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最後の侍、異世界で幼女になる  作者: 井戸正善/ido
第一章:辺境の小さな侍
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9.少女、逃げ出す

よろしくお願いします。

「あれ? ヴィーは?」

 目覚めたコレットは、自分の状況よりも先に、居るはずの存在が居ないことに疑問を持った。ダブルの部屋しか空いておらず、仕方なくヴィーを寝かせた隣のスペースに横になったところまでは憶えている。

「どこか行ったのかな」


 ある程度良い宿でも、トイレや水浴びの場所は共用であるのが普通で、しばらく部屋に戻らないことは珍しくない。

「ふぅ、けっこう長く寝ちゃったみたい」

 備え付けの水がめから盥に移した水で顔を洗ったコレットは、寝汗をかいているのが気になって結局は服を全て脱いで身体を拭き始めた。


 温かい湯に浸かる習慣は一般的では無く、井戸から汲み上げた水で身体を洗うか、濡らした布で拭うのが普通だった。

 今回宿泊したところのように、少し値段が張る宿では水瓶が用意され、身体を拭くための布や桶も用意されている。

 このサービスがあるだけでも、銅貨十枚――大体千円程度の価値――くらいは金額が違うのだ。


「こういうの、久しぶり」

 共用の井戸を使う場所では、いつ男性がやってくるかわからない。それ以前に、時間帯によっては待っている人もいて碌に身体も拭けないことだってある。

 自室でゆっくりと身体を清めるのは旅の最中にある平民にとっては贅沢なことで、コレットも数日ぶりの落ち着いた時間だった。


「ヴィーが戻ってきたら、身体を拭いてあげよう」

 彼女の小さな身体を拭くのは簡単だろう。あっという間に終わってしまうだろうが、少しでも労いになれば良いと彼女は思っていた。

 命を狙われている状況で、妙に落ち着いていられるのはヴィーの存在があるからだろうと感じている。そして、彼女との別れが怖かった。


「一人で旅をするって決めたのに、早速寂しくなっちゃってどうするんだろう。そういえば、王都を出られない理由、結局聞けてないなぁ」

 独り言をつぶやいているうちに、誰かの足音がして、直後にノックの音が聞こえた。

「はい、何ですか?」

 ヴィーだろうかと一瞬考えたが、彼女なら堂々と入ってきそうな気もする。


 案の定、扉の向こうから聞こえて来たのは、男性の声だった。

「お食事の用意が出来ておりますので、お知らせに参りました」

「あ、はい。わかりました」

 ヴィーを待つべきかと思ったが、もしトイレや井戸を使っているのなら、食堂の前をとおるはずだ。食事時だとすぐにわかるだろうし、もし通り過ぎるようなら、声を掛ければ良い。


 ドアの向こうとはいえ、男性がいると思うと少し気になる。予備の下着を着けて、シャツを着る。そろそろ洗濯をしたいところだが、いつ逃げないといけないかわからない状況では難しい。

