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 次の町までは距離があった。


 宿などはないし、あったとしてもなけなしの金は底を尽きかけている。二人は何度か、火を焚いて野宿をした。


 彼の薬代やら、自分の食事代やら。なるべく金をかけないようにと思っても、どうしても削れないところはある。


 前の町で譲り受けたタオルケットがあったので、それを敷いたりかけたりして横になった。


 眠るのは交互にしなければならない。二人で寝入ってしまえば人の迫る気配に気づけない。夜盗に襲われてしまうかもしれないし、大して持てるものもないが盗みを働かれるかもしれない。


 大怪我を負っている彼はすぐには動けないし、抵抗もできない。だから不穏な気配を少しでも感じたら、夜中であろうと何度も場所を移動した。


 フローリアもひどく疲れていたが、彼の体のことを考えると、番を代わってもらうために彼を起こすのはためらわれた。でも、自分だって休まなければ身が持たない。自分まで倒れてしまったら、もうどこにも逃げられなくなる。


 別に、彼と「一緒に逃げよう」とか約束したわけではないし、彼に「連れていってくれ」と頼まれたわけでもない。


 満足に動けない彼の面倒をみるのは、大変だし金もかかる。


 彼を連れる義務などない。自分が逃げそびれてしまうかもしれないし、金も尽きるかもしれない。二人で駄目になるくらいなら、彼を置いていくという選択だって、現実的な判断の一つだ。


 でも、そもそも彼は、自分を地下牢から助けたせいでこんな目に遭ったのだ。


 具合が悪くてそれどころじゃないだけなのかもしれないけれど、そのことを彼に責められたことは一度もない。


 せめて、彼の怪我が治るまでは一緒にいよう。こんなことが代償になるのかは分からないが、せめてものお詫びとして。


 それに、この状態で彼を見捨てていけるほど、人でなしではない。


 助けられる手段がないのと、助けられる手があって差し伸べないのとは全然違う。


 彼の体がまともに動くようになったら。


 そのあとは、どうしようか。


 明日すらどうなるか分からないというのに、その先のことなど到底考えられなかった。


 野外で過ごす長い夜をいつも、フローリアは火を見つめながら、ぼうっとしていた。考えてもどうしようもないことばかりで不安になる。それなのに考えてしまうから、考えないように努力した。傍らの彼は死んだように眠っている。


 どれだけ辛くても、不安でも、諦めるという選択肢は選べない。この道をリタイヤする権利すら、自分にはない。






 ようやく次の町にたどり着き、フローリアはそこで一日働いて、宿に泊まる金を作った。


 それなりに活気ある町だったので、流れ者でもその日限りの仕事をちょこちょこ見つけられた。彼女の話す言葉はこの国では片言だったし、文字はほとんど読めなかったけれど、持ち前の愛想と適応力、訓練された人当たりのよさで、なんとか働くことができた。


 何がどこで役に立つかなんて分からないな、と彼女は思った。


 そして例のごとく宿では一人分の部屋を取り、あとからこっそり彼を中に入れた。


 昼間は仕事を見つけて働きに出ていたので、夜にはへとへとになっていた。肉体的な疲労は勿論だが、異国の地の慣れない環境や耳慣れない言葉も、彼女を精神的に疲弊させていた。


 彼女がここまで走り通しで、それでも体調を崩さずにいられたのは、ギリギリまで張りつめられた緊張感とプレッシャーゆえだろう。


 そんな彼女の様子を察してか、幾分か体調がましになってきたシュツァーハイトは、一つしかないベッドだが、狭いけれど隣に寝たらいいと提案した。


 彼はほとんど寝たきりだったのでどいてやることは出来なかったが、疲れきった彼女が毎晩固い床で寝息を立てているのは、いくらなんでも忍びなかった。


 男の人と一緒のベッドで寝るなんて、という気持ちなんかよりも、圧倒的な疲労感の方が勝っていた。彼女は遠慮がちに、落ちそうなくらいベッドの端で横になると、彼に背を向け、身を小さくして丸まり、すぐに眠りに落ちた。


 彼女とベッドを共有するようになってから、シュツァーハイトは夜中に何度か目が覚めることがあった。


 彼は体が大きい方だし、一人用のベッドに大人二人で寝るため、やはり狭い。たまに自由が利く方の片足をベッドの端から落としてやったりしていた。


 しばらく経ったある日の真夜中。時間も分からない夜の闇の中で、シュツァーハイトは久しぶりに自力で体を起こした。




挿絵(By みてみん)





