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この愛はプチフール

 あたしは餌付けされている。

 もぎゅり。

 そんな変な音を発てて、あたしは咀嚼していたお菓子を飲み込んだ。

 アーモンドの風味たっぷりのカスタードクリームが流れるように喉の奥へと消えた。

 定番のカスタードクリームは、ホイップした生クリームと併せた特製で、バニラビーンズもたっぷり入っていて甘い香りと想像を裏切らない味、つまり、とっても食欲をそそるのである。

 それも甘味に弱い乙女にとっては特に。

 でも、今日のこれはそのカスタードクリームとは少し違った。アーモンドの風味たっぷりの、でもやっぱりおいしいシュークリーム。

「恵美、おいしい?」

 美味しさを独占するように、おいしい事を周りに知らしめない態度のように顔を伏せていたあたしは、問いかけられた声に思わず表情を引き締めた。

 緩みきっていた口元や目じりと慌てて引き締め、顔の筋肉が定位置に戻っているか確認してあたしはようやく顔を上げる。


 あたしの名前は森長恵美。そんでもって女子高生。以上、説明終わり。


 顔を上げた向かい側の席に座っていた佐野誠司は、バインダータイプのノートを開いてシャープペンを握っていた。

「おいしい?」

 そう尋ねるのは、さっき一回言ったけど佐野誠司。男子高校生。誕生日はあたしの方が先だけどとりあえず同い年で幼馴染。しかも高校も同じ。

 腐れ縁としか表現の仕方が見つからない誠司は、すっかり男らしくなった顔を、眉毛と目玉だけという必要最低限の動きしかしないで問いかけ、返答を求めた。

 男らしくなった顔。そう表現すると誤魔化されがちだが、子供特有のふっくらとした頬はいつの間にか無くなって、それどころか顔だけじゃなくて全体的に骨ばっていた。目がくりくりでかわいかったはずなのに、目が萎んだのか……それども顔の骨が太くなったのだろうか。

 繫いだ手は幼い自分と同じで柔らかかったはずなのに、ごつごつしてばかり。骨ばっていない部分も、触れてみると筋肉で硬いのだ。

「恵美」

 答えないでもう一つ食べようと、誠司との間にある卓上のお弁当箱に手を伸ばすと、その手をぎゅっとつかまれた。

 つかんだ一口サイズのシュークリームはたっぷりクリームが詰まっていたために「ぼとり」と音を発てて落下した。

 手をつかむ力は本人にとっては強くはないけど、でもあたしにとってはやっぱり少し強くて……たぶんほんの少し力を込められただけなんだろうけど痛かった。

「おいしい?」

 味を聞かれる質問はこれで3回目。

 誠司は味の感想を求める時にはどれだけ焦らしても怒りはしない。


 ―――と、言うのはあくまで多分。断定できないのは、焦らしても5回目には答えるからだ。

 10回か20回か、もしかしたら100回まで質問を繰り返しても怒らないかもしれないし、逆に本当は5回目が堪忍袋が切れないぎりぎりなのかもしれない。

 味の感想の代わりに、手が痛いと少し主張するようにつかまれている手を振ってみる。けれど、答えないからだろうつかむ手は逃げられない程度に緩んだだけだった。

「おいしい?」

 答えれば放してやるとばかりに、誠司はあたしの手を握ったままほんの少し揺らした。

 今いる場所は学校の教室だ。

 幼馴染とはいえ思春期の男女。親しくすればクラスメイトからも何かしら親密性を疑われる距離感ではなかろうか? 机一つ向かい合う、というのは。

 今のこれが疑われないのは、今が放課後で、ここが普通は使わない空き教室だからだろう。

 夏が過ぎで、クーラーが効いていなくても過ごしやすい時期というのは大変身体に優しい。

 少し埃が舞うのがこの教室の難点だけど。

「恵美、おいしい?」

 5回目の問いかけだ。

「…おいしい」

 5回目の問いに応えなかった時の反応が見て見たくもあったけど、結局臆病なあたしが心のどこかから姿を現して答えてしまった。

「いつものとちょっと違うけど」

「同じだと飽きるかもしれないから」

 けろりと答えて握っていた手を離した誠司は、ルーズリーフにすらすらと文字を書き記していった。

 彼が書き込んでいるルーズリーフには既に書き込みがなされている。

 今食べている彼が作ったシュークリームのレシピが書かれているのだ。

 そこに新たに追加して書き足している文字は、彼の品評結果である。つまり、作りやすさ、おいしさ、問題点、改善方法などなどで、このシュークリームについて自分で思う事を全て文字に残しておくのである。

 さて、ここで注意してほしいのは、書き記すのは『彼が』思う事である。

 つまり、今、5回も味についてコメントを求めたにも関わらず、あたしが言った「おいしい」という感想は載らないのである。

 彼にとって、あたしという存在がどれほどぞんざいかお分かりいただけるのではないだろうか。

「ま、総評60点ってところかな」

 おいしいって言ったのに。

 彼の言う60点とは、及第点ギリギリ。60点未満(つまり59点以下)は同じ物を作る事がない。作るとすれば改良型で、60点以上のもの。

 仏の顔の様な制度を導入しているのか、2回改良するところまでは行うが、2回改良後、つまり3回目でも60点を越えなかったお菓子は、彼の中のお菓子のフォルダから削除されてしまう。

