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第1話 『目覚めた先は』

「ンホオオオオォォォ!!!」


 夜10時、私の部屋に奇声が響き渡った。慌ててその口を、同じ学科の友人、美奈子が塞ぐ。以前、私の部屋で騒いだときに隣から苦情がきたからだ。


 こんな声を聞かれたら、変な薬でもやっていると思われかねない。ナイスだ、美奈子。


「なんだよ、オークに襲われた女騎士みたいな声出しやがって」


 モゴモゴと苦しそうにしているのは、女騎士……ではなく、もう一人の友人、千尋だった。


 千尋は美奈子の手をほどくと、キラキラしたつぶらな瞳を私に向けた。


「すっごいじゃん、これ!!」


 その声に、美奈子もPCのモニタをのぞきこんだ。


「おおっ! 会話できてる!」


 2人は私と同じ腐女子で、アニオタで、声優マニアだった。


 貴重な夏休みを使って私が完成させたのは、友人の好きなアニメキャラクターが登場するチャットボットだった。例えば、「こんにちは」と入力すれば、アニメキャラクターのアイコンが出て、「やあ、今日も君に会えて嬉しいよ」などと返事がくる。


 BL好きな私たちだが、それ以外にも純粋に異性としてお気に入りのキャラクターがいる。そしてそれは、大抵好きな声優とセットだ。


 千尋と美奈子は興奮したように声を上げる。


「すごいすごい!」


「ねえ、これって決まった時間に呟けないの? 朝8時に呟いて、それを目覚まし代わりにするとか……」


「いいねぇ、おやすみとかも! てかフミ、夏休みの課題の提出、これにしたら?」


 私は苦笑いをしながら、首を横に振る。


「いやいや、教授に、夏休みと技術の無駄遣い、って言われるよ」


 2人は笑った。


 私は、2人の喜ぶ顔が見られて満足だった。他に取り柄がない、じっとしてたって着飾ったって大して可愛くない、胸も無い、細くもない、唯一持っているプログラミングの技術が役立ったのだ。だから私は、プログラミングが大好きだ。


「次はこれに音声機能だな」


「ええっ、素材どうするのよ」


 ひとしきり盛り上がったあと、私は彼女たちを玄関で見送り、手早くシャワーを浴びて歯を磨き、薄い布団に横たわった。


 時計は午前二時をまわっている。


 体は充実感と疲労で満たされていて、壁に飾った某アニメの騎士様が微笑みかけているように見えた。と、その顔がぐにゃりと歪む。


 妙に体が重い。まるで水の中に沈むようだった。眠りにつくときとは違う重さだった。


――なんだ、これ……


 抗いきれない重さだった。私は抵抗しようとしたが、目の前が暗闇に包まれる。そこで意識が途切れた。




 本当に驚いた時は声が出ないのだということを、私は初めて知った。


 いつの間にか日は高く上り、そして私は外にいて、草の上に横たわっている。辺りは鬱蒼とした木が茂り、どうやら森の中にいるようだった。


 えーと、待てよ。状況を整理しよう。昨日は千尋と美奈子が家に来て、私がつくったチャットボットを見ながらあれやこれやと話して、それから寝た――おかしいところなんて、1つも無い!


 誰かが私を拉致して、こんなところに置いてけぼりにした? 何のために? そもそも、ここはどこだ? こんな森、都内にあったっけ? 新宿御苑? そうだ、目印になるようなものを探してみよう。


 私は恐る恐る立ち上がり、そして光が溢れる森の外へ目指して歩いた。裸足だから、足が小さな石の上に乗ると痛い。何も履かないで外を歩いたのは、子供の時以来だ。


 ここがどこかわかれば、帰れるはず。私はそう思った。


 東京へ来たのは今年の4月だが、たくさんのアニメやマンガ、小説から得た東京情報が私の頭の中にはある。特に池袋や秋葉原は詳しい。なめんなってんだ。


「東京タワーやスカイツリーがあれ……ば……」


 森を抜けた先は、一面の草原だった。何も、無い。驚くほどに空と草原以外、何も無い。一直線の地平線が広がるだけだ。


「ここ……どこ……」


 つぶやいて、私は座り込んだ。


 完全に思考が止まった。これは夢なんだ、と思い込もうとした。だって醒めれば、あの部屋へ帰れるから。




 どれくらいその場に座り込んでいただろうか。犬のような狼のような遠吠えで、私は我に返った。


 不意に、身の危険を感じはじめた。家や集落が全く見えないところなんて、獣だらけに決まっている。いや、私は田舎出身だから経験則的に知っていた。私が住んでいた近くの山には様々な動物がいて、時には人を襲ってくるものもいた。こんな場所で武器も持たない私は、格好の獲物だ。


 しかも日が傾き始めている。今はまだ温かいが、このまま夜を迎えれば、半袖、短パンの自分には相当寒いだろう。急いで暖をとれるところを探さなければ。


 ここがどこなのか、全く見当がつかなかったが、留まることは危険だった。私は決断をしなければならない。森へ戻り、その先を抜けて人家を探すか。それとも、このまま草原を進んでいくか。


――わからん……! もう、勘だ!


