プチフールな愛
型抜きクッキー1つにとっても、市販の型は使えない。
理由は大きすぎるから。既に外見は女性な為か、太るのを気にして、彼女はたくさん食べたがらない。だから、クッキーの大きさは、市販の抜き型の三分の二くらいの大きさに包丁で切り分ける。勿論、四角なんて可愛げがない。見た目も味に影響を与えるって分かってるから、星やハート型に切っていく。
クッキー1つにしても、佐野誠司はそれだけの手間をかけていた。
昔は抜き型のサイズのクッキーを喜んで食べてくれたのだから、今の方が手間と時間が多くかかっている。
それを労力だって思わないところが病気だね。
よくわかっている自分の気持ちに思わず笑いながら、今日は型抜きではなく絞り出しのクッキーを成形していった。
この辺は急速な宅地開発が行われた結果、自分達が子供だった頃、マンションの外に公園は殆どなく、車の交通量も増えた割に歩道の整備が進んでいないと言う子供には遊びにくい環境だった。
当然母親としては危ない外には出てほしくなく、幸いにもマンションの同じ階に同い年の子がいるのだからと2人で遊ぶように言われた。それが幼馴染の恵美だ。
同い年とはいっても活発な性格ではなかった彼女は何をするにも時間がかかったり失敗したり、四苦八苦しても最後まで自分で頑張るのは彼女の両親から見れば長所だったに違いないが、一緒に遊ぶ誠司にとっては大変迷惑だった。
また、一緒に遊ぶとなると彼女の姉である由美の指示の下遊ぶことが多く、お人形遊びをはじめとした『女の子の遊び』をしたがるのでこれもまた誠司の悩みの種だった。それでも遊んだのは、恵美の家にゲーム機がたくさんあったからだ。誠司の両親はゲームが好きではなくて、ねだっても買ってくれなかった。それが、恵美の家に行けばできたのである。そのメリットは誠司にとって大変魅力的だった。『男の子の遊び』が出来なくても、だ。
だがその妥協も由美が学校の友達と遊びに出かけてしまうとなしになった。
恵美はゲームが弱くてつまらないし、『男の子の遊び』も上手くできない。
だから「えみとはもうあそばないっ」と宣言したのだ。
一緒に遊ばないとは言っても通っている幼稚園は一緒だ。お迎えのバスの時間だって一緒。だが、話しかけたりはしなかった。
成形したクッキーを予熱したオーブン機能付き電子レンジに入れ、誠司は次に向き直った。今入れた分が焼き上がる前に次の焼く分を成形しておかなければならない。
淡々とした作業だが、これが結構楽しい。それも、焼き上がったこれを彼女がおいしそうに食べる事を想像すると作業は更に楽しさを増す。
そんな浮ついた気持ちは、今日ダメだったシュークリームを思い出して少し落ち込んだ。
すぐに反応を示さないときはあまり好みで無い事は経験から知っている。しかも、あのシュークリームの反応はかなりひどい方だった。
新しい味を探求しているのだからああいう反応が返ってくるのは仕方が無い事だが、予期はしていても落ち込まないのは別問題だ。
恵美の反応と、彼女が「好きだ」と言う味覚の菓子がどうにも違う気がする。作れども作れども報われる気はしない。
これは気に入りますように。
だから思わず祈った。
きっとすぐに泣き出してすがりついてくるかもしれない。そうしたら、こっちの言うことを聞いてくれるっていうなら、また遊んであげてもいい。
そう思っていたのに。
最初は困惑していた恵美も、しばらくすると一緒に遊ばない生活に慣れてきたようだった。
一人でとことこと歩き回って遊んでいる。
最初は気にもしていなかったが、いつまでも自分に泣きついてこない事に苛立ちを覚えたのはしばらく経ってからだった。
一人で遊んでいると思っていたのは、どうやら由美を追いかけている途中か、見失って迷いながら帰ってきた姿だったらしいのだ。満足に遊んでももらえず、迷って泣いて帰ってくることも多いらしい。
母から間接的な話をされた理由が、だから遊んであげなさい、みたいなニュアンスを含んでいたことは分からなかったし、誠司自身、泣きつかない恵美に苛立ちを覚えていた。
一人で不貞腐れている状況で無くなったのは、恵美がマンションの外で友達を作ってからだ。違う保育園に通う同い年の女の子と、そのお兄ちゃん。
