17.幼女、跳躍する
よろしくお願いします。
じっくりと周囲を警戒し、ヴィーは邸宅の周囲に見張りの類が存在しないことを知る。
「どがんなっとっとやろうか……」
ブリジットの能力を疑うわけではないが、本当にこの建物が悪党どもの巣窟であるなら、何かしらの見張りが居てもおかしくは無いはずだった。
しかし、歩哨や門番どころか、建物の中からこちらの様子を窺っているらしい気配も無い。
「まるで仕舞屋んごとしとっばってん」
注意深く扉へと近付いて耳を当てるが、頑丈で分厚い扉の向こうからは、音が聞こえてこなかった。
「ちん逃げたっちゃなかろうか」
ここで見失うと、いよいよコレットの行方を追うことは難しくなるかも知れない。
「騎士隊長どの」
すぐ近くまで来ていたイアサントを呼び寄せ、ヴィーは突入について相談することにした。
「家ん中さん入っばってん、あんたはどがんすっね? 外で待っとってでん良かし、こんまま帰ってでん良か」
ヴィーが何を気遣っているのか、イアサントはすぐに気付いた。
王国の官吏である彼が、確たる証拠も無く『疑いがある』だけで建物へ突入するのは不法侵入に当たる可能性があるからだ。
もちろん、不法行為になることはヴィーにとっても同じだが、彼女は止めるつもりはない。彼女は自分がやることを見逃して、尚且つ関わらない方が良いと考えていた。
「心配し過ぎです」
小さな金属音と共にイアサントが腰から取り出したのは、一振りの小ぶりなナイフだった。彼の実家であるムイヤール侯爵家の家紋と共に、近衛騎士隊長位を示す銀細工の飾りもあしらわれている。
「そのくらい、いざとなればどうにでもなる程度の権力が私にもあるのですよ。それよりも、私としては貴女に残留していただく方が良いのですが」
万が一にもイアサントが国家権力を行使することになった場合、ヴィーとの繋がりが公になってしまう可能性がある。そうなれば、王の企みは白紙となるだろう。
「そいは、いかん。コレットはおいが助けんばいかんやろう」
「そう言うと思っていました。ことここに至ってはあまり意味は無いかも知れませんが、私も変装をしておきましょう」
スカーフを顔に巻き付けて目から下を隠したイアサントだったが、涼し気な目元が見えるせいか、良く知っている相手ならすぐにわかってしまうだろう。
だが、ヴィーはそれで良いと思った。
「心配せんでよかばい」
剣を抜き、両開きの扉の片側のノブを掴み、イアサントに突入の準備を告げる。
「ここさん来とっ連中で、武器ば向けて来たとは敵ばい。敵は全部殺せば良か。死ねば、どがん秘密でんだいも喋らん……鍵んかかっとらんね」
ノブを捻ると、かすかに扉に開いて隙間を開き、音を聞く。
「静かかね」
「恐らくは罠でしょう。見張りが居ないのは典型的な誘いの手口。中に入れば、敵が居るのは間違いありません」
「関係無か」
それよりも、と一度扉を閉じたヴィーは、イアサントに裏へ回るように告げた。
「裏口ば見とってくれんね。敵の出てくっぎ殺して、だいこっちゃい逃げて来たない、話ば聞いてさ。そいで、もしおいが半刻しても出てこんやったら、逃げてよか」
「それは、流石に……」
「騎士隊長どの。あんたはこい以上危なか橋ば渡らんで良かさい。ふうけもんが一人で息巻いて、しくじって、死ぬだけのことやけん」
「……いえ、まだ死んではいけませんよ。国王陛下のご判断がまだなのですから」
「おお、そうやったな。御沙汰のあっまで、勝手に死なれんばい」
これは参った、とヴィーは笑った。
「その通りです。私は裏から入りますから、あなたは表から。無事にコレットさんを救助して、陛下に報告いたしましょう」
「そうやね。敵の首ば取って、王様に届けんばいかん」
多分迷惑でしょうという言葉は飲み込んで、イアサントは右手に剣を提げて裏手へと静かに向かっていった。
「さて」
扉を開いたヴィーは、中の様子を確認してみた。
広く、薄暗いホールには人の気配がない。
「誰もおらん。鳴子のあっていうわけでんなかし、何ば考えとっこっちゃい」
床を調べても、罠を作動させる紐一つ見当たらない。
ゆっくりと中に踏み込んだヴィーは、広いホールの中央に立ち、二階へと上がる大きな階段を見上げた。
「なるほど。人ん力が一番手っ取り早かち話ばいね」
ゆっくりと階段を降りて来た一人の男は、筋肉を粘土のように寄せ集めて固めたかのような体躯で、二メートルを優に超える巨体を、窮屈そうに動かしていた。
大男は、言葉は発さない。
血管を浮き立たせた太い首の上に髪も髭も無い頭部を乗せ、口からは苦しそうな吐息が漏れていた。
上半身裸で、腰から下は申し訳程度の布を巻きつけており、不細工な形をした棍棒を右手に持って床をゴリゴリと削っている。
「話ん通じらんごたっ感じばってんが、言葉はわかっとね?」
尋ねても、返事はない。
ヴィーに向けている視線には、敵意も無ければ好意も無かった。
「ぶふぅーっ!!」
突然息を吐いたかと思うと、大男は階段の半ばから跳躍し、ヴィーへ目掛けて身体ごとぶつかる様な勢いで棍棒を叩きつけて来た。
「そがんと、当たっわけなかろうもん!」
大振りな動きは、避けるのが難しくはない。
それどころか、ヴィーの小さな身体は相手の下をくぐると同時に向きを変え、着地した男の背中を強かに斬りつけた。
