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最後の侍、異世界で幼女になる  作者: 井戸正善/ido
第一章:辺境の小さな侍
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26.侯爵、襲撃される

よろしくお願いします。

 王国の侯爵オクタヴィアン・デュランベルジェという人物は、良い意味でも悪い意味で王国貴族そのものを体現している人物と言えた。

 生まれ出て五十余年。彼の父親と国王以外に、彼を押さえる者など存在せず、その二人の内一人、前当主である父親が死んでからは、実質的に彼の上位者は存在しなかった。

 貴族派閥を取りまとめ、国王ですら無視できぬ勢力の長として、実質的にもう一人の王とすら呼べるほどの権力を手に入れた。


「我こそが権力を手にする運命にある存在である」

 と公言してはばからぬ傲慢さは、どの貴族にも劣らぬ。王派閥の貴族たちはさておき、貴族派に属する者たちにとって、彼こそが国家を導く人物であった。

 辛うじて王城内の人事は王が掌握しているものの、その膝元である王都にあっては、ある部分において影響力は王をも凌ぐ。


 それほどの地位、権力を持ちながら、彼の日常は苛立ちに満ちていた。

「……使えぬ者ばかりだ」

 彼のためだけに用意された部屋。そこにある高級酒はいずれも一般市民が目にすることすら難しい金額のもので、その一杯が満たされたグラスも、一脚で一般的な家が建つほど高価な、透明度の高いガラスで作られている。


「何故だ。どうして誰もわたしの要求通りの仕事すらできぬのか」

 虚しさが、オクタヴィアンの酒を不味くする。

「わたしが、王に頭を下げる日が来るとは……。不愉快だな。とても不愉快だ」

 話し相手はいない。

 今までに妻や愛人が幾人もいたが、誰一人として傍に置きたいと思えなかった。一時の享楽はあっても、心の安寧はついぞ得られなかった。


 夜が訪れ、屋敷からは人気が消えている。

 それでも、彼一人のために屋敷の中は隅々まで明るく照らされるほど魔石の照明が設置されており、今の居室も夜間でありながらランプによる揺らめく灯りではなく、安定した程よい薄暗さで保たれている。

 王ですら、これほどの贅沢は許されていないだろう。


「全てを手に入れたはず。そのはずが……小娘一人にかき回されるとはな」

 ヴィオレーヌという娘を、オクタヴィアンは知らない。地方の伯爵の娘など、彼にとっては“掃いて捨てる程いる身分の低い女の一人”でしかないのだから。

 だが、そんな気に留める必要も無いはずのちっぽけな存在が、彼の計画を邪魔する。

「おい。誰かいないか」


 些か酒が回ってきたが、まだ飲み足りない。

 地下の倉にあるワインを取りに行かせようとしたのだが、彼の呼びかけに誰一人として答えなかった。

「どうなっているのだ」

 酒で少しばかり緩んでいたはずの苛立ちが、再び彼の胸を支配した。


 直後、扉が開いた。

「遅い。呼びかけには即座に応えろと何度も……」

そいは悪かった(それは悪かった)ばってんが(だが)こっちにも(こっちにも)用事の(用事が)あっけんくさ(あるからな)

「……何者だ?」


 入って来たのは、銀髪の小柄な幼女。

 それが件のヴィオレーヌと気付くまで、たっぷり数十秒かかった。ヴィーは特徴的な見た目だが、いるはずのない人物を特定するのは、酔った頭では難しいらしい。

おいば(俺を)……うんにゃ(いいや)おいだけじゃなし(俺だけじゃない)他にも何人でん(他にも何人も)狙って(狙って)殺したともおっね(殺した者もいるな)


「復讐か」

「おうともよ」

 ヴィーは否定しなかった。

邪魔ばされんごと(邪魔をされないよう)廊下に居った(廊下にいた)兵士には眠って(兵士には眠って)もろうたし(もらったし)使用人には(使用人には)逃げてもろうた(逃げてもらった)


 いつの間に、とオクタヴィアンが戸惑っている間に、ヴィーは剣を鞘に納めてオクタヴィアンの前に来て、向かい合う様に腰かけた。

良か生活ば(良い生活を)しよっとね(しているな)

「辺境の伯爵風情では難しいだろうが……。それで、わたしをその剣で殺すつもりか」

うんにゃ(いいや)


