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SMR狩人  作者: 津村基樹
7/7

別れ

 ロゼッタはカルノノスⅡを離れた。

 ローレンツ・エルンスト大尉の死亡については、驚くほどなにもなかった。当然ヒンメル軍への報告には手間がかかったが、逆にいえばそれだけで済んだのだ。「はぐれ星」の解散まで覚悟していた船員たちにとっては、拍子抜けでさえあった。

「軍にとって都合がいいことだったからじゃないか、とラフトさんは」

 船長室である。クルトは、デスクを挟んでカシマと向かい合っていた。

「エルンストが死んだことがか?」

「はい、そう言っていました。大尉もまたホルダーだったんだ、と」

 ふうむ、と唸って、カシマは椅子の背に身体を預けた。

「厄介の種、ってとこか」

 ヒンメル軍からすれば、自分たちの不祥事の証拠そのものであるエルンストは厄介以外のなにものでもないはずだ。監視の目もなしに活動していたところを見ると、ある程度信用されてはいたのだろうが、それでも一番いいのはいなくなってくれることだっただろう。

「それにしてもよく話したな、彼女」

「ああ、そうですね」

 そのことはクルトも気になっていた。そんなことを話してしまっていいのかと、ラフトに尋ねると、彼女は事もなげに言ったのだ。『よくはないよ。けど、規律に逆らえないあの人がいなくなった今、ずっと軍に従い続けるのも癪だから』。

「癪ってな……」

 顔をしかめたカシマは、すぐに思い直したように言った。

「いや、そうか、彼女も監査される側だったか」

「SMR?」

「そうだ。お前ももう聞いたろ」

 クルトは頷いた。小さな集団だ。噂はすぐに広まる。ラフト軍曹の正体のことは、すでにメンバー全員に知れ渡っていた。

「船長は最初から知っていたんですか?」

「いや、流石にそんなことまでは教えられてないさ。俺とミュールが知っていたのは、あの二人の所属と、任務の内容だけだ」

 それでは、彼らはそのことをずっと隠していたのだ。

「口止めされたからな。正規軍の命令に逆らうほど馬鹿じゃない。もっともベンが全部暴いちまったみたいだが……そうだ、そのことだが、イグナーツの検査の結果が出たらしいぞ」

「ああ、どうでした」

「当たりだ。なにしろ損傷が酷いからそこまで精密にわかるわけじゃないが、あいつの頭の中には確かにSMRの反応があったらしい」

 少し、クルトは黙った。

「……ラフトさんによれば、イグナーツが候補に加わるまで、最有力だったのは僕だったそうです」

「そうか。まあ、今となっては関係ない話だな。エルンストたちが探していた『一人』はイグナーツ・バプカ。それで話は終わりだ」

「ラフトさんは!」

 急に大声を出したクルトに、カシマは眉を動かしもしない。まるで彼がそうすることを予想していたかのようだ。

「霊安室に消火に入ったとき、イグナーツのカプセルにはひびなんか入っていなかったと言っていました。あれは、最後の爆発で割れたものだと」

「……そんなこと、イザークの前で言うなよ。それじゃやっぱりジャンがロックを忘れたことになるじゃねぇか」

「もしくは」

 それだけ言って、クルトは沈黙した。カシマが後を続ける。

「誰かが後から開けた。回線をスパークさせたのも同じ人間だな」

「多分、わざと火を入れるために」

 この現代に、まさか腐敗を恐れてということはないだろう。その犯人は――あるいは、命令を下した人間は――イグナーツの遺体を消してしまうつもりだったのだ。

「残念ながら、遺体が完全に、少なくとも検査にかけられなくなるほど焼けることはなかった。でも、そこで犯人は、まったく偶然、とても都合のいいものを手に入れたんです」

彼女の破片(・・・・・)

 クルトは頷いた。

イグナーツ(・・・・・)バプカの(・・・・)頭の中に(・・・・)入っていたのは(・・・・・・・)ラフト軍曹の(・・・・・・)脚の破片です(・・・・・・)。そうしてその犯人は、ホルダーを偽装したんだ」

 半生体金属ゴムSMR。彼女の身体はそれでできている。そしてそれは、ヒンメルの病院が患者の脳内に埋め込んだものの材質でもあった。クルトはまっすぐにカシマを見た。

「イグナーツの死体を燃やしたのは、船長ですね」

「……」

 ゆっくりと、カシマが口を開く。

「ああ、そうだ。俺が命令した」

「実行したのはミュールさんですか」

「そうだな」

「なんで……」

 言葉を詰まらせるクルトに、カシマは無表情に答えた。

「船長が一番に考えるべきは、船員の無事を確保することだからな」

 それは、カシマが常々口にしていることだった。死んだ人間を犠牲にすることで、生きている船員が国軍に引き渡されることを防ぐ。――いかにも彼の考えそうなことだ。

「イグナーツがその『一人』だったことにして、残りの五人から目を逸らさせようとしたってことですか」

「ああ」

 そうすると、エルンストたちの推測が正しければ、カシマはクルトを助けるためにこんなことをしたことになる。彼らによれば、本当に頭にチップを持っているのはクルトなのだから。

