20 決闘②
九回表、0対1。
1点のビハインドを背負った状態で、陵央高校最後の攻撃が始まる。
先頭打者は九番セカンド、右打ちの高木梨華。八回に引き続き投手を務める夏来は、敵ベンチの動きを確認する。
(交代はせず、と)
代打を出さない理由は複数考えられる。
ベンチにもう左打ちの選手がいない。裏の守備でセカンドを守る選手がいない。二度しかできない交代を使わせようにも、ここから左が続くのであまり意味がないせいかもしれない。
あるいは、高木が右投手を苦にしないタイプという可能性もある。
しかし、夏来はそれで怖気づいたりはしない。ここまでの二打席は抑えられたのだし、それに何よりも――
(右バッターなら……!)
夏来は得意のスライダーを中心に、複数の球種を投げ分け、危なげなく彼女を打ち取る。これで1アウト。
(まず一人……)
随分あっさりいったが、夏来はそれで逆に不安になるようなことはなかった。その程度には、右バッターなら抑えられるという自信はあった。
不安があるのは、打順が上位打線の一番に戻るここからだった。
一番、左打者の須藤晶に合わせ、
「頼んだよ」
「はいはい」
そんな会話を交わして、夏来は樟葉と交代する。
結果的に、夏来の不安は的中した。
制球の定まらない樟葉は、初球からボール球で入ると、更に二球目もボール。三球目は外角へのストレートで何とかストライクを取ったものの、次のパワーカーブは低めに大きく外れてしまった。
カウント3-1。ボール先行でストライクが欲しいところだが、かといってゾーン内のストレートで勝負しようにもバッターはそれを読んで待つだろう。バッテリーとしては苦しい場面である。
もうこうなっては歩かせても仕方ないと考えたようだ。穂波は同じく外へのパワーカーブを要求する。
そして、これが同じように低めに外れて、
「ボール、フォアボール!」
四球でランナーを出すことになった。
(樟葉のやつ、大丈夫かな)
乱調気味の樟葉に、夏来はそんなことを思う。心配でもあるし、もどかしくもあった。もっとも、左打者を相手にして、樟葉より抑えられるという明確な根拠もないが。
1アウト、一塁。同点のランナーを出した状態で、二番も左の矢川英理だった。夏来は、樟葉が何とか踏ん張ってくれるのを祈るしかない。
フォアボールの後の初球は、特にストライクを取りに行きたくなる場面である。そこを堪えて、なおかつ意表を突くように、穂波は通常のカーブを要求した。
やはり調子を崩しているのか、それとも単に練習が足りないのか、厳しいコースではない。が、矢川は狙い球をストレートに絞っていたようで、ようやく二度目のお披露目となるカーブには全く噛み合わず、大きく空振りした。
ストライク先行で気持ちが楽になったせいかもしれない。二球目、内へのストレートは際どいところに決まる。矢川はこれを見送るも、
「ストライク!」
審判の判定はストライク。これで0-2と、追い込んだ。
(よし!)
夏来は心の中で快哉を上げる。ある意味で、自分が投げる時よりも、不安も喜びも大きなものになっていた。
(これなら、何とか最後まで行け――)
行けそうかなと、夏来が安堵しかけた、その三球目だった。
外へのストレートは逆球、それも内角も内角のボール球になる。
「あっ」と丹波連城の部員たち。
「あっ」と陵央の部員たち。
最後に審判がコールする。
「デッドボール!」
左対左で、球の出所が見えにくいせいもあっただろう。コースを外れたストレートを避け切れず、ボールが矢川の背中を直撃したのだった。
硬球の怖さが身に沁みているからか、普段あれだけふてぶてしい樟葉も頭を下げて謝る。
これに軽く手を挙げて平気だと答える矢川の顔には、苦悶と苦笑が入り交じっていた。どんな形であれ、チャンスを作ったのだ。死球の痛みもあるが、その喜びも確かにあるのだろう。
そう、チャンスを作ったのだ。これで1アウト、一、二塁。丹波連城は同点どころか、逆転のランナーまで出してしまった。
「アンタさぁ……」
「素人に無茶させないでよ」
マウンドに来た夏来が文句をこぼすと、樟葉はそう言い返した。
「で、どうすんの?」
樟葉は、三番打者――大奈に視線をやる。
「次、左打ちもできるんでしょ? 私が投げようか?」
大奈がスイッチヒッターだという情報のなかった七回は、まんまと夏来に交代した挙句、左打ちの餌食になっていた。だが、あの時と違い、今度は選択肢がある。
