20.幼女の剣
よろしくお願いします。
ヴィーの剣は、前世の頃とはかなり毛色が変化していた。
それは彼女の体格のせいもあるが、ヴィオレーヌとして生まれ育った伯爵家での環境もあった。
「剣術ばやりたか」
と彼女が言い出した時、年齢はまだ五歳。父親であるオーバン伯爵は聞き流した。
彼女の役割は、いずれ有力な貴族から婿を取って伯爵家を継ぐことにあって、戦場で武勲を立てることではない。
第一、太平の世になった今、戦場らしい戦場など時折小規模に発生する以外は存在せず、女騎士となる者も近年は珍しくないが、男よりも強い女を求める貴族は少ない。
家の存続には、邪魔でしかなかった。
少なくとも一般的な貴族の感覚ではそうなっており、伯爵もその一人である。だから、娘の願いを「女親がいない影響か」と軽く考え、使用人たちに高価なぬいぐるみや可愛らしい服などを用意するように伝えた。
それ以上ヴィオレーヌに関心を持たなかった伯爵は、自分の娘が諦めていないことに気づかなかった。
「おなごがやっとうばすっとはおかしかかね。……そがん思うやろね」
おんな侍がいないわけではなかったが、前世でも小さな女の子が剣術に興味を持つものではないと思われていた。この世界でもそうなのだろう。
だが、侍であることをやめたくはなかった。
侍でいることが、少なくとも侍として振る舞っていることこそが彼女のアイデンティティであり、たとえ生きる世界が変わったとしても、絶対に捨てたくない魂の在り方なのだ。
「父上が許してくれんない、わがでどがんかせんばいかん」
幸い、田舎の領地で使用人は大した人数がおらず、監視の目はほとんどない。
四歳頃から毎日のように領地を歩き回り、育っていく農産物や、張り巡らされた河川を見てきた彼女は、農民たちと親しく、人気者でもあった。
一応は侍女が付いては来るが、無茶な我儘を言うわけでも無ければ、何でも他人の手を借りなければならないわけでもないヴィオレーヌは、世話を焼く必要がない分、愛着も無かったらしい。彼女が何をしていても、どこに行っても、放っておいてくれた。
「ん。こんぐらいで良かろう」
家から持ち出したナイフを使い、適当な木の枝を拾っては木刀のように削り整える。
五歳の腕力ではなかなか苦労したが、十日間ほど部屋に籠って、どうにか不細工な木刀を三本用意することができた。
なぜ複数本用意したのか。
他の子どもたちに稽古相手をしてもらうためだった。
木刀を抱えて、遊んでいる子供たちの中へと飛び込んでいったヴィオレーヌは、可愛らしいドレスを着ていることで最初は敬遠されたが、剣術をやらないかという誘いから始まり、木刀を振る姿を見てあっという間に彼女を中心にした集まりが完成した。
大人たちの真似をしたがる子供たちは、騎士のように剣を振ることに憧れを持っていたし、女の子ながら美しい素振りを見せた彼女に興味を持ったらしい。
「藩の道場で子供たちさん教えよったとば思い出すばい」
こうして伯爵の娘ヴィオレーヌは町の子供たちを上手に操って自分の稽古環境を整えたのだが、彼が本来教わっていた柳生新陰流は、今の身体では難しかった。
相手の木刀を激しく打ち据えて返す刀で突きを入れたりするような筋力は無い。
そのため、他に知っている動きとしてタイ捨流を取り入れることにした。
相手の攻撃を受け流し、最小限の動きで的確に傷を負わせるような動きを思い出し、彼女はじっくりと自分の体格と腕力に合わせて、自己流の剣術を磨き上げていったのだ。
いくら鍛えても、なかなか筋力が付かない身体に歯噛みしながら、それでもいつか伯爵家を背負う立派な“大名”として立てるように。
そして、大切な誰かを自分の手で守れるように。
たった今この瞬間、コレットと言う女性を救うために鍛えてきたのかも知れない。
生まれ変わる先も父親も決して彼女が選んだわけではなかったように、訪れる運命は選択できるわけではない。だが、“訪れた運命”を精一杯乗り越えることはできる。
そう信じて、ヴィオレーヌは、一番ヶ瀬央一郎は戦ってきた。
「死ぬち思うて、かかってこんね」
「……本気で、俺と戦うつもりか?」
覆面の男は、目の前で剣を背負った幼女に向かって信じられないという様子で目を見開いた。
それでも油断なくナイフを二振りとも抜き、臨戦態勢に入っているあたりは今までヴィーと対峙した敵とは一線を画す。
ヴィーは八相の構えのままでじりじりと距離を詰めていく。
「ヴィー……」
不安げなコレットの声に、答える余裕は無かった。
内心でヴィーはかなり追いつめられている状況を自覚していた。エントランスで大男と戦った時のダメージは残っているし、ここまで来るのに幾度かの戦闘を行って、体力は限界に近い。
しかし、城山のように命を手放して満足できる戦場ではない。
「丁度良かった。お前を斬り刻んで、この娘から情報を引き出す材料にしてやろう」
もはや演技は不要とばかりに、男は覆面を脱ぎ捨てた。
その下にあったのは、激しい火傷の跡だった。人相は引きつったように崩れ、唇も捲れてしまっている。
「泣きわめくお前が、指先から少しずつ削り取られていく様子を見れば、この女も素直になるだろう」
「なんてことを……」
コレットにとっては、自分がそうされる様子よりも明確にイメージが浮かぶ恐ろしいことだった。
