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クワトロ・ミートデラックス

「うるさい。飯が先だ」

達也のげんこつを食らい、冷たく言い放たれたアクアは、「うぅ…始祖様のDV…」と涙目でうずくまっていたが、達也がキッチンに立ち、何かを作り始めると、その良い匂いにつられて、いつの間にかむくりと起き上がっていた。


達也は、昨夜の(そして先ほどの)騒動で疲弊しきった三人の心を癒すべく(というよりは、自分が一番食べたいものを作っているだけだが)、日本の朝食の定番、卵焼きを作ることにした。


異世界通販で、四角い卵焼き用のフライパンと、だしの素、醤油、みりんといった調味料を調達。市場で買った新鮮な卵をボウルに割り入れ、手際よくかき混ぜていく。リリアとマリアは、その達也の無駄のない動きと、これから何ができるのかという好奇心で、黙ってその手元を見つめている。


熱した卵焼き用フライパンに、溶き卵を薄く流し込む。ジュワッという心地よい音と共に、甘く香ばしい匂いが車内に立ち込めた。卵が半熟になったところで、達也は菜箸を使い、奥から手前へとくるくると巻いていく。そしてまた卵液を流し込み、巻く。その作業を数回繰り返すと、美しい黄金色の、ふっくらとした層になった卵焼きが完成した。


「よし、できたぞ」

達也はそれを切り分け、三人の皿に盛り付けた。ほかほかと湯気を立てる、日本の家庭の味だ。


「わー! なにこれ、黄色くてふわふわしてる! 可愛い!」リリアが最初に声を上げる。

「ふむ、ただの焼き卵とは、また違うものらしいな」マリアも興味深そうに眺めている。

アクアは、先ほどげんこつされたことなどすっかり忘れ、じゅるり、とよだれを垂らしそうになっていた。


三人が、恐る恐る、しかし期待を込めて卵焼きを一口食べる。


「「「んんん~~~~っ!!!」」」


三人の口から、昨日とはまた違う種類の、しかし同じくらい深い感嘆の声が漏れた!

「あ、甘い! でも、ただ甘いだけじゃない! この、じゅわっと染み出すお出汁の味! ふわっふわで、とろけるような食感! なにこれ、なにこれ、めちゃくちゃ美味しい!」リリアは目をキラキラさせて、あっという間に自分の分を平らげてしまった。


「…信じられんな。卵だけで、これほど奥深い味わいが出せるものなのか…。優しい味だ。心が落ち着く…」マリアも、その繊細な味に深く感動しているようだった。


「むむむっ…! この完璧なまでの火加減! 幾重にも重なった層が生み出す、複雑かつ至高のハーモニー! そして、甘みと塩味、旨味の黄金比! ぐっ、悔しいけど、悔しいけど美味い…! 僕の計算でも、この味の再現は困難を極めるぞ!」アクアは、ぶつぶつと何か分析しながらも、夢中で卵焼きを頬張っていた。


美味しい朝食は、昨夜からの険悪なムードをすっかりと洗い流してくれた。そして、食事が終わり、満足感に満たされた車内で、当然のようにアクアが口火を切った。


「ねえ、タツヤくん!」彼女は目を輝かせ、達也に詰め寄る。「こんなに素晴らしい料理を生み出す、君の故郷の『知識』! それが無限に詰まっているという『インターネット』! 僕に少しだけ使わせてくれたら、この世界の食文化に、いや、全ての文化に革命を起こせるよ! だからお願い! エンジンかけて! ね、お願いだから!」

今度は、昨夜のような強引さではなく、子供のように純粋な探究心と熱意を込めて、達也に懇願してくる。


リリアも「そうだよータツヤちゃん! またあの面白い音楽とか、他のも見たいなー!」と便乗する。


マリアはため息をつきながらも、「…まあ、その『いんたーねっと』とやらが、我々の状況を打開する鍵になる可能性も、確かにあるのかもしれんな」と、完全には反対しない様子だ。


「うぐぐ……」

三人の(主にアクアの)しつこさと圧力、そして自分自身も少しだけ期待している気持ちに、達也はついに根負けした。

「…分かったよ! 少しだけだからな! 本当に少しだけだぞ! 変なサイトとか見ようとしたら、即刻エンジン止めるからな!」


達也は、アクアの熱意と、リリアの好奇の視線、そしてマリアの(半分諦めたような)無言の圧力に負け、ついにキャンピングカーのエンジンキーを回した。ブロロ…と安定したエンジン音が響き、車内に電力が供給される。


達也がノートパソコンのブラウザを立ち上げようとした、その瞬間だった。

「ちょっと貸して!」

アクアが、達也の隣からものすごい勢いで手を伸ばし、ノートパソコンを乗っ取ってしまった!