スイッチヒッターである以上、右投手なら左打ち、左投手なら右打ちと、大奈は打者有利のシチュエーションを作ってくるだろう。その点で、夏来が投げようと、樟葉が投げようと変わりないようにも思える。
しかし、夏来のような右サイドスローは左打者との相性が特別に悪い。また、サウスポーには希少性があるので、右打者相手でもごり押しができなくもない。大奈は今日、まだ樟葉と対戦していないから、目が慣れていないというアドバンテージもある。
が、それらの優位性を夏来は振り切った。
「いいよ」
先の通り、夏来はROOGYであっても、樟葉はLOOGYではない。序中盤で同じことを言われたら、おそらく頷いていただろう。
しかし、直近の投球を見る限り、首を縦には振れなかった。
「アンタ、もう疲れてるんでしょ」
表情にこそ出さないが、投球内容を見れば明らかだった。
この九回は、四球と死球。また七回にも四球を出していたし、八回は守備に助けられた凡打のみで三振はゼロである。疲労から、全力で投げようとすると制球が乱れてしまうが、かといって、全力で投げないと今度は打たれてしまう、といったところではないか。
「…………」
予想した通りのようで、樟葉も何も言わないだけで否定はしなかった。
ただ、自分から「投げようか」と提案したあたり、ランナーを出したことに責任を感じていないわけではないのだろう。
それで夏来は、殊更笑顔で続けた。
「それに、私も負けっぱなしは嫌だからね」
◇◇◇
九回表、0対1。1アウト、ランナー一、二塁。
バッターに三番の大奈を迎えたところで、夏来がピッチャーに代わる。
それを見て、スイッチヒッターの大奈は左打席に入る。
この時、夏来もナインも――それどころか、大奈や陵央の部員たちも――ほぼ同様の考えを持っていた。
(五十嵐は敬遠できない)
先の交代でこの回二度目、最後の交代を行ってしまった。ここで大奈を敬遠すると、夏来は満塁で四番のゆうを――左の強打者を相手にしなくてはならないことになる。
ゆうには今日まだヒットがないとはいえ、それは樟葉が投げた上に、奇策が上手くはまったのが原因だった。夏来が勝負を挑む相手としては、依然として脅威である。
点差によっては大奈、ゆうと連続敬遠する手もありえるが、押し出しの1点で同点になる現状ではそれも難しい。地力の差からいって、五分というのは不利と同義だろう。しかも、ただ同点になるだけならまだしも、その後1アウト、満塁を凌ぐことまで必要になってくるからますます不利である。
そのあたりを踏まえて考えると、勝ち筋は必然的に絞られてくる。
(まずは五十嵐を抑えて2アウト。次に水上さんを敬遠して満塁に。その後に牧村さんを抑えて、3アウトでゲームセット。多分、これがベスト)
ゆうを敬遠して、五番の小道と勝負。およその流れは七回表と同じである。
唯一異なるのは大奈への対応だった。ランナー一塁で連続敬遠もできたあの時と違い、ここは勝負するしかない。
(勝負したかったからちょうどいいか)
「負けっぱなしは嫌だ」と夏来が言ったのは、樟葉への気遣いもあるが本心でもあった。正直なところ、勝負から逃げているようで、個人的に敬遠策はあまり取りたいものではない。それが、この試合で一度ヒットを打たれた相手なら尚更である。
そう吹っ切って、抑える為に初球に何を投げるか、穂波のサインを確認しようとする夏来。しかし、その目に、先に飛び込んでくるものがあった。
大奈の手にはめられた、白いバッティンググローブ。
〝拾いなさい〟
〝それが決闘の作法〟
あの日、大奈はそう言って宣戦布告した。それと同じ種類のバッティンググローブを、今日もはめていたのだ。
夏来は見据えるように大奈の目を見る。大奈もまた夏来の目を見た。だから、目が合った。
大奈さえ凌げば、後は七回表とほぼ同じ流れ。既に一度成功したことだし、右打者の小道が相手なら抑える自信はある。
逆に、大奈には単打はおろか四球を与えることさえ許されない。大奈自身に同点打、逆転打が出なくても、出塁するだけでゆうに満塁で打順が回ってしまう。
つまりは、大奈の打席が勝負の分水嶺。大奈の打席がこの試合の勝敗を決定づけると言っても過言ではないのだ。
だから、現在置かれた状況から、敬遠せず勝負するという考えに両者共に行き着いたように、夏来も大奈も、この時全く同じことを思った。すなわち――
(決闘だ!)




