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10

 流浪を続ける二人は、賑やかな商業都市にいた。


 路上には物売りが隙間なくひしめきあい、屋根代わりに布を張った小さな店たちは、狭い間口に所狭しと商品を並べている。


 香水の入ったガラス製の小瓶。天然石のあしらわれた指輪。複雑な紋様に染められた布。金色輝く大きなイヤリング。


 どれも目にまぶしく、フローリアは、色がうるさい、なんて初めて思った。


 人々が集まるところは仕事も多い。


 しばらくの時をそこで過ごすことにし、また朝から晩まで働いていた。


 ここまで母国から離れると言葉はほとんど分からなかったのだが、話せなくとも意外とどうにかなったし、シュツァーハイトに色々教わったりして少しずつ知識を増やしていった。


 夜も深くなると流石に街中も静かで、フローリアがのんびりと宿に戻ってきた時、まだ彼の姿はなかった。


 ランプに灯りを入れ、二つあるうちの片方のベッドに腰掛けた。


 シュツァーハイトの提案で、最近はちゃんと二つベッドがある部屋を借りている。流石に疲れている時に気を遣いながら寝るのは体に堪えるし、最初より慣れてきたとはいえ、やっぱり男性と一緒のベッドで寝るのは緊張する。


 金がなければそんな贅沢なことは言っていられないが、幸い今は旅にも慣れ、やりくりや仕事を見つけるのも上手になった。多くはないがある程度貯蓄もできるようになった。これくらいは必要経費だと、フローリアも思う。


 飯屋で働いたのでその余りものなどをもらい、自分の分を食べきってしまうと、物の整理などをしながら彼を待った。


 少し遅いな、と思っていると、部屋の扉が開いて彼が戻ってきた。


「お疲れさま。どうかした?」


 彼を見上げると、なんとなくいつもと雰囲気が違って見えた。


 彼は言葉を返すことなく、持っていた最低限の荷をもう一つのベッドに投げると、なぜか彼女の座る隣に腰を下ろした。


 わけも分からず、フローリアは彼の顔を見つめ、きょとんとしている。


 彼の表情はいつもと変わらぬものだったのだけれど、これまでずっと行動を共にしてきたフローリアには、何か少し緊張しているのかな、と感じられた。


 体を彼女の方に向け、シュツァーハイトは口を開く。


「髪を除けて」


 言われるがままに、首筋にかかる髪を片方に寄せる。


 すると彼の手が迫ってきて後ろに回り、鎖骨にヒヤッとした感覚を覚えた。いきなり近づかれて、反射的に顔が赤くなってしまったので、今が昼間でなくて本当に良かったと思う。


 そして彼が身を離してから自分の胸元に視線を落とすと、海を閉じ込めたような色をした、綺麗な石のついたネックレスがかかっていた。


 装飾品なんて、国を脱出した時に金に換えてしまってそれっきり、長いこと一つも持っていなかった。


 もう踊り子をしているわけではないし、着飾る必要もない。それに今は化粧もしていないし、服だって決していいものを着ているわけではない。今の自分は到底着飾るに相応しくないからと、そういうことはずっと諦めてきた。


 指先を綺麗な石に触れさせ、ネックレスに見入ってしまっていると、シュツァーハイトが「よく似合う」と口にした。


「私に、買ってきてくれたの?」


 驚き戸惑いながらも、頬が熱くなる。


 彼はうなずく。


「……どうして?」


 恐る恐る、上目遣いに彼をじっと見上げる。この質問をしてもいいのかな、でも気になるし、と心の中に葛藤があった。


 見つめ返す彼の眼差しが、優しく自分に注がれている。


 胸は苦しいくらいにドキドキしているのに、不思議と嫌じゃなくて。


 心を締め付ける痛みは甘く、心地よく広がる。もっと強くこの痛みを感じたいとさえ思えるくらいに。


 彼は言う。


「どうしてだと思う?」


 けして試すようにではなく。言葉にすることがためらわれるからこそ察してほしい。理由を考えてほしい。そして、受け入れてほしい。


 目元だけが少し微笑むように、切なげに細められている。


 距離が詰まったわけでもないのに、お互いしか見えなくなるような感覚がした。


 フローリアは彼のこの贈り物の意味が分かって、それでも彼を見つめ返す。彼女の瞳の色が切なさを帯びる。




挿絵(By みてみん)




 そして。彼の指先がそっと、優しく彼女の右頬を包む。


 もうずっと昔のことのように思える宮殿での夜。あの威圧的な暗い目で、強引にあごをつかまれた時の指先とは、全然違う。


 嫌だったらこの手を振り払って、と彼の眼差しが語っている。


 でも、振り払ったりなんてするわけがなかった。彼女だって、この彼の手を、ずっと欲しがっていたのだから。


 彼の体重移動で、一人用の古いベッドはギシリと音を立てる。


 所在無げに指先で空を掻いた彼女の左手を、彼の右手が手首ごと包み込む。


 鼓動が走り、吐き出す息が震えそうになるのをこらえた。


 そして二人はどちらからともなく、唇を重ねた。


 最初は許否を問うようにそっと触れ合わせ、それから、互いの唇の柔らかさを確かめ合うように、夢中で。


 母国からどれだけ離れたか分からないこの異国の地で。


 身を削るような放浪生活で、沢山のものを無くしながら。


 それでも今、一つだけ、初めて手にはいったものがある。


 絶対に手放したくはない唯一のもの。


 自分が自分だと分からせてくれるもの。



 あなたが傍にいてくれるのなら、きみをつれてどこへだって行ける。



 夜は更ける。星ははじける。

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