 ヴィーはあっさりと否定した。

「では、どうやるのだ? まさかお前のその細い腕で、わたしを絞め殺せるとでも思っているのか? 殴ってみるか。蹴り飛ばしてみるか。腕が立つという話は聞いているが、まさかそんな力はないだろう」

 初老と呼べる年齢で、平均寿命を考えても残り十年と少しというオクタヴィアンだが、目の前にいる幼女に力で負けるとは思えなかった。


 そんな彼に向けて、ヴィーはナイフを取り出して目の前に放り投げた。

おいは手ば出さん(俺は手を出さない)自分のことやけん(自分のことだから)自分で始末せんね(自分で始末しろ)そいが(それが)王国で禄を(王国で碌を)食んできた(食んできた)貴族の役割(貴族の役割)じゃなかとね(じゃないのか)

「ふ、ふふ……わたしに、このわたしに自ら死ね、と? 王国に比類なき地位にあるこのわたしに!」


わからんとや(わからないのか)? そいけんが(だからこそ)我がで始末ば(自分で始末を)せんねち(しろと)言いよっとくさ(言っているんだ)

 オクタヴィアンは、目の前に置かれたナイフへと視線を落とした。

 まるで犬にでもくれてやるかのような手つきで放り投げられたそれは、彼が見て来た如何なる刃物に比べても粗末でシンプルなものだった。


「貴様は、物を知らぬな」

 ナイフから目を逸らし、グラスへと酒を注ぐ。

「貴族が自害するときは、毒を飲むのが慣例だ。それも特別な薬を使う。死体を綺麗に残すためだ。ナイフを使って死ねなどというのは、お前が無知な田舎者である証拠だな」

そがんして(そうやって)周りにおるとば(周りにいるのを)ふうけもんのごと(愚か者のように)言うてきたとやろ(言ってきたんだろう)?」


 ヴィーが戦ってきた数名の護衛は、誰もが真剣に戦おうとしていなかった。命を投げうってでも彼女を通さないという意思を見せようとすらしなかった。

 使用人たちも同じで、ヴィーが護衛を倒した時点で、早々に諦めたように彼女に従った。まるで、来るべきときが来たかのように、誰もがヴィーという刺客を受け入れた。

誰もお前ば(誰もお前を)真剣に(真剣に)守ろうでしよらん(守ろうとしていない)


「わたしが死ぬことを、誰もが当然だと思っているということか。悲劇だな。どいつもこいつも、わたしの財産から給金を得て生活しているというのに」

人は金だけで(人は金だけで)動くわけじゃなか(動くわけじゃない)飯ばもらうぎ(飯を貰えば)恩は憶ゆっばってんが(恩は憶えるが)尊敬すっ(尊敬する)わけじゃなかとさ(わけじゃないのさ)


「……わかった。このナイフでどうしろというのだ?」

腹ば切らんね(腹を斬れ)介錯ば(解釈を)して欲しかない(して欲しいなら)すっし(やるし)どがんでん(どうしても)腹ば刺しとうなかない(腹を刺したくないなら)扇腹でん良か(扇腹でも良い)

 扇腹は扇子を短刀に見立てて腹に当て、介錯で首を落としてもらう切腹の一種だが、当然ながら侯爵には通じない。


 鼻で笑ったオクタヴィアンは、目の前のテーブルにグラスを置いた。

「何を言っているのか、さっぱりわからぬ。第一何だその訛りは。聞くに堪えない。それにナイフも見すぼらしいにも程がある。良いか。わたしのような高位貴族が使うなら、例えばこのようなものを使うのだ」

 そう言って懐へと手を差し入れた彼が取り出したのは、ナイフでは無かった。


「死ぬのはお前の方だ。痴れ者め」

「貴様は……」

 取り出したのは何かの魔石だったのだろう。小さな塊をグラスの中に放り込んだ瞬間。激しい光を放ってグラスがはじけ飛んだ。

 指向性があるのか、砕けたガラスは何かを言いかけたヴィーの方向にだけ向かって降り注ぐ。


「愚か者め。わたしが護身用の魔石を用意していないとでも……」

思うとらんよ(思っていない)

