5 満月の下、月見酒の日
長めになったけれど、途中で切るのもアレなので、そのまんま。
色姫のいるコンビニから出ると、また暑さが戻ってきた。せっかく涼しくなった体が、再び温くなっていく。
現在時刻は、午後11時50分。結構な時間、色姫と長話をしていたらしい(時間はコンビニの壁に掛けられていた時計で確認した)。夜の闇は、より一層濃くなっている。
舗装された道を歩いていると、空気が纏わりついてくる。鬱陶しくて苛立ってしまった。こんな時は甘味である。甘くて、なおかつ冷たいものの摂取が必要だ。早急に。ハリーハリーハリー。
私はさっそく、買ったアイスをコンビニ袋から取り出した。右手に持ったアイスを見ると、赤い個包装が目に飛び込んできた。ストロベリーの棒アイスだ。しかもお高めの高級品。ただし、ハーゲンではない。あそこのカップタイプのアイスも美味しいんだけど、今日は違うものを食べたい気分だったのだ。
今日私が買ったものは、ストロベリー味のアイスの中にそのまんまの苺がふんだんに埋め込まれている。おススメ商品だ、と色姫は言っていた。
個包装の端を、サケルチーズを裂くかの如く引き裂き、アイスの棒を握り、外気に晒す。
見よ、この輝かしい姿を!
仄かに赤みを帯びた、楕円形に近いフォルム。表面が暑さで溶けだし、電柱の灯りが当たってテラテラと光っている。
口に含めば、冷たい刺激と苺の甘さがやってくる。あぁ、美味しい。
食べながら歩くのは、マナーが悪いけれど、たまには良いだろう。
片手にアイス、片手にコンビニ袋を持って町中を闊歩する。ペロペロシャクシャク音を立てながら、アイスを貪っていると、いつの間にか、町の中心地に着いていた。夜も遅いというのに、まだまだ活気があるようで、複数の笑い声が響き、賑やかな雰囲気が流れている。
中心地には、各種公的な機関が揃っているのに加えて、居酒屋さんが多い。人が集まるところには、店も集まるという法則だ。勿論、離れた所にも良い店はあるのだけれど。
たとえば。私のおススメはヘルシーラーメンの店【ベジ―ラ】だ。女性客が多い店で、トマトラーメンをたまに食べに行く。
私がこのまま、アイス片手に飲み屋街を歩いていると、酔っぱらったおっさんに絡まれそうだ。少し手間だけど、迷彩でも纏っておくか。
周囲に人がいないかを確認してから、私は一言、小さく呟く。
「≪ミラージュ≫」
声を発するとともに、私の体の周囲に薄っすらと霧ができた。霧は全身を包み込むようにして、展開された。今の私を傍から見れば、そこには誰もいないように見えることだろう。
≪ミラージュ≫は、私の霧化能力を応用させた技の一つだ。周りから見られないようにしたい時によく使う。人混みの中を行く際などに重宝している。視線が集まるのは苦手なんだ。ぬめっとしてるから。
余談になるけれど。
技名なんて最初は無かった。だけど、口に出した方が私の負担も少ないし効果があるので、仕方なく声に出している。仕方なくだよ、仕方なく。本当だよ? アレだよ、無詠唱は力をより必要とする、みたいな感じだからだよ?
今の状態、周りからは誰もいないように見えるだろうけれど、私からはきちんと周囲が見えている。調整が面倒だけれど、視界が確保されていないと問題だからね。知らない人にぶつかったりしたくないし。
そうして、霧の中に隠れながら歩いていると、顔を赤らめたおっさん二人組に遭遇した。
「俺のぉ~かみさんはぁ~閻魔様ぁ~」
「俺のぉ~かみさんはぁ~おっことぬしぃ~」
肩を組んで楽しそうに歌を歌っている。歌うほど奥さんが恐いのだろうか。それと、二人目の奥さんが少し気になるところだ。
私はその横を、アイスを食べながら通り過ぎる。
すれ違いざまにおっさんたちの視線を探ってみても、こちらを全く気にしていないので、技はきちんと効果を発揮してるようだ。良かった良かった。
ぽつぽつと、店から明かりが漏れている道を歩く。相変わらず、居酒屋周辺は賑やかだな。夜は静かに、が基本の私だけど、少しばかり心が踊る。仲間とバカやって一夜を騒ぎ明かすというのもまた、楽しいものだ。
この通りには、道から店内の様子が見える店がいくらかあるのだが、そこにいる客は皆一様に明るい顔をしている。良い酔い方だ。
ん?
