14.近衛さん、水をかけられる
よろしくお願いします。
「なんね。おいがお城ば出た後で入った店やんね」
ブリジットが指した場所を見て、ヴィーは拍子抜けした様子で話した。
しかし、イアサントら騎士組はそう楽観視はできない。犯罪者集団が表向きは何の変哲もない店舗を装って、実際は拠点となっているという話は珍しくないからだ。
「まず、私たちが探りを入れます。ヴィオレーヌさんはオディロンと共に少し離れた場所で待っていてください」
イアサントが言う“私たち”にはブリジットが含まれているのは間違いない。というより、直後に「店の者に声をかけて反応を探ってきてくれ」と命じられた。
彼女のすぐ後ろにイアサントがフォローとして付く形だ。
ブリジットは腰の後ろに隠した短剣の位置を確認し、町を歩く娘といった体で店へと近づいていき、自然に店へと入っていった。直後、入口の脇に私服のイアサントが待ち合わせをしているような雰囲気で立つ。
「いらっしゃい! 好きなところに座っとくれ」
店の女性が大声で歓迎する中、笑みを返しながらブリジットは奥へと進んだ。
店内にコレットらしき女性の姿は見えず、他の客もいない。
「何にする?」
水を持ってきた女性に問われ、ブリジットは彼女の雰囲気から危険性は無いと考えて、直接訪ねてみることにした。
「あの、コレットという女性を……ぷあっ!?」
「あんた、何者だい!」
名前を出した直後、ブリジットは目の前にあった水を思い切り顔にかけられ、怒鳴りつけられた。
「いや、いやいや、わたしはこの、その、彼女の友人でして……」
近衛と言いかけて、王国の関与を悟られない条件を思い出し、とにかく言い訳を並べる。
だが、即座に看破された。
「嘘を吐くんじゃないよ! あたしはあの子がこの町に来たばっかりで、ここに来たなんて知っているのは一人しかいないはずなんだよ! どこの悪党か知らないけれど、あたしがいるからにはそう簡単にことが運ぶと思わないことだね!」
「ええー……」
騎士を名乗ることは許されず、ろくに知らないコレットとの繋がりを証明することも不可能。ブリジットは訓練校で経験したことがないタイプのピンチに陥り、とにかく顔をハンカチで拭うのが精一杯だった。
「ちょっと落ち着いて話を聞いてください」
泣きたい気持ちを押さえて、震える声で冷静なつもりで話しかける。
「大体、そんなナリしていても、その人を値踏みするみたいなキツイ目つきじゃ警戒されて当然だよ! 入って来た時から怪しいと思ったけど、案の定だったね!」
「あんまりだ! というか、この切れ長の目がクールで格好いいって後輩にも褒められたんですよ? 第一、人を見た目で判断するのは……」
話が明後日の方向へ行きそうになったところで、イアサントが足早に入って来た。
「失礼。話に割り込んで申し訳ないが、彼女は私の連れでして。悪党とは正反対の人間なので、どうかそのあたりで落ち着いていただけませんか」
「あら、誰よこのハンサムは」
イアサントの姿を見て、丁寧に声を掛けられた途端、店の女性は先ほどまで釣り上げていた目じりをがくんと下におろした。
「詳しい話は置いておきますが、私たちはヴィオレーヌさん……ヴィーと名乗っている女の子とここに来ていて、様子を先に窺っていただけなのです」
ヴィーは表で待っていて、すぐに連れて来ることができるとイアサントが言うと、女性は何の抵抗も無く信じた。
「あらそうなの? コレットちゃんも喜ぶわね!」
ヴィオレーヌの名前を出せばよかったのか、と今さら気付いたブリジットだったが、不公平感は隠しようが無い。
「そう睨むな。これで先の失態は帳消しにしておくから。記録にも残さずにおく」
「ほんとですか!」
キャリアは守られた、と小躍りするブリジットをおいて、イアサントは話を続ける。
「コレットさんはこちらに?」
「そうよ。誰かに狙われているっていうから、あたしも警戒していたんだけれど……そうかい、ヴィーちゃんが来たんだね。コレットちゃんから聞くまで名前も知らなかったのよ。色男さん、あんたは……」
「おかみさん! コレットはここにおっとね!?」
「ヴィオレーヌさん、声をかけるまでは……」
突然飛び込んできたヴィーに、イアサントは困り顔を見せたが、彼女が剣を抜いていることに気づいて息を呑んだ。
それが意味するのは、一つ。
「敵ん来たばい。そいも一人二人じゃ無か。通りば塞いで押し囲まれとっ!」
「ちっ! 失礼。コレットさんは奥に?」
「そ、そうだけど」
「この店の出入り口は?」
「表と裏に、一つずつあるよ……ちょっと、どうなってるんだい!?」
敵と言われてもすぐに理解できない女性と違い、ブリジットは即座に反応して立ち上がり、短剣を抜いていた。
「表に出ます」
「いや、この方と店の従業員を連れて、奥のコレットさんと合流して護衛を。裏口を警戒しておけ」
腰に提げていた剣を抜き、イアサントは前髪を掻き上げて息を吐いた。久方ぶりの実戦である。緊張感もあるが、同時に気合も充分だった。
「私はヴィオレーヌさんと共に表を守る。オディロンがまだ無事なら、そちらへのサポートに回すから、お前が指示を出して彼女たちを守り抜くんだ。できるな?」
「はっ、承知いたしました!」
「非常時なので、失礼します。奥の部屋はこちらですね?」
女性の肩を抱いて奥へと進んだイアサントは部屋の位置を確かめ、他の従業員と共にここで待つようにと伝えた。
