1.小さなサムライ
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大陸を統べる巨大な国、シルベストル王国。
人口百万を超えるとも噂される王都には、その権勢を示すかのような巨大な城が聳え立っている。
堅牢な城壁と白亜の尖塔を併せ持つこの王城に、ある日の昼過ぎとも夕方ともつかない頃、一人の幼女が訪れた。
「王様に拝謁ばお願いしたかとばってんが」
訛りの強い言葉で、どうにも田舎者らしさが目立つ話し方ではあるが、見た目は正反対であった。
太陽の光を数倍にするかのように輝く銀の髪に、高級な絹の衣装は一見して貴族か豪商の娘であろうと想像できる姿であり、乗ってきたという馬車も、家を示すバナーこそ無いが、作りは貴族たちが好んで使う、つややかな木製の箱馬車であった。
「ですが、先触れも来ておりません。どうか、少々お待ち願えませんか」
「おお、約束もせんで来たとはこっちやけん、ちゃあんと待っとくさ」
王城の門を守っているのは下級の騎士たちであり、先触れも約束も無いままに来た人物を、貴族だからと言って通せるかどうか判断できる立場にない。
まして、貴族を名乗っていると言っても、証拠は家紋が刻印されたナイフが一振りで御供も連れていない幼女が相手なのだから、惑うのも仕方がなかった。
「改めて、名乗っておくとしようか。おいはヴィオレーヌ・オーバン。オーバン伯爵領の一人娘……やけどまあ、一度も領地ば出たこってん無かけんね。誰も知らんかもしれん」
「オーバン伯爵? あの辺境の……あ、し、失礼いたしました!」
「気にせんで良か。本当のことやけん」
「それで、本日はご当主は……?」
一人が報告へと向かっている間、残った騎士はヴィオレーヌを名乗る幼女に敬語で話しかける。まだ確定しているわけではないが、伯爵家のご令嬢となれば、下級貴族出身の彼にとっては雲の上の存在なのだ。
万が一にも、不興を買ってしまった場合、辺境送りにされてしまう可能性すらある。
「当主? ……ああ、父上のことな」
ちょっと待ってくれと言ったヴィオレーヌは、貴族令嬢には似つかわしくない軽快な動きで馬車へと飛び乗ると、細い腕に桶を抱きかかえてすぐさま下りてきた。
「ほら。こいがそれ、さ」
「……それ?」
蓋を開け、差し出された桶の中を覗き込んだ騎士は、中にあるモノと目が合った。
「父上は、死んだ。事情のあっておいが討ったとばってんが、王様に首実検ばしてもろうて、そいから説明ばしたかとさ」
伯爵は塩漬けの生首と化していた。
首だけの伯爵と対面してしまった騎士は、喉の奥からこみ上げるものを必死でこらえながら、同僚の帰りを待つしかなかった。
ところが、やって来たのは彼の同僚では無く、同じ騎士でもエリートである近衛騎士、それも部隊長クラスだった。
「伯爵の娘を名乗る奴がいる、と聞いたのだが?」
「は、はあ……こちらの方です」
指されたのは、馬車の間で腕組みしたまま仁王立ちしているヴィオレーヌだ。
門番の騎士は戸惑っていた。
通常、城内の警備に携わり、城を出るのは王族の外出に警備として参加する時位なもので、城門まで顔を出すなどまずありえない。
それに、貴族の本人確認は専門の紋章官が行うので、近衛騎士が関わる必要など無いのだから。
しかも出てきた近衛騎士は、「奴」などという口ぶりからして、既にヴィオレーヌを偽物だと考えている節がある。
「貴様が、オーバン伯爵の娘を名乗っているという奴だな」
「おう、王様に話んついたとね?」
「馬鹿が。貴族の娘を名乗って王に取り入ろうなどと、見え透いたことを。俺が見抜けないわけがないだろう」
近衛騎士が剣を抜くと、門番の騎士は驚きに目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ確認が取れたわけでは……」
「平騎士風情が、近衛である俺の判断に反対するつもりか?」
「そういうわけでは……」
立場が違うどころか、近衛と平騎士では生まれから違う。街に出て兵士達を指揮しているのは、なんちゃって貴族と揶揄される騎士爵階級の出身が多く、高位貴族の子弟で構成される近衛とは住む世界が違うのだ。
「おいおい、おいは嘘てん吐いとらんばい」
