5 Southpaw②
ピッチャー 日高夏来(一年)
キャッチャー 古家穂波(二年)
ファースト 阿久津樟葉(一年)
セカンド 鈴木花佳(二年)
サード 岩井比呂(一年)
ショート 本城縁子(一年)
レフト 篠崎湊(二年)
センター 吉川真紀(二年)
ライト 岡田朋美(二年)
「うーん……」
練習開始前、新品のボールを取りに夏来が部室へ行くと、ミーティング用のホワイトボードを前に樟葉が唸っていた。
「どうしたの?」
「いい加減、部員の名前を覚えようと思ったんだけど」
「うんうん」
樟葉が練習に参加するようになって、既に一週間ばかりが経っていた。臨時の助っ人とはいえ、部の一員としての自覚が芽生えたのだろうか。
そんな夏来の期待を、樟葉はあっさり切り捨てた。
「無理そうだから別にいいかなって」
「いや、よくないから」
対人関係の基本を完全に無視するつもりでいるらしい。それでは部活に差し支えそうなものだが、気にならないのだろうか。
少なくとも、夏来には看過できなかった。
「アンタ、アニメや漫画のキャラならいくらでも覚えてるでしょ」
「そりゃあ、好きだからね」
そう断言する樟葉。まるで部員たちは好きではないと言わんばかりだが、まさにその通りのことを続けて言った。
「私は生身の人間には興味ないんだよ」
「何でそう積極的に好感度下げに行くかな」
内心で留めておけばいいものを、どうしてわざわざ口に出すのか。仮に見栄や冗談だとしても、毒が強過ぎると夏来は思う。
ただ、樟葉には樟葉の言い分があるようだった。
「それにさぁ……」
そう言って、今朝の様子を語り始める。
◇◇◇
長年の夜更かしの習慣が直らず、樟葉は部活を始めても朝起きるのが苦手なままだった。遅刻こそしないが、学校に来る順番はいつも後ろから数えた方が早い。
寝ぼけ眼で更衣室に入ると、先に着替え中の部員たちが次々声を掛けてきた。
「阿久津さん、おはよう」と比呂。
「おはよう、阿久津」と真紀。
「おはざーます」
きちんとした挨拶をする二人には、樟葉も(本人の主観では)きちんと挨拶を返した。それくらいの節度はある。
朝の挨拶はまだ続いた。
「おはよう、クズちゃん」と穂波。
「クズちゃん、おはよ~」と縁子。
「……おはよう」
言いたいことはないでもないが、それでも穂波たちはまだマシな方だった。樟葉も一応返答だけはしておく。
問題は、論外の部員がいることである。
「よう、クズ!」と湊。
「今日はちゃんと起きれたか、クズ!」と朋美。
「…………」
顔を合わせたそばから暴言を吐く二人に、樟葉はまるきり無視を決め込んだ。
◇◇◇
「って感じで、一部で陰湿なあだ名が流行ってるから、別にいいかなって」
「それだけ親しまれてるってことだよ、多分」
夏来はそれらしいことを言って樟葉を宥める。部員たちの言い方から考えて、蔑称ではなく愛称だから的外れでもないだろう。
「そのつもりがなくても、相手が嫌がってたらいじめだよ」と樟葉がまだ不服そうにしていると、そこに他からやや遅れて先輩部員が登校してきた。
「おはよう、夏来、樟葉」
「おはようございます」
夏来に続いて、樟葉も挨拶を返す。
「おはようございます、田中先輩」
「鈴木花佳、十六歳。十二月二十二日生まれの山羊座のA型」
まくしたてるように訂正する花佳。それから、溜息とともに続けた。
「何回言ったら覚えてくれるかなぁ」
呆れたことに、似たようなやりとりは毎日のようになされていたのである。
名前を間違えるのは花佳をからかってのことだろう。だが、覚えていない、覚える気がない、という樟葉の発言も強ち嘘ではないようだった。二年生はひとまとめに「先輩」だし、一年生は「ねえ」だの「ちょっと」だのという呼び方をしている。同じ組の縁子でさえそんな扱いで、普段クラスメイト相手にどんな接し方をしているのか疑問は尽きない。
その樟葉は、平然とした顔で花佳に答える。
「どうも印象に残らなくて」
「確かに鈴木ってよくある名字だけど」
佐藤に次いで、全国二位の世帯数を誇る名字である。この二位というのがまた微妙で、余計印象に残りにくいのかもしれない。
が、樟葉が言いたいのはそんなことではないようだった。
「いや、名字じゃなくて先輩がです」
「私そのものが!?」
花佳は素っ頓狂な声を上げた。
もはや名前を覚える云々以前の問題だろう。夏来は二人の会話から、更に樟葉の日頃の言動を振り返ると、先程の話にこう結論を出した。
「……正直、陰湿なあだ名をつけられても仕方ないと思う」
◇◇◇
ただ樟葉は、野球部はともかく、野球そのものには適応しているようだった。
サウスポーのオーバースローから投げられたのはストレート。130キロ前後の球速に、強いバックスピンから生まれるノビ。ボールがミットに突き刺さると、心地良い音が上がった。
(可愛げのない……)
投球練習をそばで指導していた夏来は苦笑を漏らす。
捕手を務める穂波は「ナイスボール」と声を掛けるが、高一の初心者ということを考えると「ナイス」で済むようなレベルではない。全く末恐ろしい話である。もっとも、樟葉の末は、付き合うと言った練習試合までだろうが。
練習試合。
夏の大会後の、直近の目標だったそれを、夏来は改めて意識する。
そして、自軍の戦力を確認するように、部員たちがプレーする姿を思い浮かべていた。
