接触(コンタクト)
船長室のカシマの下にその知らせが届いたのは、標準時にして十七時を少し回った頃だった。
「小型船?」
「はい。四時方向から、接舷を求めているということです」
副船長の報告に、カシマは腕を組んだ。
「船籍は?」
「ヒンメル共和国――彼ら自身は、ウィルデヤークトと名乗っていますが」
「非常警察じゃないか。なんだってまた」
「心当たりが多過ぎますね」
彼女の反応は素っ気ない。それに構わず、彼は尋ねる。
「逃げようか?」
「最小規模とはいえ軍用艦との追跡劇を演じるのは、確かに楽しいかもしれませんけど」
「心にもないことを。まあ、そんなことのために皆を危険に晒すわけにはいかないが」
「当たり前です」
彼は苦笑し、そして言った。
「よし、ミュール、接舷を許可するよう、通信士に伝えてくれ」
「わかりました、船長」
一礼して彼女は退室した。かくして、元商業船「ロゼッタ」は、その内部に二人の人間を迎え入れることになったのである。
ロゼッタにおける一般船員活動区域の中で最も広い部屋は、食堂である。その日、食堂には乗組員ほぼ全員の姿があった。
「なあ」
背後から声をかけられて、クルトは振り向いた。片手に料理のトレーを持った友人が眠そうな目を眠そうに擦っている。
「ああ、ディック。眠そうだな」
「眠いに決まってんだろ……三十分前に寝たとこだったんだぞ」
彼ら乗組員は、一部を除いて三グループの二交代制を採っている。さっきはちょうどクルトたちが当番に当たっていたから、ディックのグループはそろそろ就寝時間だったはずだ。
「で、なんで今日は全員なんだよ。目的地、まだだろ?」
彼がぼやく。食事も普段はそれぞれの時間で摂るので、今日のように一斉に食べるのは確かに珍しいことではある。
「なんか、お客さんみたいだよ。ずっと別の船が伴走してる」
「客? 珍しいな。じゃあ、これはそのお客さんの歓迎会かなにかかよ」
「歓迎会っていうか、なにか説明があるんだと思うんだけど」
話しながら、クルトはなんとか席を見つけた。並んで座ると、隣にいた男が口を挟んできた。
「その客ってのだがな、どうもヒンメルの国軍って話だぞ」
「穏やかじゃないな。軍だって?」
「ああ。我らが船長も、とうとう手が後ろにまわる日が来たのかもな」
「その時は僕らも道連れだね」
「違いない」
クルトの軽口に男は笑った。結局のところ、どちらもこのことをそれほど重く見てはいない。
彼らの食事が終わる頃になって、食堂の向こうの方でようやく船長のカシマが立ち上がるのが見えた。
「ええと……諸君。食事が終わった者は聞いてほしい。終わっていない者も聞いてくれ」
ディックがスープを飲み干す。クルトはフォークをトレーに戻した。
「今日、我々はこの船に二人の客を迎えることになった。ヒンメル軍宙域保安部の両名だ。……ああ、心配しなくていい。なんたって、俺たちは清く正しく、真っ当に金を稼いでいるんだからな」
笑い声が起きた。
「彼らは、国内で起きたある事件の後始末のために、我々に用があるらしい。詳しくは話せないらしいが――まあ、彼らも国の事情があるだろうからな。協力してやってくれ。
紹介しよう、今回の狩りに同行する、エルンスト大尉とラフト軍曹だ」
各所で上がる了解の声に満足げに頷いてから、カシマは横に座った人間を促した。立ち上がった彼が、察するに、そのヒンメルの軍人さんだろう。
「ご紹介に預かりました、エルンスト大尉です。カシマ船長のお話の通り、しばらくの間こちらにお世話になることになりました」
「すげえ優男だな。あれで軍人かよ」
ディックが、隣の席でぼそりと言った。並んでいるカシマより若いこともあって、確かに彼には、あまり威厳のようなものは感じられなかった。……それならカシマには威厳があるのか、という話になると、首を捻らざるを得ないのだが。
「宙域保安部っていったら、軍の中でも、どちらかというと警察みたいなものだろ? 優男でも生きていけるってことなんじゃないか」
ヒンメルは軍事権力の強い国だと聞いている。クルトが適当に口にした言葉に、ディックは「そういうもんかね」と呟いた。そもそも、軍人だから威厳がなければならない、ということでもない。
「どうか、よろしくお願いします」
そう言って、ヒンメルの「警察」さんは頭を下げた。カシマが再び口を開く。
「ようこそ、『はぐれ星』へ。
彼らには、マイナス2レベル、229及び230号室を提供することにする。また、彼らは船員の個室及び霊安室を除く、全ての活動区域に立ち入れることとする」
「厨房も除いとくれ!」
「……厨房も除くこととする」
食堂内の不満の声に構わず、彼は続ける。
「ついては、これから呼ぶ者は、この後で船長室に来てほしい。フーコー、ロブソン、シュタルク……」
二人は顔を見合わせた。男がクルトの肩を叩く。
