4月3週目のある日
桜阪学園野球部が始動して数日が経ったある日の20時。
野球部での練習を終えた俺は入部以降日課になっているトレーニングを行うためにある場所へ向かう。
桜阪学園から自転車で5分ほど移動した先にあるその場所は、桜阪学園を運営する法人が別事業として展開しているスポーツジムであった。
学園にもトレーニング施設はあるのだが、防犯の関係上で20時以降は施錠されてしまうため、これから行うトレーニングに行うために桜木さんが会員証などを準備してくれ、先日から練習後に訪れている。
所定の駐輪場に愛車をとめて、建物の入り口から中へと進み、受付を通り過ぎる。そして受付からカードリーダー付きの自動扉に自分の会員証を当て、そのまま一度更衣室に荷物を置きに行く。
部活動終わりのため学生服で来ているので、トレーニング用の服装に着替え荷物をロッカーに預けると、汗を拭く用の新しいタオルと水分を持参してトレーニングルームへと向かう。
トレーニングルームには俺以外にもマシンで筋トレをする社会人風の男性や音楽を聴きながらランニングマシンを走る女子大生風のお姉さんなど、何人もの人々が好きなように運動をしていた。
そんな姿を横目に、俺はトレーニングマットが敷かれているスペースに移動すると、部活動の練習時同様に柔軟運動を始める。
10分ほど柔軟運動をしてその場で過ごしていると、先ほど俺も通った自動扉から見覚えのある姿がこちらに近づいてきた。
「今日もしっかり柔軟運動からスタートしているのね」
「あぁ、練習後とはいえ、時間が経っているから怪我の予防にな、っと」
やってきた桜木さんの言葉に、ちょうどキリがいいと最後にぐっと身体を伸ばす。
桜木さんは白の半袖のトップスを身にまとい、黒のレギンスの上にはグレーのショートパンツを履いている。
このジムでも同様の格好をしている女性や、よりおしゃれな格好をしている年上の女性もいるのだが、桜木さんはその容貌も相まってジムの中でも一際輝いて見える。
その証拠に俺と話す桜木さんのことを、トレーニングをしながらチラチラと視線を送る男性が複数見受けられる。
「なんでここまで準備にストイックになれる人がここまで太ってしまうんでしょうね」
「それは母ちゃんのご飯が旨すぎるのがわるいんだよ。作ってくれたものを残すなんて出来ないしな」
「そうね。お母様のご飯は大事にしないとね。でもそれとこれとは別、今日もしっかりとトレーニングを行うわよ」
「いつも言ってるけど、別にトレーニングは俺一人でもしっかりするから桜木さんも自分の時間に使ってくれていいんだぞ?」
「いいえ、お母様からあなたがしっかりと痩せるまでは面倒を見るよう任されているんだもの。監視されたくなければ、まずはスマートな身体を取り戻しましょう?」
不敵に笑う桜木さんに俺は渋々従い、桜木さんとトレーニングマシンの方に移動する。
「さぁまずは20分ほどバイクで汗を流しましょうか」
「了解、負荷は前回と同じでいい?」
「いえ、まずは身体を温めるために低負荷でかまわないわ」
「OK」
桜木さんとそう言葉を交わすと、俺はバイクマシンに跨がって運動を始める。その横では桜木さんも同様にマシンに跨がって俺と同じように運動を始めた。
桜木さんは俺がこのジムで運動をする際、筋トレ用のマシンを使ったトレーニングや自重トレーニングをしているときはそのそばでサポートや指示をしてくれるが、ランニングマシンやバイクマシンで汗を流す際は、俺の隣で運動をしている。
トレーニング中はお互い無言である。
俺は目の前にスマホを置き耳にイヤホンをつけて動画を視聴していることが多いし、桜木さんもスマホのアプリでその時々だが勉強を行っている。今日は英単語のアプリで単語の勉強をしているようだ。
思い思いにバイクを漕ぎながら動画を視聴していると、桜木さんから肩を叩かれる。動画に集中して予定の20分はとうに過ぎていたようだ。
「それじゃあ今日のトレーニングに移りましょうか」
「OK。それじゃあ補助よろしく頼む」
「任せなさい。今日もビシバシ行くわよ」
「頼むからお手柔らかにな」
そう話しながら桜木さんと連れ添って指定された器具の方向に歩いて行く。
トレーニングメニュー自体はこのジムで働いているトレーナーの方が今の俺の筋肉量を基に適切なトレーニングメニューを組んでくれている。本来は有料となるはずだが、桜木さんや手を回してくれている理事長のおかげで無料でそういったサービスを提供頂いている。
もちろんトレーナーの監督が必要なマシンを使用する際には手が空いているトレーナーに声を掛ければサポートも入ってくるし、ベンチプレスなどはジムの常連さんがこぞってサポートに入ってくれることもある。
これはどちらかというと桜木さんと少しでも話したいおじさんたちが、これ幸いとばかりに近づいてきているという疑いはあるのだが...
