第二章 遮断された才能
声は、森の奥からではなかった。
むしろ、そこには「声があるはずの空白」があった。
レインは足を止め、耳を澄ませる。
音としての悲鳴は、すでに消えている。
だが、世界の情報が示す欠落は、まだ埋まっていない。
――魔力遮断、強制。
――生命反応、微弱。
――周囲環境との不整合、発生中。
それは偶然ではない。
意図的に施された処置だ。
レインは慎重に歩みを進め、やがて小さな開けた場所に出た。
倒れた馬車。折れた車輪。
地面には、乾ききっていない血の跡がある。
生存者は一人。
木の根元に、少女が倒れていた。
年は十五前後。
服は粗末で、旅装とは言い難い。
だが、その身体を包む空気だけが、周囲と決定的に違っていた。
静かすぎる。
本来、生き物は魔力を漏らす。
呼吸、鼓動、感情。
それらが微細な波として周囲に伝わる。
だが少女からは、それが一切感じられなかった。
「……やはり、遮断か」
レインは膝をつき、慎重に距離を詰める。
敵意の反応はない。
だが、それは安全を意味しない。
遮断とは、才能を封じるために使われる術式だ。
主に、制御不能な資質を持つ者に施される。
レインは単眼鏡を取り出さなかった。
必要がない。
彼の認識は、すでに少女の“構造”を捉えていた。
――魔力循環路、完全閉塞。
――本来の循環量、観測不能。
――潜在構造、古式。
古式。
今ではほとんど使われない分類だ。
「……なるほど」
古代の魔法体系では、才能は“数値”ではなく“形”で管理されていた。
この少女の魔力構造は、現代の枠組みに適合していない。
だから、遮断された。
理解されなかったのではない。
理解できなかったのだ。
レインは少女の首元に、微細な刻印を見つけた。
肉眼ではほとんど確認できないほど薄い。
奴隷契約印。
だが、通常のものとは違う。
命令系統が一方通行ではない。
監視と抑制に特化した歪な構成。
「……管理用か」
才能を使わせず、存在だけを保持する。
売買のためでも、労働のためでもない。
封印された資源。
レインは少女の脈を確かめた。
弱いが、安定している。
問題は、遮断が長引いていることだ。
魔力を完全に閉じられた状態は、生体に大きな負荷をかける。
放置すれば、遠くない未来に――
レインは思考を止め、短剣を取り出した。
あの、錆びた短剣だ。
刃を抜いた瞬間、空気がわずかに揺れる。
少女の魔力構造が、微かに反応した。
――契約条件、成立可能。
――相互認識、必要。
レインは短剣を地面に置き、掌を少女の額に当てた。
「聞こえるか」
声は低く、穏やかだった。
返事はない。
だが、世界は反応する。
――意識、浮上。
――拒絶反応、なし。
レインは短剣を握り、静かに言葉を紡いだ。
「私は、君を利用するつもりはない。
命令もしない。
ただ、構造を正しく扱う」
それは契約文ではない。
誓約でもない。
だが、短剣が淡く光を帯びた。
――記録開始。
――所有者、未確定。
――媒介、成立。
少女の指が、微かに動いた。
遮断されていた魔力循環路の一部が、
ほんのわずか、開く。
息が、深くなる。
少女はゆっくりと目を開いた。
焦点が定まらないまま、レインを見上げる。
「……ここは……?」
「森だ。安全ではないが、静かだ」
少女は混乱した様子で周囲を見回し、
やがて、自分の胸元に手を当てた。
「……苦しく、ない」
それは、事実だった。
完全な解除ではない。
だが、呼吸できるだけの隙間は作った。
「君の名前は?」
少女は一瞬、言葉に詰まった。
「……ない」
即答だった。
迷いがない。
レインは頷いた。
「なら、後で決めよう。
今は、動けるかが先だ」
少女はゆっくりと体を起こす。
ふらつきながらも、倒れなかった。
世界の情報が、静かに更新される。
――魔力循環、部分再開。
――潜在構造、安定方向へ移行。
――危険度、低下。
レインは立ち上がり、少女に手を差し出した。
少女は一瞬ためらい、
それから、その手を取った。
小さな温もりが、確かにそこにあった。
この出会いが何をもたらすかを、
レインはまだ判断していない。
だが一つだけ、確かなことがある。
この才能は、
封じられるために存在していたのではない。
夜の森は、静かだった。
だが、世界の奥では、確実に何かが動き始めていた。




