世界のヤンデレシリーズ~ヘンゼルとグレーテル~
ヘンゼル:17歳くらい
グレーテル:15歳くらい
薄暗い地下に降りていくと、そこには頑丈な鉄格子。
その向こうには、薄汚れた服を着た青年が座っている。
もう長く日の光を浴びてない彼の肌は病的に白く、幽閉されてから殆ど運動らしいことをしていない身体は筋肉が衰えているのが目に見えてわかる。
そこへ小柄な少女が入ってくる。
彼女はパンとスープの載ったトレーを持ちながら、青年が幽閉されている牢屋に近づいた。
「お兄ちゃん、ご飯持ってきたよ。」
「………グレーテルか?」
「うん。大丈夫?お昼のご飯もあまり食べてなかったじゃない。」
「こんなところにいるからな、腹も減らないんだよ。」
そういって、青年、ヘンゼルはゆっくりと立ち上がった。
少しでも妹の姿をそばでみようと牢屋の奥にいた彼は鉄格子のそばまでやってくる。
ほんの数歩の道のりにもよろけるほど、彼の体は衰えている。
「駄目だよ、ただでさえもそんな身体なのに、栄養も取らないなんて。死んじゃったらどうするの?」
グレーテルは心配そうに兄を見つめる。
「その時は、お前が俺に構わずここから逃げられるな。」
そう言って、ヘンゼルは薄く笑った。
ヘンゼルとグレーテルは、森を彷徨っているところを魔女に囚われた。
そして、グレーテルは自分を人質に魔女に小間使いとして奴隷のように働かされていることを知っていた。
そのため、ヘンゼルは、妹を思うと妹の枷となってる自分が死ぬのもそれはそれで悪くないと思っていたのだ。
「そんなの嫌!約束したじゃない!ここから二人で出ようって。」
グレーテルはそんなヘンゼルの様子を見て、鉄格子にしがみつき、泣きそうな顔でヘンゼルを見た。
ヘンゼルはそんなグレーテルの様子をみて、胸が痛んだ。
だいぶ前にそんなことを言ってしまった自分の言動が、妹をこんな場所に縛っている事実に、ことのほか罪悪を感じていた。
ここにきたばかりの頃はまだまだ子供だった可愛い妹は、今や大人の女性としての色香を見せ始めている。母に似て美しい彼女は、きっと暮らしが暮らしならば、良い身分の男の伴侶となり、贅沢な暮らしを送ることさえ夢の話ではないのだ。
自分のせいで、昼夜関係なくこき使われる彼女が不憫でならない。
最近は手に包帯を巻いてくる彼女は、仕置きに鞭で手を打たれたといっていた。水仕事が少ししみるだけだから、と辛そうに笑う妹の姿をみるぐらいなら、出られたとところで役に立たない自分の命など捨て置いて、ここから逃げて欲しかった。
けど、それではダメなのだ。
グレーテルは優しい子だ。
家族を見捨てることなんて、彼女には出来ない。
それなら………。
「グレーテル、俺が悪かった。そんな顔しないでくれ。」
ヘンゼルは鉄格子越しにグレーテルの頬に触れた。
滑らかな肌の感触がことのほか新鮮に思えた。
「ヘンゼルお兄ちゃん………?」
「せっかくの美人が、泣いたら台無しだ。また少し痩せたんじゃないか?食事は食べさせてもらっているのか?」
「そんな、私のことなんて……」
「お前は、こんなにいい女なんだ。ここから出て、良い旦那に見初めてもらうためにもそんなガリガリじゃダメだ。」
「………人の事、言えないじゃない。」
そう言ってグレーテルは苦笑いを浮かべた。
それでももう泣きそうではなかったので、ヘンゼルは少し安心した。
「そうだな………。じゃあ、俺ももう食事は残さないよ。狭い場所だけど、身体も少し鍛える。見てろ、お前一人ぐらい抱えて逃げられるようになってやるよ。」
「本当?もう一人で逃げろなんて言わない?」
「あぁ、言わない。グレーテルと俺はいつでも一緒だ。」
そういって、俺はグレーテルを抱きしめた。
あいだを隔てる鉄格子の温度が、悲しいほど邪魔だった。
空になったトレーを持ったグレーテルは上機嫌だった。
最近兄の体力が極端に落ち始めていたのを不安視していたのだ。しかし、これなら何とかなりそうだ。
洗い場にトレーを置くと、彼女はそれを洗うために手首の包帯をスルスルと外して行く。
傷一つない美しい手指が姿を現すと、思わず少し苦笑する。ヘンゼルお兄ちゃんにはこんなものを見せられない。
洗い物を終えた彼女は、暖炉の前におかれたロッキングチェアに、ゆったりと座る。かつてこの家の持ち主が気に入っていた品で、古い木の質感が美しい。持ち主は、自分以外は絶対に座ることを許さないと言っていたが、まぁ、もはやこの世にその人物はいないのだから何も問題はない。
魔女は死んだ。
いや、私が殺した。
もうかなり前の話だ。私を信用して油断したあの女を後ろから包丁で刺し、暖炉にくべてやったのだ。
魔法使いだって人間と大差ない。
村人にあれだけ恐れられていた女も最後は惨めなものだった。
でもあの女は、私の大切なものに手を出そうとしたのだ。
当然の報いというやつだ。
あんな女にお兄ちゃんは渡さない。
全てはお兄ちゃんを手に入れる為。
私にはそれ以上の目的はない。
良い旦那?
