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読書家とヤンキー

廻らない季節

作者: 風那來未

 17回目の夏が来た。



 今年の夏は記録的な猛暑だった。

 本来なら、家でのんびり扇風機でもつけて家族と変わりない夏を過ごすはずだった。しかし、この記録的猛暑に父親はしびれを切らし、避暑地へと家族を引っ張り出したのだった。


 山々に囲まれた、自然溢れるこの土地は家と違って開放感と涼感がいっぱいだった。さすが避暑地なだけはある。初めての避暑地だが、俺はすっかり気に入った。


 父さんも母さんも弟も同じように感じたらしく、ひと夏の間借りたコテージに荷物を置くと外へ出て新鮮な空気を胸一杯に吸い込んでいた。


 借りたコテージは2階建てで、トイレ、風呂も完備されている。お風呂は少し歩けば露天風呂も楽しめるような所になっていて飽きなそうだ。他にもコテージはいくつかあるのだが、間隔は十分に開いているので他の宿泊客を気にしないですむ。


 俺は2階の部屋を使うことになった。弟はその隣の部屋である。また、階段を挟んで向かい側は両親の部屋となった。


 窓からは優しい木漏れ日が差し込んでいた。風が吹くたびに木の葉の陰が揺れる。ベッドに腰を下ろし、ざっと部屋を眺める。



 うん。なんだか、良い夏になりそうな気がする。



 その日は荷物を片付けたり、周辺のことを知ったりで1日が終わってしまった。

 母さんと食事の準備をしている時、明日は自由にしていいと聞いた。夏休みのほとんどをここで過ごすのだから、どこか行こうという事もあるらしいが、とりあえず明日はフリーにするようだ。


 明日はここら辺をぐるっと歩いてみようかな。


 食事もお風呂も満足だった。山の中だったが案外不便はないようだ。

 ベッドに横になって天窓がついていることに気がついた。星がきれいで、都会じゃこんなのは見ることはできないなと考えている内に、夜は深くなっていった。



 天窓から注がれた光がまぶしくて目を覚ました。なかなかすがすがしい朝である。準備をさっと終えて、朝食を食べてすぐに俺はコテージからでた。


 少し歩いて周りを見渡す。分岐点で少しとまどう。森の方へ行くか、それとも開けている方に行くか。


 悩んだあげく、森の方を選択した。やはり、自然豊かなところに来ているのだから自然を味わった方がいいと考えたのだ。暗くなる前に帰ってくれば、森でも大丈夫だろうし、道もある。


 俺は好奇心と期待を胸にずんずんと進んで行った。



 木々が俺の行く手を阻んだり、俺を引き留めたりしてくる。それでも、楽しかった。見たことのない植物、鳥たちのさえずり、どれも俺には新鮮だった。


 と、急に開けた土地に出た。だいぶ上の方まで来たようだった。なぜなら、森を見下ろすことができたからだ。


 崖から落ちないように縁に近づいていく。ひゅうっと風が吹き、俺の髪の毛を揺らした。その風の香りが心地よかった。


 耳を澄ませば、水の音が聞こえた。振りかえってみると、俺が出てきた道の近くに小さな泉があり、ちょろちょろと水が沸き出ている。


 試しに、手を泉に入れてみるとひんやりとして気持ちがいい。


「ふー、いいところだなぁ。」


 一息ついて、またあたりを見回した。開けている範囲はだいたい畳8枚分くらいだろうか。そんなに広くはないが、寝転がるには十分なスペースだ。


 木陰にはさり気なく3人掛けくらいのベンチがあった。木で作られており、手作り感溢れていた。少し微笑ましくなってそのベンチに落ち着いた。


 特に、学校に疲れているわけではないが、毎日変わり映えのない生活を送っていたらこうしたいつもと違う事にすごく感動する。


「……あっ。」


 ベンチでだらしなく四肢を放り出していた時に背後から声が聞こえた。気になって振り返ってみると、白のワンピースを着て、つばの大きな帽子を被った少女が俺と同じ道をたどってきたのか、そこに立っていた。