「ご指名だぞ、お二人さん」
どんな事件か知らないが、捜査官が、こんな下っ端に何の用があるというのだろうか。尋ねると、男も首を捻っている。
「まあ、行ってみればわかるだろ」
それはその通りだが。
「ハーディー、フォン。以上だ。それじゃあ各自、飯、あるいは持ち場に戻ってくれ。解散」
食堂中の船員たちが一斉に動き出す。席を立っていく周囲をよそに、ディックはテーブルにつっぷした。
「眠いのに……」
そして、のろのろと立ち上がった。
船長に副船長、そして男女二人のヒンメル軍人。クルトたち四人を含めて、船長室には八人の人間が集まっていた。
「イマードは?」
ディックが部屋を見回した。呼ばれたのは五人のはずなのに、彼の言う通り、その場には一人だけ足りない。
「ダメだなぁ、あいつは」
「なに、君に比べりゃどんな人でもずっとましさ」
シエンがにやにや笑いながら、ジャンが面白くもなさそうに、それぞれ言った。どうでもいいが、お客の前でこんなに騒いでもいいものだろうか。ちらりと壁際に立つ二人の方に目をやると、向かって左の女性と目が合った。
「個性的だね」
「……なんかすみません」
冷静に考えると彼が謝る必要はないのだが、なんとなく気恥ずかしくなって、クルトは小さく頭を下げた。ちょうどそのとき、背後の通路に繋がる扉が開いた。
「遅れました、イマード・ハーディーです。特別区配電盤の修理を終えました」
浅黒い、生真面目そうな顔の男だ。背は高いが年齢はクルトたちと同じ――これで、五人揃った。
「そうか。この船ももういい加減、ぼろだからな。……さて、大尉、全員揃ったわけだが」
カシマに声をかけられて、エルンストが進み出る。
「まず、あなた方の名前を教えてください」
「名前?」
「ええ、名前。順番に」
全員の視線が、左端のクルトの方に集まった。
「シュタルク……クルト・シュタルクです」
これでいいのか。戸惑いながらクルトが言うと、聞き終えたエルンストは次に目を滑らせた。
「ディック・ロブソン」
「ジャン=クリストフ・フーコーです」
「フォン・シエンです! シャオシエンと呼んでください」
「ハーディーです」
彼は、聞いた名前を覚えるように、二、三度頷いた。
「ローレンツ・エルンスト大尉です。あなたたちに来てもらったのは、他でもない、私たちの探している人間が、あなたたちの中にいるからです」
「誰ですか?」と訊いたのはシエンだ。
「それを今、確かめようとしているところです。あなた方の中に、十一年前の五月、ヒンメルのアウルゲルミルの病院で脳の治療を受けた人間はいますか?」
クルトたちは互いに顔を見合わせた。話が見えない。
「最近、ヒンメルのある病院が、アッヘンバッハ記念病院というところですが、経営上の問題点を摘発され警察の手が入ることになるという事件がありました。その際、隠されてきた過去のいくつかの法律上不適切な処置が明らかになり……その当時の治療を受けた人間に後遺症の発現の恐れがあるということで、該当する人間に再手術を求めているのです」
「その該当者が、僕らの中にいると?」
「先回りで関係書類を処分されてしまったために、わかっていることは多くありません。私たちが探しているのはそのうちの一人ですが、当時その人物が四歳だったこと、男児であったこと、退院後、『はぐれ星』と名乗る名目上は独立商隊に入隊していること――これだけなんです」
ディックが手を挙げた。エルンストが尋ねる。
「心当たりがありますか?」
「じゃなくて、おれは……」
「ディックは違う」
そう言ったのは、しばらく黙っていたカシマだった。
「そいつはみっつの頃からここにいる。今あんたが言ったような経歴には当てはまらないよ」
「お前は?」
シェンの頭ごしに、イマードがぼそりと言う。問われたジャンは肩を竦めた。
「ぼくが入ったのはもう少し後だからね。条件にはぎりぎり該当している。……が」
クルトは内心、頷いた。そんな昔の出来事を自分で覚えている奴がいるかどうか。ここのメンバーは皆大なり小なり事情を背負っており、特に自分たちの年齢では、ほぼ全員が親を亡くしている。そうして行き場を失った人間が拾われて集まったのがこの「はぐれ星」という集団だから、それ以前のことでは、本人が忘れてしまえば覚えている者はいなくなるのだ。
「どうやら心当たりの人はいないようですね」
「どうするんですか?」
尋ねるシェンに、エルンストは動じることなく答える。
「その治療を受けた人間は、日常生活においてある一定の特徴が現れると考えられます。あなた方に同行する中で、私たちはそれを見極めようと思っています」
「特徴って、どんな?」
「それは……すみません、一応、機密事項ですので」
ひとつ咳払いをして、改めて彼は言った。
「そういうわけですから、しばらくの間、どうかよろしくお願いします」