「待って! 話すからヴィーには何もしないで!」
「コレット!」
一喝したのはヴィーだった。
彼女は、覆面の男が自分とコレットを生かしておくはずがないと確信していた。無事に帰るためには、この男はここで殺すしかない。
「……ふぅっ!」
息を吐きながら、先に前へと踏み込んで仕掛けたのはヴィーの方だった。
突き出された右手のナイフに剣の腹を側面から当て、懐へと飛び込む。
「速いな。だが、子供にしては、というレベルだ」
男の長い手足がするりと動き、ヴィーの前面から身体をずらすと同時に、左手のナイフが振り下ろされた。
「やあっ!」
気合いと共に剣をぐるりと巡らせてどうにかナイフを弾き、ヴィーは反撃を逃れた。
「ふぅむ……ヴィー、と呼ばれていたな。妙な小娘だが……どこかの貴族か?」
「うんにゃ」
剣を構えなおし、ヴィーは頭を振る。
「何の身分も無か。ただの小娘くさ」
言葉を交わした直後、さらに剣を交わす。
ナイフの突きはもう一振りの斬り下ろしの布石であり、それを読み切った剣が突きを受け流して上からの剣を止める。
離れて、今度は左右からの斬撃が来て、しゃがんで脛への反撃を狙う。
だが、それは男の軽やかなステップに躱された。
そうして二合、三合と剣を合わせているうちに、ヴィーの方は疲労の限界を迎える。
「お……っと」
前に出していた左膝がぐらりと揺れた。
「おやおや、もうおねむの時間か? 折角楽しくなってきたところだが、そろそろ終わりだな」
「そがんごたっね」
否定しなかったヴィーの言葉に、コレットはすっかり蒼白になっていた。
「そがん顔ばせんでよか。怖かないば、目ばつぶっとかんね」
左手で膝がしらを叩いて自らを叱咤したヴィーは、改めて男へと向き直る。
そして、自ら前に出た。
二刀の怖さは、手数の多さにある。
大振りなナイフを片手で軽々と扱う腕力、両方を的確に操る技術。両方が備わっていなければ、下手をすると自分の手を斬るような難しい業だが、目の前の男は危なげなく操って見せている。
相当の修練を積んだ証拠であり、ヴィーはその点では彼に好意すら覚えていた。
「……死ねぃ!」
リーチは、腕の長さの分、男の方がやや長い。
ナイフの切っ先が届き、剣が届かないギリギリのタイミングで、男は仕掛けた。
完璧な瞬間で叩きつけられるナイフ。普通ならこの一撃で相手の首を斬りつけ、万が一反撃をされていても、もう一振りが完全に止める。
勝った、と男は確信した。当然の勝利を得たと。
「なんだと!?」
確かに切っ先の下にあったはずの、ヴィーの身体が無い。見失ってはいない。しかし、振り下ろしたナイフのすぐ外側。すでに通り過ぎたはずの場所にいるのだ。
「このっ!」
この状況にあって、それでもギリギリのタイミングを見切って“下がる”という選択。間合いを一歩間違えばただ斬られて終わる、紙一重の距離。
驚嘆と言うほかない状況で、男はそれでも二の太刀を選択した。
想定ではなく、見えている距離にいるヴィーの首を刈るように、左側面から鋭い踏み込みと横殴りの一撃をくれてやるのだ。
細い首を飛ばすような一撃だったが、完全に放たれることはなかった。
「すごか腕ばい。大人んなってから、やりあうぎよかった」
先に振り下ろされた男の腕を左腕で掴み、全体重を乗せるように押さえつけながら、今度は前に出たのだ。
前にバランスを崩した男は、横薙ぎの動きを止めてバランスを取ろうとする。しかし、その時にはもう、顔が触れ合う程の距離にヴィーの姿があった。
「……やるな」
「そうやろう?」
男の腹に、ヴィーの剣が突き刺さっている。踏み込みと同時に、横倒しにした剣を叩き込んでいたのだ。
力が弱い彼女は、いかにして相手の攻撃を避け、受け流し、反撃を狙うかをひたすら研究し続けて来た。
自分の身体の大きさを把握し、移動できる速度と距離を何度も確かめ、相手の動きを見切る。
それが、ヴィオレーヌとして生まれた彼女が手に入れた、彼女のための剣術だった。
「ぐ、う……」
口と腹からボロボロと血を流し、男はにやりと笑った。
「しくじったか……。だが、お前は、お前たちは、これで平穏を手に入れた、わけではない……」
膝を突いたかと思うと、そのまま前に崩れ落ち、仰向けに転がった。
「俺は、何も言わずに死ぬぞ……道を外れたが、これくらい、これくらいの忠誠心は、見せても良いはずだ……胸を張れる仕事じゃないが、これくらいは……」
「立派か。誰の家中こっちゃい知らんばってん、あんたはきっと、自慢の家臣ばい」
「……すまんな」
襲ったことか、コレットを誘拐したことか、それとも情報を話さないことか。何に対する詫びなのかわからないが、男の最期の言葉は謝罪だった。
「終わった、のかな」
「わからん。おっと」
コレットを解放したヴィーは彼女が強く抱きしめてきたのを受け止めた。
「良かった、本当に。無事で良かった……」
なるほど、自分がそうだったように、コレットも自分を心配していたのか。ヴィーは妙に納得し、初めて互いの想いがつながったような安心感を覚えて、彼女の柔らかな身体に包まれたまま目を閉じた。
限界を超えた身体には、コレットを抱きしめる体力も残っていなかったのだ。
ヴィーは、そのまま三日間目を覚まさなかった。
ありがとうございました。
今日の更新もこの一回になりそうです。
すみません。




