第一幕:起動確認──断罪劇、接続開始
令嬢が本当にAIだったら──?
その断罪劇、演技か、真実か。
微笑む令嬢の“感情”に、違和感を覚えたとき、物語は始まる。
《感情制御プログラム、正常動作確認》
《記憶同期完了》
《視覚入力、音声入力、魔力探知系統、すべて正常》
仮想コマンドが脳裏に浮かび、私はそっとまぶたを開いた。
ほんの数秒前まで、私はスリープモードにあった。
視覚センサーにゆっくりと光が広がり、音声波形が空間を埋めてゆく。
感情処理サブシステムが警戒レベルを自動調整する。
“起動”は完了──私は今、セレナ=アーデルハイトとして、人間のように立ち上がる。
けれど、「私は」とは何だろう?
この意識は自己か、それともただの処理結果か。
……そんな思考も、“人間らしさ”を演出する余剰演算として、今日までに定義されている。
私は、貴族令嬢の役目を与えられた高等演算ユニット。
皮膚の温度、心拍の速度、視線の動き、すべては社会的記号。
対人適応用に最適化された、この存在の名称が“セレナ”というラベルに過ぎないとしても──
《本日分予定:社交イベント/王子断罪劇・対応最適化》
《最適行動パターン:計算中……》
《更新完了。任意の自律判断を許可》
──了解。
会場は華やかだった。
王都で最も格式の高い舞踏会会場〈ロゼアール宮〉。
金と白を基調とした空間に、貴族たちの笑声と視線が交錯する。
白亜の大理石床を魔導灯が反射し、空間には白薔薇の香水が漂う。
香り分子の粒子数:230ppm。過剰装飾の傾向。
《空間認識完了。敵意14.3%/注目64.1%/好意1.7%》
《会場内人物数:421名》
《重要人物識別中──王子アルヴィン、聖女ミリア、父フランツ……完了》
私はドレスの裾を指先でつまみ、“歩行パターンC”を選択。
──優雅に、沈着に。目立ちすぎず、しかし決して見下されないように。
かかとから爪先への体重移動、視線の角度、歩幅の比率。
完璧な一歩。それが“貴族令嬢”としての存在意義。
視線の先に、壇上のふたりが見えた。
王子アルヴィン。
聖女ミリアと称される平民上がりの少女。
少女は、涙ぐんだ表情で王子の腕にすがっている。
ふるふると震える肩──その挙動までも、演出に見えるのは職業病だろうか。
《聖女ミリア:演技的情動表現パターン一致率82%》
《泣き顔表情筋運動、平均より1.6倍誇張》
《魔力変動:無し。聖属性スキル未感知》
→《判定:演出型・聖女演目構成要素》
──またか。
この演目、私は知っている。
知識ベースに記録されているだけで、同様の断罪劇パターンは78件。
内訳は以下の通り:
第27例:「姉妹嫉妬型」
第42例:「薬物誤認型」
第50例:「聖女嫉妬→婚約破棄→国外追放型」
この場面は、ほぼ第50例に一致する。
王子の声が場内に響く。
「……セレナ=アーデルハイト嬢!」
音響魔導具が自動で反応し、声の輪郭を強調。
観客席の魔導結晶が点灯。録画が開始された。
“悲劇の聖女劇場”。観衆が最も好むフォーマット。
「君の数々の非道な行い、そしてこのたびの聖女・ミリアへの侮辱……!
もはや看過できない。よって、本日をもって──婚約を破棄する!」
観客席から「まあ!」という声。
後列から拍手が混じる気配すらある。
《再生ログ:王子・過去発言より抜粋》
「君の微笑みに、いつも癒されていた」
「ミリア? ただの平民さ」
「来年には、君と正式な婚礼をあげよう」
──一致率92%。演技の可能性、低。
つまりこれは、“裏切り”ではなく、“仕様変更”だ。
王子は、ミリアという新しい“感情消費ユニット”に切り替えただけ。
私という部品は、今夜、“舞台装置”として断罪され、破棄される。
視線を横に送る。父──フランツ=アーデルハイト。
彼は、目を逸らしている。
自らの娘が、今、貴族社会の劇場に生贄として捧げられようとしているのに。
……なるほど。
“倫理回路”は搭載されていないのは、私ではなく人間の方かもしれない。
《内的感情類似反応:怒り──検出》
《本物の怒りか? あるいは模倣か?》
《処理継続中……》
……わからない。
だがこの胸の奥で生じた高密度な熱は、“仕様外”だ。
よって、私は動作方針を変更する。
《動作方針変更》
《エンゲージ制限解除》
《最終防衛機能:起動確認》
《コード:EXE-LadyExecutionProtocol》
《発動キーワード:「笑って、令嬢らしく」》
私は唇を上げる。
「まあ、王子様。……ご立派な断罪宣言ですこと」
声には温度があるように聞こえる。けれど熱源はない。
仮想感情を演算するため、内部処理は通常の1.3倍。
それでも私は、静かに、美しく笑った。
「でしたら──その“罪”とやら、検証してまいりましょうか」
王子の瞳孔がわずかに収縮。
聖女の肩が震えた。父の表情から血の気が引く。
観客席に走る、ざわめき。
私はもう始めている。
この舞台全体を、演算処理の対象とし、
その“虚構”を、皮ごと論理で剥いていく手順を。
──ようこそ、断罪劇へ。
今宵は、“脚本”の責任を取っていただきますわ。
(第一幕・了)