「……同じようにチップを埋められた人の中では、エルンスト大尉みたいに才能を見いだされたり、志願した人は、そのまま軍に配属になったそうです。そうでない人は、チップの摘出手術を受けた後、解放された、と。もちろん厳重に口外を禁じられた上でですけど」

「そうか」

「なにも、無理やり監視下に置かれたり、口封じに殺されたりするわけじゃない。船長は、僕をなにから遠ざけようとしたんですか? なにから守ろうとしたんですか?」

 カシマは薄く笑った。

「ちょっと違うな」

「え?」

 戸惑うクルトに、彼は言う。

「俺はなにも、お前をヒンメル軍の魔の手から守ろうとしたわけじゃない」

「じゃ、どうして」

「俺はお前に、選択する猶予をやろうとしたんだよ」

 カシマは立ち上がった。デスクを回り、通り過ぎ樣、クルトの肩に手を置く。

「……まあ、お前がいいってんならそれでもいいんだけどな。諸々手続きがあって、ラフト軍曹が出ていくのは六時間後ぐらいになるだろうから、それまでに決めろよ」

 そして、彼は船長室を出ていった。


 個室に戻ると、二段ベッドの上の段で、ディックが驚いたように身を起こした。それに構わず、クルトは自分のベッドに転がり込む。

「えらく悩んでんな。どうしたんだ」

 ディックがベッドから身を乗り出して言った。

「そう?」

「ああ」

「うーん」

 少しためらった末、クルトは全て話してしまうことにした。隠し事はなしだ。

「はー、そんなことが」

 話を聞き終えたディックは、息をついて壁にもたれかかったらしかった。

「受けりゃいいんじゃねえの? その除去手術ってやつ」

「簡単に言ってくれるな。まあ、ディックは当事者じゃないからね」

「なんだよ」

 不満そうな彼の様子に、初めてクルトは自分が苛立っていることに気づいた。

「いや、ごめん。……あのさ」

 ベッドの上に身体を起こす。

「あのときディックはいなかったけど、カルノノスⅡの地表に降りたとき、あの二人が探してるのは誰かって話になったんだ」

「つーか、ずっと同じ話だったろ、この一週間ほどは」

 それはそうだ。

「で、僕は言ったんだ、五歳のときからずっと同じなら、行動の変化なんか今さら気づけないって」

「それで?」

「五歳だぞ? 僕の人格なんか、ほとんどチップと一緒に形成されたようなものだろ。ずっとチップの支配下にあったのに、今更それを取り除いたとして、残った人格は僕のものだっていえるのか?」

 自分の頭の中に異物が入っている。ラフトとの会話から薄々感じてはいたものの、実際にカシマが認めたときの衝撃といったら! けれどよく考えてみれば、問題はそのこと自体ではなかったのだ。

「なるほど、そういうことか」

「……なにが」

 頭上のベッドを隔てて、ディックの声が降ってくる。

「船長の最後の言葉の意味だよ。お前がそのチップを取り除いてもらうか、それともそのまま生きていくか、お前が選べるようにしてくれたってことじゃねえの?」

「そんなわけにいかないだろ」

「なんでだよ。船長がやったことで、向こうじゃ『一人』はイグナーツってことになってんだろ? あとは、お前がどうしたいかだ」

 自分自身がどうしたいか。まさに問題はそのことなのである。

「……今の僕は、チップの支配下に置かれている。こうして話してるのも、悩んでるのも、全部チップが許容する範囲でだけだ」

「そうだな」

「それは、正しい人間の姿なのか?」

「……」

「だからといってチップを除けば、僕はそれまでの自分を形作っていたものを失うことになる。それはもう僕といえるのか?」

 はあ、とディックがため息をついた。

「お前、考え過ぎ」

「そうかな」

「変わるのはお前の行動であって、お前自身じゃないだろ」

 言いながら、彼は身を乗り出して照明のスイッチを取った。

「一緒じゃないか、それ?」

「行動がお前を決めるんじゃなくて、お前が行動を決めるんだって話だよ」

「……」

「安心しろって。チップがあろうがなかろうが、お前はお前なんだから」

 なにも答えないクルトに、ディックが苦笑した気配がした。

「ま、ゆっくり考えろよ。せっかく猶予をもらったわけだしな」

「……そう、だね」

「灯り消すぞ」

 ディックがスイッチを操作する。暗くなった部屋の中、クルトはベッドに横たわったまま、ずっと目を開けていた。


「やあ、クルト君」

 個室での浅い眠りから覚め、通路を歩いていると、ラフトと遭遇した。ちょうどいい、探していたところだ。

「ハッチですか」

「うん、今から向かうところ」

 二隻の船は再びドッキングしている。当番の船員が慌ただしいのはそのためだ。

「それで、心は決まったんだ」

「……ええ、まあ」

 なんというか、露骨な人だ。彼女とこのことについて話す気はなかったのだが。

「っていうか、なんでラフトさんが知ってるんですか。船長と共謀でもしてたんですか?」

「カシマ船長と? なんの話?」

「……いや」

 考えてみれば、カシマがわざわざ自分の陰謀を彼らに話すはずはない。

「よくわからないけど、チップを持っていたのがイグナーツ君じゃないんじゃないかって話は、わたしたちの間でも出たよ。そうだとしたらホルダーは予定通りきみだし、状況を考えればきみには選択する猶予が与えられたことになる。きみの顔を見れば、決心がついたことはわかるよ」