よく見ると、ある店の中に知り合いがいた。視力を上げて様子を窺うと、きゅうりの浅漬けをポリポリと食べているようだ。横には見知らぬ人がいて、何やら親し気に話をしている。個人的な関わりなのかもしれない。一声かけようかと思ったが、今日はスルーしとこう。
私は再び体を前に向けて、暗がりへと歩き出した。
アイスは食べ終わってしまっていた。
▼△▼△▼
歩いて歩いて、町の中心地からだんだん離れていく。途中、乱立するビルの隙間を通ったり、神社やお寺の前を通過したりしたけれど、特に異常は無かった。青白い人魂が人型をとろうとして失敗したり、狐の石像が嘶いたりしていたが、取り立てて騒ぐようなことでもない。いつものことだ。
それから。
何もないまま、私は町はずれの空き地の前に着いた。
隣町との境付近にある空き地の周囲には、家がない。何も無い。ぽっかりと無人地帯が生まれている。それなのに地面は平らにならされていた。少し離れた場所にはしっかりと家が数件立っているのに、そこだけ空き地になっている。
家を建てたりしようとしたこともあったようだけれど、その度に奇怪な出来事があって、工事が中断されたという(当時、私はまだ黒桐町にいなかったので、よく知らないが)。そのうち、土地を有効活用することを諦められて、何も無いままの状態を今に至るまで維持している。
空き地のすぐ近くには小さな山があり、隣町から黒桐町に来るには、その小さな山を越えなければならないようになっている。道も舗装されていて、山越えに苦労することはない。
ちなみに、暴走族とかの集会所に利用される事は無い。
ああいう輩が訪れた時には、襲われるから。煩いのが嫌いなんだろうね、彼女たちも。
時刻は、もうそろそろ午前2時。多分そのくらいだ。見回りも簡単に済ませているから、所要した時間をコンビニ出る前の時刻にプラスすると、そうなる計算。
多分、おそらく、メイビー。
空を覆っていた雲は、風に流され、どこかに消えた。
私の頭上には、数えきれないくらいの光り輝く星々と、思わず魅入ってしまうほどに綺麗な満月があった。月のクレーターがいろんな姿に化けることは知っているけれど、私はいつも、女性の横顔に見えるなぁ。
月を見て、そんなことを考えていると、空だけでなく空き地の中にも光があることに気づいた。
私は空き地の中にゆっくりと足を踏み込んだ。今日が満月であることを考えると、恐らく彼女たちだろう。
煩くされるのが嫌いな者たちだが、自分から煩くする分には大丈夫らしい。
光源に向かって歩いていくと、そこには一つの卓を囲む、三つの影があった。卓の上には酒瓶がいくつか転がっている。
「うん? そこにいるのは月子かのぅ?」
「可亞徒さんですか。こんばんは」
「うむ、こんばんはじゃ」
影の一つは、可亞徒さんだった。人型形態で、ヒラヒラした服を着ていらっしゃる。ロリータファッションというのだっけ。
可亞徒さんの服に注目していると、再び誰かに話しかけられた。
「おお、月子殿ではないか」
「月子さん、こんばんは」
「その声は、鏑木兄弟か。こんばんは」
残りの影は、狼人間の鏑木兄弟だった。最初に話しかけてきた武士っぽいのが、兄の太狼。 丁寧な言葉遣いの方が、弟の次狼だ。
二人とも上半身は裸で、下は短パンを着ている。靴は履いておらず、獣の足が見えている。
彼等とは、月夜の晩の散歩中に出会った。最初はインパクトが大きかったけれど、話をすれば良い奴っぽいのが分かったので、度々話したり飲んだりしている
鏑木兄弟は普段、人の社会の中で働きながら暮らしているらしい。月の満ち欠けによって変身能力が発現するから、その時ばかりは狼人間になって町中を走り回っているらしい。人のいない道を選んで走っているそうなので、目撃はされないように注意だけはしている模様。
「月子よ、そんなところで突っ立ってないで、こちらに来い。一緒に酒を飲むのじゃ」
「あぁ、はいはい。今夜は満月だから、月見酒でもしてたんですね」
「月子殿は察しが良いな。そのとおりだ」
「僕たちは、いつものように走り回ってたんですが、可亞徒さんに誘われて飲むことになったんです」
