世界
まだ神殿でうだうだと……。そして説明回。
この世界には『虚無』と呼ばれる生物が息づいていた。それがいつからいるのか、どこから来たのかは誰にも分からない。古い文献を覗き込めば一千年以上前から存在していることが記されている。そんな『虚無』であったがその存在はこの世界にとって異質としか言いようの無いものだった。
虚無自体は形を持たないのだ。まるで病の様に人や生物に乗り移り異形に変える。意志や思考。倫理などはそこには無く、気の向くまま彼らは求める。糧を。人の血肉を。飽きることなく貪っていく。
――人も黙って見ていたわけでもないが『虚無』は特殊な力を持つ――俗に言われる神が与えし力――者しか倒すことができなかったため過去から現在に至るまで劣勢が続き、数々の国が消滅していった。
現在力を持って残るのは『プリンティシア』と『エラスト』と言う二つの大国。どちらも力を保有する『勇者』と言われる存在を中心とした軍を持つ国である。人類の剣と盾。そう言われている二国であった。
「で、ここがプリンシティア。神殿の町カザルドってわけ」
神殿の広い庭。いろいろな花が咲き誇りさわやかな風が流れている中、雪は少女の声を聞き流していた。手には木で作られた練習用の剣。それをダラダラとしたモーションで振っていた。尤もやる気がないので振ると言うよりは微かにうごかしている。そう言った方が正しいだろう。
ともかく何故こんな事をしているのかと問われれば好きでこんな事をしている訳ではない。朝晩この素振りをしなければ追い出す。そう言われた為だった。
「ちょっと、きちんとしなさいよ。強くなれないわよ?」
ルナが不服そうに持っていた錫杖の先で脇腹をつつけば、ゾワリとした感覚が這い上がって来る。思わずバランスを崩して尻もちをつく雪は不満そうにして少女を見上げた。目が合って反らすのは何時もの事。こないだまで混乱して目を合わせることが出来たのだが、落ち着くとそれだけで緊張してしまう。
それはルナが好きとか甘ったるい理由でも何でもなく、ただ単なる人が苦手なだけだった。
昔からの癖でもあるが。
「……なりたくないんだけど」
(というか――帰りてぇ)
ため息一つ、剣をつえ代わりに立ち上がる。
ここに来て一週間。さまざまな事をルナから――あるいはルナを通して聞いたが、戻る方法は得られなかった。なだめすかして書物にも目を通してもらったが、手掛かりなど無論なかった。『地球』の文字も聞けやしない。司祭曰く王都に行けばあるいは――と言葉を濁していたが本当にあるのだろうか。
しかしながら賭けるしかない。いつかは王都を目指して。考えながら言葉の習得と文字を仕事――雑用だが――の合間に覚えている毎日だった。
「何言ってるのよ。世界を変えるんでしょ?」
馬鹿にしてるだろう笑みを浮かべるルナ。それには同感だが、馬鹿にされる覚えはなくて雪はむっとした表情を浮かべて見せる。
「しるかよ」
「ともかく。力つけないと出してもらえないわよ。この神殿から」
『こう言うふうにね』とルナは軽く付け加えると、何かを掴むようにして宙を撫でた。滑らかに動く指。弧を描く軌跡。握りしめたルナの拳は雪の前に付き出される。
ニコリ。どこか自信ありげなルナの視線。思わず息を飲みこんで見れば彼女はゆっくりと手を開いて見せ、雪は思わず目を見開いていた。
そんな普段見せることの無い表情に驚いたのはルナだったがそれに気づくはずも無い。
「――蛍?」
食い入るように瞬き一つしないまま雪はぼんやりと呟いていた。
掌で綿帽子の様に浮遊しているのは小さな白い光。空には太陽が浮かんでいる為、明るくて視難いが、それは確かにそこにある。ただ、虫のようなものはどこにもなく薄い光は微かに透き通って向こう側が見えた。そう。懐中電灯の明かりを凝縮したようだ。
見たことも無い現象。何か仕掛けがあるのかと辺りを見回してみるが何も分からなかった。
「光の屈折――? 集約するには……」
さまざまな情報が頭を駆け巡り想定をいろいろ思い描いてみる。その為かいつもより顔は険しく――いや、心なしか凛々しく見える気がする。
ただ、目の前に居る少女はそんな事微塵も思っていないようで、痛い物を見るかのように半眼であった。
いい加減にしろ。そう言わんばかりに、バンッと潰すようにして光を消してしまう。
「何言ってるのか分かんないけど、これが魔術よ?」
「却下」
耳半分で聞いていたが、そう言えばそんな事を聞いた気もすると雪は思い出していた。確か、この世界の『神が与えし力』の一つ。魔術――何も無いところから炎や水。光などを召喚して攻撃する。そんな不思議な力なのだと。
けれどそんな事できるわけないと雪は頭から否定していた。何か仕掛けがあるはずだ――と。そう言う意味でかなり頭でっかちなのかも知れない。
「何を持って却下なのか知らないけど…なんかムカツク。大抵の一般人なら驚くのに――あ。司祭様」
本殿から歩いてきたのはラミアン司祭。儀式の途中だったのかいつもより裾が長い服を纏っている。それにも気づくことはなく考え続ける雪にルナは苛々としたらしい。再び錫杖の先で脇腹を突くと雪は小さな悲鳴を上げて仰け反った。
「あ。司祭?」
「ヒサシブリ」
にこり、朝に似合うさわやかに微笑む司祭。朝から――いや、昼間にも司祭に会う事は滅多に無かった。のんびりしている様に見えて司祭と言う仕事は忙しいらしい。最近は雪と少し夜に会うだけだ。
雪は片言で『コンニチワ』と返すと『はい、コンニチワ』と先生のように帰って来る。ルナは不思議そうに司祭を見つめると口を開いた。
「どしたの? こんな時間に。儀式の途中だったんでしょ? その格好?」
「lpibbp……ガ……中クル……ubyup;レイチェル……」
断片が聞き取れるようになったのは大きな進歩だ。しかし内容は分からない。雪は助けを求めるようにしてルナのどこか不満そうな横顔を見つめた。
「――私達神託の巫女は毎日『お伺い』を立てるんだけど、レイチェル――私の同期――が神託を聞いて、今すぐイヨユキを連れて来いと言っていたって。また、ろくでもない神託なんだろうけどさ」
ろくでもない。その言葉を聞いて軽く司祭は苦笑を浮かべて見せた。見ている限りルナは巫女でありながらそこまで『神』に盲目で無いようだった。漠然と信じているが、絶対的な信頼を寄せている訳ではない。
歩いている他の巫女とは違う事に最近気づいた。異質と言えば異質。それはどこか司祭にも当てはまる。
ルナは大きくため息一つ。ジト目で司祭を見つめた。未だ困ったように笑う司祭はポリポリと頬を指で掻いている。
「にしても、わざわざ司祭様が――相変わらず顎で使われてるんですねぇ。……情けないです。一応ここの責任者でしょうが」
その責任者に対して説教を言うルナはどうなんだ――と言いたくなる光景だったが彼女はおそらく気付いていないだろう。
踵を返すルナを他人事のように見送っていた雪だったが『何故そこで突っ立っているの?』と言う刺すような視線を感じ、彼女の後に慌てて付いていった。
面倒は避けたい。そう願うがそうもならないことに全身で嫌な予感を感じながら。