「……あー、こんにちは?」

 一瞬見とれてしまったこともあったが、とりあえず初対面なのでとまどって、ぱっとしない言葉しか言えなかった。


 少女は俺と同い年くらいだった。膝くらいの丈のワンピースと白という色が上品さを漂わせている。イレギュラーな存在に少し驚いているようだった。


「……えーと、こんにちは。」

 彼女もありきたりな返事で返してくれたが、それからの言葉が続かなかった。蝉の声がただ聞こえているだけの状況だ。


 どうしたものかと、彼女を遠慮がちに伺う。彼女の手にはスケッチブックが握られていた。スケッチブックということは、この景色を描きに来たのだろう。


 ならば、俺はお邪魔な存在かもしれない。


「すいません、俺は行きますから。」

 そう言ってこの場を離れようとした。彼女には四肢を投げ出しただらしない格好も見られていることだし、全く知らない人と一緒にいられるほど俺の精神は鋼鉄でもない。


「あのっ、いえ!大丈夫です。」

「でも、それ。」


 俺が彼女の持っていたスケッチブックを指さすと、緊張していた顔が少し柔らかくなった。そして、微笑んだ。


「私、人に見られて描くのは嫌いじゃないです。」

「そういうものですか……?」

「はい、そういうものです。」


 彼女がそう言うので、遠慮無くベンチに再び腰を下ろした。


「それに、この場所を素敵だと思ってくださる人がいて嬉しいんです。」

 彼女はまた優しく微笑んだ。


 見た目からして、少しおどおどとしたおとなしめの子だと思ったが、以外と人見知りはしないタイプのようだ。それに、笑顔が素直にかわいいと思った。


 彼女はベンチの端っこにちょこんと座って、スケッチするためにいろいろと道具を準備し始めた。スケッチブックしか見えなかったが、他にもいろいろ持ってきているみたいだった。


 俺はまわりにこんな風に絵を描く人がいないので、彼女が準備しているものが珍しかった。


「あの、あなたはここの人なんですか?」

 ベンチの端と端に座ってはいるものの、それなりに距離が近いので、することがある彼女と違って俺は気まずかった。


「はい、ここに住んでいますよ。あなたは違うんですか?」

「ええ、俺は暑さから逃れるために来たんです。」

「そういう方多いですからね。」


 俺の質問に答えながらも作業する手は止めなかった。それでも、器用に俺の話を聞いてくれているので悪い気はしなかった。


 彼女はここがお気に入りのスポットで、よくスケッチしに来ているらしく、夏休みはほぼ毎日通っているみたいだった。


 別に美術関係の何かをしているわけではなく、自分の趣味でスケッチしているらしく、人物よりも風景画の方が得意だと言っていた。


 家からここまでは徒歩で20分ほどらしい。毎日いい運動になっていると笑いながら話してくれた。


 しかし、彼女の作業の手は急に止まった。

 画材を何か忘れてきてしまったのだろうかと、首をかしげたがそういうことではなかった。


「あ、あの……お名前をお聞きしてもいいですか?」

 俯きながら遠慮がちにこう聞いて来たのだった。その彼女の姿がおもしろいなと思ってしまった。変なところで遠慮するなんて。


朝村(あさむら)双葉(ふたば)。17歳。」

「朝村くんね。朝村双葉くん。……うん、覚えた。」


 一応年齢も言っておいた。今まで年上か年下か分からないためお互い敬語を使っていたし、年を教えた方が何かと楽だと思った。案の定彼女の口調は多少フラットになった。つまり、同い年か年上か。


「ええと、私は鈴鹿(すずか)季咲(きさき)。17歳。」




「よろしく、鈴鹿さん。」




 それから俺は何もない日は『あの場所』へと足を運んだ。

 見ず知らずの他人とこんなに仲良くなるなんて思わなかった。これは鋼鉄の精神への第一歩かもしれない。


 彼女と話をするのが楽しいこともあるし、彼女の描いた絵を見るのも楽しかった。絵なんて図工や美術の時間にするくらいで、趣味でなんてやってみようとも思ったことがなかった。


