ストライキ
「…見かけによらず、繊細な『始祖人形』殿だったようだな」
ギルドマスター・レオニスは、白目を剥いて完全に気絶してしまった達也を見下ろし、フッと面白そうに鼻を鳴らした。
「タツヤ!」「タツヤちゃん!」
マリアとリリアが慌てて達也の体に駆け寄る。
「まあまあ、大丈夫だって。ただの気絶だよ」
その混乱の元凶であるアクアが、全く悪びれずにパンパンと手を叩いた。そして、気絶している達也のことなどお構いなしに、レオニスに向き直り、満面の笑みで宣言した!
「はいはーい! うちの始祖様はちょっとプレッシャーに弱いもので気絶しちゃったけど、代理としてこの天才魔道具師アクアが、その『S級特別任務』、正式に受注しまーす!*面白そうだし、報酬もいいし、何より僕の研究の役に立ちそうだし、断る理由がないよね!」
「おい、アクア殿! 待て! タツヤの承諾もなしに、そんな危険な依頼を…!」
マリアが必死に止めようとするが、レオニスは「カカカッ!」と豪快に笑った。
「ほう、話が早いじゃないか、アクア殿! よかろう、契約成立だ! さすがは『始祖様』のお仲間だ、肝が据わっている!」
「えー、S級依頼!? 私たちだけで!? やったー! なんかすごーい!」
リリアは、事の重大さを理解しているのかいないのか、無邪気に喜んでいる。
「……はぁ……もう、ダメだ、このパーティは……」
マリアは、気絶している達也と、得意げなアクア、そしてはしゃいでいるリリアの顔を順番に見つめ、深すぎるため息と共に、その場に崩れ落ちるようにして頭を抱えた。胃がキリキリと痛むのを感じる。
***
結局、そのS級依頼の詳細は後日改めて、ということになり、マリアとリリアは、アクアに手伝わせながら、気絶したままの達也を抱えて、衛兵たちの遠巻きな(そしてどこか同情的な)視線を浴びながら、キャンピングカーへと戻った。
達也が次に目を覚ました時、そこは見慣れたキャンピングカーの後部ベッドの上だった。
「ん……俺……確か、冒険者ギルドで……」
気絶する前の記憶が、断片的に蘇る。S級モンスター、クリスタル・リヴァイアサン、そしてレオニスの不敵な笑み…。
「おお、タツヤ、気がついたか」
傍らで、マリアが濡れたタオルで達也の額を拭ってくれていた。その顔には、深い疲労の色が浮かんでいる。
「気分はどうだ? 頭は痛むか?」
彼女に優しく介抱されていたようだ。
「マリア……俺、あの後…」
「タツヤちゃん、起きたんだねー!」
バンクベッドから、リリアがひょっこりと顔を出した。「いやー、昨日は大変だったねー! でも、安心して! あの後、アクアちゃんがちゃんと依頼、受けておいてくれたから!」
「……え?」
達也は、リリアのその言葉の意味が、一瞬理解できなかった。
「だからー、あのモフモフおじさん(レオニスのこと)からの、S級モンスター討伐の特別任務! 私たち、正式に受けることになったんだよ! これで私たちも今日からS級冒険者パーティーだね! やったー!」
「…………………………………………は?」
達也の思考が、完全に停止した。
自分が気絶している間に?
アクアが勝手に?
S級依頼の契約が、成立した…?
