断末魔
幸い、重傷者は出なかった。
怪我の程度が一番大きかったのがラフトだったのは、彼女が壁に一番近いところにいたからだろう。その彼女にしても火を消す余裕はあったくらいなのだ。それでも、ほとんど無傷だった一人を除き、残りの三人は医務室に運ばれた。
ラフトを含めた三人の負傷は脚だった。火元の位置の高さから考えると、これは自然なことだろうが、そのため彼らが運ばれるときには他の船員たちが肩を貸さなければならなかった。彼らは、見た。集まった野次馬たちも見た。
光沢を放つ網。何本も伸びる線。そのヒンメル軍人の破れた皮膚の下にあったのは、明らかに生きた人間の内部構造ではなかった。
「どういうことかね」
ディックは頭の後ろで手を組んだ。
なにはともあれ、ラフトは医務室に運ばれた。戸惑う医師に、彼女はとりあえず包帯を巻いておいてくれと頼んだらしい。「そうしておけば勝手に治る」と。
「SMR……」
「そりゃ、例のチップの材質だろ?」
ディックが言うと、なにやら考え込んでいたハーツは顔を上げてディックを見た。
「ああ、うん、そうだけどね。一部では、それを材質に使って完成するとされる、限りなく人間に近いロボットの通称でもあるんだよ」
「限りなく人間に近い? できるのか、そんなこと?」
ディックの頭にあるロボットといえば、船内の掃除や貨物の運搬を引き受ける作業用ロボットか、船の制御など複雑な計算を任される演算ロボットだ。いずれも人間とは程遠い。現在の技術なら肉体はいかようにも作れるだろうが、「限りなく人間に近い」頭脳など作ることができるのか。
「『偶然機構』ってのがあってね。無数の乱数試行をひとかたまりにしてその結果に各行動を対応させるって考え方なんだけど、外部からの情報をこの確率に影響させることで、人間の思考に近づけられるといわれているんだ」
「そんなことまで調べたのか」
「このくらいは常識だよ」
「……。あっそ」
ディックは首を振った。いちいち彼の言うことにとりあっていてもしかたがない。
「それで、あの人がそうだってのか?」
「そうじゃないかな、と思ったんだ。いや、サイボーグとかの方が可能性は高いんだけどね」
しかしラフトには、義足装備者に特有の、歩行のアンバランスさというものはなかったように思う。「勝手に治る」義足というのも聞いたことがない。
「まあ、彼女の経歴にどんな物語があったとしても、関係ないことだけどね――わたしたちには」
ディックの方を向いたハーツは、不穏な笑みを浮かべて言った。
「それよりも、もっと差し迫った問題があるよ」
コンテナ船に載せられているのは、ローター・ワープ駆動炉の製作過程でおまけのように作られた反重力エンジンである。出力の問題で、ある一定の重量までしか運ぶことはできないが、それでも捕獲したアルブスを運ぶには十分だった。電流を流し、仮死状態にしたアルブスを積んだコンテナ船と共に、船員たちの乗った着陸船はロゼッタに帰還した。
イグナーツの遺体が火災によって大きく損傷した顛末については、既に着陸船の面々に伝えられていた。
バプカは激昂するだろうという大方の予想を裏切り、彼は沈黙を保っていた。周囲の船員たちにとってはその沈黙がかえって恐ろしく、船内で彼に近寄ろうとする者はいなかった。そして、二隻の船はロゼッタに収容された。
バプカは真っ先に船長室に向かった。
「ああ、バプカ、よく戻った」
船長室にいたのはカシマとミュールの二人だった。部屋に入ったのは、バプカ、そしてイマード。通路には大量の野次馬がへばりついている。バプカは怖いが彼らの話は気になるという連中だ。クルトももちろん含まれている。
カシマの言葉を無視し、バプカは訊いた。
「どういうことだ」
「……伝えた通りだ。霊安室内の配線に漏電が生じていた。カプセルに通電した際に、そこから発火した」
「なんでっ……」
言葉を詰まらせたバプカは、それから絞り出すような声で言った。
「……ハーディー」
「ああ」
「特別区の整備を担当したのは、てめえらだったな」
「ああ」
次の瞬間、イマードの細身の身体は壁に叩きつけられていた。バプカの手が襟首を掴んでいる。
「杜撰な修理しやがって! てめえらがちゃんと整備してりゃ、こんなことにはならなかったんだ!」
「修理は完全なつもりだった。すまなかった」
「ふざけんなよ、てめえっ」
バプカが怒鳴るのを聞きながら、クルトはなるほどと思った。イマードがバプカについて船長室に入ったのはこの展開を予想したからだったらしい。出火の原因が漏電だったことを聞いて、彼はおそらく思い至ったのだろう。そこで逃げないのがこの仲間の律儀なところだ。
