦ということにもなっておるし、侯爵が王都内で奴隷犯罪を行っていたことを暴くのにも尽力したそうだ」

 信用できる人物ではあるのだろうとでも言いたげな大官に、オルタンスは疑いの目を向けた。

「その随行一名が、監視役の騎士だというオチではありませんか?」


「いや、一般の女性だと書かれておる。ヴィオレーヌ嬢の知人であるらしいぞ」

 代官は落ち着いた様子で届いた連絡書をオルタンスへと渡し、代わりに紅茶が満たされたカップを手に取った。

「……ここの紅茶は美味い。自然も豊かである。言葉の問題さえなければ、ゆっくり骨休めをしたいところであるな」


 代官の名はシプリアン・エモニエ。長く王国の文官として働き、領地を持たない男爵家当主として生まれてからずっと王都に居を構えていた。

 地方へ転属した経験が無いわけではないが、都会暮らしが長い分、牧歌的な雰囲気には一種のあこがれがあるのかも知れない。五十代も終わりが見え、そろそろ引退を考える時期でもあることから、穏やかな老後を期待する気持ちもあるだろう。

「当主が殺害されたというのに、住民たちは落ち着いている。騒動にならないのは楽で良いが……いささか、不気味ではあるな」


 ゆったりとした口調で語る代官の前で、オルタンスは書類を見つめたまま固まっていた。

「どうかしたかね?」

「こ、この同行人……」

「同行人? たしかコレットという名だとあったな。……そういえば、君が探している妹さんと同じ名であるな。しかし、連絡では平民であるとされているが?」


「あの子は自由になりたいと言っていましたし、探されていることも承知の上でしょうから、平民を騙っている可能性もあります。ヴィオレーヌさんが到着され次第確認させていただきたいのですが」

「構わんよ。もし妹さん本人なら、積もる話もあるだろう」

「ええ、ありますとも」


 書類を代官に返し、自分のための紅茶をグイと飲み干したオルタンスは、ニヤリと笑った。

「あの子にはみっちり言い聞かせることがありますから」

「……そうであるか」

 一礼したオルタンスが部屋を後にすると、代官は目の前の書類に再び目を通し、大きく息を吐いた。


「父殺しの元貴族令嬢と、貴族家を捨てた家出令嬢かも知れぬ少女であるか」

 指先で眉間をもみほぐし、そっと書類をテーブルへと戻した。

「不正を行った伯爵が娘に討たれ、王都では、不法行為を糾弾された侯爵が何者かに腹を裂かれて殺された……」

 紅茶を一口。先ほどより渋く感じる。


「はてさて、穏やかな引退とはいかぬやもしれんな」

 騎士などの武官とは違い、比較的地味な文官職を長く勤めてきた彼にとって、自らのキャリアの最後になるかも知れない仕事を前に、不安と同時に何か面白いことが起きるかも知れない期待もある。

「さて、噂のヴィオレーヌ嬢とやらは、いかなる御仁であろうな」


 敵が存在しない長い繁栄の中で、王国がじわじわと内側から淀んでいくのを彼は感じ始めていた。侯爵の犯罪が暴かれたのも、それが一部だけ表にちらりと見えただけだと考えている。王国のあちこちには、固定化された身分と腐敗がまだまだうごめいているのだ。

「国王陛下は、如何にお考えであろうか」

 一介の官吏に過ぎぬ身ではあるが、愛国心は誰にも引けを取らない自負がある彼は、かのヴィオレーヌという人物と会うのを楽しみにしていた。

ありがとうございました。

次回もよろしくお願いします。

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