 そんなかんじだったが、彼女の影響で俺も最近はスケッチをしている。もっぱら鉛筆でしか描いていないが、彼女からはなかなか評価がいい。


「朝村くんはセンスがいいのかもしれないよ?」

「そうか?」


 自分の絵は自分ではそううまくないと思う。まあ、隣の方の絵の方がすごいからかもしれないが……。

 彼女の絵はとにかく、彼女らしい絵だと思った。


 その絵は彼女の優しい感じがそのまま出ている。

 水彩画であるから線が柔らかいのもあるが、きっと彼女が描いているからだろう。


「朝村くんの絵、私は好きだな。」


 別に、俺の絵が好きであって、俺自身に言った言葉ではないと分かっているけれど、それでも、どうしようもなく動機が止められなかった。


「俺も鈴鹿さんの絵、好きだよ。」

「……あ、の、どんなところが?」


 面食らった顔をしたまま、彼女は口だけを動かして聞いた。そんなにあわてるようなことはないだろうに。


「なんていうのかな、こんな俺が言うのもアレなんだけど。鈴鹿さんの絵は優しいし、見ていて安心するんだ。そこかな?」

 小さくありがとうと言って、彼女はまた絵を描き始めてしまった。


「ああっ!そうだ、朝村くんは知ってる?ここの土地に伝わる伝説。」

 また描き始めたかと思えば急に声を出したからビックリしたが、伝説という言葉に興味を持った。


「いや、知らないよ。詳しく聞きたい。」

 俺が興味を示したことを感じ取って、彼女は自慢げに話し出した。


         :

 昔、この土地は荒れて、やせ細って、作物も何も育たないひどい土地だったの。そこに暮らしている人々もいたのだけれども、もう、故郷を捨てるほか生きていくことはできなかった。


 それでも、1人の青年はあきらめなかった。この土地に緑を復活させようとしていたの。その青年に目をつけたのが、この地の土地神様だったの。


 土地神様は青年に教えたの、「私は願いを1つ、叶えることができる。」と。青年はそれを聞くなり、この地に素晴らしい緑と豊かな水を与えてくれと願った。


 土地神様は青年の願いの通りにこの地を素晴らしい地に変えてくださった。しかし、そんな都合のいいこと、何の代償なしに叶うわけなかったの。


 土地神様は代償に青年の恋人の命を奪っていった。青年ではなく、恋人から命を奪ったのは土地神様の気まぐれで、青年の意志なんてどうでもよかった。


 残された青年はむやみに村の人々が土地神様に願いを叶えてもらわないように、土地神様を森の大樹へ封印することを巫女に頼んだの。その巫女の名は鈴鹿 零凜(れいりん)というの。


 巫女零凜はこの土地の奥深くの大樹に土地神様を封印することに成功したの。そして、その青年と巫女様は結ばれましたとさ。

          :


「ちょっといいか?鈴鹿、零凜……って、まさか。」

「そうなの、私のご先祖様。」


 何かとんでもないことを聞いてしまった気がするが、伝説とはいえ、おもしろいというか、恐ろしい話だった。


「土地神様は意地悪なのか……。」

「それでも、この地に素晴らしい自然を与えてくれたのは事実だから、神様を消すことはできなかったみたい。あと、その大樹は実際にあるんだよ、森の奥に。ちょっとした観光スポットになってる。」


 なるほど、巫女の血筋か。それならば、上品な感じがするのも当たり前なのだろう。きっと、良いとこのお嬢様なんだろうな。


 それでも、彼女との距離があくわけではなかった。


 さらに最近では彼女がお弁当を作ってくれ、一緒に眺めのいい『あの場所』でランチをした。彼女の料理の腕前は……普通だった。サンドイッチだったから分からなかったというのもあるけれど。


 毎日、毎日一緒の所にいるけれど、違う眺めがあったり、違う話をしたり。雨の日は危険だから行かない日もあるけれど、毎日行っても決してつまらなく感じることがなかった。


 それは、彼女がいつも楽しそうだったからかもしれない。彼女はいつも微笑んでいて、楽しそうで、嬉しそうで……。そんな彼女がいつの間にか自分の中で大きくなっていった事に気がついていた。でも、気がついていたけれど気がつかない振りをしていた。