さすがに見かねたのか、カシマが声をかける。
「落ち着け、バプカ」
「ああ!?」
「落ち着けって言ってんだよ。イマードたちに任せたのは配電盤の修理だ。火が出たのは霊安室の中の、配線の一部だった。あのカプセルを使ったのは今回が初だったからな。イマードを責めるのは筋違いってもんだ」
「そうだ、カプセル」
バプカは、入り口の方を振り返って睨みつけた。
「おい、フーコー」
「いっ?」
クルトの頭上で聞き耳を立てていたジャンが妙な声を出した。
「そこにいるだろ」
「ぼくがどうしたってんだ」
小声で毒づくジャンに、クルトはやはり小さな声で言う。
「出ていった方がいいよ。バプカ、怖いし」
「……」
ものすごく嫌そうな顔を作って、彼はしぶしぶ部屋に入っていった。
「あいつのカプセルを運んだのは、てめえだそうだな」
「そうだけど」
「火がカプセルの中にまで入ったってのはどういうことだ。ちゃんとロックがかかってりゃ、そんなことになるわけがない」
ジャンは冷たく答えた。
「知らないよ」
来る、とクルトは思った。
「とぼけんじゃねえ! てめえがロックを忘れたんだろうが! てめえのせいであいつは燃やされたんだよ!」
「ロックはちゃんとかけた。表面のアクリルにひびが入ってたのを見たか? そこから炎が入り込んだんだよ。君がイグナーツの死を誰かの責任にしたいのは勝手だが、そのことにぼくを巻き込まないでもらいたいね」
「責任だと? 俺の弟が死んだんだぞ! 俺の……っ」
その一瞬、彼の声は別人のように弱々しくなった。
「……弟だぞ」
沈黙が落ちる。ため息をついて、カシマが声をかけた。
「とにかく、服を着がえてこい、バプカ。イマードも、後ろのお前らもだ」
そう言われて、クルトたちは、自分たちがまだコクーンを着込んだままだったことに気づいた。バプカたち二人が船長室を出る。それと入れ代わるようにして、エルンストが部屋に入った。
「……やはり、この船はそろそろ限界ですね。替えどきかと思いますが」
「どうしてもか? 長年連れ添った女を捨てるなんざ、男のすることじゃ」
「既に怪我人が出ているんです。船長が一番に考えるべきことについて、もう一度ご意見を伺っても?」
「わかった、わかったよ」
カシマとミュールの会話に、エルンストが口を挟む。
「私も賛成です。機関部・外装はともかく、内部設備にはやはり寿命というものがありますから」
「お客さんは黙っていてもらおうか」
そう言って、カシマは首を振った。
「やれやれ、今回の稼ぎがふいだな」
「ところで、カシマ船長。ひとつお願いが」
エルンストが言う。カシマは目で続きを促した。
「イグナーツ・バプカの遺体をしばらくお貸しいただきたいのです」
「どうするつもりだ?」
「例の手術の痕跡を調べることができる機器が、我々の船にはあります。放射線を用いるため生体に使用することはできないのですが」
死体になら使えるというわけだ。少し考えて、カシマは頷いた。
「いいだろう。ただ、バプカに伝えるのはそっちでやってくれ」
面倒を押しつける心づもりである。だが、エルンストは淡々と答えた。
「わかりました。ありがとうございます」
収容されたアルブスの様子を見にいこうと思ったクルトは、格納庫の近くで意外な後ろ姿を見つけた。
「なにしてるんですか、ラフトさん」
「わ」
驚いて振り返った彼女は、よろめいて壁に手をついた。
「大丈夫ですか? 怪我したって聞きましたけど」
「やあ、シュタルク君。気遣ってくれてありがとう。脚は大丈夫、ちょっと歩きにくい程度だから」
そうはいっても、彼女の歩行はかなり危うげだった。傷ついた左脚を庇っているのだろう。
「それでラフトさん、ここでなにを? 大尉さんは?」
「大尉はイグナーツ君と一緒にわたしたちの船。そろそろ戻ってきた頃かな。わたしは、せっかくだからそのアルブスというのを見てみようと思って」
「ああ、じゃ、ぼくと一緒だ」
並んで歩いていくと、コンテナ船の前で、仕事を終えたらしい船員の一人に出くわした。
「どうしたんだ、クルト。軍曹さんまで」
クルトは事情を説明した。
「……まあ、いいけどな。けど、本来はお客さんに見せるようなものじゃないんですよ」
「すみません」
そうは言いながら、彼女に殊勝に退くなどというつもりはないだろう。この一週間ほどで全ての船員がそのことを理解している。鼻から息を吐き出して、彼は扉の脇のパネルを触った。
「さ、どうぞ」
重い横滑りの扉が、音をたてて開く。こぼれ出る冷気の中に、アルブスの巨体が浮かび上がった。
「わあ……」