 服を着おえて髪をまとめたところで、コレットはふと違和感を覚えた。

「……あれ?」


 食事の用意を告げる声が聞こえた後、近づいてきたはずの“足音”が離れていくのは聞こえただろうか。

 聞き逃したかも知れないし、いつもの彼女であれば何も気にせず部屋を出ていただろう。

「う……」

 疑心暗鬼だと自覚しながらも、不安は拭えない。


 ヴィーの真似をして、床に耳を付けてもいくつかの足音や話し声が聞こえてきて、廊下の音か否かなど区別できない。

 履いたばかりの靴を脱いで、足音を立てないようにそっと扉へと近づき、耳を当てた。

 今度は、はっきりと聞こえた。

「……遅ぇな」


 驚きで出そうになった声を、自ら口を押えることでどうにか止めた彼女に、「女の準備は時間がかかる」と別の声が聞こえて来た。複数人いる。

「どうしよう……」

 待っていればヴィーが戻ってきて助けてくれるかも知れないとも思ったが、彼女がもう彼らの手にかかってしまったのではないかという最悪の想像も浮かんできた。


 となると、逃げるしか選択肢は無い。

 ヴィーが無事だとして、待っている選択をしても外の男たちが扉を破壊して入ってくる可能性だってあるのだ。相手に我慢強さを期待するほど、コレットも愚かではない。

 音を立てないように荷物を抱え、開いたままの木戸からちらちらと顔を覗かせて外の様子を窺う。


「……見張りは、いないみたい」

 部屋は二階にあり、通り全体が見渡せる。

 歩いている人はまばらで、確認する限りでは彼女の方を注視している人物も、立ち止まって何かを待っているような姿も見当たらない。

「やるしかない、のね」


 靴を履きなおしたコレットは、そっと身を乗り出して通りへと鞄を落とし、注意深く足を延ばしてゆっくりと外へ身体を送り出す。

「足から下りれば、大丈夫」

 小さい頃に高い場所から飛び降りた時は上手くいった。成長した今ならば、もっと上手にこなせるはずだと信じ、昨夜の失態は繰り返さないと覚悟を決める。


「うー、えいっ」

 掛け声は必要だった。

 どうにか足から着地しながら勢いを殺しきれずに横倒しになってしまったものの、どうにか無傷で着地できた。

「やればできるっ」


 妙な自信を付けながら、コレットは荷物を拾いあげて足早に宿から離れた。

「結構高い宿だったのにな……」

 乏しい路銀からヴィーのためにと奮発したのだが、ろくに食べ物も楽しめずに仮眠しただけで終わってしまった。

 前払いした金額は、彼女の短い旅の中でも最高額だ。


「とにかく、ヴィーを探さなくちゃ」

 どこへ向かったのか、コレットは今までヴィーと話した内容を思い出しながら、人通りが多い場所を選びながら、町の中心地を目指していた。

 貴族街のように警邏を行う騎士が多い場所や、同様に兵士たちの目が光っている繁華街であれば比較的安全だというのは、どこの町でも共通した認識なのだ。


 念のためスカーフで顔を隠した彼女が目指したのは、ヴィーと出会った場所。

 ヴィーは「王都に居なくてはならない」と言っていた。であれば、どこかに彼女の拠点があるはずだ。

「綺麗な服を着ていたし、野宿なはずはないと思う」

 そこで、ヴィーの足取りを調べて遡れば、どこかで接点ができるだろうと考えたのだ。


「家がわかったら、案外そこにいるかもね」

 楽観的な期待を抱えて、コレットはきょろきょろと周囲を警戒しながら、いかにも怪しい様子で町の中を歩いていく。



「納得いかんとばってん」

 詰所の留置場に放り込まれた状態で目を覚ましたヴィーは、監視を兼ねて待機していたオディロンに向けて、開口一番文句をぶつけた。

「何が」

「おいはなんも悪かことしとらんとこれ、なんで閉じ込められんばいかんとね」


「悪いことをしたかどうかを判断するのは、ワシの仕事だ。とにかく調べが終わるまでは大人しくしておれ。腹が減っているなら、何か買ってきてやるから」

「魚ば喰いたか」

「……子供のうちから遠慮を憶えるのも悪くない。親御さんに会ったらそう伝えておくとしよう」


 即答したヴィーに、オディロンは飽きれたように嘆息する。

 内陸に位置する王都では肉よりも魚の方が高価で、市場に出回っているものは臭みがある川魚ばかりだった。それでも肉の方が安いくらいなのだ。

「パンがあるから、とりあえずこれを食っておけ」

「遠慮のぅ(無く)貰う(貰って)とく」


 差し出されたパンを受け取り、千切りもせずにかぶり付いた。

そいと(それに)さ、おいの親はもうおらんけんね」

「……そうか」

 硬いパンをがじがじと齧りながらの言葉に、オディロンは短く答えた。

「済まなかった」


「気にせんで良かよ」

「そうか。お前は強いんだな」

「稽古ばちゃんとしてきたけん」

「そういう意味ではないのだが」

 もう一つ用意していたパンを齧り、オディロンは「変な娘だ」とごちた。


 そのまま、二人は格子を挟んでパンを食べ続ける。途中で木の椀に満たした水をヴィーに渡したオディロンは、自分の分も甕から注ぎ、ゆっくりと一口分を飲み込んだ。

「良い生地の服を着ているが、高貴な生まれでは無いのか?」

「生まれはそうばってん、今は平民たい。そいば(それを)言うない、あんたもくさ(だろう)


