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 次の町に着くまでに、丁度いい位置に宿がなく、久々に何度か野宿をした。


 この辺りは木々は少なかったが、夜になってもあまり冷えないのが幸いだった。


 初めの頃に比べたら、二人とも随分屋外で夜を明かすことに慣れた。


 昔は野宿をするたび、みじめで不安な思いをしていたものだ。今は火を囲んで、腰を落ち着けてから交互に眠るまでに、ぽつぽつと色んな話をするようになった。


「最初は暗号みたいだと思ったんだ。選ばれた人にしか分からない。だから解読するのが楽しい。謎解きのような感覚だった」


 彼が地面に木の枝でガリガリと文字を書きながら話す。それは彼の習得している数多くの言語についての話だった。


「それに、近隣国なら言語は完全に違うってわけじゃない。単語なり文法なりが似通ってるんだ」


 フローリアは、焚き火を挟んで向かい合う彼をじっと見つめて、話を聴いていた。


「多分、大昔はここ一帯に大きな一つの国があったか、もしくは中心になるような高度に発達した国があって、そこの文化が広がって独自に変化したんだろう」


 彼は地面に書いていた、フローリアには分からない国の言葉を足で消すと、枝をぽいと脇に投げた。


「だから、恒久的な国の区分なんてないと、俺は思う。戦争で殺しあう敵国同士も、憎みあう他国民も、元々一緒の国や集団だったかもしれない。もしかしたらこの先、仲の悪い国同士が一つになる可能性だってあるということだ」


 そう喋りきってから、ちらりと、正面に座る彼女に視線をやる。


「……お前、興味のない話だと露骨に相槌が軽くなるな」


「そう?」


 これでも結構聴いてた方なのよ、と苦笑いを交えて言い訳する。


 シュツァーハイトは「別に構わないが」と吐息を漏らすと、視線だけで彼女に話のバトンを渡す。


 フローリアは、何を話そうかな、と少し視線を宙にさまよわせる。


「ええと……私に踊りを教えてくれてた先生が言ってた話なんだけどね」


 彼女は語る。


 彼女の踊りの先生は、かつて町で敵うものはいないと言われた人気の踊り子だったという。かなり昔に引退して、それからは指導する側に回ったそう。


「先生が繰り返し言ってたことなんだけど、『頭で演じようとしてはいけない』んですって。でも、感じるままに動いた方がいい、なんて抽象的で感覚的なものじゃないのよ。そうだとしたら練習の必要自体なくなっちゃうんだから」


 フローリアは練習時代のことを思い出すようにふわっと立ち上がり、あの宮殿での舞台と変わらぬバランス感覚で爪先立ちしてみせる。伸ばされた指先はあの時と同じようにしなやかに動く。


「勿論、頭を使わずひたすら繰り返して覚えるっていうのは、効率も悪いし、楽しくないし、あんまり賢い方法ではないんだけど」


「では、なぜ?」


 彼女を見上げて、シュツァーハイトが相槌を打つ。


 フローリアは真っすぐ前の暗闇を見すえていて、まるで前に客席がうかびあがって見えているかのようだった。


「大舞台で緊張するとどうしても、意識してしっかりやらなきゃ、って思うでしょう? でも、普段練習してる時って、意識しなくても体が勝手に動くのよ」


 そう言ってトンッ、とほとんど音を立てずに地面を蹴り、優雅に跳躍してみせる。


「それは体が覚えてくれてるからなんですって。いつもは体が自然と、無意識のうちにやってることを、慣れてない頭が意識してやろうとすると、失敗しちゃうのよ」


 シュツァーハイトは彼女のゆるやかな腕の動きを目で追う。とろとろと流れる湧き水のようだと思った。


「例えば、呼吸をしようと意識すると途端にうまくできなくなっちゃったり、歩こうって意識しすぎると動きがぎこちなくなっちゃうみたいな。だから、練習するだけしたら、あとはもう体が動くままに任せるのよ。余計なことは考えずに」


 そう舞いながら話しきったフローリアは、話がひと段落するとしなやかに一礼した。


 舞っている時の動きと普段の動きは全然違うんだなと、この近い距離で見てシュツァーハイトは思う。


 そして彼は言った。


「そうか。だからお前は頭を空っぽにするのが得意なんだな」


「どうしてそういう結論になるの」


 フローリアは軽く頬を膨らますと、彼の隣に回って、背中を小さな拳で叩いた。


 核心をつくような話題や、暗くなるような昔の話は避けた。気まずさを呼ぶし、無意味に辛くなるだけだ。


 ここしばらくで、彼女は結構笑うようになった。明るくなったと、シュツァーハイトは思う。彼女が元気になるのなら、この他愛もない会話を繰り返すのも悪くない。




挿絵(By みてみん)




 自分の背を打った彼女がそのまま隣から動かなかったので、その夜は並んで焚き火を眺めた。


 ちょっとした気分の差か、戻るのが面倒だったのか、別に何も考えてはいないのか。


 その日は真横から彼女の声が聞こえてきて、なんだか不思議な感覚がした。でも、ちらと横を向いたとき彼女の姿がすぐ近くにあるのも、悪くはないと思った。


 だからなんとなく、次に野宿した時も、彼は彼女の隣に座った。






 そのうち、深い話題に触れることもあった。


 ある小さな町の宿で、眠りにつこうと灯りを消した。部屋が一瞬で暗闇に落ち、それから外の夜空の明かりが注ぎ込んで、室内が淡い銀色に浮かび上がる。


 その間を二人は無言ですごし、フローリアの体が意識を手放そうとした時。


 何の前触れもなく、ぽつりと彼は言った。


「今まで俺は、必死に生きている人たちを、どれだけ踏みつけてきたんだろう」


 フローリアは薄闇の中でそっとまぶたを開けた。


 一つしかない狭いベッドの上で、彼の方に背を向けて動かない。フローリアは彼の声だけを聴いていた。もしかしたら彼は、自分に向けて言っているのではないのかもしれない。彼自身に向けて話しているのかもしれない。そう思って、黙っていた。


「……誰のことも押しやらずに生きてきた人などいないと思うし、他にもっと他人を踏みつけている人もいるかもしれない。でも、それを引き合いに出すのは違うと思う」


 室内には、彼の搾り出されるような吐露の言葉だけが、男の低い声だけが響いていて、不思議な感じだった。目を閉じると、どこが上でどこか下か分からなくなるような。


「それでも、俺も、必死に生きてきた一人なんだ……」


 フローリアは慰めの言葉をかけなかった。彼に否定も肯定もしなかった。


 でも、心の中では、彼がそのことを深く考え、気にしているのならば、きっと大丈夫と思っていた。口にはしなかったけれど。


 シュツァーハイトは暗闇の中で、彼女の気配を探った。


 自分の声に動かない彼女は、もしかしたらもう眠ってしまっているのかもしれない。


 隣に眠る彼女は今、自分のことをどう思っているんだろう。罪を重ねてきた自分を、人々の生活や人生を蹂躙してきた自分を、許してくれているのだろうか。


 こんな風に考えていること自体、調子がよすぎるのかもしれない。


 それでも、彼女に否定されることを、拒絶されることを考えると、胸が締め付けられるかのように辛く、何より恐ろしかった。

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