入学2日目 ③
「私、この学園の野球部の監督になりたいの」
そういった彼女の表情は真剣そのものだったが、発言の内容について理解するまでに少々の時間を要した。
「野球部の、、、監督?マネージャーではなくて?」
「そう、監督」
「えっと、、、気になることしかないんだけど、話の続きを先に聞いても大丈夫?そうしないと言っていることが理解できないと思うから」
「もちろん。話すべき事はすべて話すし、その上であなたに声をかけた理由もすべて説明するわ」
そう言うと彼女は一度姿勢を正して話を続ける。
「野望の話は今言ったとおり。じゃあその理由から話していくと、まぁなんとなくは理解してもらえると思うんだけど、私高校野球が大好きなの。元々は私の1つ下にいる弟が野球を始めたことがきっかけだったんだけど、父が弟のことを熱心に応援して、土日に私も連れ出して応援に行くものだから、野球が日常にあったというのがまずひとつ」
「そのなかで夏の甲子園の時期に父や弟とTVで中継を見ていて、なんというのか、やっぱり一生懸命にプレーする選手を見ていて、高校野球というものに憧れを持ったの」
「でも今の高校野球って女の子が参加することはもちろん、ましてや監督になるなんて夢物語じゃない?」
そこまで話して初めて彼女は俺に同意を求めるように間を置いた。
彼女の話はその通りだ。今でこそ女子野球というものも普及してきて、女子野球部を抱える高校も全国的には増えてきた。だがやはり高校野球というとやはり男子と女子ではその環境に大きな差があり、ましてや監督となると通常は専任の経験者や学校の教員が務めることが一般的だ。
「祖父がこの学校を開設する際、高校野球に力を入れるべきだって意見したの。せめて私の夢は叶わなくても、私が入学する新設校が在校時に甲子園に出場できれば、夢の代わりとして諦められるかなと思っていた」
「ここからは周りには言いふらさないで欲しいんだけど、今年の2月に就任予定だった監督が突然就任を断ってきたそうなの。祖父としては寝耳に水の話。その人が監督になると言うことで準備して、その人の指導力を信じてスカウトに応じてくれた生徒も大半が最終的に進路を変更することになって。実は野球部って今の状況だと試合にも出れないの」
「だから経験者の俺に入って欲しいということ?」
桜木さんは俺の問いかけに困ったような表情を浮かべる。
「結論をいうとそうなんだけど、もう少し話を続けるわね。先ほど伝えたとおり、弟が野球をやっているから、あなたのことも私は知っていたの。というかこの地区でリトルリーグに所属していた野球経験者はあなたと、今は東京の名門高に進学したエースのあの子は知らない人はいないんじゃない」
面白そうに笑みを浮かべて俺を見つめる彼女から、もう2年は連絡を取っていないあいつのことを聞いた。そうか、あいつはあのまま成長して今はそんなところにいったのか。
彼女の話で俺は過去のことを振り返る。
たしかに俺は小学校のころは地元でも有名な野球チームに所属していた。自慢をするわけではないが、チームでも中心選手として、扇の要であるキャッチャーというポジションを任され、打線でも4番を任されていた。ピッチャーとしてバッテリーを組んでいたあいつとは地区を越えて全国でも名を轟かせたと言ってもいい存在だった。
6年生の頃には全国制覇、、、にわずかに届かず準優勝という結果に終わったが、俺とあいつのバッテリーはそのままU12の野球日本代表として同世代の世界のトップクラスの選手たちと戦う機会にも恵まれた。
そして鳴り物入りで同地区のシニアの名門チームにあいつ共々スカウトされ、1年のあるときに俺は野球をやめた。
たとえばチーム内でいじめがあったとかそういう話ではない。いや、1年でマスクをかぶることになり、生意気にも上級生に指示を出していたので、思うところはあったのかもしれないが、それでも直接俺に何か言ってきたり、行動を起こすような人はいなかった。
きっかけと言うべきか、やめた理由は俺と監督の野球が合わなかったからだ。それならチームを変えるという選択もあったんだろうが、あのときはそれほど野球に対して気持ちが切れてしまった。
超管理野球とでも言うべきか、監督は配球から指示出しまですべてに介入してきた。もちろん1年生という立場であることは理解していたので、自分の考えを伝えて理解をしてもらえるように話をしようともしたが、そういうときに限ってこちらの考えを頭ごなしに否定し、かといって俺を干すわけでもなく試合で使い続けた。
結果として当時の俺は監督の指示で動くロボットのようだと感じていた。結果として野球をすればするほど嫌いになってしまう状況だった。あいつからも引き留められたが、このまま3年間その監督の下で野球を続けると言うことは選択できず、また同じ時期に父ちゃんと母ちゃんの離婚という事も重なり、俺は母ちゃんを言い訳にするように野球をやめてしまった。
それ以来あいつとも連絡は取っていなかったんだが、あいつはうまくやれたことに少しほっとした。
「さっき話したとおり、私には夢があった。でも叶わないと思っていたところで祖父からさっき話した事情を聞いたの。チャンスだと思ったわ。そのタイミングで学園の入試会場であなたを見たの。姿は、、、その、大分変わってしまったみたいだけど、すぐにあなただと気づいたわ。そしてあなたが私の夢を叶える存在に変わるかも。そう考えて、祖父にあることを持ちかけたの。」
「あること?」
「創設1年目としては体制はボロボロ。でもU12代表経験者であるあなたの存在は少なくとも今後のチームを組み立てる上での屋台骨担ってくれるはず。野球をやめたことは祖父に説明した上で、それでもあなたを部に加えることができたら、まずは1年様子を見て私に監督をさせてくれるって」
「いや、それは」
「あなたにとっては一度やめてしまった野球だけれど、それでも私はあなたが欲しい」
まるで告白をされているかの言葉に思わず緊張するが、今の言葉は絶対にそういう意味ではないと自分に言い聞かせる。
「説明しなければならないことはこれで全部。そしてもう一度伝えるわ。私の野望、夢のためにあなたが欲しい。私と一緒に、もう一度野球を始めましょう」
真剣な目で俺を見つめる彼女に、いい加減な言葉を返すのは失礼だろう。それだけは間違いないはずなんだけど…
「そうまで言ってくれることはうれしいけど、以前野球をやっていたときとは事情が変わっていて、俺の家は今母子家庭なんだ。今から野球道具やらお金がかかることを母ちゃんに負担させるのは」
俺は母ちゃんを言い訳にまた野球から逃げようとしている。
俺の言葉に、そうと一言呟いて、桜木さんは緊張した様子を解いて一度ソファーへともたれかかる。
目を閉じて理事長室の天井を見上げる。自分の気持ちに整理をつけてくれているのだろう。
彼女の真剣な気持ちに応えられなかった俺は、申し訳なく彼女を眺めていた。
彼女がぱっと目を開き、パンと手をたたく。
そうした彼女から出された言葉は、またしても俺を驚かせた。
「わかったわ。では、あなたの家に行って、お母様も交えてお話しましょう。さぁ行くわよ」
彼女が言い出したのは、まさかの家庭訪問だった。




