クリスマス前
昨年活動報告にあげた小話になります。
関係が変わった事でまず変わった…というか誠司が意図的に変えたのは、放課後を過ごす場所だった。
学校から自宅に変わる事は、予想していた通りだが恵美を当惑させたようだ。
当然だろう、同じ他人のない場所でも学校と誠司宅では密室度が全く違う。
下心があるだろうと思われても仕方ない。
だが恵美の中にある当惑も警戒も、消し去るのはあまりにも簡単な事だった。
「昨日のアイス。焼き立てのホットケーキに乗せたらどうかな?」
「食べたい!」
むしろ簡単すぎるとすら感じた誠司である。思いの外、恵美の胃袋を掌握しているらしい。
学校では保冷が充分に効かないから持っていけないお菓子がたくさんあった。アイスは勿論、生クリームを使った生菓子だってある。生のフルーツも使えるし、焼き菓子でも焼き立てが食べられると言えば恵美はあっという間に陥落した。
授業が終われば一緒に帰る。途中、スーパーに寄って今日作る分のお菓子の材料を必要分買い足して、帰るのは誠司だけ。恵美は自宅には入らずにそのまま誠司についてくる。
家族に自分達がつき合い始めたとばれるのが恥ずかしいらしい。
おやつを食べた後はそのまま宿題をしたり、おしゃべりをしたり、誠司が菓子を作るのを純粋に見ていたりと様々だった。
場所が変わっただけ。
そう断言できるくらいに、誠司と恵美は変わりないままだった。
秋は過ぎ、季節は冬になった。
期末試験を終えた学校内は目前に迫った冬休みにどこか浮き足立っている。
誠司もまたその一人である。
夏休みよりも短いものの、クリスマスにお正月とイベントは盛りだくさんだ。
これまでは家族で過ごすのが定番だったイベントではあるが、
ちらりと菓子作りの手を止めずに視線を走らせれば、誠司が作業しているダイニングテーブルの真正面の席についていた。
雑誌を広げ、熟読する恵美の頬はリスのように膨れている。
軽く混ぜた卵黄とはちみつに加えるのはぬるめの低脂肪乳と豆乳を併せたものだった。
クッキーを、型抜きを用いずに作っている事を、恵美は彼女になってから知った。
誠司にとって労力ではなかったその工程は、恵美にはかなり衝撃的だったらしい。ついでに言えば、お菓子に使われる砂糖やバターの多さにもかなり衝撃を受けていた。そう言う材料が多く使われている、という恵美のぼんやりとした認識が改められたようだ。
前者は恵美の方が心苦しくてたまらないから「そう言う手間は止めて」と言われたし、後者は「体重が…」と戦々恐々としていた。
そう言うわけで、最近作る誠司のお菓子は「おいしさはそのままに低カロリー」を目指している。安易かもしれないが白砂糖ではなくはちみつや、同じ糖分でもミネラルを含む黒砂糖を用いたり。バターも代用が効くものはそれを活用している。と言ってもマーガリンではない。植物油脂で作られたバターの代替品であるそれは健康問題で一時期取り上げられたからだ。誠司が代用するのはオリーブオイルや絹ごし豆腐だ。もっとも、全部を代替品にしてしまうとバターの風味が無くなってしまうので、風味を残しつつヘルシーにと試行錯誤していた。
それがまた楽しいのだから仕方がない。
混ぜ終えた材料を濾して型に注ぐ。
焼くのではなく蒸して完成する今日のお菓子は舌触りの滑らかなプリンだ。少しはちみつを多めにして甘味を強くしたので、カラメルソースは作らない。ほろ苦く甘いカラメルはプリンの定番だが、砂糖と少しの水分でできているのだからあえて避けた。
水分がプリン液の中に落ちないよう鍋と蓋の間にタオルを挟む。蓋の内側につく水滴がタオルに吸収されるので、プリン液が薄まる事を防ぐことができるのだ。
大事なのは時間。火が通り過ぎてしまってはすが立ってしまう。そこはキッチンタイマーが頑張るところだった。
洗えるものだけでも洗ってしまおうか、と思案しつつ盗み見た恵美は、先ほどと殆ど変っていない。見ている雑誌のページも一緒だ。
恵美が読むには珍しいタウン誌は恐らく由美が買ったものだろう。
『冬だからこそおでかけしよう♪』
なんて煽り文で紹介するのはイルミネーションスポットだ。
恵美が行きたいと思っているのは分かる。普段はデートらしい事をしなくても不満のわかない恵美だが、イベントとなると多少欲求が芽生えるようだ。クリスマスデートと言うやつだ。
「どれに行きたいの?」
洗い物はそんなに多くないし、バターなどの油分を含むものもないから手間じゃない。後回しにしようと思いつつ問いかけると、恵美はほんのりと頬を染めつつ雑誌に掲載されている写真の1枚を指さした。
何万個のLEDで見応えがあるとか、そう言う推しの場所ではない『意外にも近場にある』とお手ごろ感を推したそのスポットは、ここからそう離れてはおらずに行ける場所だ。ただ、手ごろ感だけを推すそれは小規模でしかない。
まぁ、車の免許を持っていない誠司たちの交通手段は公共機関に限られる。そもそも夜に見に行くもの、それから帰宅するのだから遅くなるのは当然だ。雑誌で最も推しているだろうスポットから帰る頃には翌日になるに違いなかった。
「クリスマスは忙しいからね」
少し残念そうに誠司が言うと、恵美は気まずげな表情を浮かべてそろそろと写真を指していた指を引っ込めた。
クリスマスに忙しいというのは嘘ではない。クリスマスケーキを焼かなくてはならないからだ。自宅用と恵美の家の分。
恵美もそれを知っているからだろう、ゆっくりと頷いた。
「でもクリスマスは二人でデートしたいって恵美がおばさんに言ってくれたら何とかなるかもね」
途端、顔を真っ赤にして恵美はプルプルと首を横に振った。
恵美は家族に自分達の事を打ち明けてはいないのだ。照れや恥じらいが理由である事は分かっているから誠司もその事を咎めていなかったが、何にも思わなかったわけではなかった。
家族に報告すれば、デートできる時間が確保できる。
それなりに魅力的な報酬ではあるはずだが、恵美にとってはまだハードルが高いらしい。
とはいってもケーキのスポンジは寝かせた方がおいしいから前日に焼くし、当日はデコレーションだけで早めに作れば夕方からの時間なんていくらでも確保できるんだけど。
色々と思っている事や知っている事はあるけれど、誠司はあえてそれを恵美に教えはしなかった。
こうして顔を真っ赤に染めて思案する恵美を愛でるのも悪く無いからだ。
オレらがくっついたの、恵美の家族にばれてると思うんだけどね。
もうしばらくの間なら、家族に隠している(つもりの)秘密の恋、というのも悪くないかもしれない。
そんな風に考えて、誠司は口元を緩めたのだった。
――――クリスマスはもう少し。