後をブリジットに任せ、店の出入り口でヴィオレーヌと肩を並べたイアサントは、状況が想像以上に切迫していることを知る。
「これほどとは……」
「相手もなりふり構っとられんとやろう。ごっとい襲ってきたばってんが、こがん多かったとは初めてばい」
通りの左右にはそれぞれ十数人の武器を持った男たちが並び、真向いの店は出入り口を完全に閉め切って無関係を決め込んでいる。
「隊長さん、大丈夫ね?」
「王城前では近衛が恥ずかしいところをお見せしましたが、私が隊長を拝命したのは伊達では無いことを証明してみせましょう」
「……コレットは?」
「店の女性が匿ってくれていたようです。無事ですよ」
「そんない良か」
ヴィーは、笑った。
コレットが無事なら、ヴィーには戦う意味がある。
「どこの誰こっちゃい知らんばってんが、我が良かごとしてくるっね!」
「オディロン。君は一度引いて奥へ行き、店の人たちを守ってくれ」
「ですが……承知しました」
たった二人でここを守るのは難しいのではないかと反論を考えたが、オディロンは一転して了承した。言い合いをしている暇はないし、そんな相手でもない。
「オディロン」
店の入り口を守るように立っていた彼がじりじりと後退していく中、ヴィーが声をかける。
「コレットば、頼むばい」
「任せておけ。民を守るのは騎士の勤め。これを忘れたことは無い。それより、コレットに会う前に死ぬのは許されんぞ」
「はっは!」
冗談を聞いたとばかりに笑ったヴィーは、ぐるりと自分を取り囲んだ敵を見回した。
「おいはコレットば守るち約束したとよ。こがんところで終わっごたっない、腹ば切って責任ばとらんばいかんね」
「コレットが怖がるから、それはやめておけ」
ならどうあっても勝たねばならん。
オディロンが店内に消えたのを確認して、ヴィーはぐい、と前に出た。
「大将は誰ね!」
反応は無い。少なくともヴィーには見えなかった。しかし、イアサントだけは気付いていた。
「右奥の男ですね。少し背の高い、剣を抜いていない者がいるでしょう。恐らくは、あの男が指揮官です」
「そうね。そんない、あいつば討つぎ終わっちゅうことやね」
どうしてそう思うのかなど聞かない。イアサントは自分が信用されているのだと感じ、剣を握りしめた。
「私が道を作ります……相手は単なる破落戸ではない。隊列も構えも、訓練されている者のそれです」
「いよいよ他所んとに任せられんごとなって来たっちゅうことやね」
イアサントが指揮官を看破できたのもそのためだった。全体の左翼よりに陣取って指揮を執るのは王国で兵たちを調練する際の一般的な位置取りであり、大軍となっても基本は変わらない。
「背中ば、預けてよかね」
「お任せを」
互い視線を重ねて笑った直後、ヴィーは飛び出した。
「邪魔ばせんで! 殺されとうなかない、前さん出てくっぎいかん!」
正面にきた三人が槍を突き出すが、ヴィーの小さな身体が転がると、三本のいずれも彼女を捉えることは叶わない。
「せいっ!」
気合い一閃、膝がしらを横一文字に切り裂き、そのまま逆袈裟に相手の腕を斬りつける。
いくつもの指が飛び、悲鳴と血がまき散らされた。
「余所見はいけない。もっと行動にまとまりを持たねば」
ヴィーへの注目が集まった槍持ちの背中を、イアサントの剣が縦に引き裂く。
声も出せずに倒れた槍持ちは、すでに絶命していた。
「やれやれ、本当なら先に手を出させるのがセオリーなのですが」
通常なら防衛戦になるはずの状況で、ヴィーは逆に打って出た。見た目も行動も目立つ彼女は敵の耳目を惹きつけ、「放っておいては危険だ」と誰の目にも明らかで、彼女を無視して店を狙おうとする者はいなかった。
これで指揮官が冷静であれば話は違ったかも知れないが、まっすぐ自分に向かって来る小さな羅刹を前にして、自己の防衛に手一杯の様子だった。
「退かんね! 退かんば、死ぬばい!」
二人、三人と絶命していく。
敵が多勢だというのに、まるでそれに慣れているかのような動きだ。
戦場では必ずしも敵を殺す必要はない。ただ行動不能にさえしておけば良い。最小限の動きで、できるだけ多くの敵に傷を負わせる。
イアサントも彼女を真似て、伸びて来た武器を持つ手を重点的に狙う。
「なるほど。これは楽ですね」
指や腕を傷つけられ、失い、血を流して痛みにのたうつ者たちが増えていく様は地獄絵図そのものだったが、軍事的に考えてもこれは“良いこと”だった。
敵に“助けられるけれど戦闘はできない程度の傷”を負った者が増えるのは、その行動を制限し、遅延させるという点で非常に有効なのだ。
「だとすると、彼女はどうしてこんなことを知っているのでしょう」
疑問は尽きないが、今は戦闘中である。
「今の内は、ともかく勉強をさせていただくとしましょう」
また一人の手首を叩き斬り、イアサントは血で濡れた剣を振るった。
「子供ばかり相手していないで、こちらにもかかって来なさい! どこの誰とは言わないが、少なくともお前たちの相手として私は最上級なのは間違いないぞ!」
近衛騎士隊長ともなると、事務仕事や儀礼的なものばかりになる。まるで解放されたような気分で、イアサントは剣を振るう。
「ヴィオレーヌさんの影響を受けてしまったようですが、今の私はただの男。好きにやらせてもらうとしましょう」
そんなふうに、ヴィーを言い訳にして。
ありがとうございました。