鏑木弟の次狼が簡単に事情を説明した。
「せっかくだから月が綺麗に見えるところに行こうということになってのぅ。少し遠いがこの空き地で飲むことにしたのじゃ。周りに何もないから、わらわたちが騒いで迷惑がるやつもおらんしな」
「確かにここなら大丈夫そうですね」
可亞徒さんの言葉に私は頷く。
「と言っても、我らはそこまで騒いだりするつもりはないがな」
「酔って醜態を晒すのは、いつも私たち以外ですからね」
次狼が兄の言葉に続いた。
「まぁ、とにかく月子も、飲め飲め」
可亞徒さんがお猪口を一つ握らせてきた。私が右手で受け取ると、すかさず太狼が日本酒を注いでくる。
「ほれ月子殿、日本酒だ。まずは一杯」
「あぁ、どうも」
少量なので、すぐに飲み終わる。
「美味い」
「そうじゃろう、そうじゃろう。しかも今宵は綺麗な満月じゃ。酒を飲むなら絶好のタイミングじゃな」
「可亞徒さんはお酒を飲みたいだけでしょう」
「なんじゃ、次狼。酒は百薬の長じゃぞ。たくさん飲めば元気になるのじゃ」
「飲みすぎたら害ですけどね。まぁ、可亞徒さんには関係ないですが…」
可亞徒さんは酒をいくら飲んでも大丈夫な体を持っている。酔いはするらしいが、何とも不思議な体だ。それでいうと、酔うので薬にはならないな。某三男の人も、「酔わなければ薬だ」と言っていたし。
「聞き忘れておったが、月子は何でここに来たんじゃ? 何か用でもあったのかのぅ?」
「別に、これといった用はないですが、今日は見回りの日でしたので」
「あぁ、見回りですか。確か、白波さんのお願いでしたっけ?」
「そうだけど。私、次狼に説明したっけ?」
「いえ、そういうわけではないのですが…」
「我ら兄弟も、白波殿からお願いされているのだ」
太狼が弟の言葉を補足する。
そうか、二人とも渚には会ったことがあるのか。ちなみに白波というのは、渚の苗字だ。言ってなかったっけ?
「二人が渚と会ったことがあるとは知らなかった」
「そういえば言ってなかったな。今日と同じような満月の晩に、我らは彼女に見つかってな。最初は戸惑ったが、話せば知り合いが何人も世話になっているというではないか。それを聞いてすぐに警戒を解いたのだ」
「その時に見回りのことをお願いされたのです」
今度は弟の方が兄の言葉を補足した。
大まかな説明を聞いて思ったのは、渚のフットワークが軽いということだ。あいつどんだけ手を広げているんだ。というか、夜中に出歩いているのか。しかも、鏑木兄弟を見つけることができるなんて、相当だぞ。たまに渚のことがよく分からなくなるな。
「我らがお願いされた時は、それとなく気にかけてくれればいいと言われたのだが、月子殿の方は?」
「私も同じ感じだったよ。散歩のついででいいからって」
「この町はいろんな方がいますからね。反発とかを危惧しているのかもしれません」
「反発?」
次狼の言葉について聞き返す。
「えぇ、反発です。住んでいる方々は本当に様々ですから、種族的な対立とか、能力や習性の違いから争いが起きてしまうこともあるでしょう。白波さんはそれを事前に防げるならばと、声かけをしているのだと思います」
そうか、渚は色々と考えているのか。
「そういえば、ワシも渚に言われた気がするのぅ。ま、ワシの場合は言われんでも、いつも気にかけておるがの!」
可亞徒さん、ドヤ顔である。
見た目が人型なので、ちょっと背伸びをする中学生に見えて、とても可愛らしい。
いかん、血が…。
「へ、へぇ。そうだったんですか」
「うむ、そうなのじゃ! しかし、気にかけると言っても、最近は我等よりも人の方が色々と仕出かすことが多いがのぅ」
「人が?」
「そうじゃ、人が、じゃ。変な行動を起こす輩が最近は多くてのぅ。知り合いの子どもたちにも聞いたのじゃが、何やら変態が出ているらしくてなぁ。女もののパンツを被った男とかレインコートを着込んだ裸の男とかいるらしいのじゃ」
不愉快極まりないわい、と言って、可亞徒さんは酒を浴びるように飲む。
「私が階樹公園に行った時、公園の掲示板に変質者情報がありましたが、可亞徒さんが言っているのと同じ情報かもしれませんね」
「恐らくそうじゃろうのぅ」