新チームでその中心を担うのは、真紀と穂波の二人になるだろう。この二人は攻守バランスがいい上に、それぞれキャプテン、副キャプテンという役柄でもある。守備位置がセンターとキャッチャーというグラウンドの中心線の両端のポジションというのも、真紀と穂波のチームでの立場を象徴しているかのようだ。
レフトの湊とライトの朋美は、守備はやや怪しいところもあるが、俊足でなおかつ打力もある。一番、二番を打つのは、この両翼コンビで決まりに違いない。一番打者を切り込み隊長と表現することがあるが、それなら二人はさながら突撃部隊といったところだろうか。
しかし、丹波連城のモットーはあくまで「守りの野球」であり、それを体現しているのが守備の要の二遊間を守る花佳と縁子だった。二人は湊たちとは逆に、打撃はともかく守備は上手いというタイプである。
また、比呂は初心者だが運動神経が良く、練習熱心でもある。花佳たち二遊間に加え、比呂のサード守備のおかげで、内野守備は堅いものになっていた。
そして、――
(ここに樟葉が加われば――)
試合まで時間がないから、樟葉には基礎的な体づくりよりも技術に重点を置いて指導を行っていた。チーム状況からまずはファースト、可能ならピッチャーを任せる為に、守備と投球の練習が中心の特別メニューとなっている。
ブルペンでは、その投球練習が続けられていた。樟葉は次に変化球を投げ込む。
先日夏来たちを驚かせた、例のパワーカーブである。
あの後、詳しく投げ方を検分したところ、樟葉は中指を通常通り縫い目にかけつつ、人差し指を曲げてボールに爪を立てるようにして握っていることが分かった。
この握りはカーブの中でも、ナックルカーブと呼称されるものに近い。名前の由来は指を押し当てるような握りがナックルボールに少し似ていることだが、ほぼ無回転の為に不規則な変化をするナックルボールと違い、ナックルカーブは強い回転によって曲がるカーブ派生の球である。
ナックルカーブが通常のカーブと異なる点は、人差し指を曲げて握ることで、リリース時にボールを抜きやすくなっていることにある。これにより、腕を振るスピードを保ったまま、ボールに強い回転を掛けることができ、球の速さと曲がりの大きさを兼ね備えたカーブを投げられるのだという。これが樟葉のパワーカーブの正体だった。
勿論これは、夏来の教えた基本的なカーブの握りではない。夏来が「自分が投げやすいようにアレンジするといい」と言ったのを都合よく解釈して、樟葉が飽き性から勝手に色々試した結果である。
樟葉の投げたボールは、比較的速度を出しつつキレ良く変化した。通常のカーブよりも鋭く落ちるような円弧を描く。
ナックルカーブの握りの欠点は、その抜きやすさにあった。抜きやすいせいで制球が難しく、またすっぽ抜けの失投が起こりがちなのである。だから、試合で使えるレベルまで完成度を上げる為、変化球はパワーカーブ一本にほぼ絞って練習していたのだった。
このような制球の難しさから、ナックルカーブ(パワーカーブ)を投げるピッチャーは、高校野球レベルではほとんど見られない。いくら減少傾向とはいえ、まだしも変化球の基本として扱われることの多いカーブとはその点が大きく異なっている。
しかし、それは裏返せば、パワーカーブを使いこなせるようになれば独自の武器になる可能性が高い、という見方もできるはずである。
特に、希少なサウスポーに、希少なパワーカーブを搭載した場合などには、樟葉が言うところの「メタゲーム」において圧倒的優位に立てるのではないか。
そして、そのパワーカーブがミットに収まる。
穂波が最初に構えたところ――とは流石にいかないが、それでもストライクゾーンを通過するコースだった。いわゆるコマンド(ゾーン内で投げ分ける能力)はまだまだだが、コントロール(ゾーン内に集める能力)について言えば悪くない。
夏来の額に汗が滲む。ただの汗か、それとも冷や汗か、それは自分にも分からなかった。
確かに、樟葉の末は練習試合までだろう。だが、それでも一角の選手として仕上がりそうなのだから、やはり末恐ろしいというべきかもしれない。
その恐ろしさは、しかし、チームメイトとしては望ましいものでもあった。
新チームに樟葉が加われば、陵央――今夏の県大会準優勝校相手にも勝ちの目はある。夏来はそう確信していた。
だからこそ、樟葉の指導にも全力で当たるべきなのだが、当の本人はどういう訳かボールを置いて、マウンドを後にする。その足取りは覚束ない。
「樟葉?」
夏来がそう聞くと、樟葉は生気のない目をして答えた。
「疲れた……」
「早っ!」その言い草に、夏来は発作的に非難してしまう。「まだちょっとやっただけじゃん」
しかし、それを無視するように樟葉は座り込んでいた。
「精神的に疲れたんだよ」
「どんだけ忍耐力ないのよ」
夏来は眉を顰める。パワーカーブに繋がった飽き性が、今回は悪い方向へ作用したようだ。
あるいは、上手く行き過ぎて手応えがなく、練習を退屈に感じているのかもしれない。もしそうなら、夏来にすれば羨ましい限りの話だが。
とはいえ、樟葉は一応毎日練習に参加していた。また、技術優先のメニューのせいもあって、スタミナがさほど向上していないのも事実である。モチベーションの面を考えても、あまりうるさく言わない方がいいかもしれない。
それで穂波に声を掛ける。
「交代するね」
今度は夏来がマウンドに立った。