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るき×ろじ!  作者: 我楽太一
第二章 Southpaw×Sidewinder
18/43

8 Sidewinder③

「ポテト食べる?」


「結構です」


 差し向けられたフライドポテトを、樟葉はそう言って拒む。


「シェイクは?」


「だから、結構ですって」


 繰り返し勧めてくる穂波に、樟葉は辟易した。店員でもこうは食い下がらないだろう。


 部活後、樟葉と穂波は学校近くのハンバーガーチェーンに来ていた。夕食を一緒にどうかという話も出たが、長引かせたくない樟葉が退けたので、お互い頼んだのはドリンクなどのサイドメニューだけである。


 そして、長引かせたくないから、樟葉は単刀直入に尋ねた。


「で、何の用ですか?」


 こちらの態度のせいか、話そうとしている内容のせいか、穂波は躊躇いがちに口を開く。


「なっちゃんのことなんだけど……」


「励ませとか慰めろとか言われても、私そういうの無理ですよ」


 樟葉は今度も単刀直入に答える。


 夏来についての話だということは、流れから想定はしていた。その上で断ったのは、気力云々の問題もあるが、それ以前に自分にそういう能力があるとは到底思えないからだった。他にもっと適任がいるだろう。


 しかし、これに穂波は「ううん」と苦笑しながら首を振ると、


「ただ話を聞いて欲しいだけ」


 と言った。


 本当に話を聞くだけで済むのだろうか。他に面倒なことに巻き込まれはしないだろうか。もっと言えば、話を聞くのでさえ面倒といえば面倒である。


 だが、何とかしてやり過ごせないか樟葉が考えようとする間もなく、穂波は話を始めていた。こちらが何を考えているのかはバレバレのようだ。


「なっちゃんが、何でサイドスローに転向したのかは聞いてるわよね?」


 夏来の話を思い出すと、樟葉は確認の意味で尋ね返す。


「肩が弱いからでしょう?」


「ええ」


 穂波は頷いて、それから本題に入った。


「ピッチャーといえば花形のポジションで、チームでも一番上手い子がやることが多いの。なっちゃんも運動神経が良かったから、小学生の頃からピッチャーやってたわ」


 国によって事情は変わるようだが、日本では穂波の言うように守備の要のピッチャーが花形として扱われることが多く、能力の高い人材が集中しやすい傾向にある。だから、本人の実力やチームの状況から、進学やプロ入りを機会に投手から野手へ転向するようなことがしばし見られる。サイドスロー転向で成功した斎藤雅樹にも、それ以前には野手転向を勧める声があったという。


「でも、それはまだ小学生の、狭い世界での話でね。当たり前のようだけど、世の中にはもっと野球が上手い子がいっぱいいたわ。だから、なっちゃん、中学に入った辺りで限界を感じたんでしょうね……」


 穂波は深刻そうだったが、樟葉は正直に言えば若干安堵していた。故障や事故のような、重大事まで想像していたからである。もっとも、怪我で能力を失うのと、元々才能がないのとでは、どちらが辛いのか樟葉には分かりかねるが。


「それでオーバースローは諦めて、サイドスローに転向することに決めたの」


 ここまでは、夏来から聞いた話とほとんど変わらない。わずかにディティールが加わっただけである。


 しかし、穂波の話はその先へと続いた。


「フォームには向き不向きもあるんだけど、なっちゃんにはサイドスローが合ってたんでしょうね。フォームを変えてから、レギュラーも取って、大会でも勝ち進むようになって……」


 幼馴染で、バッテリーを組む相手でもあるからだろう。夏来の躍進を語る穂波の口調は、明るいものになっていた。


「いつしか〝サイドワインダー〟なんて呼び方をされるようになったくらいよ」


 話の流れや穂波の口調から、美称や敬称の類であることは分かる。が、逆に言えば、それ以上のことは分からなかった。


「……サイドワインダーって?」


「サイドスローの投手のことを、英語ではそう言うの」


 樟葉の質問に、一旦はそう答える穂波。彼女の言う通り、横手投げは英語でsidearm(サイドスローは和製英語)、横手投げの投手はsidearm pitcher、あるいはsidewinderと呼ばれる。


 しかし、その答えはあくまで一旦のことだった。


「ただ、なっちゃんの場合はちょっと違っててね」


 そう訂正してから、穂波は詳しい説明を始める。


「球の出所や軌道が見にくくなる分、左投げと左打ちでは左投げが有利なように、右投げと右打ちでは右投げが有利なの。

 利き手の割合の関係で右対右は慣れがあるから、左対左の場合ほど大きな差は出にくいと言われてるんだけど、なっちゃんはサイドスローでしょ? サイドスローは人数が少ないから不慣れだし、それに横に腕を振る分だけ視界に捉え辛くて、右対右が投手有利になりやすいのね」


