16.幼女、再び激怒する
よろしくお願いします。
「どがんしたとね?」
「わかりませんが……敵は、退いたようですね」
つい先ほどまで表を包囲していた敵は、蜘蛛の子を散らす様に下がっていった。
死体や怪我人を残さず、素早い撤退はやはりどこかの戦闘集団に所属しているのは間違いないらしい。
「終わったない、コレットば一旦逃がさんば……」
理由は不明だが、敵が消えたなら一先ずはそれで良いとばかりに、ヴィーは剣を掴んだまま食堂の中へと駆けこんだ。
「なんねこいは!? コレット、コレット! どこにおっとね!」
「……どうなっている?」
ヴィーに続いて入って来たイアサントは、中の状況に愕然としていた。
幾人かの死体が転がる中に、ブリジットとオディロンも倒れ伏していて、奥の部屋に通じる扉は開かれたままになっている。
「どがんなっとっとね!」
ブリジットたちを気に掛けつつも、ヴィーはコレットを探して奥の部屋へと飛び込んでいった。
そこには、傷を負ってうめき声を上げる従業員と、泣きじゃくる店の女性の姿がある。
「ヴィーちゃん……! コレットちゃんが……ごめんよ、ごめんよ……」
顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして何度も謝る彼女に、ヴィーは何も言えなかった。
「変な男が入ってきて、彼女を連れて行っちまったよ……」
オディロンは強い。ブリジットも当然、そこいらの女性とは比べ物にならないくらいには戦闘ができるはずだ。
床に血が落ちているわけでもないあたり、二人がかりでも碌な傷ひとつ付けられなかったのだろう。
そんな相手に、食堂の女主人が敵うはずもない。コレットを奪われたからと言って、ヴィーには責めるつもりなど毛頭無かった。
怒りは自分へ。そしてコレットを攫った相手へと向かう。
「……どがん男やったか、教えてくれんね」
空気が引っ込むような声を出して、女性はヴィーをまじまじと見つめた。
豪奢な銀の髪は汗に濡れ、瞳には疲労の陰が落ちている。
それでも、それ以上の怒りが彼女の青い瞳を燃え上がらせ、華奢な身体から立ち昇る湯気が、冷ましきれない憤怒を迸らせているようだ。
「……痩せた、このくらいある背の高い男だった。黒っぽい布で顔をぐるぐるに巻いていて、嫌な目つきをしていたよ。……裏から出て行ったはずだけれど、どこへ行ったかまでは……」
「ありがとう」
ヴィーは腰が抜けて座っていた女性を抱きしめ、感謝を伝えた。
「あとは、おいがどがんかすっけん」
「ああ、頼んだよ、本当に……」
痛いほどに抱きしめてくる女性の力の強さは、自分への期待と不安だとわかっていたヴィーは、何も言わずに受け入れた。
その間、イアサントは見物人を捕まえて兵士たちを呼んでくるように伝え、近くにあった騎士の詰所にも人を送った。
「どうだ。生きているか?」
「……死にませんよ。まだやりたいことがあるんですからね……」
抱きかかえられたブリジットは、うめき声交じりの小声で答えた。
「傷は?」
「腹を刺されましたが、小さなものです。これのお陰で助かりました」
懐に入れていた追跡の魔石が刃を止めてくれたおかげで、致命傷は免れた。瞬時にそのことを理解した彼女は、刃がずれないように手で押さえて刺さったかのように錯覚させたのだ。
そのせいで手のひらも傷を負ってしまったが。
「口の中に入った敵の血を吐いてしまったところで気を失ってしまいまして……それよりも、コレットとオディロンはどうなりましたか?」
ため息交じりで頭を振るイアサントに、ブリジットは頭を抱えた。
「また失態を……」
「だが、まだ希望はある。私はこれからヴィオレーヌさんと共にコレットさんの追跡を再開する。これを使ってな」
ブリジットが取り出した魔石を持ち上げたイアサントは、傷一つ付いていないその頑丈さに驚嘆しながら、彼女に顔を近づけた。
「あ……」
赤面しながら目を閉じたブリジットだったが、期待したものは無かった。