「なら、なんで黙ってるんですか。報告しないといけないでしょう?」

「さあ、本当のことをいうと、わたしはどっちでもいいと思ってるんだ。どちらにせよ、きみは人間なんだし」

 それは、ディックが言ったのとは似て非なる言葉だった。人間のでない者の言葉。

「SMR、ロボット……?」

「そう。明かすつもりはなかったけど、もういいや。どうしてか広まっちゃったみたいだし」

 全面的にハーツが悪い、とも言い切れない。ラフトが脚を怪我するようなことがなければ、船員たちには伝わりようもなかったのだ。彼女はそれほどまでに人間に似ていた。

「わたしはね、自分が人間だと思って育ったんだ」

「育った、って、成長するんですか?」

「そんなわけないでしょう、わたしは人間じゃないんだから。

 わたしは『ルーバ・ラフト』という一個の人間として、SMRの身体を与えられ、未完成の人格を持って産み落とされた。その人格は、わたしが五年の間、人間たちに交じって生活することで初めて完成するものだったんだ。その五年を、わたしは自分が人間だと思って過ごした」

 負傷、もしくは障害により、サイボーグ手術を受けている者は多い。たとえ身体が人工のものであろうと、自らを人間と思い込むことは可能だ。

「一年前だ。突然ヒンメル軍の人たちが現れて、わたしが人間ではないと告げた。実験的に作られて、時が来たら軍の管理下に入るよう予定されていたってね」

「それで、軍人に?」

「そういうこと。もちろん、事情を知っている人たちは皆、わたしを人間として捉えてはくれなかった。扱いに差があったわけじゃないけど……。どれだけ人間に似てても、所詮わたしはアンドロイド(人間もどき)に過ぎなかった」

 そこまで言って、彼女は小さく肩を竦める。

「君は人間でしょう? 自分が変わってしまうかもしれないなんて、些細なことだよ」

「……そうかもしれないですね」

「それで、どうするの?」

 足を止めて、彼女はクルトに向き直った。その目を見返して、クルトは言う。

「取り除いてもらおうと思っています」

 しばらく彼を見つめていたラフトは、やがて小さく頷いて言った。

「うん、わかった」

 再び歩き出す。肩越しにクルトを振り返って、彼女が続ける。

「話は通しておくから、全部終わったらアウルゲルミルに来るといいよ。引き継ぎの軍人が相手をするはずだ」

「引き継ぎ? ラフトさんは?」

「ああ、わたしは、退役しようと思ってるから」

「退役!?」

 クルトは驚いた。彼女はもともと監視のために軍に所属させられていたはずだ。自分の意志でそれを辞めることなどできるものだろうか。

「できないはずはないよ。ヒンメル軍は志願制を敷いてるんだ。わたしが軍に在籍していたのだって、逆らっても仕方がないと思ったからなんだから」

「仕方がない?」

「だってそうでしょう? 誰一人としてわたしを人間と見てくれないのに、どうやって人間として生きていけるっていうの」

 誰、一人。

「エルンスト大尉は?」

「大尉?」

 ラフトは、一瞬、遠い目をした。

「そうだね、確かに大尉は、軍の中ではわたしと一番長く接した人だった。あのとき、大尉はわたしをかばったでしょう? わたしはあれを、あの人がわたしを人間と認めてくれた証拠だと思ってるんだ」

「それは……」

「わたしの思い込みだって? そうかもしれない。でも、大事なのは結局、わたしがどう考えるかなんだから」

 しばらくの間、二人は無言で歩いた。

「これからどうするんですか」

「さあ、どうしようかな。特には決めてないんだ。しばらくはあてどもなく彷徨うことになると思うけど……」

 ハッチに続く扉の前で立ち止まる。

「自分は人間だって認めてもらえた。その事実だけで、これからいくらでも生きていける」

 扉が滑るように開く。待っていたのは、カシマとミュール、それに出迎えだろう、ヒンメル軍人が二人。

「やあ、軍曹。お別れだな」

「はい。お世話になりました」

 ラフトが敬礼する。カシマが表情でそれに答える。最後にクルトに視線を送って、彼女は円形のゲートをくぐっていった。二人のヒンメル軍人が続く。

 ゲートが閉じる。

 肩に手を置かれて、クルトは振り返った。ミュールが彼を見下ろしている。

「戻りましょう、シュタルク」

「……はい」

「まずはマクリルに寄港だな。苦労して手に入れた獲物だ、高く引き渡してやろう。船もどうにかしなきゃならんし……」

 カシマが呟く。そうして、彼らはハッチを後にした。


 ロゼッタとペルヒタ102号。二隻の船は再び分かれ、その進路を異にした。そして、それぞれの目的地に向かって、互いを顧みることなく虚空を進んでいった。

これにておしまいです。お読みいただきありがとうございます。

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