 帰るのが辛くなるだけだ。


「夕焼け、ここから見るのは初めてだ。」

「きれいだね。」


 高いところから眺める、夕焼けは格別だった。真っ赤に染まっていく空がいつもより近くに感じることができる。


 いつものようにスケッチするのかと思ったら、彼女はずっと夕焼けを見ているだけだった。きれいな景色を見たら一目散にスケッチするのに、今日はおかしい。


「……あ、朝村くんはいつ、帰っちゃうの?」

 夕日のせいで彼女の顔は赤くなっていた。本当に赤くなっているのかどうかが知りたい。俯いている彼女の顔を見つめた。


「来週かな……。」

「あ、あのねっ、来年も、来て、くれるかな……?」


 その言葉が俺の心に痛く刺さった。来年、なんて分からない。今年はたまたま猛暑で、それで俺ら家族はたまたまここのコテージに泊まっているだけだ。


 それに、来年の夏はゆっくりなんてしていられない。そんなこと約束できなかった。

 だから、返事ははっきりと返すことができなかった。


 でも、俺は、またここに来たいと思っている。来年じゃなくても……。




 明日で帰ってしまうから、会える時間は限られてきてしまうのに、今日は雨だった。雨の日は危ないし、スケッチができないから『あの場所』には行かないことになっていた。


 それでも、雨が止むんじゃないかと期待して、ずっと窓の外を眺めていた。

 雨は止みそうになかったので、仕方が無く携帯を手に取った。


 すると、俺の手の中で携帯がバイブし始めた。ディスプレイの表示は『鈴鹿季咲』。


 あわてて、出ると彼女の声が聞こえてきた。

『ごめんね、急に。』

「いや、大丈夫。……何かあった?」


 そう聞くと、しばらくの間があった。相手の顔は見られないのでどうなっているかは全く分からないが、言いにくいことでもあるのだろうか。


『なんとなくね、お話したくて……。』


「……。」

『……あ、朝村くん?』


 危なく携帯を落としてしまうところだった。それより、電話で良かったと思った。こんな事直接言われたら心臓がいくつあっても足りない。


 天然でこんな事言っているなんて、本当に恐ろしいやつだと思う。でも、俺自身も話したいとは思っていたし、こうして電話をくれたこと自体はとても嬉しかった。


『もしもし?』

「もしもし、ちゃんといるよ。」

『良かった、変なこと言ったかと思ったよ。』


 十分変なことを言ってはいたが、あえてそこはつっこまないでおく。


 たわいもない話が続いた。雨の日は何をしていたのか、宿題は終わらせたのか、夏休みが終わったらどんな学校行事が始まるのか、そんなどうでも良いようなことをたくさん話した。


「そろそろ、切っても良いか?」

『……もう、そんな時間なんだ。』


彼女の声があからさまにしゅんとしてしまった。別に悪いことをしたわけではないのだが、とてつもない罪悪感が胸に広がる。


「明日……」

『ん?』

「明日、また、たくさん話そう。」


 明日で終わってしまう。それは心苦しい。でも、それを彼女に感じ取られてはいけない。彼女を悲しい気持ちになんてさせたくないのだ。


『……約束ね。』

 ためらいがちだったが、彼女はそうほっとしたようにつぶやいた。



『双葉くん。』



 ガタン



 本当に困ったな。今回ばかりは完全に不意打ちだった。俺はあわてて床から携帯を拾い上げる。幸いなことに通話は途絶えてはいなかった。


『大丈夫?すごい音がしたけど……。』

「お、おう。ごめん。……約束するよ、」



「季咲。」




 今日は昨日と打って変わって快晴だった。とても、日差しがまぶしかった。

 帰る時間は夕方。それまで家族でどこかに行こうとなっていたが、俺はかたくなにここにいるといった。


 両親は仕方なく、俺だけをおいて弟と一緒に観光に出かけてしまった。俺は別において行かれたわけじゃない。おいていってくれと頼んだ。どうしても、今ここを離れるわけにはいかないからだ。