幼稚園のバスを降りると、家に帰らずにそのまま行こうとする様子に初めて危機感を覚えていた。彼女の中で自分の存在が思いのほか小さくなってしまっているような。
家に帰って制服を脱いで、カバンを投げるとそのまま恵美の家に遊びに行ったが、どんくさいはずの恵美は既に出かけてしまっていた。
明日、あそびに来るから。
そう恵美の母親に伝言を残しても、恵美は一人出かけてしまった。
「ゲーム、ママがあそんであげて」
昨日の夜に、そう話していたらしい。伝言なんて回りくどい方法など取らなくても、幼稚園ではその気になればいくらでも直接話せるのに……恵美はそれをしなかった。
一緒に遊ばないとは言ったが、友達をやめる、と言ったつもりはなかったのに、恵美は友達である事をやめると解釈したらしい。
動揺する誠司に、丁度帰宅した由美が知恵を授けてくれた。
「なかなおりしたかったらカンタンよ。あのこのスキなのあげればいーの。ね、ママ」
「えみがスキなのなに?」
「クッキーはえみもスキよね。クッキー作ればいいのよ」
「…由美にも作るの難しいと思うけど」
由美の提案に彼女のママは困惑している。作れると思っていないだろう。
「どうやって作るの?」
期待に胸ふくらませて尋ねると、恵美のママは根負けしたようにパソコンを開いてうんと簡単なクッキーの作り方を調べてくれた。
お菓子つくり未経験者の子供でも問題の無いように型抜きの不要な簡単なクッキーの作り方をプリントアウトして渡してくれる。
生地をスプーンで垂らして成形するクッキーで、完成写真はチョコがかかっていておいしそうだった。
「作ってくる」
レシピを貰った途端に早く作りたくてたまらなくなり、誠司はレシピの印刷された紙切れを大切そうに抱えて帰宅したのだった。
「作りたいの? 食べたいんじゃなくて?」
困惑するママに、誠司は何度も何度も頷いた。
お菓子は作る物ではなく買うもの。そんな誠司のママは材料を見て困惑していた。
「バニラオイル? クルミ? チョコはあるけど…そもそもあの電子レンジ、オーブン機能あったかしら? 鉄板も…冷やすための金網とか」
何のことを言っているのか分からなかったが、とりあえずクッキーを作るのに必要な道具の事を言っているらしい。
結局その日に作る事は叶わず、作れたのは次の日曜日だった。
ママが手伝ってはダメだと思った。朝ごはんの後から作り始めたクッキーが焼けたのは夕方で、出来立てアツアツのをクーラーと言う金属の網で冷ますのも惜しくて、皿にのせて恵美の家を訪れた。チョコを上からかけて完成なのだが、焼き上がっておいしそうな香りのクッキーをいざ前にして、完成途中である事をすっかりと忘れてチャイムを押し、恵美がいない事を教えられて落胆した。
「本当にクッキー作ったの?」
皿の上に乗るクッキーを見つめ、由美と恵美ママは驚いた表情を浮かべていた。
「誠司、次のクッキーが焦げちゃうわよ? そのクッキーも、冷ましてチョコレートかけるんでしょう?」
慌てて追いかけてきた自分の母に誠司は我に返った。
恵美がもっと食べたいって言った時にこれだけでは足りない。それにチョコだって。甘いチョコをかけたら、クッキーはもっとおいしくなるに違いない。
「恵美、もう少ししたら帰ってくるから」
「かえってきたらおしえて」
まだ完成していない。そう己を叱咤して、誠司は自宅へと駆け戻った。
恵美が帰ってきたのはそれから一時間ほど後で、その頃にはクッキーはバッチリ完成していた。
だからお皿にたっぷり乗せたクッキーを前に、恵美は状況が分からないと言った様子で困惑したまま恵美のママの隣に座っていた。
由美は誠司の来訪の意味を分かっているので、嬉々としてクッキーに手を伸ばしている。
「えみ、いらないならぜんぶちょうだい」
意地悪く笑う由美の言葉に、これが姉妹均等に半分こされない事を察した恵美は、ママの陰から姿を見せて、恐る恐るクッキーに手を伸ばしていた。
由美が教えてくれた通り、恵美はクッキーが好きらしい。
「おいしー」
先に感想を述べたのは由美で、味の保証を貰えたので嬉しくて誠司は表情を緩めた。
美味しいのは自分でも食べてみたので分かっているが、由美がそう言ってくれると恵美もそう言ってくれる気がして自信がついたのだ。
