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 今宵もまた、ホールで酒宴が開かれていた。


 味が分かっているのかいないのか、分厚い肉を年代物の高価なワインで押し込む人々。


 その様は食事というよりもあらゆるものを吸い込んでいるかのようで、人の生まれながらの罪の一つに数えられるとされる「強欲」という言葉がよく似合った。


 肉にフォークをつき立てた白豚のような中年の貴族の男が、食事をしながら、その上座の傍に控えるように立つ背の高い若い貴族の男にこう言う。


「非常に心苦しいことだが……。財政は火の車だ。優れた政策を執り行うためにはもっと金が必要だ。税収を上げざるをえない。非常に心苦しいことだが……」


 所々耳障りなクチャクチャという咀嚼音が挟まれたが、男は顔色一つ変えず、「は」と承知の言葉だけ発した。


 指示を受けた男はすぐにその場を離れようとしたが、赤ら顔をした周りの貴族たちにこう声をかけられた。


「お前はやらないのか?」


 酒をぐいと差し出され、勧められるも、男は手をのばさない。


「勤勉なのもいいことだけど、経験豊富な人々の意見も聞かないとダメなんだぞ」


 「経験豊富な人々」の「勉強会」の様子を、男はカミソリのような鋭利な眼差しで見つめる。


 するとその時、場の空気がさっと変わった。


 音楽が始まった。ホールに賑やかさをそえる楽団に、これまでだったら居ることすら気づいていなかったのだが、今は違う。


 皆の食事する手が止まりだし、舞台袖から出てくるであろう存在に胸を高鳴らせる。


 男はそのタイミングを見計らい、足早にその場を後にした。


 彼の去りゆく背を一瞥したあと、酒を勧めていた貴族の男は小声で言う。


「……酒も飯も興味がない、そしてこの素晴らしい舞いの魅力も理解できない。あの男は人の感情が分からないんじゃないか?」


 その不満げな言葉に、上座の太った中年の男は含むように笑った。


「そうさ。あの男には感情がない。どんな残酷な作戦も、指示すれば冷徹に計画し、実行する。人が死んでも殺されてもなんとも思わない人間に、この舞台の素晴らしさが分かると思うかね」


 そしてワインをゴブゴブと喉に流してから言葉を続ける。


「あの光のない目で見られると、自分がまだ人間的で、優しい存在であると自覚できるよ」


 隣でククククと笑う男の妻も、目を細めてこう言う。


「どんな残忍な作戦でもやりきる冷血な男……。だから皆、あの男のことを『冷酷者ルシュレヒタ』と呼ぶのよ」


 給仕の召使たちにより、周囲の燭台の灯りが一斉に落とされる。照らされるは舞台だけとなり、月明かりの優しい光がフロア全体を包み込む。


 廊下を歩いていても、男はあの踊り子が舞台に出てきたのが分かった。


 皆が同時に息を飲むから、嫌でも気づくのだ。


 舞台から遠く離れた場所だったが、男はちらりとそちらに視線を向け、足を止めた。


 奏でられる音楽は古典の名曲、悲恋を歌った曲だ。


 踊り子はいつもの通り目元をベールのような薄い布で覆っていて、表情が分からない。


 それでも、いや、見えないからこそ、彼女の舞う姿は様々な状況を表現してみえた。


 初めての恋に少女が心躍らすさまに見え、少女の想いを許さぬ大人たちに見え、悲しみのまま命を落とした恋人を追い、身を投げるように見えた。


 セリフや歌が一つもなくとも、曲の見せ場のシーンでは涙を拭っている観客もいた。


 男はまた、しばらくして周囲の拍手の音と共に、その場を去った。


 男はこの宮殿の現在の最高権力者の執務室に向かった。その部屋に自由な出入りを許されている人間はそう多くない。


 人々がホールに集い、すっかり静かになった廊下を進む。点々と灯りがともされ、大きな窓から月光が注ぎ込まれているため、日中ほどとはいかないまでも十分に明るい。


 目的の室内に入り、机上の燭台に火をともすと、豪華にしつらえられた部屋がその姿を浮かび上がらせる。宝石のあしらわれた高価な調度品、背の高い本棚。踏みつける絨毯には意匠の凝らされた柄が編まれ、男の腰周りよりも太い口をした花瓶には大輪の花が生けられていた。


 男はそれらには目もくれず、棚から書類を引き出す。そして諸外国からの書簡に目を通す。


 返信内容の基本的な指示だけ受けると、あとは文面を作成するのは彼の仕事だ。


 彼はあらゆる近隣諸国の言語に精通していたし、公的な書面には国ごとにより様々な形式や決まりがあり、それらをきちんと理解していた。そして綺麗な文字を早く書くこともできた。


 一般的な市民より抜きん出て読み書きができたため、幼い頃に城に入り、簡単な事務などを手伝っていた。


 そして彼は優れた頭脳と機転による数々の功績をたたえられ、市民の出でありながら、多くの貴族らと同じように胸に沢山の勲章をぶら下げるようになった。その数の多さでは、どんな名のある血筋の貴族にも引けを取らないだろう。


 今では恐らく、彼が貴族の生まれでないことを知っている者の方が少ないかもしれない。


 有能なこの男を取り立てた権力者たちは、彼を傍に置き、あらゆる作戦を指示し、実行に移させた。


 どんな残酷な作戦でも顔色一つ変えずに完璧に遂行させる彼を、周囲は「冷酷者」を意味する言葉「ルシュレヒタ」の異名で呼ぶようになった。


 締め切った部屋に、遠くからかすかに音楽が聞こえてくる。切なくも美しい旋律。


 男は、自分が知らない曲だったので、きっと今の町の流行りの歌か何かなんだろうと察した。


 おもむろに窓を開けると、ふわりとした夜風にのって音が流れ込んできた。


挿絵(By みてみん)


 男は視線だけで、窓から下の景色を見つめた。宮殿の最上階に当たるこのフロアからだと、少し離れた所にあるホールの明かりが見える。きっとあの踊り子が舞台で舞っているのだろう。


 見下ろす彼の目に、何か感情が宿っているようには見えない。彼にとって目は、情景を写し取り情報を読み取るためのもの。ただそれだけ。そこから何かが発せられることはない。


 男は目を伏せて曲を聴こうとしたが、すぐにやめた。


 自分は、美しい音楽に聞き入っている場合ではない。


 やらねばならないことがある。


 彼から喜怒哀楽は感じられない。怒りや不安の感情を押さえるには、他の感情も全て封印するしかない。ポジティブな感情だけ表出するなんて器用なことは、出来なかった。


 彼からそういったもの引き出すにはきっと、何重もの包装を開け、何層もの箱を開き、厳重な鍵を解錠しなければならないだろう。


 そして冷酷者ルシュレヒタは今日も手を動かす。

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