ラフトが子供のような感嘆の声をもらした。天井から釣られたその巨体は、確かに感動に値する。
「……?」
アルブスを見上げながら、クルトはふと眉をひそめた。
「これ、死んでるわけじゃないんだよな?」
「ああ。殺さなかっただろ、おれたち。今はこの通り、マギー・ガスと極低温で仮死状態にしてるよ」
「今……」
「なにしてんだ、お前ら!」
クルトが言いかけたとき、コンテナ船の外から怒鳴り声が響いた。見ると、男が一人、こちらへ走ってくる。その剣幕はただごとではない。
「なにって、別に、なにも」
思わず答えたクルトに構わず、駆けてきた彼は早口で言った。
「例の火事で特別区全体の電力供給が下がってるんだ。アルブスの冷凍が保てないかもってんで、念のため息の根を止めて運ぶことになった。バプカとエルンスト大尉がこっちに向かってる」
「大尉が? なんで」
「忘れたのか、あの人は一度バプカに勝ってるんだぞ。前みたいに大規模な戦闘ができない状況なら、できるだけ優秀な人間が出るのは当然だろう」
「大丈夫かよ。なにかあったらことだぞ」
「引き受けた以上、そのことも折り込み済みだろう。……いいからどけ、お前ら」
「ちょっと遅かったかも」
全員が一斉にクルトの方を、そしてその視線の先を見た。
アルブスが眼を開いていた。
「――っ」
側にいた船員が銃を抜く。アルブスの眼がぎょろりと動いてこちらを見据える。
「銃はだめだ!」
「じゃあ、どうすんだ」
「危ない!」
四人の頭があった場所を、アルブスの前足が通り抜ける。クルトはラフトの手を引いて転がった。残りの二人が無事なことを、視界の端で確認する。クルトたちも直撃は避けた。
「けど、まずいな」
「入り口が遠ざかったね」
壁に手をついて立ち上がりながら、ラフトが言う。その通りだ。前足はまだ動いており、いつこちらを捉えるか知れたものではない。自分独りならくぐり抜けられるかもしれないが――。クルトはちらりと彼女の脚を見た。
「とりあえず、もうちょっと腹の方に移動しましょう。そうすれば足は当たらない」
こうなると、尻尾が固定してあるのは幸運だった。彼がそう考えたとき、ラフトがすっと腕を持ち上げた。
「来た」
「え?」
入り口の方を振り返ると、コクーンを着込んだ二人の人間が入ってくるところだった。ナイフを握っているのがバプカだろう。もう一人が手にしているのは、長い銃。
「麻酔銃?」
銃声が一発。どうやら顎を狙ったらしい。まだ煙の立ち上るその武器を手にしたまま、彼はアルブスの足を器用に越えてきた。火薬式の麻酔銃なら確かに標的を貫通してコンテナを傷つける心配は少ないだろう。しかし、あの麻酔銃は本来もっと小さな獲物に用いるものだ。それこそスコロペンドラ程度なら十分だろうが、アルブスを相手に効くものだろうか。
「このアルブスには、すでにマギー・ガスが働いている。加えて、一発の相手が四肢一本なら」
そう呟くや、エルンストは振り向きざま、さっきの前足を撃ち抜いた。そのまま上半身を半回転、痛みに暴れるアルブスの後ろ足を狙いすまして、一発。
麻酔は即効性の強力なものだ。僅かに動きの鈍った右の前足を、バプカが駆け登る。彼が頭の脇までたどり着いたところで、エルンストがアルブスの腹の下から残りの足を狙った。二発で二箇所。弾が外れることはない。
顎を支える筋肉を、バプカのナイフが切り裂いた。頭を乗り越えて反対側に回ったらしい。顎を開いて口の中から攻撃するつもりなのかもしれない。
「すごいですね、彼は」
仕事は終わりとばかりに、銃を担いでエルンストが近づいてくる。
「大尉さんだってすごいですよ」
「下がっていてください。ここも安全とは限らない」
下がるといっても、壁に寄るくらいしか方法はない。そのとき、壁際のラフトがばっと顔を上げた。
アルブスが身を捩った拍子に、固定されていた尻尾が外れたのだった。もともと動かないものを支えるためだけのものだったのだから仕方がない。自由になった尻尾は、大きくしなってクルトたちの方に向かってきた。
クルトは腹の下に逃げた。アルブスそのものが落下することを考えれば、ここも危険かもしれないが、少なくとも尻尾は当たらない。しかし、ラフトはそうはいかなかった。
彼女が踏み出したのは、傷ついた方の脚だった。顔をしかめ、彼女はよろめく。尻尾が襲ってくる。
「ラフト軍曹!」
エルンストが走り、彼女を突き飛ばした。それは無意識の動きに見えた。尻尾が彼を直撃する。
まだこちらに気づかない、入り口近くの集団が快哉を叫んだ。バプカがとどめを刺したらしい。エルンストをコンテナに叩きつけたアルブスの尻尾が、力なく床に落ちた。