02
キンコーンカーン。
授業の終わる鐘が鳴り響く。
瞬く間に教室の中には様々な異音を奏で出していた。
休み時間にだけ許されたスマホを最速で用意する音。
同性を意識し、慌てて髪をブラシでとく音。
わずか数分でドコまで漫画を読めるのか、早めに紙をめくる音。
そんな中、数名の男子がハルトの元に近寄ってきていた。
ベルトにチェーンを付けているのか、動くたびにジャラジャラと奇妙な音を立てている。
「なあなあ、隣クラスの吉岡の所にいかないか」
「絶対に面白いって」
「笑えるから一緒に行こうぜ」
「やべぇ、オレもう我慢できんかも。ふふふ」
「なにが?」とハルト。
「隣クラスの吉岡がさ、昨日の夕方頃、学校の前に立ってる怪しい女の幽霊を見た、っていうんだ。本当かどうか確認しに行こうぜ」
え。
予想もしていなかったセリフだったので。
思わず宙に浮かんで全ての様子をうかがっていた幽霊のカレンも。
更にぴょんと飛び跳ねてしまっていた。
「幽霊?」
「そうそう。こんな話し信じれないだろ」
「うん」
「俺達もそう思ってる。でも、隣のクラスの吉岡は見たらしい。しかも、メチャクチャ美人らしいんだよ」
「ふーん」
マジか。
自分から美人と言い出した訳ではないが。
もしかしたら。
やぶさかではないが。
おそらく、自分のはなし、かも?
引くぐらい驚いているカレンをよそに、その男子クラスメートは話しを続けていた。
「ただ、吉岡ってやつと一緒にいた彼女も幽霊を見ている、らしい。男のね」
「男? 女じゃなくて」
「ああ。変だろ」
「どうかな」
「男となると私の話しなのか判断できないわね」
幽霊カレンと人間ハルトは同時に悩んでいた。
「もちろん、これだけだったら俺らも気にちゃいない。ただのバカップルが目立ちたい事を言っているってだけで終わるだろ。でも、ここで担任の村田まで同じ時間に幽霊を見ていると言っていたら、どうだ?」
「……へー、珍しいね」
「ほほう」
幽霊カレンと人間ハルトは同時に頷いてた。
確かに。
普通の大人が真顔で幽霊を見たと口にしても主な利益はない。
マトモな大人だったら、それは分かっている。
大人の社会では、お墓を大事にするヒトはいるけれど、幽霊を心の底から信じてしまうのは常識を疑われかねない。
大人にとって霊とはマイナス面のほうが大きいのかもしれない。
幽霊の立場で言うのも何だけど。
「特に担任の村田は神経質な小心者だ。自分から波風を立てるようなマネはしないさ」
「でも、その村田先生が幽霊を見たと?」
「ああ。職員室で震えてたぜ。たまたま反省文を書きに行ったら、別の教師に相談している所を見かけてしまってさ」
「ふーん。それで、どっちの?」
「ん」
「男か女の」
「それが不思議なことに、その幽霊、性別は判断できない『状態』だったんだとさ」
「……状態って、どういうコト?」
「さあな。立ち聞きだったから詳しくは。で、どうよ。ハルトは」
「どうよって」
「面白そうだろ」
「んー、今の話を要約すると、同じ時間、同じタイミングで、三人の人間が別々の幽霊を目撃した、って事でしょ」
「ああ。で、俺達はそれを確認しに行こうと思うんだよ」
「なんで?」
「面白そうだから」
「えー」
「この話しが本当なら本当で面白いし、ウソならウソで三人をバカにできる材料になるだろ。どっちに転んでも面白い。動画に残せば一生の小ネタさ」
「悪趣味だねぇ」
「でも、バカップルも村田も、すぐに他人をバカにするようなヤなやつだぜ」
「……だとしてね。いい性格してるよ」
「だろぉ」
クラスメートの男子達は肩を組んで笑いあっていた。
いかにも普通の高校生のしそうな感じで。
むかし、カレンが交通事故で死ぬ前によく見かけたような光景だった。
この手の話しに参加しようが、参加しまいが、正直どっちでもいい。
ここまでなら、誰だってするかもしれない行動の範囲だった。
でも。
カレンには違和感があった。
最終的に、ハルトはこのクラスメートたちの申し出を断っていた。
やんわりと。
角の立たないように。
ノリだけは合わせて。
ただ、その後。
ハルトの前からに誰もいなくなった時の。
教科書を用意しつつボソッと呟いた一言が、カレンは何故か奇妙なぐらい耳に残った。
「諸法無我。この世にあるナゾはトかないほうがいいのに」
と。
どういう意味なんだろうか。
カレンにはよく分からなかった。
※
ハルトを見つけてから一週間ほど。
誰がバラの花を置いたのか知るため後をついて回ったのだが。
カレンによる彼の印象は殆ど変わらなかった。
いかにも害の少ない男って感じで。
まあ、こっちが幽霊とはいえ必要以上に他人のプライベートを詮索するつもりはない。
、しかし、簡単に詮索ができてしまうほど、かなりハルトの生活は淡々とした日々であった。
だいたい学校の友達とイオンに行くか、帰宅して本読むか、の二択しかなかったのだ。
「……しかも、仏教関係の写本って」