 右対右、あるいは左対左のような、投手の投げる手と打者の打席が一致するシチュエーションにより強くなる。これもサイドスローのメリットの一つである。


「横から投げるサイドスローの球は、右利きなら右から左へ大きく角度のついたボールになるから、右バッターからすると、ちょうど自分の背中越しに球が来るような感覚になるの。なっちゃんの場合、腕の振りがほぼ真横だから余計にね。

 しかも、なっちゃんの得意球は、横滑りするような、切れ味抜群のスライダーだから。外角に決まるスライダーを、右バッターがデッドボールになると思って避けたこともあったくらいよ」


 樟葉は、夏来の投球を思い出す。角度のついたサイドスローの軌道から、更に大きく鋭く曲がる、あのスライダー。元々硬球に対して恐怖心を抱いていることもあって、避けたくなる打者の心理は容易に理解できた。


 そして、穂波の話は、〝サイドワインダー〟という呼び名の由来の核心に入る。


「アメリカに生息するヨコバイガラガラヘビのことも、英語では同じくサイドワインダーって言ってね。この蛇は和名の通り、砂漠の砂の上を、体をくねらせながら横滑りするように這って移動するんですって。

 だから、〝サイドワインダー〟っていうのは、そこから付けられた異名や二つ名みたいなものかしらね」


 説明に驚く樟葉。思わず穂波の言葉を繰り返していた。


「異名……」


「ワクワクしてる?」


「してないです」


 そう否定したが、信じてもらえたかどうか怪しいものである。


 樟葉の態度がおかしかったのか、それともやはり夏来の躍進が嬉しかったのか、穂波は微笑を浮かべながら続ける。


「そんな異名を付けられるだけあって、中学二年の夏は県大会で準優勝までしたわ」


「へー……」


 樟葉はそう淡白に答えた後で、「そんなに凄かったんだ」と口の中で呟いていた。


 人数こそ少ないが、野球部の実力はそれなりのものだと聞いている。そんなチームで一年生の夏からエースを任せられているのだから、夏来も相応の実力者でなければ確かに理屈に合わない。


 考えてみれば当然のことかもしれないが、夏来があまり偉ぶらないので樟葉は誤解してしまっていた。その癖、自分のことは誉めそやすから尚の事である。


 ただそれは、夏来の性格が謙虚なわけでも、ご機嫌取りに自分を持ち上げようというのでもないようだった。


「中二の夏まではね」


「…………?」


 樟葉は怪訝な顔をする。その後に、何かあったのだろうか。


「今のはあくまでバッターが右打ちの時の話でね。左打ちが相手だと、これまでの話が全部が裏返しになるのよ」


 そこまで言われれば、野球に詳しくない樟葉もおよその察しがついた。


「……左打ちに弱いってことですか?」


「ええ」


 認めるのが辛いのか、穂波は強張った表情で答えた。


「右打ちの場合とは逆に、左打ちからすると右のサイドスローは球の出所や軌道が見やすいの。これもサイドスローのデメリットね」


 左バッターに対して左ピッチャーを当てる戦術があるということは、言い換えれば右ピッチャー対左バッターは打者有利のシチュエーションということでもある。特に腕を横に振るモーションの関係で、サイドスローはこの傾向が顕著になりやすい。


 しかも、その上――


「バッターボックスが一塁に近い分だけ、左打ちが有利って話はしたわよね? だから、学年が上がるごとに左打ちに転向する子がどんどん増えて、なっちゃんも苦戦することが多くなっていったの」


 夏来自身に何かがあったわけではない。だが、相手が何の努力もしてこなかったわけでもない。他の選手が新たな技術を習得して成長した為に、結果追いつき追い越されることになったようだ。


 同様の現象は、プロの世界では更に著しく現れていた。メジャーではオーバースロー(スリークォーター)寄りに上から投げるのならともかく、純粋に横から投げるサイドスローの投手は珍しい存在である。日本では人数こそ多少増えるものの、それでもサイドスローでエース級の投手となると、それこそ斎藤雅樹まで遡らなくてはならないのではないか。


 最後に、穂波は〝サイドワインダー〟の現状について語った。


「今年の夏なんか、相手チームがなっちゃん対策にずらっと左バッターを並べてきてね。そのせいで負けちゃったわ」


 弱点を補おうとして、また別の弱点が生まれてしまった。中学時代に活躍を収め、異名まで付けられたはずの投手が、5失点もして負けた理由はそこにあるらしい。


 夏来はただ漫然と努力しているわけではない。自分の能力を正しく認識して、知恵を絞り工夫を重ね、その上で努力しているのである。


 それで結果に繋がらないのなら、もうこれ以上何をすべきだと言うのか。


「…………」


 樟葉は何も答えなかったが、その胸に去来する思いは――

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