 私は草原を進んでいくことにした。勘ではあったが、もしここが日本ならば、自衛隊やアメリカ軍のヘリが通る可能性がある。そうすれば助けを求めることができる、というのも理由の1つだ。むしろ日本じゃない状況って何なんだ……。


 ヘリがきた時は上の服を脱いでぶんぶん振り回すんだよね……貧乳を晒すのか……いや、それだったら下を脱いでパンツ一丁になった方がまだ……。


 ぶつぶつと考えながら、私は遥かな草原を踏みしめていった。




 まずい。完全にまずい。足の裏が痛い。そして日が、沈もうとしている。


 人家の明かりすら見えない。そもそも人間がここにいるのか、という気さえしてきた。人類は衰退しました、とか。そんなアニメあったなぁ。


 一体、どうしてこんなことになったんだ? 起きたらチャットボットの続きをつくろうと思ってたのに。ああ、冷蔵庫の飲みかけのコーラ、早く飲んじゃわないと。あ、千尋に借りたままのCD、返すの忘れてた。インターン先からの返事もしないと……


 途端に熱いものが溢れ出してきて、私はボロボロと涙をこぼした。帰りたい、プログラミングしたい、ごはん食べたい。


 早く、早くこの『夢』から抜け出したい。


 涙を拭って顔を上げた時、遠くに人影らしきものを見つけた。


――あれは……!


 私は走り出した。人がいたんだ。良かった……! あの人に助けを求めなきゃ――


「あの! 誰か! 助けてください!!」


 私は声を振り絞り、必死で走った。これで自分は助かるのだと、帰ってまたあの生活に戻れるのだと、そう思った。


 私は目が良い方だったが、暮れかけた光の下では、その人影の顔はわからなかった。


 だいぶ距離をつめたとき、何かおかしい、と私は気づいた。その瞬間、私は背中が寒くなった。


 その人影の頭は、蛇だった。人間の体に、蛇の頭がくっついている。その目は光り、細い舌が口の中から出たり入ったりを繰り返している。体は鱗のようなもので覆われ、指先から尖った爪が伸びていた。


 するとそいつは、四つん這いになり、私の方めがけて走り出した。


 本能的に私は踵を返し、全速力で走った。捕まったら殺される、と感じた。


 その時、右の方角から別の影が見えた。同じ蛇頭の怪物が、私めがけて走ってきた。


 私は左へ方向転換せざるを得なくなった。ふと脳裏に、集団の狩りで獲物を追い詰めるライオンの姿が思い浮かんだ。


 嫌な予感というのは、当たるものだ。左の草むらから蛇頭の怪物が二頭出てきた。


 距離がどんどん詰められていく。嫌だ、死にたくない。死にたくない……!


 尖った爪が、私めがけて伸びてきた。その瞬間――


「伏せて!」


 誰かの声が響いて、目の前が白く光り、轟音が響き渡った。私は反射的に頭を抑えて倒れ込んでいた。


 しばらくじっとしていると、辺りが静かになり、複数人の近づいてくる足音が聞こえた。


 ふと横を見ると、黒焦げになった蛇頭の死体があった。その禍々しさに、私は息が詰まりそうだった。


「おーい、大丈夫?」


 高い声がし、私は顔を上げた。そこにいたのは、可愛らしい人間の――


「人間……?」


 私がつぶやくようにたずねると、兎のような長いふわふわの耳を持った少女は、にっこりと笑った。


「私はね、亜人。耳長族のシュリっていうの。あなた、運が良かったわねぇ。この蛇頭はグゴンって言って、人間が大好物なの。立ったときの姿が人間に似ているでしょ? だから、こんな草原だと助けを求めて近づいちゃって、喰われるの。鋭い爪で肉を引き裂かれながらね」


 シュリという少女は、私に手を差し出した。


 亜人、と言ったか、今。あの、ゲームやマンガに登場する、あの!


