レオニス
「…お前さんたち、ちっとばかし、わしと奥の部屋で話をしようか」
獅子の獣人であるギルドマスター、レオニスの、静かだが腹の底に響くような声。その言葉に含まれた圧倒的な威圧感に、達也は完全に体を硬直させていた。冒険者ギルド中の視線が、自分たち四人に突き刺さる。もう、逃げ場はない。
(終わった……今度こそ、本当に……)
達也が絶望しかけた、その時だった。
「―――させん!」
マリアが、達也の前に立ちはだかるように一歩前に出ると、シュン!という鋭い音と共に、腰の長剣を抜き放った!
「タツヤ! リリア、アクア! お前たちは逃げろ!」
マリアは、ギルドマスター・レオニスを真っ直ぐに見据え、覚悟を決めた声で叫んだ。
「ここは私が食い止める! 早く行け!」
「マリア!? 何言ってんだ! お前を見捨てて逃げられるわけないだろ!」達也が叫び返す。
「えー! マリアさん、かっこいい! でも、一人じゃ無理だよー!」リリアも慌てた声を上げる。
「ふむ、生存確率3.2%の死亡フラグ建築だね。実に非合理的だが、興味深い行動だ」アクアだけが、冷静に(そして不謹慎に)状況を分析している。
ギルド内の冒険者たちも、ギルドマスターに剣を抜いたマリアの姿を見て、「おい、あの女、正気か!?」「レオニス様に剣を抜くとは…」と、固唾をのんで成り行きを見守っている。
しかし――。
ギルドマスター・レオニスは、眼前に突きつけられた剣先にも、マリアの決死の覚悟にも、全く動じる様子を見せなかった。それどころか、その獅子の顔に、面白くてたまらないといった、獰猛な笑みを浮かべたのだ。
「ほう、なかなかの気迫だ、傭兵の娘。その歳で、わし相手に剣を抜くとは大した度胸だ」
彼は、マリアの剣を一瞥すると、「だが、剣を収めろ。言ったはずだ、今のわしは、お前さんたちと戦う気はない、と」と、落ち着き払った声で言った。
そして、レオニスの鋭い視線は、マリアも、達也も、リリアも通り越し――その奥にいる、きょとんとした顔のアクアに、ピタリと固定された。
「わしが興味があるのは、戦闘でも、君たちの起こした騒ぎでもない」
レオニスは、ゆっくりとアクアに近づきながら言った。
「――そこの、青い髪の小娘。お前だ」
その目は、まるで極上の獲物を見つけたかのように、ギラギラと輝いている。
「長年このギルドのマスターをやっているが、先代から受け継いだ、ドワーフの名工が作り上げたこの『照会の水晶』を、あそこまで派手に、木っ端微塵に破壊した奴は初めて見た。いや、そもそも、あの水晶を破壊できるほどの魔力や力を持つ存在がいること自体、おとぎ話の世界だと思っていたぞ」
レオニスは、怒るどころか、アクアのその規格外の力に、強い、純粋な好奇心と、ある種の興奮を隠せない様子だった。
「なあ、嬢ちゃん。お前のその力、一体何なんだ? その身に余るほどの魔力は、どこから来る? 少しでいい、このわしに、詳しく聞かせてはくれんか?」
その声には、先ほどの威圧感とは違う、未知への探求心に満ちた、子供のような響きさえあった。
「……え?」
達也とマリアは、その予想外すぎる展開に、ただただ呆然とするしかない。
一方、自分に注目が集まったことに気づいたアクアは、達也の後ろに隠れるでもなく、堂々とレオニスの前に一歩進み出ると、ふふん、と得意げに胸を張った。
「ふっふっふ…この僕の、天才的で、宇宙的で、そしてちょっぴりデストラクティブな才能に、ようやく気づいたようだね、このモフモフおじさん!」
その、ギルドマスター相手にも全く物怖じしない不遜な態度に、マリアは頭を抱え、達也は(こいつ、火に油を注ぐことしかしないのか!?)と、新たな胃痛を覚えるのだった。
ギルドマスター・レオニスの、落ち着いているが故に逆らえない威圧感に、達也たちはなすすべもなく、ギルドの奥にある彼の部屋へと案内された。周囲の冒険者たちが、「おい、あの連中、マスターの部屋に…」「一体何をやらかしたんだ…」と、畏怖と好奇の目でひそひそと囁き合っているのが聞こえる。