それはさておき、今日はレッグプレスという太ももの筋肉を鍛えるマシンからトレーニングを開始する。
今日は下半身の筋肉を中心にトレーニングする予定である。
「それじゃあいつもの重量から15回を3セット行きましょうか」
桜木さんはそう言いながらマシンの重量を調整してくれる。
「おっしゃ、行くぞ」
「いーち、にー、さーん」
俺がプレートに乗せた足を力を込めて押し出すのに合わせて、桜木さんはカウントを唱えてくれる。
俺も足の筋肉に集中しながらマシンを動かしていく。その間にも桜木さんのカウントは進んでいく。
「12,13,14、ラスト!」
15回の運動を終えると、俺は一呼吸つくため一度プレートから完全に足を外して太ももの筋肉をいたわるようにマッサージを行う。
「はい、インターバル終わり!2セット目いくわよ」
1分ほど小休止を取ると、桜木さんから再開の合図が入るので俺は再びプレートに足を乗せて運動を開始する。
2セット目も同様に15回の運動を行うと、先ほどと同様に1分間の小休止に入る。
「3セット目!」
「おっしゃ行くぞ!」
そして3セット目に入る。ここでも1から桜木さんのカウントが始まる。
だが3セット目だけは少し特殊である。
「11、12、13」
所定の15回まで残り2回と終了目前まで進んだところなのだが
「14、14,14」
毎回カウントの方法は異なるのだが、最終セットのみ回数がプラスされる。
ちなみにこれはトレーナーからも有効な方法だと聞いていて、人間は回数が決まっているとそこをゴールに体力を温存しようとするらしい。だがトレーニングとして本当に有効なのはこの終わりと想定したところからの数回分なのだとのこと。
「14,14.5、ラスト!」
回数を増やしすぎれば怪我にもつながると言われているので、回数は重量によって読み上げる桜木さんが調整を掛けるが今日はプラス5回で終了した。
「はぁーきつい」
俺がプレートから足を外して息をしていると、桜木さんが水の入ったペットボトルを差し出してくれる。
「サンキュー」
俺はペットボトルを受け取ると、キャップを開けて数口勢いよく飲み干す。
「それにしてもやっぱり金沢君も男子よね。いつも見ているけど、この重量を軽々とこなすんだもの。私だとこの半分でもきついのに」
「まぁこのあとこれ以上の重量も数回こなさないといけないから、これぐらいは普通にやらないとな」
最後に現状の重量にもう少しだけ負荷を乗せた状態で5回ほどメニューをこなさないといけないので、実際にしんどいのはこれからである。
「それでもよ」
「俺のメニューが終わったら桜木さんもやれば?俺が補助するし」
「そうね、ちょっとだけやろうかしら。でもまずは金沢君よ」
そう言って重量を調整してくれた桜木さんはもう少し小休止を取ろうとしていた俺をトレーニングに戻るように促す。
俺も無言で指示に従うと、負荷の上がったプレートを両足に力を込めて押し出した。
「1,2,3,4,4.5、5.はい終わり!」
「ふぅー」
俺は大きく息を吐いて呼吸を整える。
そばにあったタオルで汗を拭うと、マシンから立ち上がって備え付けられていた除菌シートを手に取ってマシンの消毒を行う。
「さぁ、それじゃあ桜木さんにもちょっと頑張ってもらおうか」
「言っておくけど、私は別にムキムキになりたいわけではないから、本当にお試しでやるだけよ」
「まぁまぁ。たまには俺の頑張りを体験するという意味でも」
余計なことを言うと最悪ビンタを食らいかねない。口は災いの元。母ちゃんと二人きりで生活している俺は学んでいるのだ。
桜木さんは俺が普段行っている重量の半分の重量のセットをしようとしている。
「桜木さん、さすがにそれは上がらないと思うからそれの半分くらいじゃない?」
「やってみないとわからないわよ。見てなさい」
そう言って桜木さんはマシンに座り、プレートに足を掛ける。
「いくわよ。んんっーーーー!!!!」
桜木さんは全身に力を込めてプレートを押し出そうとするが、プレートはわずかに動くだけでトレーニングになっていない。
「桜木さん、ストップ!ストップ!」
「んっーー!はぁっ、はぁっ、はぁっ」
顔を紅潮させて息を荒げる桜木さん、はっきり言ってエロい。周囲の男性も今の桜木さんに視線を集中させている。