「お、おい!」


「まあまあ、見てなって!」

アクアはそう言うと、達也が驚くほどの、まるで指が何本にも増えたかのような超高速タイピングで、キーボードを叩き始めた! カタカタカタカタッ! という軽快な音が車内に響き渡る。達也には到底真似できない、まさに神業だ。


「ふむふむ、DNSサーバーは…よし、プロキシ経由でIP偽装して…と。よし、繋がった!」

アクアはリリアとマリアには意味不明な呪文のような言葉を呟きながら、あっという間に見慣れた(達也にとっては)日本の大手ポータルサイトのトップページを表示させた。色鮮やかな広告バナー、びっしりと並んだニュースの見出し…。


「なっ…なんだこれは…!?」マリアが息をのむ。

「うわー! 光る板の中に、また絵がいっぱい出てきた!」リリアも目を輝かせて画面を覗き込む。


「まずは、今のニホンの情勢からチェックしないとね」アクアは得意げに言い、ニュースサイトをクリックした。画面には、スーツを着た人々が頭を下げる写真や、高層ビルが立ち並ぶ街の写真、何かの記者会見の様子などが次々と表示される。

「ふーん、総理大臣はまだあの人か。株価は…っと、僕がいた頃より少し円安に振れてるな。これは僕の作った『全自動資産運用AI(試作品)』にとっては好都合かも…」

アクアは一人でぶつぶつと分析しているが、リリアとマリアは、文字が読めないため、ただただ見たこともない服装の人々や建物の写真に、「これがタツヤちゃんの故郷…」「鉄でできた、あんなに高い建物があるのか…」と驚きの声を上げるしかなかった。


「次は天気!」アクアは軽快にマウスを操作し、天気予報サイトを開いた。画面には、達也たちがいる大陸とは全く違う、見慣れた日本列島の地図と、太陽や雲のマークが表示される。

「あ、明日の東京は晴れだって。降水確率10%。紫外線に注意だってさ」

「なっ…!? 明日の天気が、なぜ分かるのだ!?」マリアが驚愕する。「それこそ、神託か何かでなければ…!」

「すごい! 魔法の天気予報だ!」リリアもはしゃいでいる。


「次は…そうだ!」アクアがニヤリと笑い、「レシピでも調べてみよっか」と、大手料理レシピサイトを開いた。画面には、カツ丼だけでなく、ハンバーグ、オムライス、ラーメン、寿司…色とりどりの、あまりにも美味そうな料理の写真がずらりと並ぶ!


「うわあああああ! 美味しそう! これ全部タツヤちゃんが作れるの!?」「この赤い魚の切り身は何!?」「この丸くて白いご飯の上に、色んなものが乗ってるのは!?」

リリアは、もはや興奮のあまり、画面に齧り付かんばかりの勢いだ。マリアも、ゴクリと喉を鳴らしている。


そして最後に、アクアが「まあ、疲れた時はこれに限るよね!」と言って、大手動画サイトを開き、「可愛い子猫の動画 詰め合わせ」と検索した。

再生ボタンを押すと、画面の中で、小さな子猫たちが毛糸玉とじゃれあったり、お互いに飛びかかったり、コテンと眠ったりする『映像』が、音楽と共に流れ始めた。


「「…………え?」」


その瞬間、リリアとマリアの動きが、完全に止まった。

「な……なんだ、これは……!?」マリアの声が震えている。

「絵が……絵が、生きているように動いている……!? しかも、鳴き声まで聞こえる…!?」リリアは、信じられないものを見る目で、画面に釘付けになっている。


彼女たちの世界では、絵は止まっているのが当たり前だ。紙芝居や、パラパラ漫画のような原始的なものはあるかもしれないが、こんなにも滑らかに、まるで本物のように動いて音を出す「絵」など、それこそ神々の戯れか、あるいは高度な幻惑魔術の類でしかありえなかった。


「ふっふん、これが『動画』さ。僕たちの世界じゃ、子供でも毎日見てるけどね」

アクアが得意げに胸を張る。


達也は、そんな二人のあまりにも純粋な驚きぶりを見て、改めて自分たちがいた世界の「当たり前」が、いかに異常なものであったかを痛感していた。そして、リリアとマリアの隣で、懐かしい日本の光景が映し出される画面を眺めながら、どうしようもない郷愁と、もう二度と帰れないかもしれないという寂しさが、再び胸に込み上げてくるのだった。


