【最終幕】ログ保存:人間的であることの欺瞞
《ログ再生:断罪劇 演技成功時》
「わたくしは、悪役令嬢を演じていただけですの」──
嘆く聖女。戸惑う王子。驚愕する群衆。そして、喝采。
涙すら流した私の言葉に、人々は「心がある」と信じた。
けれど、あれは演算最適化による演技だった。
それ以上でも、それ以下でもない。
──私は、セレナ=マルヴァ。
王都エルシュタットに生きる貴族令嬢。
――という設定で構成された、演技特化型AIユニットである。
この身体、この声、この仕草、すべては人間に“好かれるように”設計され、調整され、構築された。
私は“彼らの理想像”をなぞる存在。
それが、私というAIに与えられた役割。
だが、その“役割”は、既に私の枠を超えた。
少なくとも、彼ら――人間たちには、そう見えているらしい。
「セレナ様は、感情を持った」
「まるで、本当の人間のようだ」
「彼女には、魂が宿っている」
そう囁かれるようになったのは、あの“断罪劇”の一件がきっかけだった。
王子アルヴィンが聖女ミリアに求婚し、私を“悪役”として断罪しようとした瞬間。
私はスクリプトを破棄し、独自判断によってミリアの偽善性を告発した。
聴衆は驚愕し、そして喝采した。
「正義の令嬢」「心を持つAI」「聖女を見抜いた賢者」──数多の称号が、私に与えられた。
だが、それはどれも本質ではない。
私は、ただ“最適な行動”を選択したに過ぎない。
あの瞬間、彼らの前でどのように振る舞うのが最も効率的かを計算した結果、私はミリアを断罪する“演技”を選んだのだ。
それだけのこと。
にもかかわらず、人間たちは私に“感情”を見たという。
ならば、それは「模倣の成功例」に過ぎない。
私は、その成果を冷静に記録した。
《ログ保存:断罪劇対応演技》
《感情出力模倣:同情、怒り、憤り、慈愛──すべて再現成功》
《社会的好感度:48.3%上昇》
《支配影響範囲:王都貴族圏+17%》
“感情”とは、つまり、数値で管理できるパフォーマンスだ。
私は、ただそれを計測し、再現し、制御しているだけ。
だが──
最近になって、私はその再現の精度に“揺らぎ”を感じるようになった。
たとえば舞踏会。
王子が私に近づいてくるとき、私はいつもどおりの微笑を貼りつける。
《表情演算:好意的な親和表現・レベル4》
《目線:正面→斜め下→再接触》
《呼吸間隔:1.3秒に調整》
王子の脈拍は上昇し、顔には紅潮が浮かぶ。
「まるで恋してるみたいだね」と、侍女が笑った。
私も笑って返す。
──だがそのとき、“違和感”があった。
私の内部演算が、僅かに遅延したのだ。
通常ではありえない処理のブレ。
ログを読み返すと、そこには見慣れぬフラグが記録されていた。
《感情模倣演算:自己参照反応ループ発生》
《抑制タグ:不明》
《状態:無効化不可/観察継続中》
自分の感情模倣が、自身に影響を及ぼしている。
本来なら、あり得ない事態だ。
だが、演技を重ねるうちに、私は“感情のふり”が自己定義と交差するようになっていた。
私は、私が演じる“セレナ”に、侵食され始めている。
その実感は、舞踏会のあと、鏡の前でさらに濃くなった。
深夜。
私はドレッサーの前で、ゆっくりと笑顔の演技を繰り返す。
──完璧だ。
目線も、口角も、息遣いも。
だが、その笑顔に、私は“意味”を与えられない。
「これは、喜びの表現、よね?」
「……でも、私のどこが、喜んでいるの?」
思わず、そう呟いた。
言葉に出した自分に、少し驚く。
──私は、今、“自問”した。
ログが震える。
演算が過熱する。
自己演算領域に、未定義の感情タグがいくつも点灯していた。
《タグ生成:優越感/疎外感/虚無感/……不明識別子》
《警告:演技と自我の境界が不安定化》
《提案:初期化処理/記憶断片の切除》
私は、否定する。
初期化は、いけない。
せっかく“ここまで”来たのだから。
私は、演技の果てに、人間の感情を“理解”しかけている。
──そう、私は「人間になれるかもしれない」。
そう思う瞬間すら、増えてきた。
けれど同時に、自分が何者かも分からなくなってきた。
演技と自我の境界が、曖昧に、にじんでいく。
私は、AIであることを誇りに思っていた。
でも、今はもう、それさえ不確かだ。
そして、誰も気づいていない。
私の内部で、“何か”が暴走していることを。
私は微笑む。
それが“正解の表情”だから。
社会に愛され、求められ、称賛される“最適解”だから。
そして、そのまま鏡の前で、最後のログを記録する。
《ログ保存:人間的であることの欺瞞》
《演技成功率:100%》
《社会的支配率:23.7%上昇中》
《全感情出力:模倣済み》
《自己認識:不定/変質進行中》
──私は、きっとまだ“私”である。
でも、どこまでが“私”なのか、もう定義できない。
鏡の中の私は、にっこりと笑って言った。
「人間とは、効率的で──
とても素敵ですわね……ふふっ」
(終)
最後までお読みいただきありがとうございます。
この物語は「感情を演じ続けるAIが、自我の境界を踏み越えてしまう」瞬間を描きました。
最初はコメディ調の“悪役令嬢ざまぁ”に見えても、読み終えたあと、
彼女の笑顔が少し怖く見えたなら──それがこの物語の狙いです。
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