「我らは完全な人ではないが、何だか申し訳なくなるな…」
「そうだね、兄さん…」
可亞徒さんと二人で話していると、鏑木兄弟のテンションがダダ下がりしていた。
「二人が落ち込むことはないよ」
「そうじゃ、お主らに落ち度は全くないからの? 落ち込むでない」
「月子殿! 可亞徒殿!」
「お二方は、なんてお優しいんだ!」
慰めの言葉をかけると、二人はおいおいと泣き始めてしまった。
あぁ、こういう時は…。
ちらりと可亞徒さんに目配せをすると、あちらもこっちを見ていた。二人して頷き合う。
「今夜は飲みましょう」
「そうじゃ、飲んで飲んで飲みまくるのじゃ」
お猪口に酒を並々と注いでやると、兄弟は感涙に咽び泣いている。
おうおう、泣け。思いっきり泣いてしまえ。
注いでは酒を飲み、また注いでは酒を飲むを繰り返す。
月はゆっくりと動き続け、絶えず私たちの頭上にあった。とても優しい光だった。
▼△▼△▼
どれくらい月見酒を楽しんでいただろうか。
気づくと空が白み始めていた。夜明けが近いのだろう。
「今更だが、鏑木兄弟は寝なくてよかったのか?」
ふと気になったので、二人に聞いてみた。
「あぁ、心配はいらない。明日は、いや、今日は休みなのだ」
「満月の日の翌日は、休みを入れるようにしているんです」
兄弟は、そう語った。
「そうだったのか」
「ワシらは毎日がホリデイじゃがの」
兄弟の話を聞いていたら、可亞徒さんが【毎日がホリデイ教】に私を入信させていた。
ホ、イッツノーマニー。
「それだとニートみたいで、外聞が悪いですね」
「まぁ、似たようなもんじゃろう」
「そうかもしれませんが、罵倒されているような気分になるんですよね」
「じゃあ、別の、何か新しい言葉でも創るんじゃな」
新しい言葉か。
「考えときます」
考えとけ考えとけ、と可亞徒さんは受け流した。あまり興味は無いらしい。
「さて、そろそろお開きにするかの」
顎に手を当てて、ニートに代わる新しい名称を考えていると、可亞徒さんがそう言いだした。
確かに、すでに良い時間だ。解散する頃合いか。
「じゃあ、酒瓶の処理は、可亞徒さんお願いします」
「あい、分かった」
可亞徒さんが酒瓶を暗闇にしまった後、鏑木弟の次狼は卓に手をかざした。一瞬で卓は崩れ去る。それお前が土で作っていたのか。
「兄さん帰りましょう」
涼しい顔して次狼が言った。
「そうだな。可亞徒殿、酒をありがとう。できればまた誘って欲しい」
「あぁ、また一緒に飲むのじゃ」
「月子殿も、今回は一緒に飲めて良かった。また飲もうぞ」
「えぇ、また今度ね」
ではまた、と言って太狼と次狼は歩いて帰っていった。かなり飲んだはずだが、足取りはしっかりしている。あれなら誰かに見つかることもないだろう。
私もその後、可亞徒さんと一言二言話して、別れた。
▼△▼△▼
空き地からマンションの部屋まで結構距離があったが、ひたすら歩いて、ようやく部屋に着いた。日が昇り始めると、人も活動し始めるので、飛んで帰るということもしづらい。≪ミラージュ≫を使いながら、一気に飛べばいいのかもしれないが、朝は魔力がねぇ…。
東の方に目を向けると、太陽が顔をのぞかせていて、肌が少しピリッとする。日焼け止め塗ってないし、仕方ない。
久しぶりに歩き回ったので、くたくただ。目蓋も落ちようとしている。
体が休眠状態に入ろうとしてるのに、意識の片隅でまだ覚醒している部分があるので、仕方なく起きているような状態だ。プール後の数学の授業中と言えば分かりやすいかもしれない。
どうにかこうにか、お風呂を済ませて、寝間着に着替える。ネグリジェのような薄さではないけれど、暑さを考慮して薄めの生地だ。
やはり、冷房の効いた部屋は最高だ。癖になりそう。
這って這って、何とかベッドに横になると、辛うじて残っていた精神力も一気に削られてしまい、眠気に身を任せてしまう。
こうして。
私、吸血鬼・月子の一日は終わる。
あんまり驚くことのない、普通の、平和な一日だった。
くわぁ。あぁもう駄目だ。
おやすみ。
導入的なものはこれで終わり。
次回は、キャラ図鑑みたいなものでも載せようかと思ってます。