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 人気のない宮殿の離れの地下にある、暗く湿った地下牢。石の素材がむき出しの壁に、鉄格子がはめられている。


 見張りの人間はとっくに逃げ出している。


 階段を駆け下ったシュツァーハイトは、隠し棚から鍵を探し出すと、声を張り上げた。


「フローリア! どこにいる!」


 牢はそう数があるわけではない。それでも一列ずつ探していくのは時間がかかりすぎたし、陽の差さぬこの暗い場所で目視のみで探すのは効率が悪すぎた。


 返事はない。


 その代わり、カン、カン、と何かがぶつけられる規則的な金属音が聞こえてきた。


 音を頼りに、火をつけた燭台を手に、牢の端の列の奥まで足を進める。するとそこには、鉄格子をつかんで寄りかかるようにして、なんとか身を起こしているフローリアの姿があった。


 手にした錆びた水差しを鉄格子にぶつけ、なんとか彼の声に応えるよう音を出していたようだ。


 彼を見上げた彼女の表情は弱々しく、満足な飲み食いが出来ず体が衰弱しているのが分かった。彼女の白い肌に残る痛々しいアザで、彼女が悲鳴を上げすぎて声が枯れ、もう大きな声が出せなかったのだと理解した。


 シュツァーハイトはすぐに牢を開けると、彼女へのいたわりの言葉を一つもかけぬままに、「早く出ろ」と急かす。


 フローリアは壁をつたい、ふらつく足でなんとか立ち上がると、何度か辛そうに咳払いをしたあと、かすれた声で彼に尋ねる。


「外が騒がしいわ……。一体、何があったの?」


 彼がモノクルもつけず、いつもと違う髪形と、シンプルな服装をしているのも不思議で、彼女は不安そうな目でそう訊いた。


 彼は足を止め、振り返る。


 口ぶりからして、彼女は襲撃が行われることを組織から知らされていなかったのだろう。それは彼女が捕まってしまったからなのか。それとも元々知らせるつもりはなく、ギリギリまで王宮の情報を探らせる駒として襲撃の情報は伝えられず、彼女は組織から切り捨てられてしまったからなのか。シュツァーハイトには判断がつかなかった。


「……民衆たちの暴動が起きて、王宮が襲撃されている。宮殿に入り込まれるのも時間の問題だ」


 シュツァーハイトの説明に、フローリアの口から「嘘……」と頼りなく言葉がこぼれる。


「……やはり、知らされてなかったのか」


「ええ……」


 目を見開いた彼女は、かすれた声を絞り出した。


 ともすればこのままふらりと倒れてしまいそうだったので、彼は柄にもなく、説得力を持たないセリフを口にした。


「もしかしたら……クルデリヒや組織の連中にとっても予定外の決行だったのかもしれないな。人々の勢いが手に負えなかったとか」


 彼が本当にそんなことを思っているわけない、と分かっていたけれど、フローリアは浅くうなずいた。




挿絵(By みてみん)




 シュツァーハイトの先導で、二人は宮殿を走る。


 雲ひとつない空に昇り出した朝日は、革命を後押しするかのように輝き、宮殿を照らす。二人以外の気配がない廊下に、まぶしい日差しが注ぎ込む。


 ワアワアと、人々の言葉にならない獣のような大声が、外からこだましている。


 フローリアには気力も体力もほとんど残されていなかったが、この状況では自分の体に極限まで鞭を打つしかない。まずは一刻も早く王宮を抜け出さなければ。


 それと、フローリアにはどうしても気になっている事があった。上がった息で、枯れた声で、それでも彼に、走りながらこう尋ねる。


「ねえ、どうして私を助けにきてくれたの?」


 あの時から二人は他人になって、スパイとしてつかまったとしてもそれはもう仕方のないことだと、お互い淡白にとらえていたはずなのに。他人なんだから、それはもう見捨てるという行為にさえ数えられないはずなのに。


 彼は返事をすることも、振り向くこともなかった。


 答える気がないのなら、しつこく訊いても仕方ない。フローリアは、今の彼が考えていることが全く分からなかった。


 そして思考は中断させられる。


 目の前に現れた、殺気だった人々。興奮して目を血走らせ、これまでの不満とこの非日常、血と火薬の匂いに理性が飛びかけていた。


 ついに城門が破壊され、人々が王宮内になだれ込んできたのだ。


 殺される。


 二人は同時にそう思った。


 動かねばと思うのに、足はすくんで、息すら上手にできなくなる。


 体が先に動いたのは、シュツァーハイトの方だった。


「近づいたらこの女を殺す」


 背後からフローリアの細い腕をひねり上げ、片腕で彼女の首を拘束する。


 フローリアはとっさに「カッ……」と声を上げてしまったが、彼が自分を本気で押さえつけているわけでないことはすぐに分かった。首元を絞めつけてみせる腕には、ほとんど力が入っていない。


「市民の間で評判の踊り子と言うから宮殿にとらえてみたが、つまらん女だった。だが、俺の盾くらいにはなるだろう」


 シュツァーハイトの言葉に、民衆の敵意が彼一人に集中する。


 フローリアは理解した。彼は自分を人質に見立て、ここを逃げ去るつもりなのだと。このセリフを聞けば、貴族のために王宮に出入りしていた踊り子とはいえ、一応は民衆側の人間、と見てもらえるだろう。


 だが。


 その目論みは、彼の背後から忍び寄った別の人々によって、あえなく潰えることとなった。


 フローリアの体に、背後からダン!と、痺れるような強い衝撃が伝わったかと思うと、力をなくしたシュツァーハイトの体が、自分に寄りかかるように後ろから重く覆いかぶさってきた。


 首をひねって視界の端にとらえた彼の横顔に、額から赤い汁が伝いだす。


 息を飲み、とっさに声が出せなかった。この両目にとらえるものが、現実のものであるとは思えない。


 彼女があげた悲鳴は、周囲の人々の爆発するような雄叫びによって、完全にかき消された。


 人々は脱力したシュツァーハイトの体をフローリアから引き剥がすと、彼女を強引に脇に追いやり、有り余る憎しみと怒りをもって、彼に暴力を浴びせた。


 フローリアが痛んだ喉から搾り出す声も、今は誰にも届かない。


「みんなやめて! 違うのよ、彼を放して!」


 自分一人の力では、どうにもならない。自分の弱い声と細い腕じゃ、どうにもできない。


 それでも、彼女は悲鳴混じりに叫んでいた。


「シュツァーハイト!!」


 彼は意識を失う寸前に、自分の名前が呼ばれたのを聞いた。冷酷者ルシュレヒタじゃない、本当の名前。


 仰向けに倒れる体、暗くなる視界。


 ああ、この宮殿はこんな天井をしていたのか、と初めて知った。

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