「なんだと!?」

 テーブルを踏みつけて迫ってくるヴィーの姿に、オクタヴィアンは心の底から驚愕していた。

 彼の想像では、砕けたガラスを全身に浴びたヴィーが苦しみもがく姿が目の前にあるはずだったからだ。


かん子供騙してん(こんな子供騙しなど)どがんもなか(どうもない)!」

 狂気の沙汰であった。

 ヴィーは全身にガラスを浴びていた。そこまではオクタヴィアンの想像通りだった。だが、それでは彼女は止められないのだ。

 驚異的な反応速度で両腕を使って目と喉を守って致命傷は免れたものの、それ以外の顔や胸にはおびただしい数のガラスの破片が突き刺さり、血が流れている。


 それでも、ヴィーは腰の剣を抜き、歯を剥き出しにしてオクタヴィアンへと躍りかかった。

 体当たりも同様の突きがオクタヴィアンの胸を狙うが、辛うじて避けた彼の肩へと吸い込まれるように刺し込まれた。

「ぐ、ぬぅ……」


 痛みに耐えながら、視界に大きく広がった幼女の顔を追い払う様に手を振るう。

 だが、空振りした。一度身体を逸らしたヴィーが再び体重をかけると、剣はより深く突き刺さる。

情けんなか(情けない)そいででん(それでも)王国貴族ね(王国貴族か)

「貴様……」


 剣で貫かれてもなお会話ができるあたり、オクタヴィアンも常人の胆力ではない。彼の頭脳は未だ冷静であり、自分の身体に刺さった剣が致命傷にならず、このまま眼前の小娘を殴りつけてしまえば自分は助かると考えた。

 命が繋がっていれば、傷は魔石で塞ぐことができるのだから。

 だが、ヴィーはあっさりと剣を手放した。


作法ば知らんち(作法を知らないと)言うないば(言うならば)おいがしてやったい(俺がしてやろう)

「何を……! や、やめろ!」

 ヴィーの手には、いつの間にかナイフが握られていた。

 先ほど「腹を斬れ」と言ってテーブルに放ったシンプルなナイフだ。


 飾り気など欠片も無いナイフだが、その刃は鋭く、丁寧に研ぎあげられている。

 抵抗しようとするオクタヴィアンの手をすり抜け、ヴィーが右手に握るナイフはぷっつりと皮膚を貫いて、彼の左わき腹へと刺さった。

あんまい深く(あんまり深く)刺すぎいかん(刺してはいけない)我がですっときは(自分でやるときは)力の萎えてしまうけん(力が萎えてしまうから)そいと(それと)ハラワタさん絡んで(腸に絡んで)刃の進まんごと(刃が進まなく)なっけん(なるから)


 言っている間に、左わき腹に浅く刺さった刃は、少しずつ深く刺さりながら、右わき腹へと綺麗に一文字を描いていく。

「ぐ、ぬぬ……。こんな、こんな……」

 現実味が無いのだろう。次第に脱力していくのを感じながら、自分の腸がこぼれる様をオクタヴィアンは他人事のように見ていた。


「王国の、比類なき、貴族の……」

貴族でん平民でん(貴族でも平民でも)腹ば切ったら(腹を斬ったら)中身は一緒ばい(中身は一緒だ)ただ単に(ただ単に)生まれた場所の(生まれた場所が)違うただけさい(違っただけ)

 おびただしい血が流れ、高価な絹の衣装に包まれていたオクタヴィアンの下半身は、みるみるうちに真っ赤に染まる。


「人間、誰でん(誰でも)自分のしたことに(自分がしたことに)責任ば(責任を)とらんばいかん(とらないといけない)そいばわかっとらん(それをわかっていない)けんが(から)こがんなっとさ(こうなるんだ)

 もはやうめき声だけを上げ、ヴィーの顔を見つめているオクタヴィアンの目が次第に濁ってきた。


 彼の瞼をそっと下ろしたヴィーは、ナイフを抜いて今度は首をするりと撫でて頸動脈を切断してやった。

 長く苦しまないための、彼女なりの優しさだ。

「はぁ……ようやく(ようやく)終わったばいね(終わったな)

 自由を掴むための始末はついた、とヴィーはガラスを払い落としたテーブルに座り、大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。


 頬に刺さったガラス片が、今さら酷く痛みだした。

ありがとうございました。

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