ヴィオレーヌは、不穏な空気を感じ取って首桶を置き、腰に提げていた紋章付のナイフに触れようとした。だが、ナイフは身分確認の為に城内へと持ち込まれてしまっている。
「抵抗しても無駄だ。大人しく膝を突いて投降しろ。まあ、抵抗しても構わんぞ。貴族を騙るのは重罪だ。いずれにせよお前は死を免れん」
堂々とした物言いだが、ヴィオレーヌは少しも気後れしていない。
「あー、そいばってんが、おいは死ぬために来たっちゃけん、そいはどがんでんよかとさ。ばってんが、まず王様に会うて話ばせんば、何ばしに来たこっちゃいわからんごとなっ」
「王に会うだと? ……ふふ、これで俺が貴様を“処罰”する理由はできた。不逞の輩を王に近付けぬようお守りするは近衛の役目よ」
「しょんなかね……」
役目に酔っているかのような近衛を前に、ヴィオレーヌは素手のままで構えた。腰を落とし、左の手足を前に出した甲冑組打術の構えだ。
「我こそは一番ヶ瀬……ちごうた、我こそはオーバン伯爵家が子、ヴィオレーヌ・オーバン! いざ尋常に、勝負!」
いつの間にか城の前に集まり始めていた民衆は、堂々とした名乗りに感心したような声を上げた。
対して、追い詰められたのは近衛騎士の方だ。
衆目の中で貴族としての名乗りを上げて、無手ながら堂々と戦おうとする幼女に対して、彼は剣を抜いている。このままでは家名に泥を塗ることにもなりかねない。
「ちっ、仕方ない」
近衛騎士は剣を納め、自らも無手になった。ガントレットなどの頑丈な武具を外さないのは、本気で目の前の幼女と決闘をする気が無いからだ。
体格差もさることながら、騎士として鍛えてきた身体は、剣が無くとも子供一人を捕まえるくらいは訳が無いはずなのだから。
「俺はドミニク・アランブール。アランブール子爵家の嫡男だ」
構えすらしないのは、素手での戦闘に不慣れなのか、ヴィオレーヌを小馬鹿にしているのか。
いずれにせよ、民衆の視線は騎士に刃向ってしまった哀れな幼女へと集まっている。
「よか家ん子じゃっこ。そいがなんでこげん捻くれたとかね」
「ぬかせ、ガキの癖に!」
手っ取り早く捕まえて終わらせようと思ったのだろう。ドミニクは殴るでも蹴るでもなく、捕まえることを選んだ。
彼が伸ばした両手は、狙い通りであればヴィオレーヌの両肩をしっかりと掴んでいただろう。だが、そうはならない。
「よっこいしょお!」
「なんだと!?」
両手の下をかいくぐる様に踏み込んだヴィオレーヌは、ドミニクの左足を掴んで膝を抱えあげ、同時に股間に思い切り肩を押し付けた。
「ぬおっ!」
軸足を抱えられ、重心まで浮かされたドミニクの身体は、思い切り背中から落ちた。
石畳に後頭部が叩きつけられる音がして、見物人たちはまるで自分が転んだかのように顔をしかめる。
「身体ん小さかとも、潜り込むとには悪ぅなかね」
「う……」
ちかちかと明滅する視界の中で、胸の上にちょっとした重みを感じたドミニクは、数瞬おいてようやく自分がヴィオレーヌに圧し掛かられていることに気づいた。
「貴様、王国の近衛騎士を何だと……うっ!?」
言いかけて、自分の首に鋭い切っ先が向けられているのを発見する。
「お、俺の剣を!」
倒された瞬間、ヴィオレーヌはドミニクの剣を抜き取っていたのだ。
逆さに構えた剣は右手で握りしめられ、左手は柄頭を押さえるように添えられている。喉や胸など、鎧の隙間を狙って刺し貫く、組内術の基本的な止めの刺し方だ。
ここまで来れば、勝負は付いている。
少なくとも、ヴィロレーヌはそう考えているが、ドミニクは諦めていないようだ。
「降参せんね」
「ふ、ふざけるな……!」
「そんない、しょんなかね」
群衆から悲鳴が上がるのが聞こえたが、ヴィオレーヌは意にも介さぬ様子で、相手の首へと刃を滑り込ませようとした。
それは正確に首の骨の間に滑り込み、頸動脈と気道を同時に切断するはずだったが、邪魔が入った。
「そこまでにしていただきたい」
「た、隊長!」
「……あんたは、誰ね?」
ヴィオレーヌが見上げると、彼女の手を掴んで止めた青年の顔が見えた。
苦々しい顔をしているが、切れ長の美男子であり、長身の体躯は鎧をまとっていても丁寧に鍛え上げているのがわかる。
「近衛騎士隊の隊長を勤めております、イアサント・ムイアールと申します。あなたはオーバン伯爵家のヴィオレーヌ・オーバン様ですね」