 あたしのおいしいはなんなのよ。

 そう思うのは悪い事ではない、はず。

 60点。

「作って持ってくの?」

 お弁当箱に残っているシュークリームを1つ摘まんで口に放り込み、何気ない風を装ってそう尋ねた。

 お菓子を作るのは誠司の趣味なのだ。

 だが、趣味だからと言ってほぼ毎日幼馴染程度のあたしにお菓子をお披露目するようなおめでたい性格でも懐に余裕があるわけでもない。

 伏せ目がちに見上げた先の誠司は、ノートから視線を離して考えていた。

「…………どうかな」

 60点では持って行くに相応しくないらしい。

 あたしには味見させるくせに。

「あ、そ。ま、この味じゃね」

 意識してそっけない口調で言うよう努めた。

 自分が悲しいのに、誠司は関係ない。

 いや、彼が愚かなのに理由の一因はあるのだが、恋心を抱いたのはそもそも誠司の方が早いのだ。それを言い訳にはできないだろう。

 それでも多少ひねくれるのは仕方ない事で、もっと嫌われるかもしれない事を言っている自分が嫌になった。

 まだ残っているシュークリームも、食欲が失せてしまって食べるのを止めた。

 どちらかといえば当然おいしいのだが、自分の好みからは少し外れてしまっている。

「………」

 ふと、シャーペンが走る音が一際大きくなっていた。

 なんだろうと誠司のレシピ集を覗き込むと、誠司がガシガシと書きなぐっていた。

 どうやら訂正したい部分を斜線で消して書き直しているらしい。

 消しゴムで消せばいいのにと思いつつ、彼が何をそんなに乱暴に訂正しようとしているのか気になって訂正部を見つめる。

 そこは点数の部分だった。

 「60点」と割合丁寧な文字で書かれていたのは跡形もなく塗りつぶされ、「15点」と随分情けない点数に降格されてしまっている。四分の一までの大降格。

 驚いてその数字を凝視していると、彼はおもむろに15点にペン先を置き、黒色の線を滑らせた。

 15点だった数値が45点に昇格される。

 それでも彼の中では落第点の点数で、100点満点中半分以下なのだから、失敗作の部類になってしまうのかもしれなかった。


「……お姉ちゃんは好きな味かもしれないけどね。ごちそうさまっ」

 八つ当たりしたことが後ろめたくて、捨てるように言い訳を残してあたしは空き教室から逃げ出した。

 部活に励んでいる学生達を遠くに眺めながら廊下を歩き、校内の空きスペースで自主練している学生達の邪魔をしないよう端を歩いて恵美は玄関へたどり着いた。

 元々誠司の味見に付き合う時は鞄を持ってきているので、荷物を取りに自分の教室に戻る必要はない。

 鞄をしっかり持って、内履きをローファーに履き替えると、特に留まる理由もなかったので迷わず校舎を出た。

 幼馴染と顔を会わせるのは放課後の味見の時だけで、クラスも違うから普段は殆ど一緒にならない。

 当然帰宅は別。帰り道が殆ど一緒でも行動を共にしないのが思春期の男女の常識だ。それに誠司は、趣味を自宅で堪能するためによくスーパーに寄るので、帰り道にばったり会うという事も全くなかった。

 恵美とて寄り道をしないわけではないのだが、少なくともスーパーにはいかないのだ。雑貨を見たり…何かのどが渇いても自販機やコンビニで事足りる。小腹がすいても同じ事で、ファーストフード店くらいに選択肢は増えるが、スーパーは必要ない。

「アイスが食べたいなぁー。濃厚なクリームのやつ」

 甘いものは食べたばっかりなのだが、自分の本能が食べたいと言っている。

 それが誠司が作ってきたお菓子と違ったのは仕方がない。

 っていうか、当然だよね。アイス作って持ってこれるわけないもん。

 学生が使える様な冷蔵庫などないのだ。朝から学校に来て夕方まで冷やしておかなければならないものは作れても持っては来れない。

 頑張ってもゼリーやムース位だよね。

 そうやって一人考えながら帰る道のりはいつもと同じ。

 差し迫った試験や提出課題もないので、恵美はお気に入りのお店をいくつか巡って帰宅した。

 お土産一つを入れた買い物袋、それをぶらつかせながら帰宅する。


 買ったのは雑貨屋で売っていたものだった。


 雑貨という言葉のごとく取り扱っている種類は様々で、恵美が買ったのは定価400円に満たない手作りお菓子材料の一つだった。無難に扱いやすそうなものと選んだのは粉砂糖。

 お菓子を作るのが好きなクセに、手作り感が強くなるような材料を使うのは嫌いなのだ。

 『普段はあんまり作らないけど、あんたの為に頑張って作ったんだからっ!』ちっくな、ぶきっちょさん救済策の様な手作りキットは当然の事、『これ一袋で粉類はオッケー☆』のようなお手軽物も嫌い。おまけに、使うだけで手作り感を演出するようなものも嫌いなのだ。誠司が言うにはアラザンとかいうものらしい。粒状の粉砂糖を銀色でコーティングしたものなんだって。同じ理由でカラフルなチョコスプレーとかも嫌いだとか。

 あれ、可愛いと思うんだけどな。使うと華やかになるし。

「ま、お菓子なんて作った事ないけどね」

 作ってみたいと興味を抱いた頃もあるが、誠司の方が先にお菓子作りに目覚めていて、そして上手だった。

 どうしてお菓子作りにあたしが目覚めなかったのかは、お分かりいただけるだろう。




「ただいまー。ママ、お夕飯少なめにしてー」

「と、いう事は今夜は差し入れないのね」

 10階建てマンションの6階にある自宅に戻ると、ママは「おかえり」も言わないでつまらなそうに呟いていた。

 誠司の差し入れが届くかどうか、それはいつもあたしの話から判断してるの。ママは今でもあたしと誠司が仲良しで、同じ学校だしたくさんおしゃべりしてるって誤解してるみたい。

 放課後に会う以外に顔を見る事なんて滅多にないのに。

「お夕飯何作るの?」

「チキンソテーとサラダにしようかと思ってたけど、デザート無いなら焼きそばにしちゃおっかな」

 「料理の練習してみない?」というママの声は聞こえないふりをして、あたしは部屋に逃げ込んだ。

 マンションの間取りは3LDKで、リビングに併設されている和室は座敷兼両親の仕事部屋として使われている。

 家族は4人で、両親と姉とあたし。

 家族の数に対して、活用できる部屋が少ないと思うのは当然の事で、両親で1部屋。姉妹で1部屋の陣地を与えられていた。

「あ、おかえり」

「ただいま」

 入口は共有で、室内は個々に区切るように家具を配置して個人のスペースを確保している。机と本棚、ベッドとクローゼット。

 防音や遮光が完全ではないが、それでも視界に姿を捉える事は少ないのだから大分マシだった。それぞれのテリトリーへの入り口は、カーテンで安易に覗けないようになってもいる。

 帰宅した恵美に、姉の由美はわざわざ自分のテリトリーから姿を覗かせて出迎えの挨拶をくれた。

「ね、恵美、背中のファスナーあげてくれない?」

「出かけるの?」

 どうやら純粋な出迎えで姿を見せてくれたわけではないらしい。自分のテリトリーに鞄を放り込むと、途中で断念したファスナーがぶら下がっている姉の背中に手を伸ばした。

 綺麗な肌を包み隠すと、

「ありがと」

 くるりと向き直ってお礼の言葉と共に微笑をくれた。

 由美お姉ちゃんとあたしはよく似てるって昔っから言われてた。姉妹だから当たり前だけど、と笑って言われる場合が多くて、…でも賛辞を受けるのはもっぱら姉だった。

「恵美ちゃんも将来由美ちゃんみたいな美人さんになるのねー」

 褒められることが全くないわけではないけど、いつもこんな風に言われるの…これって、未来のあたしに期待してるってだけで、今のあたしを褒めてくれてるわけじゃないよね。

 小学校卒業した位になって分かったけど、できれば気付きたくなかったなぁ…。


 お姉ちゃんはね、素直に今の自分を褒められるの。美人さんになって、とか、綺麗で羨ましいわぁっとかって。

 そりゃ勿論、お世辞が入ってるのも分かってるよ? でもね、一度も今の自分を褒められたことの無いあたしとしては羨ましいの。


「今夜は飲み会なの」

 わざわざ着替えて行くほど重要なミッションってこと?

