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月下に花が咲いた。
舞台に見入る多くの者たちは、そう思って息を飲んだ。
廊下を足早に進むある男も、賑やかなはずのホールが水を打ったように静まり返っていることに気づき、いつもは見向きもせず通り過ぎる場所で足を止めた。
人々が視線を注ぐ先。意匠に曲線が多く用いられた装飾の舞台。
数名ぽっちの楽団を隅に置き、一人の女が真ん中に立っていた。
爪先立ちでピンと伸びた背筋に、天と正面に向かってのばされた腕。彼女はまるでロウ人形であるかのように、指先までピタリと動きを止めている。
こんなに注視されているのだから何者かと思ったら、ただの踊り子か。
忙しい男は、足を止めさせられたことをいらだちつつ思う。
宮殿で暮らす貴族たちに演技を見せに来た芸者。目元をベールのような布で覆っていて顔はよく見えないが、さほど身分の高い女ではあるまい。
有力貴族に気に入られたのか、あるいは体でも使ったのか。音に合わせてフラフラと動いているだけで金になるというのだから、気楽なものだ。
男は侮蔑するようにそう心の中で皮肉ったが、音楽が始まり動き出した彼女を見て、その考えが間違いであることがすぐに分かった。
男は、子供の頃に泉で見た、水辺で遊ぶ美しい小鳥を思い出した。
いつもは大酒を食らってばかりのあのデブの貴族たちも、今ばかりは、初めてオートマタ(からくり人形)を見る子供のように、半口を開けて彼女の舞いに見入っている。
舞台を広く動き回るも音はせず、まるで踏まれる床のことを気遣っているようにさえ見えた。
しなやかなその体の動きは身軽な子猫のよう。軽やかに跳ねる姿は、重力から解き放たれたかのようだった。
彼女が優雅に腕を払う。少し遅れて、薄手の衣装の腕飾りが、風を受けてふわりとついてくる。
すらりと伸びた四肢を透ける布が覆っていて、筋肉の動きが読めない。だから彼女が次にどんな動きを披露するのか予想がつかず、期待感が増した。
彼女の舞台に見入ってしまっていたということに男が気がついたのは、しばらく経ってからだった。
彼女が優雅に一礼し、夢から覚めたような顔をした観衆たちが思い出したかのように拍手をしはじめ、その音で我に返った。
表情らしい表情も浮かべぬまま、何を考えているか分からない冷たい目をした男は、そのまま無言でその場を去った。
宵闇を華やかなオレンジが照らす夜。天井をガラスに切り抜かれたホールの空からは、月や星さえもが、彼女の舞台を見に来ていた。
顔を覆うベールの下からわずかに覗く、彼女の薔薇色の唇は、三日月型に妖艶に曲げられていた。