 一足先にパンを食べ終え、水を飲み干したヴィーはオディロンが食べているパンを指差した。

「騎士ないば一応は貴族やろ? そいとこれ(それなのに)、平民と同じごと黒かパンば食べよっやんね」

「近衛の連中はさておき、我々一般の騎士は、貴族と言ってもお前が言う通り“一応”なのだよ」


 王国における騎士は、大きく二種類に分かれる。

 一つは、代々の騎士爵家に生まれた当主で、家業として騎士の職務に携わる者。オディロンもその一人だ。

 もう一つは、もっと高位の貴族家に生まれ、職業としての騎士の地位にある者。

「貴族家を継げない次男や三男が騎士として叙任されて騎士爵家を創設する場合は、我々と同じ一般の騎士となる。だが、いずれ高位貴族の後継となるなら話は別だ」


 それら高位貴族の嫡男は、多くが近衛騎士として経験を積みながら王族や政治を担う高位貴族家の当主、そして同年代のいずれ貴族家を継ぐ者たちを交流を重ねていく。

「彼らは騎士ではあるが、どちらかといえば貴族家を継ぐ準備をしているようなものだな」

 近衛として活躍する間に、高位貴族たちが適性を判断し、有能であれば自分の派閥に引き入れようとする。


「もちろん、息子を使って王や貴族院の情報を得ようとする貴族家当主たちも居るから、内情はもっと複雑であろうな」

 知りたくも無いし巻き込まれたくも無い、とオディロンは言う。

 黙って話を聞いていたヴィーは、なるほど直参でも役無しで扶持が少ないようなものかと納得していた。


「子供に愚痴るようなことではないが、騎士爵の年金など大した額ではないのだ。王都勤務の手当てが多少ある分だけマシではあるが、その分王都は生活費が高い。貴族だからと言って、贅沢ができる身分ではないのだよ」

 王国は長く戦争をしておらず、武人は戦果を挙げる機会をほとんど失ってしまった。

 身分は固定され、平民は平民として、貴族は貴族として、それぞれの社会で生きているのだ。


「どっかで聞いたごたっ話やね」

「誰でも言っていることだろうな……さて、妙な話になってしまったが、話題を変えよう。あの広場で何をしていた? お前とやりあっていた連中は何者だ?」

 ヴィーは質問に肩を竦めた。

「襲われたけん、反撃しよった(していた)とさ。相手がどこの(だい)こっちゃい(なのか)、おいは知らん」


 それよりも、とヴィーは格子を握りしめた。

「こっから出してくれんね。おいには連れの居って、そん子が狙われとっかも知れんとさ」

「連れ? それは何という名前で、どこにいるんだ」

「そいは……」

 オディロンを信用できるかどうかわからない状態で、コレットの名前を出すべきかどうかヴィーが迷っている間に、詰所を訪ねて来た者がいた。


「オディロン、交代しよう」

 それは、頬を削いだような見た目の、痩せた騎士だった。

「テランスか。交代の時間はまだ先のはずだが?」

 眼ばかりがギラギラと鋭いテランスという騎士は、オディロンよりもむしろヴィーの方へと何度も視線を向けている。


「いいから、ここは俺に任せておけ」

「おい、テランス。何をやっている?」

 ゆっくりとヴィーがいる留置場へと近づきながら、テランスは腰の剣を抜いた。

 持ち主にそっくりで細く鋭い刃は、綺麗に研ぎあげられている。

「こいつは、ここで始末することが“決まった”んだよ」


 静かに告げられた処刑宣告と共に、切っ先がヴィーの顔面へと向けられていた。

ありがとうございました。

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