 カーテンの隙間に見えたのは、脱いだままの普段着。

 床に散らばる服よりも明らかに華やかな衣装に着替えたお姉ちゃんを見つめた。

 大学生のお姉ちゃんはまだまだ年齢を重ねることを素直に喜べる若さで、まだまだ綺麗になったねーって褒めてもらえるの。

「結構いいなって思ってる人が来るって言ってたから」

 瞳をキラキラ輝かせて、上機嫌で身支度の続きの為に自分のスペースに消えてしまったお姉ちゃんと見送って、あたしは肩をすくめて自分の空間に入ったの。

 置いたままの鞄とプレゼントを踏まないように注意して、ベッドにごろんと横になった。

 自分の事を一途って言っちゃうと、じゃあお姉ちゃんは違うのかって…やっぱり思うよね。

 防音が完全じゃないから、上機嫌なお姉ちゃんの鼻歌が聞こえてきた。

 割合惚れっぽい…って表現が妥当、なのかな?

 恋多き女。うん。そっちの方がしっくりくるかも。

 恋愛する事が引いては妊娠・出産、子孫繁栄って遺伝子学的なモノに則ってるっていうなら、お姉ちゃんは本能に則って生きてるのかな。

 身近にお姉ちゃんを慕ってる異性がいるのにな。

 どのくらいの年齢差までが許容範囲なのか分からないけど。

「お姉ちゃんの狙ってる人って同い年の人?」

 寝転がりながら隣の空間に声をかけたけど、返事の代わりに鼻歌が続いてた。聞こえてるはずなんだけどね。

 聞こえている鼻歌はお姉ちゃんが好きなアイドルグループの最新曲。今歌っているのは丁度サビの部分だから、歌い終わるまでは返事はもらえないのかも。

 そう思って、あたしはぼんやりと寝転がったまま自分の空間を眺めてたんだ。

 もしかしたらサビが終わったら答えてくれるかなって思ったけど、お姉ちゃんは最後まで歌い終わるまで返事してくれなかった。

「ないしょ」

 しかも返事がつれない。

「いじわる」

「文句の1つも言わないで、恵美だって彼氏の1人や2人作ったら? 私が女子高生だったころは……」

 そこで話が途切れたのは、たぶんお姉ちゃんが考えていたから。生涯付き合う彼氏の数で、何番から何番までの彼氏が高校時代にいたのか。

 その候補に誠司があがった事はないの。

 それだけたくさんつきあうなら、1度くらい候補にあげればいいのにね。


「じゃ、お休み」

 身支度が終わったみたい。お姉ちゃんが帰宅するのがあたしの就寝後になる予定みたいでおやすみの挨拶を済ませて、あっさりと出てっちゃった。答えは結局教えてくれない。

 ま、つまり今夜はこの部屋で多少騒いでも大丈夫ってことで、それなら早速って、ベッドを下りて鞄からちっちゃな音楽プレーヤーを取り出した。

 いつもならイヤホンで聞くんだけど、スピーカーに繋いで室内に響かせる。

 部屋の狭さは変わらないけど、それだけで解放感が広がって、いつもなら手を付けるのにかなり時間を要する宿題なんて、さっさと片付けてしまおうって気にもなってきた。

 ご飯まで時間あるし。

 ちゃっちゃと片付けてしまおうじゃないか。

 そんな風に考えて、あたしは勉強に取り掛かった。

 あたしの片思いの相手は誠司、誠司の片思いの相手はお姉ちゃん。だけど、誠司の片思いが実る様子は…まだ、ない。

 それで安堵した……つもりは、なかったの。…たぶん。




「今日は誠君の差し入れはないのかぁ」

 ため息を吐きながら、ママはそうめんをすすっていた。

 焼きそばにするって言ってたのに、頂き物の乾麺が残ってたからってメニューを変えたみたい。

 冷たいそうめんは、夜が更けてほんの少し肌寒くなる今の季節にはあってないと思う。せめて温かかったらとは思ったので、お水でつゆを割るのを、あたしはお湯で割る事にした。

 おそうめんだけのシンプルというか質素なお夕飯は、たぶん誠司が来ない事も関係してるんだろうなー、なんてひっそり思った。

 とりあえず、手伝っても料理の勉強にはならないよね。今夜のお夕飯。

 なんて思いながら、あたしもママに倣ってそうめんをすすった。

「差し入れないんだから、もっと食べたら?」

「いいよ」

 普段、誠司がお菓子を持ってくる日は、殆どお夕飯を食べないの。

 おなかが空かないわけじゃないよ。だけど年頃の乙女だし、やっぱりカロリーとか気になるんだもん。

 誠司が作るお菓子が洋菓子ばっかりで、太りやすいんだもん。

 そう言う微妙な乙女心を理解しているのか、誠司が作るお菓子はみんな一口サイズ。だから味見だけの日はちょっとご飯を減らして、お家におすそ分けに来る日はもっとご飯を減らす。

 味見してる事をママ達は知らなくて、だからダイエットしてるって思ってるみたい。

 同じ女としては気持ちを察してくれるけど、過度に痩せるのは身体によくないって…だからもっと食べるように勧めるんだ。これ以上痩せようってあたしが躍起になったら間違いなく病気だから。

 一人前の三分の二くらいをたいらげて、あたしは部屋に戻った。

 勉強は終わってるから後は自由時間。

 部屋の隅に置いた鞄を前に、あたしはしゃがんでそれを睨んだ。

 鞄と一緒にある袋。

 いつも無償奉仕でくれるお菓子のお礼にって買ってみたけど、いつ渡そう?