「おお、やっと王様に話の通ったばいね」
「まずは、この状況に関してお詫びを……」
「納得できません!」
イアサントと名乗った青年が頭を下げようとしたところで、どうにか立ち上がったドミニクが叫んだ。
「この者が、こんな奴が貴族の、それも俺の実家より高位の伯爵家の令嬢なはずがないでしょう! 紋章官は何か勘違いしているのか、それとも紋章付きのナイフが盗まれたものだとか、絶対に間違っているはずです!」
「はあーっ……」
「よかよか。先にせにゃいかんことばせんばいかんけんね、騎士隊長どの」
深いため息を吐いたイアサントは、ヴィオレーヌへ一礼すると、ガントレットを着けたままの手で思い切りドミニクの頬を殴りつけた。
「ぶふっ!?」
奥歯を吐き飛ばしながら石畳に転がったドミニクは、目を白黒させながら自分に起きたことが理解できずに周りを見回している。
「紋章官は直接この方を見て確認したのだ。以前にオーバン伯爵から見せていただいたという姿画とそっくりであるとな。ドミニク・アランブール。今回のこと、後日に処罰を言い渡すまで、寮にて謹慎しておけ」
「……くっ!」
群衆からちらほらと拍手が聞こえてくる中、完全に意気消沈したドミニクの前に一本の剣が放り投げられた。
「俺の剣……」
「残酷な隊長さんばいね」
「残酷? どういうことでしょう。彼は間違いなく近衛騎士をやめることになります。騎士であった記録も抹消されるでしょう。ですが、貴族である以上はいくらでも……」
「抹消、ですか」
イアサントの言葉に、剣を掴んだドミニクは動けなかった。貴族の子弟として、近衛騎士であったという肩書は何よりも輝かしいものであり、貴族家を継いだ後でも高く評価されるものだからだ。
「そいけんさ」
地面に座り込んでしまったドミニクに近づき、ヴィオレーヌはにっこりと笑って続けた。
「ここで腹ば切って、死なんね」
「な、なにを……」
「貴族に生まれて、かん失敗ばして、王様や親に迷惑ばかけてさ、こいからどがんすっとね。恥ずかしゅうして、王都にはおられんやっこ」
だから、とヴィオレーヌは細い指先で、自分の腹をなぞる。
「さっぱい腹ば切ってさ、騎士として立派に死ねばよか。そいぎ王様も満足すっし、親御さんも良か息子やったて思うさい」
絶句。
死ねと言われたドミニクはもちろんのこと、イアサントも言葉が無かった。
「介錯のいっない、おいがしてでんよかばってんが、この細腕ぎんた、一太刀で首ば落としきっこっちゃいわからん。隊長さんにお願いしたがよかよ」
「い、いや、いやいや、ちょっと待ってくれ。いや、お願いします。少し冷静になっていただきたい。お怒りはごもっともだが、いくらなんでもそれは……」
ようやく我に返ったイアサントが謝罪を口にするも、ヴィオレーヌは首をかしげている。
「おいは別に怒っとらんさ。彼んために言いよっと」
その瞳に、イアサントは確かに怒りの色を見て取ることはできなかった。本心から、彼女はドミニクのために彼に死を勧めているのだ。
なんという異物。これが王国貴族の娘なのか。
イアサントは喉を鳴らしてから一呼吸置き、今すぐこの場を離れて謹慎するようドミニクに伝えた。
「……申し訳ない。近衛のことは私の管轄ゆえ、どうか裁定はお任せいただきたい」
「そうね。あんたがそがん言うない、そいでよか」
あっさりと退いたことも、違和感を強める。
人の生き死にの話を、まるで昼食のメニューでも相談するかのような気安さで語っているのだ。
見た目は幼女。紋章官の情報が確かならば若干十歳。だが、イアサントがこれまでに出会った多くの貴族令嬢とも違う異質な何かが、そこには立っていた。
「国王陛下は、お会いになられるそうです。ですがしばしお待ちいただく必要がありますので、控えの部屋をご用意いたしました。どうかそこでお寛ぎください」
用意していた台詞を絞り出すのが精一杯だった。
「ありがとうね。では、世話んなるけん」
城の者に馬車を任せ、桶と少々の荷物だけを抱えて城の中へと入っていったヴィオレーヌを見送ったイアサントは、王への報告をどこから語るべきか、頭を悩ませていた。
ありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。