由美と同じ反応を期待して恵美に視線を向けたが、恵美は曇った表情でいつまでもクッキーを眺めていた。
早い者勝ちだと由美が宣言したにも関わらず、彼女はクッキーを弄び続ける。
「恵美、早く食べないと溶けちゃうわよ?」
恵美のママの指摘は少し遅く、恵美は手がチョコレートまみれになって驚いて、クッキーをテーブルに放った。
べたべたするのが気持ち悪いのか、彼女は駆けてキッチンへと行ってしまう。
「恵美、その手で触らないで」
恵美のママが慌てて彼女の後を追いかけていった。
まだ恵美は1枚も食べてない。
対する由美は5枚目を食し終えていた。残りのクッキーはまだ多いが、このままでは恵美が食べる前に由美が全部食べてしまう。
「ほら、今度は溶けちゃう前に食べましょうね? せっかく誠君が作って持ってきてくれたんだから」
手を洗って戻ってきた恵美は、しっかりとペンギンのぬいぐるみを抱いていた。
ママはおしぼりを持っていて、恵美が手を汚した時に対応するつもりらしい。
レシピではチョコはクッキーに半分だけかけていた。もっと甘い方が良いと思って全部をチョコレートでかけたのだが、それが裏目に出てしまったらしい。
手が汚れるのが嫌なのか、ペンギンを抱いた恵美はクッキーに手を伸ばす気配はない。
「恵美、手が汚れたらおしぼりで拭けばいいのよ?」
恵美のママはそう言ったが、興が削がれたらしい恵美はぬいぐるみで口元を塞いでしまった。食べないつもりの仕草らしい。
「えみ、赤ちゃんになっちゃったんだわ。ママに食べさせてほしいのよ」
「…あかちゃんじゃないもん」
由美のからかいに反論は示したが、恵美は食べようとはしなかった。
「誠君が作ってくれたのに、失礼よ?」
人の顔を立てるなんて恵美には分からない。けれど、空腹だったのか、由美がたらふく食べ、そして食べ飽きてしまった頃に、恵美はぬいぐるみを離してクッキーへと手を伸ばした。
「……………………………………おいしい」
1枚が恵美の手のひらほどあるクッキーを小さくかじり、ゆっくり咀嚼して囁くように恵美は呟いた。
久しぶりに見せてくれる笑顔が何よりも嬉しい。
もっと恵美の笑顔を見たくてたまらなかった。
それからどれだけお菓子を作っても、極上の笑みを見られる機会はあまりなかった。
原因が自分の慣れない手技のせいと、恵美の好きな味ではないらしい事。
だからたくさん練習した。恵美の好きな味もいっぱい聞いた。
由美が好きな味も説明されるという状況は分からなかったけど、とにかく笑顔を見たくていくつも作った。
作れば作る程に味が分からなくなって、これでいいのだろうかと内心戸惑いながら恵美にお披露目した。
その内、気づけば作ったお菓子に対して彼女の反応が鈍くなっていた。恵美の好きなものを作っているはずなのにである。彼女は何が好きかちゃんと教えてくれている。だから好きなものを作っているはずなのだ。問題があるとすれば自らの料理の腕に他ならない。自分が作る菓子がそもそも好みではないのだ。極論を導くと刺す様な痛みが胸を襲った。
ツキツキとするその痛みが恋煩いであることを知るのは少し後のことだが、付き合いはもう長くてうんざりする。
これは気に入るかな?
鉄板の上に並んだ、まだ焼けていないクッキーを誠司は睨んだ。
絞り出しクッキーの中には、細かくしたハーブが入っている。
他にも飾りを施して、可愛らしく。当然、形が異なるごとに混ぜ込んでいるハーブも違う。色が出る物はジャムにして、絞り出しクッキーの中央に小さく載せてみた。
昨日のシュークリームは大変良くなかった。
本当に好みの時は、あんな風に答えを引き延ばしたりはしないのだ。
それをよく知っている。
「アイスは気に入ると思うんだけど」
帰る時にぽつりとつぶやいていた恵美の姿が思い出される。
やみくもに作るより、彼女が食べたいものを作った方がより効率的に笑顔を見られるというものである。
彼女が好きだと言ったチョコミントアイス。
喜んでくれるだろうか。恵美が喜ぶ姿を想像して、誠司は思わず口元を緩めた。
一途に想う好意が本人に届いていないことを知るのは近い未来の事で、想いがようやく実を結ぶのも、遠くはない未来のことであることを、現時点での誠司は知らない。