 どうせ数日中にはまた味見の機会はあるだろうけど、その時に? って考えて首を傾げちゃった。

 味見や差し入れのお菓子がプレゼントというなら、誠司から貰ったプレゼントは数えきれない。それに対して、あたしは何も返した事なかったの。どれだけ記憶を手繰ってもね。

 あ、お礼は言ったよ? 「ありがとう」って。でもそれも、プレゼントを本当に渡したい相手がお姉ちゃんだって知ってからは言わなくなっちゃった。

 「おいしい」と「ごちそうさま」は言ってるし、作ってるのは誠司の趣味だもん。ストレス発散だもん。

 お菓子作るの、本当に好きみたいなんだ。誠司の両親も、悪い事してるわけじゃないからって反対はしてないみたい。卵とか小麦粉とか、そう言うお菓子専用の材料以外は食費から出してくれてる。

 だけどね。反対しないのと、作ったお菓子の消費は別問題。誠司のパパは甘いもの嫌いらしいし、ママと誠司だけじゃ食べきれないんだって。それで、幼馴染の家に差し入れが来るの。

 誠司のママにすれば、「こちらこそ引き取ってくれてありがとう」って心境なんだって。

 本題からずれちゃった。

 これをいつ渡すかって考えてたんだった。

 お礼よりは材料費を半額負担した方が喜ばれるだろう事は察してるけど、前にママがそれをしたら誠司と誠司のママ双方から突っ返されちゃったみたい。


「あの子の趣味ですから、部活か何かだと思えば必要経費ですよ。月に何万も使うわけじゃないですから」


「そう言う事をされると、かえってプレッシャーになるからやめてください。食べきれない程作って、捨てるのが嫌なだけですから」


 誠司のママの言葉はともかく、誠司はお姉ちゃんの為に作ってるんだもんね。

 そう思って、買ってきた袋を握りしめた。

 味見だって、お姉ちゃんの為。

 雑貨屋で見かけて買った時は、その大事なポイントを完全に思考から消し去ってた。

 作るのは趣味。そして渡すのは彼なりのアプローチ。

 あたしがもらえるのはついで。ママと一緒。

 お礼を渡すのにシチュエーションとか、そう言うのを気にするレベルじゃない事に気付いて、ため息を吐いてそのまま部屋を出たの。袋、手に持ったまんま。

「恵美? 今からお風呂沸かそうと思うんだけど?」

「すぐ戻るから」

 渡すだけなら往復で10分もかからないから。

 ママにそう言い残して我が家を出て、マンションの共同フロアを黙々と歩いてすぐに目的地に到着した。

 緊張とか何も湧かなくてチャイムを押して、しばらくして出てきた人物にあたしは思わず目を見開いていた。

「…いま、作ってたの?」

 普段着にエプロン姿の誠司。薄力粉を振るったのか黒色のエプロンは一部白くなっていた。

 開いた玄関ドアの向こうから香ばしい香りはしないから、まだ焼く前みたい。小麦粉を生で食べるって聞かないし、必ず火はつかうよね。

「いつもごちそうになってるからお礼」

 そっけなく告げて、あたしは袋を誠司に押し付けた。

 用事はそれだけしかないから、すぐに帰るために身体を反転させる。

「今日食べたシュークリームが残ってるけど、いらない?」

「…ママなら食べるかも。お姉ちゃんは出かけちゃったし」

 おやつが無くて残念そうだったママを思い出して呟くと、気をよくしたらしい誠司に後ろを向いたまま引っ張り込まれていた。

「おじゃまします」

 入室の挨拶を言えたのはキッチンまで上がりこんでからだった。

 渡した粉砂糖をさっさとテーブルに置いて、誠司は冷蔵庫へ向かってしまう。

「何作ってるの? それに、お夕飯は?」

 食事を済ませた気配もないし、今から作るって雰囲気もなかった。

 キッチンはこれから作るらしいお菓子の材料や器具でテーブルを占めていたから。

「スーパーでおにぎり買って食べたよ。親父達は帰ってくるの遅いんだ。いつもどこかで食べて帰ってくるから」

 事も無げに言いながら、誠司は冷蔵庫に保存しておいたタッパーを取り出してきた。

 味見が問題なければそのまま差し入れするつもりだったのだろうタッパーには一口サイズとは言っても3人分のシュークリームがたっぷり。

 ママ1人にしては多すぎる量を受け取り、戸惑って誠司を見つめたが、彼はまた趣味の世界へと戻ってしまった。

「何作ってるの?」

「…見れば分かるでしょ」

 分からないから聞いてるのに。

 自分の時間を邪魔されるからか、誠司の言葉は厳しかった。

 あたしがお菓子作り素人なの知ってるのに。


 味見以外では相手にするのが嫌みたいで、それがものすごく悲しくて、あたしは項垂れて誠司の家を後にしたの。

 お礼を喜んでもらおうなんて考えてなかったけど、でもそれにしたって酷いと思わない?

「恵美。お風呂。あら、どうしたの?」

「今入る。これは誠司から。食べきれないからどうぞだって」

「あら、誠君の所行ってたの?」

 まだ何か言おうとしたママにシュークリームを託して、あたしは着替えを取りに行くために部屋に戻った。


 誠司が何を作っていたのか、答えを教えてもらえた…というか知ったのは次の日の放課後だった。

 クッキー。

 絞り出すタイプのクッキーを作ってたんだ、と答えを見て知り、お店で売っているような綺麗な形のクッキー達をしげしげと見つめた。

 生地は皆プレーンだけど、何か混ぜ込んだりジャムが乗せられていたり、種類ごとに形は違っていた。

 各種類1個ずつ。味見用だから当然の量で、たっぷりあってもカロリーが気になるので良心的な量。

「誠司は昨日味見したの?」

 とりあえず無難なプレーンを選びながら話しかけたら、

「生焼けはしてないよ」

 味以外のコメントが返ってきたの。

 それっておいしいのかおいしくないのか分かんない。

 思わず摘まもうとした指を止めていた。

「とりあえず甘いのよね?」

 甘いと思って辛かったりしたら困るもの。

 洋菓子以外誠司が作った事はなかったけど、新天地を求めたのかもしれない。別にそれはそれでいいけれど、予告くらいはしてほしい。

「甘いけど」

 けど?