やって来たのは、命令である。
「密かに調べて欲しいことがある。王城への報告は不要で、私に直接教えてくれ」
「……はい」
これほど整った部隊を王都内に送り込める人員となると、数は限られてくる。王城内で誰かに漏らせば、相手方にも感づかれてしまう可能性もあった。
「申し訳ないが、君にはここで死んだことにさせてもらう。近衛騎士の治療院に運び込んでもらったところで、死亡が確認されたという流れで行く」
やって来た騎士にブリジットが直接伝えれば命令は伝わる。
「承知いたしました」
玉の輿かと期待したブリジットだったが、よく考えればイアサントも自分も結婚相手を見つけて貴族家を継がねばならぬ立場なので、それはあり得ないことだった。
「そう不貞腐れないでくれ。苦労ばかりかけるが、頑張ってほしい。……そうだな、一件が落着したら、私の弟を紹介しよう。君より二つ三つ年下だが、どうだ? 婚約者もいないから、君の婿にするのも問題は無いだろう」
突然の提案に目を丸くしたブリジットは、そのまま即座に死体のふりを開始した。
「演技派だな」
白目を向いてぐったりとしている姿はいささかやりすぎな気がしないでもないが。
「騎士隊長どの」
部屋を出てオディロンの様子を見ていたヴィーは、青い顔をして話しかけてきた。
「オディロンはまだ息ばしよっ。どがんかして助けてやってくれんね」
「承知しました。人を呼んでいますから、ブリジットと共に近衛の治療院に運び込みましょう。そこなら治療の魔石もありますから、余程の傷でなければ命は助かるはずです。ですが……」
イアサントの視線が横たわるブリジットへと落ちて、深いため息を吐いたことで、ヴィーは察した。
「危なかとや」
「そうですね」
死んだとは言わず、イアサントはブリジットの瞼を下ろした。
「ですが、良い情報もあります。彼女からコレットの行き先について聞けました。概ねの場所はわかるので、すぐにでも助けに向かえます」
ここからはイアサントの演技となる。
まさか追跡の魔石について教えるわけにもいかないので、すでに教わった道を進むと見せかけながら、ポケットの中にある魔石の反応を探るのだ。
「世話になっばってん、必ず礼ば」
「期待していますよ。さあ、急ぎましょう!」
「……おっと」
店を出た瞬間、ヴィーはふらりとよろめいた。
「大丈夫ですか? どこか怪我でも?」
「うんにゃ、大丈夫、大丈夫やけん」
ヴィーの体力は、限界が近づいていた。しかし、休んでいる余裕などない。
「急がんば、コレットが危ない」
彼女が何の目的で攫われたのか、ヴィーには何となく理解できていた。
殺された謎の青年からの依頼で作った地図。もし敵がそれを欲していて、何かの理由で地図を得られずに終わったというのであれば、コレットを狙う理由に説明が付く。
情報を聞き出すのに、彼女がどんな目に遭うか想像もしたくなかった。
「急がんば……」
「休め、と言っても聞かないでしょうね」
ゆらゆらと歩くヴィーの左手を握り、イアサントは彼女を支えるようにエスコートする。
「こちらです。私が支えますから、体力を温存してください」
コレットを見つけたところで、きっと戦闘になるはずだから。
「ごめんばってん、助かっばい……」
念のため、王城からではなく詰所から出た格好で応援の兵を寄越す様にとブリジットを通じて命令を出しておいたイアサントだったが、ヴィーを守り切れるか不安だった。
しかし、コレットを助けることに執着している彼女を止める術はないだろう。
半ば引きずられるように歩き続けたヴィーが案内されたのは、王城にほど近い、とある邸宅だった。
「ここは……」
それは、先日襲撃してきた連中を尾行したときに突き止めた邸宅だった。
「この中から反応……ではなかった、ここがブリジットの能力で突き止めた場所のようですが……あ、ちょっと!」
日暮れが迫り、薄暗くなってきた中でヴィーは制止を振り切って屋敷の敷地へと入っていった。
ありがとうございます。
少し短くなってしまいました。