 3人がコテージを出て行くのを見送り、俺は『あの場所』に向かった。昨日からずっと待ち遠しかった。電話を切ってから、ずっと今日のことしか考えてなかった。


 俺も、相当思い入れが強くなってしまったらしい。毎日同じ場所に来ているはずなのにちっとも飽きなかった。きっと、それは彼女がいたから。


 約束の時間より少し遅れてしまったが、目的地に着いてあたりを眺めた。

 いつも時間通りに来ているから今日もすでに来ていると思っていたが、彼女の姿はどこにも見えなかった。珍しく、彼女が時間遅れだ。


 彼女も人間だし、時間くらい遅れることがあるだろう。それに、待っているのも全然嫌いではない。


 ベンチに座り、今日は何を話そうかと考える。

 最後の日、言いたいことはたくさんある。それに、それに……。


 こんな事は初めてだから頭がパンクしそうになる。ああ、こんな事に頭を悩ませる日が来るなんて思ってもみなかった。案外大変な苦労だ。


 1人で考え込んでいたのだが、なかなか彼女がやってこない。携帯のディスプレイで時刻を確認すると、約束の時間からすでに1時間が経過しようとしていた。


 少し、遅すぎるような気がして、入り口の方を見る。それでも、誰かがここにやってくる気配はいっこうに感じることができない。


 ブブブブブ


 携帯がバイブして、ディスプレイに『鈴鹿季咲』の文字が浮かび上がる。


「ずいぶん遅いんだな、どうかし──。」

『朝村双葉くんだね?』


 聞こえてきたのは全く予想もしない声だった。男の人の、それも中年くらいの年の大人の声だ。


「……そう、ですが。」

『今どこですか?』

「待ってください、失礼ですが、あなたは?」


『季咲の父です。』


 季咲の父親がいったい何の用で俺なんかに電話をかけてくるんだ、それも、季咲の携帯で。

 まさか、季咲の父親は俺と彼女が会っていることに反対なのか?


『もしかして、今は約束していた場所かな?では、その場所から出て、コテージがある丘の入り口に来なさい。』

「あ、あのっ!ちょっ──。」


 電話は唐突に切られてしまった。一方的に切られてしまい、状況が全くつかめないでいた。とりあえず、入り口に向かうことがすべきことだと結論づけた。


 走って入り口まで行くと、白い車が止まっていた。男だからといって車種を判別することはできない。俺が近づいていくと、運転席のドアが開いた。


「朝村双葉様ですね、早く車に乗ってください。」

「は、はい。」


 ドアが開いて、真摯なおじいさんが出てきたと思ったら言うなり、運転席に戻ってしまった。俺はあわてて後部座席に乗った。


「急に申し訳ございません。私は鈴鹿家に仕える者です。」

「は、はぁ……。」


 俺が乗るなり、車を発進させ、しばらくしてからおじいさんは話し始めた。


「季咲お嬢様なのですが、ここしばらく非常に楽しい時を過ごされていたようで、毎日旦那様や奥様に話されておりました。」

「そうですか。」


 毎日話していたと聞いて、少し照れくさくなった。……だから、季咲の父親は俺の存在を知っていたのか。


「季咲お嬢様ですが、今日もあなたにお会いすると楽しげに出かけて行きました。しかし、不運なことに、事故に遭われまして……。」

「じ、こ……ですか?」


 この話、聞きたくない。


「季咲お嬢様は今病院にいらっしゃいます。」


 事故、事故、事故──。


「意識をぎりぎり保っているような状況でございます。」


 なんで、どうして。


「約束を果たしたいと、おっしゃっておりました。」


 季咲。


「朝村様。お願いいたします。」


 車が停車し、おじいさんが苦しそうに言った言葉を背に、俺は駆けだした。

 時間が止まってくれればいいのに、早く、早く──。



 教えてもらった通り、204号室に季咲はいた。

 個室で、ドアを開けると季咲の父親と母親らしき人がいた。


「朝村です。季咲さんは?」

 呼吸を整えつつ、いたって冷静に父親と思われる人に問いかけた。


「君か……。季咲、朝村くんが来たぞ。」

 そう言うと、季咲の父親はベッドからそっと離れた。


 そして、露わになったのは苦しそうにベッドに横になっている季咲の姿だった。透き通るような白い肌は、本当に透き通って行くようで、消えてしまうと錯覚してしまうほどだった。