 微妙な言い回しに味見するのを躊躇っていると、まだ摘まんでもいなかったクッキーを、容器ごと抱えてつき出された。

「前に作ったクッキーの改良版なの?」

 絞り出しクッキー自体は随分昔に彼が作った物だった。

 その後出てくる改良版はクッキー生地にココアやチーズ、カボチャペーストを練りこんだりした変わり種で、今回のように生地自体がプレーンというのは久しぶり。

 プレーンのクッキーをとりあえず摘まむと、誠司は容器を置いてシャープペンを握っていた。

 味見。これは味見なんだから。

 慰めるように胸中で念じて、あたしはクッキーを口へと運んだ。

 おいしければ今夜家に差し入れされるんだもん。不味いわけないよね。お姉ちゃんが食べるんだから。

 初めてかもしれない。まるで薬でも飲む様に警戒しながら口に詰め込むと、少し控えめな甘さが口内に広がった。それと同時に焼き菓子特有の香りと少し違う香りに気付く。

「おいしい」

 意表をついた美味さに素直に感想を漏らして、あたしは残りのクッキーをじっと見つめた。

「何が入ってるの?」

 見た目は普通のプレーン生地だった。でも、何かが入っていたことは間違いないの。

 昨日は何度尋ねられてもなかなか言わなかった感想を、今日は尋ねる前に答えていた事にも気づかないで誠司を見つめた。

 レシピに記入している誠司は、意地悪のようにレシピがあたしに見えないように隠して色々と書き込んでた。

 見せてくれてもいいのに。

 お姉ちゃんを驚かせたい気持ちが分からないわけでもないけど、教えてくれないのってズルいし酷い。

 だって、あたしがお姉ちゃん達に先に喋っちゃうって思ってる。そう言う事でしょ?

 むーってクッキーを飲み込んだあたしは、唇を噛んでそっぽを向いていた。

 いくらなんでもひどい。

「これならきっと喜ぶよ」

 いつもなら、どんなに傷ついても笑ってるふりして付き合えるはずなのに。

 我慢できない理由の一つにお姉ちゃんの事があったのは否めなかった。

 今朝の出来事があたしの脳裏をかすめていく。




 「首尾はどうだったの?」と尋ねたのはママで、どうやらママもお姉ちゃんの昨日の気合の理由を知ってたみたい。

 まだアルコールが残ってて、少し疲れていた様子だったけど、お姉ちゃんはそんな事全部忘れたみたいに嬉しそうに笑顔を見せてくれた。

 次の瞬間には二日酔いに負けてテーブルに突っ伏してたけど。




 あたしも誠司も恋が上手くいかないのに、お姉ちゃんだけ上手くいくのはズルい。

 そんなひねくれた感情が刺激して態度に示して、後になって気まずさがやって来た。

 まだ味見しているのに。

「後は、あたしもお姉ちゃん達と一緒に味わうからっ」

 言い訳は鞄をつかんでドアの所まで来てから言った。

 全部じゃないけど、感想言ったもん。

 そう正当化して、あたしは唯一と言っていい誠司とゆっくり過ごせる居場所から、逃げ出してしまった。




「ただいま…」

「おかえり。お夕飯は?」

「いらない」

「と、いう事は誠君来るのね?」

「来る、けど。そうじゃなくて、あたしは食べたくないの。誠司が着ても、声かけなくていいから」

 説明しながらお風呂の給湯スイッチを押して、あたしは部屋に、そしてすぐに浴室に逃げ込んだ。

 どっぷりとお湯に浸かって、ひたすら時間が経つのを待ったあたしは、のぼせる直前までお湯に浸かり続け、ふらふらになりながらお風呂から上がってベッドに倒れた。

 水分が欲しいと思ったけど、起き上がるのも声を上げるのもだるくてする気にならなくて、このまま脱水で死んじゃうことはないよね…なんて一抹の不安を抱えながら、引きずり込まれるように意識が落ちてしまった。



 1日1日、ゆっくりと時間は少しずつ過ぎていく。

 身に染みる程の寒さはまだまだ遠いけど、学生は他の事でも月日の流れを痛感できる。

 服が小さくなったとか、そう言うのならまだまだ可愛いよ。

 あたしの言う月日の流れ、って言うのはずばり試験。

 まだ先だと思ってたけど、授業中に先生が言ったの。

次の試験にはここ出すから、って。

 その言葉を聞いただけで憂鬱になっちゃった。

 昨日勉強もしないで寝ちゃったから余計に酷くて、予習していない時に限って先生にあてられてついてない。宿題はそれらしくプリントを埋めて出したけど、大丈夫かなぁ…。

 試験期間が始まると、誠司はさすがに趣味を自粛するの。部活だって試験週間中はお休みだし、部活動の活動と併せてるのか、誠司のママが怒るのかも。

 ああ、あたしも赤点は取らないように勉強しておかないと。

 それでも問題の試験週間はもう少し先の話で、あたしはいつもの空き教室に寄ってみた。

 空き教室って言うと、施錠されてるところにこっそり忍び込んでる感じがするけど、違うからね。

 少子化で使わなくなった部屋に、他の教室と同じように机が並んでる空き教室なの。同じ用途の部屋が自習室として解放されてるんだけど、この教室は三年生の教室からは遠いし奥まってるから、滅多に人が寄らないだけ。

 不良や他の学生が溜まらないのは、ここが職員室の目と鼻の距離だから。

 と言っても、階が違うから階段で職員室からは一階降りなきゃダメなんだけど、放課後とかは部活へ覗きに行く最短ルートの一つとかで、結構この教室の前を通るんだ。

 だから気まずいみたい。あたし達はこの部屋にいてもお菓子を摘まむくらいで、時間も30分ほどだから気にしないけど、普通のカップルには…ま、都合が悪いんだって。先生がいつ覗き込まれてもおかしくないし。


 お菓子の持ち込みは禁止されてないから、あたし達は気にしないの。だから、ここはいつの間にかあたし達だけの場所になっていた。

 静かに教室を覗きこむと、中にはあまり掃除のされていない、雑然とした机が少し歪んだ列を作っていた。

 まだ、来てない?

 ホッとしたような、残念なような心境で教室内に入り、ドアを閉めて定位置に座った。

 何もしないでただ待つのが落ち着かなくて、試験がまぁ迫ってるしって、珍しく教科書とノート、それとプリントを取り出して勉強して待つことにする。

 自習室として本当にこの教室を活用するのは初めてだった。


 今度の課題プリントは真面目に埋めようと決めて必死に問題を解いて………………気付けば解き終わってしまった。

 教室の時計を見ると、時間は30分くらい過ぎてる。

 今日はないのかな?