通されたギルドマスター室は、ギルドの喧騒とは打って変わって、重厚で静謐な空間だった。壁には巨大なワイバーンの頭骨や、歴戦の傷跡が刻まれた数々の武器、そしてリベル周辺の古びた大きな地図などが飾られている。部屋の中央には、ドラゴンの爪の彫刻が施された巨大な執務机があり、その向こう側に、レオニスはどっかりと腰を下ろした。
「まあ、座れ」
レオニスがソファを顎で示す。達也とマリアは、緊張で体を硬くしながら、革張りのソファに浅く腰掛けた。リリアだけが、面白そうに部屋の装飾品をキョロキョロと見回している。
しかし、アクアはソファには座らなかった。彼女は、レオニスの巨大な執務机の前に堂々と立つと、まるで対等の相手と話すかのように、不遜な笑みを浮かべた。
「さて、青髪の嬢ちゃん」レオニスは腕を組み、その鋭い瞳でアクアを見据えた。「改めて聞かせてもらおう。あの照会の水晶を破壊した、お前のその規格外の力…一体何なんだ?」
達也とマリアは固唾をのんでアクアの答えを待った。彼女がここで何を話すかで、自分たちの運命が決まる。
するとアクアは、もったいぶるように人差し指を立て、悪戯っぽく笑った。
「んー、それを教えるのは、やぶさかではないけどぉ…?」
そして、その小さな体からは想像もできないほど、大胆不敵な言葉を口にした。
「でもね、僕の力の秘密が知りたいなら、それなりの『対価』を払ってもらわないと困るかなー、モフモフおじさん? 僕の知識と技術は、そんなに安くないんだよ?」
「「!?」」
達也とマリアは、その言葉に凍り付いた。さっきから「モフモフおじさん」という、ギルドマスターに対するあまりにも不敬な呼び方! そして、この状況で、あろうことか取引を持ちかけるその心臓!
(こ、こいつ、死ぬ気か!?)達也は顔面蒼白だ。
レオニスの眉がピクリと動き、部屋の温度が数度下がったかのような凄まじい威圧感が放たれる。しかし、次の瞬間、彼はその威圧感を霧散させ、カカカッ!と腹の底から大声で笑い出した!
「カカカカッ! 面白い! 実に面白い小娘だ! 長年マスターをやっているが、わしを『モフモフおじさん』と呼んだ奴も、このわしに真っ向から取引を持ちかけてきたガキも、お前が初めてだ!」
彼は、怒るどころか、心底楽しそうに涙まで浮かべている。
「よかろう! その取引、乗った! で、嬢ちゃんの望む『対価』とは何だ? 金か? それとも、何か特別な情報か? 言ってみろ」
「話が早くて助かるよ!」アクアは待ってましたとばかりに、指を折りながら要求を突きつけ始めた。
「それじゃあ、まず第一に! 僕たち四人が、このリベルの街で安全に、そして自由に活動できることの保証! 衛兵にいきなり因縁をつけられたりしないように、ちゃんと手配してよね!」
「第二に! そこのタツヤちゃんの『キッチンカー計画』への全面的なバックアップ!具体的には、街での営業許可と、誰にも邪魔されない特等席の確保!」
「第三に! 僕の新しい研究のための資金と場所の提供! 僕のポンコツ冷凍庫より、もっとマシな研究室を用意してほしいなー!」
そして、アクアはにっこりと微笑んだ。
「うん、とりあえずは、それくらいで手を打ってあげてもいいよ!」
(……要求がデカすぎるだろおおおぉぉぉ!!!!)
達也は、アクアのあまりにも図々しい要求の数々に、もはやめまいがしそうだった。
(アクアちゃん、すごい! さすが! もっとやれー!)
リリアは、目を輝かせてアクアを応援している。
(…この交渉、本当にまとまるのか…? だが、もしこれが通れば、我々が抱える問題の大半が解決するかもしれん…)
マリアは、固唾をのんで交渉の行方を見守っていた。
レオニスは、アクアのとんでもない要求を黙って聞いていたが、やがてその獅子の顔に、深い、獰猛な笑みを浮かべた。
「…ククク。面白い。実に面白い取引だ。いいだろう、その条件……飲んでやろうじゃないか」
その言葉に、達也は今度こそ本当に椅子から転げ落ちそうになった。