「な……」
達也は、ベッドからガバッと起き上がった。
「なーーーーーーーーーーーーーーーんでだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
キャンピングカーの中に、達也の悲痛な絶叫が響き渡った。自分が気絶している間に、あのポンコツ天才が勝手にS級モンスター討伐の依頼を受けてしまったという、あまりにも理不尽な現実に、彼は怒りと絶望で我を忘れていた。
「ふざけるな! 俺は絶対に認めん! 無効だ、こんな契約! 今すぐギルドに行って、取り消させてやる!」
達也は息巻いてキャンピングカーのドアに手をかけた。
「待て、タツヤ!」マリアがその腕を掴む。「気持ちは分かるが、相手はギルドマスターだぞ。一筋縄ではいかん」
「でも、やる前から諦められるかよ!」
結局、一応キャンピングカーをしまい、マリアとリリア(と、なぜか得意げなアクア)も引き連れて、達也は夕刻の冒険者ギルドへと、怒りの形相で駆け込んだ。ギルド内は、仕事を終えた冒険者たちが酒を酌み交わし、一日で最も賑やかな時間帯だ。
達也は、そんな喧騒もお構いなしに、受付カウンターをバン!と叩いた。
「ギルドマスターを出せ! さっきの依頼の件で話がある!」
受付の女性(昨日の爆笑お姉さんとは違う、真面目そうな人だ)は、突然のことに驚きながらも、「ギルドマスターは現在、来客中ですので…」と事務的に断ろうとする。
「そんなの知るか! こっちは命がかかってんだよ!」
達也が騒ぎを起こしかけた、その時だった。
「…騒がしいな。ああ、君たちか。して、今度は何の用だね? 『始祖人形』殿」
ギルドの奥から、ゆったりとした足取りで、ギルドマスター・レオニスが姿を現した。その獅子の顔には、全てを見透かしたような笑みが浮かんでいる。
達也はレオニスの前に進み出て、怒りを込めて訴えかけた!
「ギルドマスター! さっきのS級依頼のことだけど、あれは無効だ! 俺はあの時、気絶していて、何も同意なんかしていない! アクアが! こいつが勝手にやったことなんだ! だから、取り消してくれ!」
達也の必死の訴えを聞いても、レオニスは全く動じなかった。彼は悠々と腕を組み、ふむ、と頷くと、落ち着き払った声で言った。
「うむ。君が気絶していたのは、もちろん承知している。見ていて実に見事な倒れっぷりだったな」
「なっ…!」
「だが、君の『仲間』である、そこのアクア殿が、君たちのパーティーの代表として、確かに依頼を受理した。ギルドの規則では、パーティーの代表者による契約は、たとえ他のメンバーがその場にいなくとも有効とされている」
レオニスは、理路整然と、しかし達也の言い分を全く聞く気のない態度で続ける。
「それに、これは『取引』だったはずだ。君たちのリベルでの安全な活動の保証、キッチンカー計画への協力、パックル商会の件の揉み消し、そしてアクア殿の研究資金と場所の提供…。これら全てを、ギルドが君たちに約束する。その対価として、君たちは任務に協力する。契約は、双方の合意の上で成立している。違うかね?」
「ち、違う! 俺は合意してない!」
「君の仲間が合意した」レオニスは、達也の言葉をピシャリと遮った。「それに、一度正式に受理されたS級依頼は、ギルドの威信に関わる最重要案件だ。個人の『やっぱり怖くなったのでやめます』などという言い分が、通用するほど甘い世界ではないのだよ、坊や」
その目は、もはや笑ってはいなかった。
(こいつ……! 全部、全部わかってて、俺たちを逃がさないつもりだ…!)