 お互い幼馴染でご近所で、クラスは離れてるけど同級生。

 だけど、メールのアドレスは知らなかった。

 いつもなら、味見が無ければ無いでそれだけ言って帰るのに。

 初めて不都合さを感じて、けれどそれを理由にアドレスを聞けるかなって迷って、考えるのは止めちゃった。

 お姉ちゃんのアドレス聞きたいって言われたら、また落ち込んじゃうもん。

 とにかく今日は味見なし、かぁ。

 プリントも埋めたし、きっと誠司はお菓子作りの材料を買いにスーパーを闊歩しているのかもしれない。

「せめて黒板か机に伝言書いておいてほしかったなぁ」

 待ちぼうけを食らったが、勉強して待っていたのでそう無駄にしてたわけでもなくて、だからそう怒る気持ちも湧かなくてあたしは帰宅した。

 昨日誠司が持ってきたというクッキーは、「いらない」と言ったあたしの言葉を素直に受け取ってか、1つも残っていなかった。

「お夕飯1人前」

 ただいまの挨拶もしないでママに言うと、珍しそうな表情を向けられた。

 皆には内緒の味見も今日はしていない、だから1人前食べるって言っただけなんだけど、味見を知らないママは不思議でならないんだと思う。

「まいったな~今夜麻婆茄子にしようと思ってたんだけど…」

 あたしの嫌いな食べ物はいくつかあるけど、1つはナス料理。食べるとね、舌がかゆくなるの。アレルギーみたいなものかなって思ってるけど、詳しく調べたことはないの。舌がかゆくなるだけだから症状は軽いんだと思うし。…ただ、あたしはそれが嫌で食べないんだけどね。

 あたしが食べないって分かってるのにママが作るのは、あたしと真逆でパパがナス料理を好きなの。だから、割と高頻度で作るんだ。誠司の味見と差し入れのある日は、あたし殆ど食べないし、きっと軽くもう1品作って、それをあたしに出すつもりだったんだと思う。

「カップ麺でも何でもいいよ」

 そう言って、あたしは部屋に入った。お姉ちゃんはまだ帰ってきてないみたい。

 机にノートを広げて、やる気の出ないままにぼんやりと勉強に耽った。実際はほとんど進まなかったけど、それでも時間は過ぎてくれた。


 出されたのはカップ麺1個だった。麻婆茄子以外のおかずは出されるのかと思ったけど、予想外にシビア。

 せめてもの優しさなのかカップ麺はビックサイズ。って、それ、優しさじゃないよ、ママ。

 ダイエットを気にする年頃の乙女に、太りやすい炭水化物オンリーの夕食を出すのは、同じ乙女だった者としてどうかと思った。

 あたしは将来娘が生まれて同じ状況になったらサラダをつけてあげよう。

 あるかもわからない可能性を考えながら、しょうゆ味のスープが絡む麺をすすった。

 初めて食べた味のカップ麺は、ご飯のおかずというのをコンセプトにしているのか結構味が濃かった。しかも、…あんまりおいしくない。

 だからみるみる食欲が落ちて、半分も食べないところで止めちゃった。結局普通のカップ麺1つ分も食べてない。

 美味しくなかったのはママも1口食べてみて分かったみたい。

「他に何か食べる? 買ってくる?」

 そう聞かれて、

「甘いものがいい」

 答えるとママは苦笑した。

「ご飯を食べる? って聞いてるの。甘い物食べたかったら、誠君の所覗きにいったら?」

 結局食べたいものは食べられないみたい。

 仕方ないから自腹でコンビニに行くことにしたの。

 アイスでも買おっと。

 コンビニはマンションを下りて少し離れた所にあるけど、別に不便は感じない。とりあえずアイスだけを買うためにと玄関を出ると、

「え?」

 ばったりと誠司に出くわした。

 丁度チャイムを鳴らそうとしていたみたい。驚いた表情であたしを見て、あたしはあたしで誠司が持っている荷物に首を傾げてた。

 温度を保つ保冷バッグを手に立っていたから。

 お菓子じゃなくて、誠司ママからのお遣いか何かだと思ってママを呼ぶことにした。

 あたしが伝言を聞いても、記憶違いしてしまうとイヤだから。

「ママー」

 キッチンに向かって呼ぶと、ママはすぐに顔を出してくれた。

「誠司、お遣いみたい」

「あら?」

 驚いた様子のママに託し、あたしはエレベーターへと向かう。

「あら? 恵美―? 誠君、アイス作って持ってきてくれたんだって」

 感激といった声で後ろから呼び止められた。

 アイスを買いに行こうとしていたのだから、このおすそ分けはありがたい。でも、

 そうなら一言教えてほしかった。

 そう思っていると、目指していたエレベーターが開いた。

「ただいま、何してるの?」

 新しい恋が始まったばかりの由美お姉ちゃんは上機嫌で、スキップでもしそうなくらい浮かれた表情。

「誠君、アイス届けてくれたの」

 ママの嬉しそうな言葉を聞いて、由美お姉ちゃんの表情は更に嬉しそうに綻んだ。

「チョコミントってある?」

「え? うん。作ったのはチョコミントだけだから」

 お姉ちゃんの大好物な味のアイスを作ったらしい。


 大嫌いじゃないけど、もっと甘ったるい味の方が良かったなぁ…。


 バニラの方が良かった。だからやはりコンビニに行こうかと足を進めると、上機嫌で玄関へ向かう姉に手を引かれて家に連れ込まれてしまった。

 前にお姉ちゃんが好きなアイスの味話したかも。

 味見をしていないからか、誠司はあたしの家に上がりこんできた。

 誠司が家に上がりこむ事は珍しくないけど、今日は特に反応が気になるからだと思う。

 ピンポイントでチョコミントを作ったのは、前に誠司が尋ねた事があったからだった。


「アイスなら何味が好き?」


 お菓子を作るうえで、こうやって嗜好の確認されるのは珍しくなかった。

 こういう話をされるたび、建前であたしの好みを聞いて、お姉ちゃんの好みを聞きたいんだと思ってたの。昔からそうやって答えてきて、最近は少し煩わしく感じてる。だって、虚しい。けど、教えると誠司は喜んでくれるから…仕方ないよね。