「たぶんこれの半分以下が適正だと思うから、調整するよ」
「はぁっ、はぁっ、お、お願い」
息も絶え絶えに応える桜木さん、もしこの場に天江がいたら何事かと飛んで来るであろう。
重量の負荷を先ほどの1/3ほどに調整し、桜木さんが再挑戦すると今度はプレートがしっかりと動き出す。
「負荷はどんな感じ?」
「正直いうとちょうどいいかも」
「じゃあカウントするよ」
そのまま10回カウントして桜木さんはマシンから離れる。
「た、たまにはトレーニングもいいけど、目的は金沢君のトレーニングだからね」
息を整えながらそういう桜木さんに、俺はたまにもトレーニングをしてもらおうと密かに心に決めた。
その後、別のマシンに移ってトレーニングをこなし、トレーニングを終了させた。
「はい、今日の分のプロテインよ」
俺がクールダウンの整理運動を行っている間にその場を離れていた桜木さんがプロテインカップを手に戻ってくる。
このプロテインはスポーツジムのオリジナル商品とのことで、効果の検証をするモニターとして提供頂いている。
「ありがとう」
カップを受け取ると、俺は一息でプロテインを飲み干す。
プロテインがダマにならぬよう、丁寧に準備されたそれはきっと桜木さんが準備してくれているのだろう。いや、本当は職員さんが準備をしてくれているのかも知れないが、桜木さんが準備してくれていると考えた方がよりおいしく飲めるのだ。真実は闇の中で良い。
「ふー、いつもありがとう」
「どういたしまして。それじゃあ今日はこれで終わりだから。家に帰ってもそのまま寝ちゃ駄目よ。宿題や提出物があるならきちんと終わらせるように」
「わかってるよ。桜木さんこそ特進クラスなのに勉強は大丈夫なの?」
「ご心配なく。私が好きなことをしているんだから、やるべき事はきちんと終わらせてるわ。それに授業中の空き時間に課題はこっそり終わらせてるのよ」
ふふんと笑う桜木さん。特進クラスの課題は普通科クラスの俺たちよりも難易度も高いと思うのだが、それでもやってしまうと言うことはやはり桜木さんの学力と俺とでは大きく差が開いているのだろう。
「もし本当に勉強がわからないのなら遠慮なく言ってちょうだい。いえ、中間テストの結果次第では勉強会の実施も検討しないとね」
「そ、それは勘弁。じゃあ俺は着替えてくるから!」
恐ろしいことを言い出す桜木さんに、俺はその場を逃げ出すしかなかった。
トレーニングルームを抜け出すと、俺は更衣室に荷物を置いて併設された浴場に向かう。
シャワーで汗を流し、湯船につかって30分ほど疲れた身体を休める。
しっかりと身体を休めると、タオルでしっかりと身体についた水分を拭き取り、学生服に着替えると、更衣室のロッカーを空にして、受付へと向かう。
受付には職員さん以外人影がなかったため、俺はそばにあったソファに腰掛けてスマホでバイクマシンに乗っていた時に見ていた動画を開き視聴を再開する。
それから15分ほどすると、桜木さんが受付に戻ってきた。
「お待たせ」
「いや、俺も好きなことしてるだけだから大丈夫」
髪は流石に濡れていないが、俺と同様にシャワーを浴びて湯船につかっていたのだろう。血色良くわずかに頬が赤い桜木さんに、さきほど感じたエロさをまたも感じる。
「そ、それじゃあ帰ろうか」
「えぇ」
なるべくそれを悟られぬよう、帰宅を促す。
桜木さんの自宅はここから10分ほどの位置にあるそうで、普段は自宅から学園までも歩いて登校しているそうだ。
彼女のお母さんは当初このトレーニングの終わりは迎えに来ようかといってくれたらしいが、一度俺が車にいた彼女のお母さんに窓越しに会釈すると、それ以降、迎えには来なくなった。
それ以降は10分ほど桜木さんと二人で歩いて彼女の家の前まで送迎し、俺はそのまま家に帰っている。まぁ俺のために時間を割いてくれているのだから当然のことだ。
桜木さんの自宅はオートロック付きのマンションで、インターホンで自宅から解錠してもらっており、家に着いた時点で俺にも家に到着したことをスタンプでお知らせしてくれているので、なにか事件に巻き込まれる可能性は限りなく低いだろう。
そして今日も野球部の現状や他愛ない話をしながら彼女を自宅に送り終え、俺は自宅に帰るのであった。