達也は、レオニスの言葉に、反論の余地も、交渉の隙も、何一つ見出すことができなかった。まるで、巨大な獣の顎に捕らえられた小動物だ。話が、通じない。
レオニスは、絶句して立ち尽くす達也を見て、満足げに頷いた。
「まあ、すぐに討伐へ向かえとは言わん。準備期間は十分に与えよう。なに、君たちならやれるさ。特に、そこの規格外のお嬢ちゃんと、伝説の『始祖人形』殿がいればな」
彼はそう言って、達也の肩をポンと軽く叩くと、悠々とギルドの奥へと戻っていってしまった。
後に残されたのは、ギルドの喧騒の中、ただ呆然と立ち尽くす達也と、深いため息をつくマリア、そして「やっぱり僕の契約は完璧だったね!」と胸を張るアクアと、「S級クエストだってー! ワクワクするねー!」とはしゃぐリリアだった。
S級モンスター討伐という、あまりにも無謀で、そして逃れることのできない運命が、達也たちに重く、そして確実にのしかかってきたのだった。
ギルドマスター・レオニスが悠々と去っていった後、冒険者ギルドの中央には、達也、リリア、マリア、そしてアクアの四人が、まるで置き去りにされたかのようにポツンと立ち尽くしていた。周囲の冒険者たちは、先ほどのレオニスの言葉を聞いていたのか、畏怖と、好奇と、そしてほんの少しの憐れみが混じったような視線で、遠巻きにこちらを見ている。
「S級クエスト…クリスタル・リヴァイアサン討伐…」マリアが、信じられないといった様子で呟く。「…無謀だ。無謀すぎる」
「えー、でも報酬はすごいんでしょ? やったじゃん! これで美味しいもの食べ放題だよ!」リリアは、まだ事の重大さを理解していないのか、無邪気に喜んでいる。
「ふむ、S級モンスターの生体データが採取できるとは、実に興味深い! 僕の研究の大きな一歩になるね!」アクアも、研究者の目で目を輝かせている。
三者三様の反応の中、達也だけが、何も言わずに俯いていた。その小さな肩は、かすかに震えている。
「…帰るぞ」
やがて、達也はそれだけをぽつりと呟くと、誰の顔も見ずに、ふらふらとした足取りでギルドの出口へと向かい始めた。
「あ、ちょっと待ってよ、タツヤちゃん!」
リリアたちが慌てて後を追う。
街の外れにある、いつもの広場。達也は無言でアイテムボックスからキャンピングカーを取り出すと、そのまま中に乗り込み、後部のダイネットを展開して作ったベッドに、突っ伏すように倒れ込んだ。
「おい、タツヤ、どうしたんだ?」「タツヤちゃん、大丈夫?」
マリアとリリアが心配そうに声をかけるが、達也は毛布を頭まですっぽりとかぶって、完全に自分の殻に閉じこもってしまった。
そして、毛布の中から、くぐもった、しかし確かな拒絶のこもった声が聞こえてきた。
「……もう、いい」
「え?」
「勝手にしろ。もう、俺は知らない」
達也の声は、完全に心が折れてしまっていた。
「S級クエストだろうが、クリスタル・リヴァイアサンだろうが、なんだろうが、もう俺は知らん。お前らだけで行けばいいだろ。俺はもう、何もしたくない」
「タツヤ…?」
「俺は寝る。 明日になっても、明後日になっても、絶対に起こすな」
それは、彼なりのストライキ宣言だった。異世界に来て、性別が変わり、吸血鬼かもしれないと言われ、アフロになり、街の有力者に目をつけられ、挙げ句の果てにはS級モンスターの討伐を強制される。もう、彼の心の許容量は、とっくに限界を超えていたのだ。
「えー、そんなこと言わないでよー、タツヤちゃん! 仲間でしょー?」
リリアが毛布の塊を揺するが、達也はピクリとも動かない。
「…無理もないか」マリアは、深いため息をついた。「彼にとっては、何もかもが限界を超えているのだろう。今はそっとしておいてやろう」
「ふむ。精神的許容量の完全なオーバーフローによる、自己防衛的なシャットダウン、いわゆる『ふて寝』だね。興味深いサンプルだが、このままでは僕の転移マシーン計画も頓挫してしまう。早急なメンタルケアが必要だ」
アクアだけが、冷静に、しかしズレた分析をしている。
こうして、リベルでの新たな冒険が始まるかと思われた矢先、その中心人物であるはずの達也は、完全に心を閉ざし、ふて寝を決め込んでしまった。残された三人は、ベッドの上で丸くなる小さな毛布の塊を前に、途方に暮れるしかないのであった。