 だからね、誠司はお姉ちゃんの好みを掌握してるって言ってもいい。

 食、だけだけどね。

 アイスを前にお姉ちゃんが上機嫌なのが何よりの証拠。

 上機嫌のお姉ちゃんを盗み見ていると、お姉ちゃんはスプーンですくった1口分のアイスを頬張って、可愛らしく歓声を上げてた。

 市販のチョコミントアイスみたいに鮮やかな水色で、見た目もかなり本格的。

「おいしーい。昨日のクッキーもおいしかったけど、こっちも大好きな味だわっ」

 お姉ちゃんの感想に誠司が少し照れてた。

 きっと、内心はもっと嬉しいんだろうな…なんて考えながら、ママが食べるのに倣ってあたしも食べた。清涼感のあるすっきりとした後味のアイスはおいしい…けど。

 よくよく考えたら、誠司が手作りのお菓子を届けて家に上がりこんだ状態で、お姉ちゃんと一緒に居合わせたのは初めてだった。

 美味しいって言われただけで幸せなんて本当にささやかな事。だけど、そうやってつれない関係ってあとどのくらい続くんだろうって、考えちゃった。

 中学から、誠司の身長は伸び始めてる。今もまだ成長期の途中みたいで、あたしは見上げなきゃ立って会話もできないの。小さい頃はこんなに小さくて離れてるから相手にされないって安心してたこともあったけど、成長期が終われば見た目は立派な青年…お姉ちゃんも歳の差は気にしないかもしれない。

 今は、彼氏いるもん。お姉ちゃん。

 2口目のアイスは、味なんか分からなかった。ただ冷たい塊が、舌の体温で溶けていく。溶けて唾液と混ざった物を併せて飲み込んで、スプーンで残るアイスをつついた。

 お姉ちゃん、誠司の事なんて相手にしないんだから。………たぶん。

「恵美? どうしたの?」

「……なんにもないよ」

 ママに声をかけられ、我に返ったあたしは早食い競争のようにアイスを口内へ詰め込んだ。

 口の中が一気に冷えて、結局1口目以外、味はわかんなかった。

 皆食べ終わるってしまうと誠司の方が気まずかったみたい。ママはコーヒーを淹れて、お夕飯がまだだっていう誠司に食べてくよう誘ったんだけど(勿論余分な分などないので、食べていくかと勧めたのはパパの分だった。パパの大好物だって作ってるはずなのに)、誠司は断って帰って行った。

 きっと、帰ってすぐにレシピに点数を書き込んでるんだろうなぁ…。

 何て思っていると、目の前にお皿が差し出された。

「パパが大好物だったから作ったんじゃなかったの?」

 目の前にあるのはたっぷりの麻婆茄子。あたしの食べられない麻婆茄子。

「パパには由美のを出すからいいの。誠司君家、パパもママも帰宅が遅くてお惣菜のゴハンが多いんでしょ? アイスのお礼に届けてあげて」

「じゃ、コンビニでパスタでも買ってこよっと」

 だったらお姉ちゃんが届けた方が喜ぶって言おうと思ったのに、見越したようにお姉ちゃんは自分のゴハンを買いに部屋を出ていってしまった。


 届けるだけ。


 追加で渡された白飯のおにぎりも受け取って。こぼさないように注意を払いながら、あたしはラップのかかった麻婆茄子の皿を手にして誠司の家へと向かった。


 トレイに載せてくればよかったなぁ…。

 ウチの玄関のドアはママが開けてくれたから問題なかったけど、少し運びにくかった。こぼさないように注意しながらチャイムを鳴らして、そして一呼吸。

 ゆっくりとドアが開いて、誠司が顔を出した。

「ママが、アイスのお礼にって。今夜はお夕飯まだなんでしょ?」

 あたしの言葉に、誠司は素直に頷いて、そしてドアを全開まで開いていた。

 ここで受け取るやり取りでも充分だと思うけど、運ぶのが面倒みたい。

「お邪魔します」

 テーブルまで届けるよう言われているんだと思って、あたしは誠司の家にお邪魔した。

 今は何も作っていなかったみたい。

 綺麗な状態のキッチンのテーブルにはレシピノートが置かれているだけで、調理をしてた様子はまるでなかった。

 明日も味見は無しね。

 コトリとお皿を置いて、これであたしの用事はおしまい。

「アイス、おいしくなかった?」

「?」

 帰ろうとして振り返ったあたしは誠司と目が合ってきょとんとした。

 今日は味見をしてないから感想は言ってないけど、その分お姉ちゃんのお墨付きを貰えたのに。

「おいしいけど、あたしバニラの方が好きかだら」

 好きな味じゃなかったから、まずそうに食べてるって思ったのかな?

 でも、お姉ちゃんは喜んでたし。

 問題はないんじゃ…?

 首を傾けるあたしの前で、誠司は不機嫌そうに表情を歪めてた。

 なんで?

「チョコミントが好きじゃなかったの? いつから変わったの?」

「変わった? あたし昔からバニラの方が好きだけど?」

 チョコミントが好きだった時なんかないのに、どうしてそう思われているのか分からなかった。

「前に聞いた時、そう言ってたじゃないか」

 気に入らない時に言う、誠司の拗ねた口調。

 そんな風に言われたって分かんないのに。

 好きなアイスの事を聞かれたのはのは確かに過去に一度。

 でもあれは。

「お姉ちゃんの、聞いただけでしょ?」

 いつも自分の好きなものと、お姉ちゃんの好きなものを教えてた。だって誠司が聞きたいのはお姉ちゃんのだもん。それくらい分かってるから、ちゃんと伝えてきてた。


 でもそうするのがだんだん悲しくて心の重荷になって。

 煩わしくなって、建前で聞かれる質問に自分のを言う律儀な姿が滑稽で、いつからか、お姉ちゃんのしか答えなくなってた。

 アイスの好きな味を聞かれた時もそう。あたし、お姉ちゃんのしか言わなかった。

 それだけが聞きたいって、あたしが察してる事も誠司は分かってるって思ってたから。

 だから「お姉ちゃんの」って言わなくても、誠司は文句を言わなかった。伝わってるって思ってた。「由美さんと恵美のどっちの好きな味?」って、聞かれた事ないもん。ここ何年かはずっとそう。


 あたしは、ずっとお姉ちゃんの好きなものを教えてた。


 最初にお姉ちゃんの好きなのだけ言った時、誠司は文句を言わなかったから、それからもあたしは「あたしの好きな味は」って言わなかった。だって、聞くつもりが誠司にないのはっきりしたもん。言えない。

チョコミントアイスなんて、あたしの好きな味じゃないもん。

「いつもそうじゃない。お姉ちゃんのが聞きたかったんでしょ?」

「そんな風に言った事、一回でもあった?」

 不機嫌極まりないと言った表情で睨まれてしまうと、何も言い返せなかった。

 確かに言われた事はないかも。

 でも、その程度を察するくらいはできたんだもん。

「……相手の意をくむくらいはあたしだってできるもん」

「くんでないよ。一滴も」

 まるで責められているみたい。

 間違った事なんて言ってないのに。

「…だって、お姉ちゃんの事好きなんじゃない」

 微妙な空気に耐え切れなくて、あたしは思わず言ってしまった。

 「そうだ」って、肯定の返事が返ってきたら傷つくのはあたし自身なのに。

「…何言ってるの?」

 心を刺される覚悟で身構えていたあたしに、返ってきた言葉は理解に苦しむ声音の言葉。

 しかも疑問形で返ってきた。

 まだあたしに言えっていうの?