「ふっふん、まあ、僕のいた世界のエンターテインメントは、こんなもんじゃないけどね! これはほんの序の口さ!」

アクアは得意げに言うと、「さて、と」とキーボードを軽快に叩き、次のサイトへとアクセスした。


画面に表示されたのは、色とりどりの、そして異常なほどに食欲をそそる円盤状の料理の写真が、ずらりと並んだページだった。


「あっ!」リリアが声を上げた。「これ! 昨日、アクアちゃんが出してくれた『ピザ』だ!」

マリアも、昨夜食べた、あのチーズとトマトの絶妙な味わいを思い出し、画面に見入る。


「そうだよ」アクアはニヤリと笑った。「でもね、よく見てみて。僕が昨日、記憶を頼りに具現化した『ピザもどき』とは、ちょっとレベルが違うでしょ? これが僕たちの故郷の、専門店の『本物のピザ』だよ!」


アクアがスクロールすると、画面には次から次へと、見たこともないピザの写真が現れる。こんがりと焼かれた生地の上に、とろりと糸を引く大量のチーズ、ジューシーそうな肉、彩り豊かな野菜が惜しげもなく乗せられている。「クワトロ・ミートデラックス」「濃厚チーズメルト」「シーフード・スペシャル」…達也にしか読めないが、その名前だけでも凶悪なほどの魅力が伝わってくる。


「うわああああ! なにこれ! すごい!」リリアは画面に齧り付かんばかりの勢いだ。「昨日食べたのもすっごく美味しかったけど、こっちのはもっとキラキラしてる! チーズがとろーって滝みたいになってるよ! 赤いおサラミとか、黄色い塊(パイナップル?)とか、色々乗ってる! 全部食べたーい!」


マリアもまた、そのシズル感あふれる写真から目が離せないでいた。昨夜食べた「ピザもどき」の記憶が、目の前の「本物」への期待感を何倍にも増幅させる。特に、こんがり焼かれた分厚い生地と、とろけるチーズ、そしてジューシーなベーコンがたっぷり乗ったピザの拡大写真が表示された瞬間、


ゴクリ…。


静かな車内に、マリアが無意識に唾を飲み込む音が、やけに大きく響き渡った。

彼女は自分の喉が鳴ったことにハッと気づき、顔を赤らめ、慌てて咳払いをする。しかし、その目はまだ、画面の中のとろけるチーズと香ばしそうなベーコンから離せないでいた。


「ふっふっふ…」アクアは満足げに頷く。「どうだい? 僕の故郷の『本物のピザ』の破壊力は。専門店の技術は、僕の記憶再現なんかよりずっと上なんだよ!」

そして、彼女は達也の方を見て言った。

「そうだ、タツヤちゃん! 今日のキッチンカー、試しにこれ(ピザ)を出してみるのはどうかな? …なーんて、いきなりこれと同じものを作れっていうのも、さすがに酷だよねぇ。見てたら僕も、本物が食べたくなっちゃったし」


アクアはそう言うと、芝居がかった仕草で、大げさにため息をついてみせた。

「しょうがないなぁー。今日は始祖様歓迎パーティーだよ? 僕のとっておきの能力、『一日一回のお楽しみ』、もう使っちゃうから!」


彼女はそう宣言すると、先ほど画面で見ていた「クワトロ・ミートデラックス」の、チーズがとろける様や肉の照りを、うっとりとした表情で強く思い浮かべ、何もない空間に向かって、パチン!と指を鳴らした!


すると、キャンピングカーの小さなテーブルの上に、先ほどまで画面の中にしか存在しなかったはずの、温かい湯気と香ばしい匂いを放つ、巨大なデリバリーピザの箱が、ポスンと音を立てて出現した!