若者が読む本とは思えず、つい苦笑してしまう。
午後十一時。日が暮れてシットリとした空気が辺りには漂い。
かなり暖かくなってきたので土の中から這い出てきた夜の虫たちも元気に鳴き続けている。
いつもの通り、学校から帰宅してから所用を暫くすると、本を読み出したハルトは何時間も銅像のように動かなくなっていた。
再び動き出したのは彼の両親が帰宅した時である。
「ただいまぁ」
どっぷりと夜が更けた頃、男の野太い声が玄関からした。すると、ハルトは読んでいたリビングに向かって慣れた手つきで、帰宅してきた父親に遅めの晩御飯を作ってあげるのだった。
これがハルトの日常であった。
「ふーん、父親思いの子ではあるじゃないの」
フワフワと飛んだままカレンは和室に飾られた写真に話しかけていた。
それは、ハルトの母親の遺影だった。
幽霊なら会話もできるんじゃないかと思って何度か話しかけてみたが。
何かしらの反応が遺影から返ってくることはなかった。
ま、そういうもんか。
しばらくすると薄暗いリビングで、ハルトと彼の父親は揃って軽い食事を始めていた。
「悪いな、遅くなって」
「仕事でしょ。しょうがないよ」
「……ああ」
二人共、本当の晩御飯は終わらせているが、それでも一緒に食べたかったのだろう。ゆっくりと他愛のない会話を楽しんでいた。
「それで今日はお得意さんの檀家さんを回ってたの?」
「ああ。墓を置くための土地を持ってる地主さんだから、どうしても酒の席が断れなくてな」
「ふーん」
「迷惑かけて、お前には申し訳ないと思ってるよ」
「……うん。でも、それがお坊さんの仕事でしょ」
「まあな」
「歴史的に見てもそうだし」
父親は目を伏せる。
「……それと、こんな日に言いにくいんだが、また寺に篭もらないといけなくなった。どうしても人手が足りないらしい」
「分かった。何日ぐらい」
「今度は一週間ぐらいで帰れると思う」
「そっか」
一人しかいない家族がしばらく戻らないと言われたのにハルトの表情は殆ど変わらなかった。
寂しさを殺しているのか、それとも慣れてしまっているのか、カレンにも判断はできなかった。
「やっぱりハルトの親ってお坊さんなんだ」
和室の影からカレンは一人で納得していた。
ハルトの父親をひと目見ただけで、そうじゃないかとカレンは感じていたのだった。
服装は洋服なのに立ち振舞に和の清涼感があるというか、何というか。
お坊さんって独特な感じがあるわよね。
べ、別にスキンヘッドにしているから決めつけた訳じゃないわ。
「ご、ごほん。失礼します」
初めはビクビクと。
なぜかカレンは、ゆっくりと二人が食事をしているリビングに足を踏み入れていた。でも、幽霊である自分に二人が気がつく様子はなかった。今も楽しそうに会話を続けている。
どうやら坊主だからといっても、必ず幽霊が見えるとは限らないらしい。
「……ま。そりゃそうか」
お坊さんだから見えるというのなら、大小含め、全国に10万近くあるといわれている寺の人たちだって見えてしまうワケで。
そうだったら本当に幽霊と墓場で運動会だってできるだろさ。
はぁ。
もう幽霊になって数十年も経っているのだから、今さら誰かに見つけてもらえるかもしれないなんて希望はない。どうせ、ずっとこれが続くのだ。下手な希望を持っても苦しむのは自分だと地縛霊のジバさんも言っていたじゃないか。
「そうよ」
「死んだんだから希望なんて必要ない」
「あんな所に置かれたバラの花だって」
「誰かの置き忘れに決まってる」
「あれから何十年も経っているんだし」
「……今さら両親のワケないか」
カレンが少しヤケになって呟いていた時、ハッとした。
なぜだろうか。
理由は合理的ではないのだが。
今まで決して向かう事はなかったのに。
ハルトと目があったような気がしたのだ。
飛んでいるカレンの後ろには、大きな古い食器棚が置いてあるだけ。
もう使われなくなってホコリを被った沢山のお皿やカップが並んでいる。
そこを見ているとでも言うのだろうか。
それとも。
ハルトはこっちを見たまま言った。
「……父さん、一つだけお願いがあるんだけれど」
「なんだ。お願いなんて珍しいな」
「さっき話していた檀家さんと明日、会えないかな」
「お前がか?」
「うん」
「どうして」
「ちょっと知りたいことがあるんだ。大丈夫、先方に失礼な態度はとらないから」
「それは心配してないけれど」
「頼むよ、知りたいことができたんだ」
「お前のコトは信用している。そこまで言うんだったら分かった。後で連絡しておこう」
「ありがとう」
「ただ、ワケぐらいは聞いても良いか?」
「それは今は言えない」
するとハルトの父親は坊の顔になる。
「仏の教えに逆らうわけではないな?」
「うん。諸法無我。この世にあるナゾをトくつもりはないよ」
既にハルトはこっちを見ていない。
そして、もう視線を合わせるコトはなかったのだった。