 誠司にとっては説明、あたしにとっては自傷の言葉を。

 あれだけ簡潔に言ったのに。

「………誰が、誰を好きだって?」

 答えないあたしに妥協したのか、誠司はなお簡潔に問いかけてきた。

 最初の「誰が」は、言わなくても分かるもん。

 そう思って、「誠司が」って部分は省く事にしたの。

「お姉ちゃんを」

「そこにどうして由美さんが出てくるのが分からないんだけど」

 顔をしかめてる誠司に見つめられて、あたしは首を傾げるしかできなかった。

「どうしてって言われても、あたしの事じゃないもん」

「だから自分で否定してるんだけど」

「否定?」

 誠司の言いたいことがさっぱり分かんない。

「由美さんの事、恋愛対象として欠片も見てないんだけど」

 その言葉を聞いて、あたしは完全に呆けてしまった。

 誠司の好きな人は由美お姉ちゃんじゃない? だったらあたしがいつも伝えてたお姉ちゃんの好きなものの情報ってなんだったの?

「いつも、恵美の好きなお菓子聞いて作ってたのに、どうして分からないかな」

「あたしの好きなお菓子?」

 作ってもらった事、あったっけ?

 昔は――恵美お姉ちゃんとあたしとそれぞれ好きな味を伝えてた頃はあった気がする。

 でもそれは、恵美お姉ちゃんのを聞いてる事に対して、好意を抱いている事を隠したくてあたしの方を先に作ってただけだと思ってた。

 お姉ちゃんのだけを伝えるようになってからは、お姉ちゃんの好きな味のお菓子しか作ってない。

「この前、アイス食べたいって言ってたでしょ?」

「聞いてたの?」

「帰宅時間が同じで帰り道がほとんど同じなんだから、聞こえてても不思議じゃないよ」


 甘ったるいアイスが食べたい。


 学校の帰宅途中、そう呟いていたのが、聞こえちゃってたらしい。

 そして律儀に作ってくれたアイスは、どうやらあたしの好きな味だと思って作ってくれたみたいだった。

「あたし、バニラの方が好き」

「前聞いた時はチョコミント味だって言ってた」

「ずっと、お姉ちゃんの聞いてるんだって思ってたから。だから、いつもお姉ちゃんのだけ」

 伝えてたって、続けようとしたけど、渋い表情の誠司に見つめられて、あたしは言えなくなった。

「オレは恵美のを聞いてたんだけど」


 「誰の」好みか説明しないで、あたしはお姉ちゃんのを伝えてた。誰のかって説明がないから、誠司は答えてるあたしのだって思ってた…?

 意図したわけじゃなかったけど、誠司が誤解していたらしい事を、あたしはようやく理解して……1つ気付いた。

 作って、食べきれないからって届けられるお菓子は、ほとんどが誠司に伝えたお姉ちゃんの好きなお菓子だったって事。

 それを誠司はあたしが好きなお菓子だと思って作ってたって事。

 お姉ちゃんの好きなお菓子を作るのは、誠司なりのアプローチだってくらいは察してたわけで……。


 アプローチしてたつもりの対象が置き換わる事を理解した瞬間に、あたしの体温は急上昇した。

 今なら可笑しくないけど、へそどころか全身でお茶を沸かす事が出来るかもしれないってくらいに。

 え、あれ?

「…い、いつから?」

 作るお菓子に、いつからそう言う好意が潜まれていたんだろ。それに、

「じゃ、味見はなんだったの?」

 質疑の中でお互い主語を言わなかった事が誤解である事は間違いない。けど、あたしがそうだと信じて疑わなかった理由は味見があったから。


 まずあたしに食べさせてみて、おいしくなかったらお蔵入り……つまりお姉ちゃんへは届けなかった。そう言う形式が成り立ってたんだもん。本命がお姉ちゃんだって、あたしが信じたの間違ってないよね?


「味見っていうか、純粋においしいか聞いてただけだよ。家に届ける分より学校で食べてた方が形崩れてなかったでしょ。綺麗なのを確保しようとするとそれなりに作って選別する事になるから、食べきれなかった分を恵美の家族にあげてただけ。うちだけじゃ食べきれないし」

 味見させて、おいしかったら届ける。それが一般的な手法だと思うんだけど、

「恵美が本当に気に入らなかった時は、おいしくないんだって判断して出さなかったんだよ。それこそ、生ごみ処理みたいに誤解されるのも嫌だったから」

 優先順位が違ったみたい。

 あたしが味見だって思ってた行為が誠司には何よりも大切?

「いつからそう言うつもりだったかなんて聞かれても困る。だって、最初からだから」

 慣れない、ほんのりと甘い会話に顔どころか全身赤くなっていた。

 あたしがそんな状態で狼狽していると、誠司があたしを見て小さく笑ってる。

 おかしい事なんてないのに。

「誤解は解けた?」

 優しい声で尋ねられ、答えの代わりなのか手を差し伸べられた。

「…解けた」

 広げられた誠司の手に、あたしは指先だけくっつける。

 片思いだとばかり思い込んでいて悲しかったのが、全て無駄だったのだ。散々胸を痛めたことが無駄だったのだと思うとなんだか虚しいけど、でも、悲しいままに終わる感じじゃないから許す。

「アイスはバニラが一番好き。それと、昨日のクッキーも。あれ、何が入ってたの?」

 触れ合わせていた指を包む様にして握られて、誠司は機嫌良さそうにあたしの話を聞いてくれた。

「恵美のじゃなくて由美さんのつもりで答えた好みのお菓子の分、全部ちゃんと恵美ので答え直して」

 好きな味、好きなお菓子。

 誠司があたしの好物だと思い込んでいた知識の訂正を求められ、気にかけられるのが嬉しくてくすぐったくて、あたしは小さく笑った。


 想われていたんだって、実感するのはなんて幸せなことなんだろう。



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