「「「うおおおおおっ!!??」」」

達也、リリア、マリアの三人は、目の前で起こった、もはや奇跡としか言いようのない現象に、今日一番の、そしてこれまでで最大級の驚きの声を上げた。


「わーい! わーい! 本物のピザだー!」リリアは理屈などどうでもいいとばかりに、早速ピザの箱に飛びついた。

「…信じられん…。本当に、想像しただけで、現物が…寸分違わず目の前に現れるというのか…」マリアも、そのあまりにも規格外な能力に、ただただ絶句している。


「お、お前…! こんなことまで…本当にできるのかよ…!」

達也も、アクアの能力のあまりの便利さと、そのチートっぷりに、もはや呆然とするしかなかった。


「ふっふん、だから言ったでしょ? 僕は天才だって!」アクアは得意げに胸を張り、ピザの箱を誇らしげに開けた。「さあさあ、冷めないうちに食べて食べて! これが本場の味だよ! 僕の能力のすごさを、その舌で味わうがいい!」


箱の中には、チーズがとろけ、4種類の肉(ペパロニ、ソーセージ、ミートボール、ベーコンだ!)がぎっしりと乗せられた、凶悪なほどに美味そうなピザが、完璧な形で鎮座していた。


三人は、さっきまでの会話も忘れ、夢中でその「本物のピザ」にかぶりつく。

「んんん~~~っ! おいひい! 昨日のと全然違う! このお肉、ジューシー! チーズもとろとろ!」リリアは口の周りをソースだらけにしながら大興奮だ。

「…むう…! この生地の香ばしさと、様々な肉の旨味、そして濃厚な『ちーず』の味わいが…なんという多層的な攻撃だ…!」マリアも、その複雑で暴力的な美味しさに、完全にノックアウトされている。


達也も、そのあまりの美味しさに、ただただ言葉を失っていた。そして同時に、隣で得意げにピザを頬張るアクアを見て、深い深い溜息をつくのだった。

(…こいつが味方で、本当に良かったのかもしれない……敵だったら、一瞬で胃袋を掴まれて負けてたぞ、俺…)


アクアが「一日一回のお楽しみ」の能力で具現化させた、熱々でチーズとろとろの「クワトロ・ミートデラックスピザ」。その悪魔的な美味しさの前に、達也、リリア、マリアの三人の理性は、あっけなく吹き飛んだ。


「んんん~~~っ! このお肉、ジューシー!」「この『ちーず』とかいうのは、なんて背徳的な味なんだ…!」「タツヤちゃん、この端っこのカリカリしたとこも美味しいね!」


さっきまでの作戦会議の緊張感はどこへやら、三人は目の前のピザに夢中になった。特に、昨夜からまともな食事にありつけていなかったこともあり、その勢いは凄まじかった。一切れ、また一切れと、巨大なピザはみるみるうちに消えていく。


そして、十数分後。


テーブルの上には、空になったピザの箱と、油で汚れた皿だけが残されていた。

そして、キャンピングカーの床やシートには……。


「う……うっぷ……く、くるしい……もう、一ミリも動けない……」

達也は、ダイネットのシートにぐったりと寄りかかり、はちきれそうなお腹を抱えて呻いていた。朝ごはんを食べたこともあり、少女の小さな体の許容量を、完全に超えてしまっている。


「し、幸せだけど……お腹が…重くて起き上がれないよぉ……」

リリアは床に大の字になって寝転がり、満足げな、しかし苦しげな表情で天井を見つめている。彼女の吸血鬼としての長い人生の中でも、これほどの満腹感を味わったことはなかったのかもしれない。


「……不覚だ…」

マリアもまた、壁に背を預け、普段の彼女からは想像もできないほど崩れた姿勢で座り込んでいた。彼女は無言で、自分の鎧のベルトを少しだけ緩めている。傭兵としての矜持が、かろうじて彼女を気絶から守っているようだった。


そんな三人とは対照的に、この惨状(?)を引き起こした張本人であるアクアだけは、ケロッとした顔で自分の指についたチーズを舐め取っている。

「ふっふっふ、どうだい? これが僕の故G郷の『Lサイズ・チーズ増し増し』の威力さ! ちょっと初心者には刺激が強すぎたかな?」


その悪びれない言葉に、達也が呻きながらツッコミを入れた。

「お前の…せいだろ…この、大食いテロリストめ……」


「えー? だって、みんなすごく美味しそうに食べてたじゃないか」

「そりゃ、美味かったけどさぁ…限度ってもんが…うっぷ…」


キャンピングカーの中は、動けなくなった三人と、満足げな一人が転がる、食後の怠惰で平和な(?)空気に満たされていた。もはや、パックル商会のことも、始祖の吸血鬼のことも、何もかもがどうでもよくなっている。


「…もう、今日はダメだ…動けない…」「私も…」「…同感だ」


三人の意見は、奇しくも完全に一致した。今日のキッチンカー計画も、情報収集も、全ては明日以降だ。今はただ、この強烈な満腹感と幸福感(そして少しの後悔)の波が過ぎ去るのを、待つしかなかった。

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