 ガラスのない窓から差し込む淡い月光が室内を照らしていて、彼は初めて、自分はこういう部屋にいたのかと知った。眠っているか天井を見ているかだったので、ここがどんな所で、どういう土地なのかもほとんど分からなかった。


 国を出てから今までのこのしばらくの期間のことを、彼はほとんど覚えていなかった。


 ひたすら熱と痛みに苦しみ、先の見えない暗闇の中で、癒されない渇きにうめいていたように思う。


 彼は自分の左腕に確かめるように触れ、様子を見ながら少し動かしてみたりした。どうやら変な折れ方はしていないようだ。痛みはするが熱は取れたし、もしかしたらヒビが入っているだけかもしれない。


 また、後頭部を強打された傷口は、幸い膿むことなく、今はかさぶたになっているようだ。初めは疼痛がひどく何も考えられぬほどだったが、随分よくなってきている。


 全身の打撲や、服の下にまで及ぶ皮膚表面の怪我は、動かすとかなり痛みはするものの、しばらく耐えれば治ってくれそうな様子だ。


 ボロボロの体を酷使したことによる発熱も、大分ましになったと思う。


 ベッド脇のサイドテーブルに水が入ったコップがあったので、久々に自分一人で水を飲んでみた。物をつかむ力が低下している自覚があったので、ゆっくり行動するように心がけた。だが、水を口にした時、角度と勢いに対応できず、一度ごふっとむせた。


 コップを戻してから、口周りを手の甲で拭う。


 サイドテーブルの奥にある、解熱剤の袋が目に入った。


 あれの値段がいくらするのか、シュツァーハイトには大体分かる。そしてそんな物を買えるほどの金を、あの状態で国を出た彼女が持っているはずがないことも分かっている。


 それから、彼女の持ち物や装飾品が次第に減っているのも、ぼんやりとした意識の中ながらなんとなく気がついていた。


 こいつはどうして俺を捨てていかないんだろうか。


 彼女は自分を助けて、組織を裏切り、国から追われることになった。


 もしあのまま組織にいれば、功労者として新しい政府の人間になれたかもしれないのに。


 隣に眠る彼女をちらりと見つめた。規則正しい寝息に、肩が小さく上下している。背中を向けられているので顔は見えない。シーツの上に長い髪をたゆたわす彼女はぐっすり眠っていて、日々の疲労と、毎晩橋の下で眠っていたという幼少期の過酷な生活を物語っていた。


 牢を逃げ出した直後の草原で、彼女は「あなたを見捨ててのうのうと生きていられるか自問したら、無理だった」と言っていた。


 でもそれは、牢を抜け出すまでの話だと思っていた。


 もし逆の立場だったら、自分は彼女を置いていったかもしれない。いや、置いていったと思う。


 自分がこんな体になったのは、完全なる自業自得。今まで自分がしてきたことの報い。これまでの行為への罰を受けてこうなったのだ。


 勝手にこんな重傷を負ったやつに構っていたら、自分が追っ手につかまってしまうかもしれないのに、わざわざ面倒を見るなんて。


 シュツァーハイトには、彼女の考えていることが分からなかった。


 なぜだろう。もしや、彼女は自分に復讐をしようとして機会をうかがってでもいるのだろうか。


 そんなことを考えてから、そんなわけはないな、と思った。そんなことのために今、こんなに苦労するくらいなら、普通は見捨てる道を選ぶだろう。ややこしい復讐など画策せずとも、捨て置けばきっとそのままのたれ死ぬ。


 それにいくら彼女が元スパイとはいえ、これまでのことを見ていると、自分相手にそんな器用なことができるとは思えなかった。


 彼女の考えていることは分からないが、自分にとってこの状況は好都合であることに変わりはない。彼女が自分の傍にいるうちに、早いところ体を治し、一人で活動できるようにしなければ。


 彼は自分の掌を見つめ、握ってみた。力はあまり入らないが、きちんと動く。


 顔を上げると、月の光が染み込んだ部屋は青く光っている。


 フクロウの鳴く声がする。


 カーテンもガラスもない窓。硬くて小さいベッド。しみとひびの多い、薄い壁。黒い変色だらけの木の板が張られた床。細かく傷が入っている角の丸いテーブルと、脚の長さが違うがたつきそうな椅子。部屋に充満する、かびたようなほこりの匂い。


 シュツァーハイトは、現実逃避をしたいわけではないけれど、自分が今一体どこにいるのか、分からなくなった。

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