 頭に包帯が巻かれ、人工呼吸器がつけられ、うつろな目で俺を捕らえた。


「……ふ、た、ば……ん……?」

「うん、俺だ。」


 泣きそうになる。でも、ここで泣いたら、カッコ悪いじゃないか。


「……や、く、そく……。」

「そうだな、約束、守ったよ。」


 俺が言うと、季咲は微笑んだ。力なく、それでも、精一杯の笑顔だった。

 季咲の頬に一筋の涙が伝った。それを指ですくい上げる。


 ──ありがとう。


 季咲はそれきり、本当にそれきりだった。



「娘を、ありがとう。」

 病院の待合室で、さっき触れた手を呆然と見つめていた俺に季咲の父親が優しく言った。


 そんな優しい言葉、今は辛いですよ。


「いえ、俺の方こそありがとうございます。」

「貴重な時間を申し訳ないね。さっきの者に送らせる。」


 季咲の母親はまだ病室にいるのだろう。

 最後まで季咲の母親とは話すことができなかった。


 帰り道は一瞬で過ぎた。どうやって車を降りたのか、ちゃんとお礼を言ったのか、定かではなかった。いつの間にか『あの場所』に来ていたのだから。


「……っぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!!!!」


 本当ならここにはもう1人いたのに。

 俺はどうして1人でこんな場所にいるんだよ。


 今まで、好きだったこの景色が急に恨めしく思えた。ここはいつもと変わりない。それがどうしようもなく腹立たしい。


 会いたかった。

 もっと触れたかった。

 もっと話したかった。

 来年も来たかった。

 一緒に絵を描きたかった。




 ──伝えたかった。




 この願いは叶うことはない。

 もし、この世に神がいるとするならば、どんな代償も俺は支払う。だから、あいつに、季咲に会いたい。



「……いるじゃないか。」


 俺は駆け出した。

 神ならいる。願いを1つだけ叶えてくれる。そんな神様がこの土地にはいるじゃないか。


 森を駆ける、遮る木々も俺を止めることはできない。

 鳥のさえずりも、蝉の鳴き声も、今の俺には何も届かなかった。


『その大樹は実際にあるんだよ、森の奥に。』


 森を駆ける。この森の奥に大樹が、土地神様がいるっ。



 見えてきたのは大きな、今までに見たこともない大きな樹だった。

 何かまつられているような神秘的な雰囲気が漂っている。一気にこの世を離れてしまったかのような感覚だった。


 大樹の近くまで来た。そして、樹にそっと触れる。


 ──俺は、季咲に会いたい。このままずっと先も、季咲に会いたいんだ。


 目を固くつぶって、精一杯大樹に願いを届けようとした。

 それでも、何も起こらなかった。


「……っはは。」

 何やってるんだ俺は。思わず、笑うしかなかった。


 土地神様なんてただの伝説だし、今この世に願いを叶えてくれる神様なんているわけないじゃないか。昔の、それも実際あるかも分からない出来事じゃないか。


 そろそろ、コテージに戻らないと家に帰れなくなってしまう。

 俺は汚くなった服を見て、ため息を吐きながら元来た道を再びたどった。


『──少年。その願い、叶えてやろう。』


 頭の中に声が響いた。俺は振り返った。

 元来た道をたどっていたはずなのに、大樹が、振り向いて手を伸ばせば触れることができる距離にある。


「な、んで……。」

『お前の願いを叶えてやろうというのだ。』

「本当か!?」


 俺は大樹に掴みかかった。周りから見れば頭のおかしいやつだと思われるだろうな。


『嘘などつかん。』

「俺は、季咲にこれからもずっと、会いたいんだ。」

『死んだ者は生き返らせることはできない。それは理に反する。』


 やはり、だめではないか。


『しかし、死んでない時間に行けばよいのだ。』

「……どういう。」

『お前がここに来てから昨日までの時を繰り返せばその者にこの先も会うことができるぞ。』


 この先も、季咲に会うことができる。俺の選択肢はもう1つしかない。


「それで良い、叶えてくれ!!」

『せいぜい、幸せに過ごせ。』


 俺の意識は急激に遠くなっていった。

 でも、これで俺の願いが叶う。



『……未来を失った、愚かな人間。』









──17回目で24回目の夏が来た。


「……あっ。」


 ベンチでだらしなく四肢を放り出していた時に背後から声が聞こえた。気になって振り返ってみると、白のワンピースを着て、つばの大きな帽子を被った少女が俺と同じ道をたどってきたのか、そこに立っていた。







ここまで読んでくださってありがとうございます。


今回の作品は『活字ヤンキー』の作中小説でもあります。

この作品だけでも話の流れには大きな影響はありません。

しかし、気になる方は是非そちらもよろしくお願いします。


ちなみに、『活字ヤンキー』の方が後に投稿します。


それでは、別の作品でお会いできることを願っております。

2014/8 秋桜(あきざくら) (くう)

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