そんなもの、私にとっては無価値だ。
お兄ちゃんは、私に幸せになって欲しいって、思ってるみたい。
だけど、私、本当は今とっても幸せなのよ?
だって、お兄ちゃんがそばにいるから。
二年ほど前の話、貧しかった私の家に、ヘンゼルお兄ちゃんを養子にほしいと言う話が舞い込んだ。
頭も良く、誠実で、体の丈夫なお兄ちゃんを息子にしたいと思う貴族の気持ちもわからないでもない。
そして、それで家族の暮らしが楽になることも充分理解していた。
でも、私は、ヘンゼルお兄ちゃんと離れ離れになることなんて考えられなかった。
家族を捨てても、お兄ちゃんだけはそばにいて欲しかった。
幸い、養子の話はお兄ちゃんの耳に届いていなかったから、私はその日の夜中に「家計が困窮している。このままでは私は父親に、売春宿に売り飛ばされてしまうかもしれない」と嘘をついて泣きつき、お兄ちゃんに私を連れ出させたのだ。
それからもすべては計画通りだ。
森に色事好きの卑しい魔女がいることは有名だった。
魔女はやはりお兄ちゃんを気に入ったし、昔から人に取りいることに自信にあった私は、ある程度の信頼を得て、油断させ、魔女を殺し、この生活を手に入れた。
当初は、ヘンゼルお兄ちゃんと普通にここで二人で暮らすつもりだった。
けど、やっぱりお兄ちゃんには、牢屋にいてもらうことにした。
だって、そっちの方がお兄ちゃんは私だけを見てくれるから。
それにね、ちょっと魔女に虐められたと嘘をつけば、すごく心配してくれる。
そうだ。
今度はさっき触れられた頬に、ナイフで傷をつけていこう。
きっとすごく心配してくれるに違いない。
それに今日だって、自分なんか死にかけてるくせに私のことを思ってくれて……
あぁ、なんて優しくて馬鹿で愚かなヘンゼルお兄ちゃん。
あんな体じゃ、魔女が死んで、私がお兄ちゃんを監禁してるとわかっても、もう逃げることもできない。
あぁ、でも………
今日の話通り、ご飯を食べて、栄養をとって、体を鍛えたら脱出のために抵抗するかしら?
まぁいいわ。
その時は、魔女にやれと言われたといって、足の腱でも切って歩けないようにすればいい。
きっと私が泣きながら手を震わせて、ナイフを持ってたら、簡単にやらせてくれるはず。
それで、這ってでも逃げようとしたら、次は腕ね。
私がいないと、一人では何にもできないお兄ちゃん。
あぁ………
ああ………
それって想像しただけですごく興奮する。
大好きよ、お兄ちゃん。
私ね、お兄ちゃんなしでは生きていけないほど、愛してる。
だからね、
お兄ちゃんにも私なしでは生きていけないようになってほしい。
大丈夫、私が一生面倒を見てあげるから。
いつ気付くかしら?
魔女は本当は私なの。
私はね、もうずっと前から狂ってしまっているのよ。
気づいて欲しくない。
けど、気付いたらどんな風に絶望するのかも見てみたい。
だって大好きなお兄ちゃんなんだもの。
いろんな顔を見てみたい。
泣いて、
叫んで
喚いて、
絶望に顔を歪めるお兄ちゃんは、きっとどんな優しい笑顔より私の脳裏に焼き付くに違いない。
私はもう、良き妹ではいられないようだ。
「フフッ………アハハハハハッ…アハハハハハハハハ!!!!」
グレーテルは、ロッキングチェアの肘掛けに腕を任せ、暖炉の前で声高に狂気的な笑い声をあげた。
その声は牢屋にまで届いた。
ヘンゼルは魔女が笑っているのだと思い、また妹が魔女に恐ろしい目に遭わされているのでは無いかと、牢の中で不安な夜を過ごすのだった。