すっぱりと手本のように引き裂かれた大きな背中は、ぱっくりと袈裟懸けの傷口を見せる。
「どがんね! ……って、おおっ!?」
だらだらと血を流した大男は、まるで痛痒を感じないかの如く、腰を捻って真後ろにいるヴィーへと棍棒を叩きつける。
身体を伏せての回避がどうにか間に合ったものの、そこで足首を斬りつけても何ら反応が無いのは問題だった。
「痛ぅなかとね!」
「ふぅ、ふぅ……」
荒い呼吸、鈍い痛覚と異常な筋力。
「どこじゃいで見たことんあって思うたら、ご禁制の薬ば使いよっばいね……」
薬物による精神異常と肉体の強化は、この世界でも時折問題になっている。王都では監視が厳しいせいで流通量こそ少ないが、それでもゼロというわけではない。
「悲しかね。そがんなっぎ、もう人間じゃなかばい」
床に次々と穴を開けていく棍棒の攻撃。
その隙間を縫うようにヴィーは避け続けているし、大男の手首や腹を何度も斬りつけているが、血すらあまり流れない。
「ええい、くそ!」
大振りの攻撃を避けて、腕を足場に二歩、三歩と駆けあがったヴィーは、肩へと到達したところで思い切り左の肩へと剣を突き込んだ。
狙い過たず、鎖骨を避けてずぶりと入った切っ先は、ヴィーの力では最後まで押し込めなかった。心臓へと到達するはずの刃は、異常発達した筋肉で阻まれる。
「かんことあっとや!?」
信じられないと叫んでいるうちに、のっそりと伸びて来た大男の手が、ヴィーの肩を掴む。
「しもうた……!」
もしこれで掴まれたまま捻りつぶされていたら、ヴィーの体格と筋力では対抗することはできなかっただろう。
しかし、大男は彼女を階段方向へと放り捨てた。
「ぐあっ!」
五段目あたりの角に思い切り背中をぶつけたが、どうにか身体を丸めて受け身は間に合ったらしい。
「い、痛か~……!」
自分の身体が軽いことに感謝しながら、骨は折れていないだろうと判断する。
「そいぎ、どがんすっか」
出血のせいか、先ほどに比べて大男の動きはゆっくりになりつつある。
自分で投げ捨てておいてヴィーを見失ったらしい男は、肩に刺さった剣へは一瞥もくれずに、周りを見回していた。
「剣も無かぎんた……うんにゃ、さんこたなかね」
彼女の視線の先には、男の肩にまっすぐと突き立つ自分の剣。
「力ん無か。体重も軽かない、あとは勢いばつくっしか無かね!」
背中の痛みを意識から外して、手すりを掴んで階段を上がっていく。
その間に、男はヴィーの姿を再び見つけたらしい。
意味をなさないうめき声を上げながら、棍棒を振り回して迫る姿は、身長差も相まってヴィーからは怪獣のようにすら見える。
「人じゃなしに熊と戦いよっごたっ」
ヴィーがようやく二階へ到達したとき、大男はまだ三分の一ほどの場所に居た。高さは相手よりもほんの一メートルほど上の位置だが、それで充分だった。
「避くっぎいかんよ!」
叫ぶと同時に、ヴィーは階段の最上部から手すりによじ登り、さらには大男に向かって跳躍する。
頭上に迫りくるヴィーを捕まえようとしたのだろうか。彼女を見上げた大男が両腕をのばしてきた。
「させん!」
左腕は剣が邪魔してあまり上がらないらしい。そちらは無視して、眼前の右腕に左手をわざと掴ませた。
酷い痛みが肘と手首を刺激するが、そんなことに構っている暇はない。
「おおりゃっ!」
体重三十キログラムも無いような小さな身体でも、全体重をかけて数メートル上から落下しながら踏みつければ、充分な力が加わる。
まして、それが剣という鋭利なものに集中するのだから、鎌で殴られたようなものだ。
「グォおおおおお……!?」
喉の奥から絞り出すような悲鳴を上げてヴィーを放り捨てた男は、その肩に深々と剣をめり込ませてなお、動いていた。
「こいででん死なんない、おいにはどがんしゅうでんなか」
床に座りこんで運命に身を任せたヴィーの目の前で、大男はようやく不具合の原因である剣を探り当て、指先に摘まんで引き抜こうとする。
「深々刺さっとっけん抜くてなっぎ大変かろうばってんが……見た目通り馬鹿力ばいね」
ずるずると血塗れの剣を引き抜いた大男は、自分が剣が抜けたことで再び叫び声を上げた。
「抜かん方が良かったとこれ」
冷静に語るヴィーが話す通り、剣を引き抜いた個所からは多くの血液が噴水のように吹き出し、ホールの床を血で染めていく。
失血で力が入らなくなってきたのか、大男は膝を突いた。それでもなお、彼は自分の身体に何が起きているのかわかっていないらしい。
自分の胸や腹に手を当て、言うことを聞かなくなった自分の両足を叱責するかのように叩くが、どうやらもう立てなくなったらしい。
両手の動きも、次第に緩慢になっていく。
「薬てん使うて、何の楽しかこっちゃい」
血塗れの剣を拾いあげ、ポケットから取り出した布で丁寧に拭う。
完全に綺麗になったわけではないが、使用には問題無いと判断して鞘に納めたころには、大男は完全にこと切れていた。
「できることないば、次も人として死にたかね」
一呼吸置いたヴィーは、やや迷って上階へと向かうことにした。
外から見る分には三階建てであり、この大男も上から来たのだから、上にいる可能性が高いと判断したのだ。
「コレット、どこさん居っとね……」
体中が痛い。特に背中と左腕にはダメージが残っていた。
それでも、ヴィーはまだ戦わねばならない。
ありがとうございました。