「こら、シュリ。いきなりそなたが出ては、その者も混乱するだろう」


「ごめんなさい、白龍候様。久しぶりの『異邦者』だったから、つい興奮してしまって」


 彼女が視線を向けた先には、長い銀髪の青年がいた。夕陽を背負って立つその姿は神々しさに溢れ、私は言葉を発することができなかった。


 彫刻のような美しい顔立ちに、慈愛に満ちた微笑み。すごく綺麗、という形容以外、私の少ない語彙力の中では表しきれなかった。


 年齢不詳、という言葉が似合ったが、パッと見たところでは25歳前後に思えた。長い手足に、広い肩幅。これはもう、マンガでしか見たことがないような存在だった。


「でも白龍候様にも驚いているわよ、この子」


「それはすまなかった。どれ、怪我は無いかね?」


 白龍候、と呼ばれた男性が私に近づいてきて、私は慌てて体を起こし、居住まいを正し、頭を下げた。単純に、目を合わせていられなかった。体中の血が沸騰して、口から心臓を吐き出しそうだった。


「たっ、助けていただいて、ありがとうございます!!」


「あら、礼儀正しいのね。良いことだわ」


 その時、頭上に男の声が響いた。


「おい、てめえら! そいつは俺の獲物だ! 手ぇ出すんじゃねぇ!」


 まるで時代錯誤のヤンキーのような口調に、私は思わず頭を上げた。翼の生えた黒い馬らしきものが空から降りてきて、その背に乗っていた長い黒髪の青年は、私たちに鋭い目を向けた。


 その青年は白龍候と同じくらい美しかったが、野蛮な雰囲気を体中から発していた。ヤンキー、チーマー……いや、極道かな? 組の若頭って感じだ。


「そいつは俺が連れ帰る! 元々こっちが召喚したんだからな!」


 ん? し ょ う か ん ? ますますファンタジーだ。これって……。


「お言葉ですが、黒龍候」


 シュリという少女が腕組みをし、黒髪の青年を睨み返した。


「ここは、我らの領域。あなたが手出しする権利は無いのです」


「なんだと? 召喚した方に権利があるに決まっているじゃねぇか」


「そもそも、あなた方の召喚士が無能だから、位置を外してしまったのでしょう。しかもこんな危険な場所に召喚してしまって」


「おいこの兎女! てめぇんとこの召喚士がババアで次の召喚が難しいっていうからやってやったんじゃねぇか!」


 えーと、話を整理してみよう。私は、黒龍候と呼ばれる人のところにいる召喚士に召喚された。


 でも、腕が悪くて、予想していた場所とは遠く離れたところに召喚されてしまった。


 その場所は、白龍候と呼ばれる人の領域だった。それで私の所有権を巡って揉めてるってことか。


「やめよ、そなたら」


 白龍候が声を発した。先ほどの優しい声とは違う、厳しさを含んだ声だった。


「もうすぐ日が暮れる。この辺りを闊歩する魔獣は増えるだろう。まずは近くの私の屋敷へ行き、話し合うのはどうかね」


 黒龍候は、舌打ちをした。


「仕方ねぇな……。おい、お前ら、行くぞ」


 誰に向かって呼びかけたのだろう、と私は不思議に思って立ち上がった。すると、彼の後ろには、黒い衣服をまとった人たちが屈んで控えていた。恐らく50人はいるだろう。


「あれは、黒の魔導兵団よ」


 忌々しげに、シュリが言った。


「黒龍候が持つ数千の兵士の中でも、精鋭中の精鋭。護衛、偵察、工作、何でもこなす」


「な……何のためにここへ……!?」


「あら、あなたを獲得するために決まってるじゃない。揉めた時の喧嘩用に」


「へっ……!?」


 喧嘩? ということは、私を得るためにこれだけの兵を引き連れてきたのか?


「でも、我らが白龍候の方が1枚上手だったわね」


シュリは、西の地平を指差す。私はそれを見て、息を呑んだ。


 そこには地平を埋め尽くすほど数え切れない、白い鎧の騎馬兵がいた。号令を下せば、すぐに駆けてきそうな威圧感があった。


「彼らも精鋭兵よ。まー、質では正直あちらの黒の兵団に劣るけど、量では圧倒的に勝る。これくらい揃えなきゃ、黒龍候は話し合いにも応じてくれないからね」


 私は急に、恐ろしくなった。一体これから、何が始まるんだ? 彼らは私を、どうするつもりなんだ? わからないことだらけで、不安に胸を押し潰されそうだった。


「そなた、名前は?」


 白龍候が私にたずねた。私は思わず背筋が伸びる。


「木下文香……です」


「キノシタ……フミカ?」


 うっ、平凡きわまりない名前を美しい声で発音されると何だか恥ずかしくなる。こっちの人たちにとっては奇妙な名前だろうし。


「あ、あの……みんなからはフミって呼ばれてます」


「フミ、良い名前だ。どこかの族の言葉で、朝焼けを指すのだったな」


 そう言って、白龍候は微笑んだ。さっきまでの恐ろしさも不安も吹き飛ぶような、慈愛に満ちた笑みだった。


 ああ、私、ちょろい……な。

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