だめだこりゃ
太陽が沈むごろ、もはや完全に廃墟と化した研究室の跡地を後にし、ススと埃にまみれた四人は、とぼとぼとリベルの街へと戻っていた。先頭を歩くのは、げっそりとした表情のマリアと、魂が抜けかけたような顔の達也。その後ろを、なぜかすっかり意気投合したリリアとアクアが、キャッキャとはしゃぎながらついてくる。
「ねえねえアクアちゃん! 『始祖様』ってことは、タツヤちゃんの血を飲んだら、私ももっと強くなれるのかな!? 不老不死とか! 空とか飛べちゃう!?」
「んー、理論上は遺伝情報の一部が書き換わって、爆発的な進化を遂げる可能性は否定できないけど、拒絶反応で体内から大爆発するリスクもゼロじゃないね! やってみる?」
「えー! 爆発はちょっとやだなー! じゃあさ、あの『ぴざ』ってやつ、また作ってよ! 今度はサラミがいっぱいのやつ!」
「いーよー! 明日の『具現化権』は、始祖様歓迎パーティーのために、超豪華なピザにするって約束するよ!」
(……こいつら、もうダメだ……)
後ろから聞こえてくる、傍から聞けば不穏でしかない会話に、達也はもはやツッコむ気力もなかった。
一行が、ようやく宿である「静かなる梟亭」にたどり着いた時だった。
カウンターでグラスを拭いていた、店主が、マリアとリリアに気づき、「戻ったかい…」と言いかけた、その視線が、二人の後ろにいるアクアの姿を捉えた瞬間。
店主の顔が、みるみるうちに般若のような形相に変わった。
「き、貴様ああああああああああああ!!」
店主は、持っていたグラスをカウンターに叩きつけんばかりの勢いで置くと、カウンターから飛び出し、アクアをビシィッ!と指さした!
「青髪の悪魔! 爆発小娘! 二度とそのツラを見せるなと言ったはずだぞ! 出ていけ! 今すぐここから出ていけぇぇぇぇぇ!!!!」
店主は、普段の温厚な姿からは想像もできない剣幕で、アクアに出禁宣言を叩きつけた。
「えっ」
アクアは、指をさされ、一瞬きょとんとした顔をする。
突然の修羅場に、達也は完全に面食らった。そして、怒りの矛先を、この新たなトラブルメーカーに向ける。
「おい、アクア! お前、一体この宿で何したんだよ!?」
達也の詰問に、アクアは人差し指を頬に当て、視線を泳がせながら、もじもじと答えた。
「えーっとぉ…? なんだっけかなぁ…? あ、そうそう。ちょっと前にこの宿に泊まった時、部屋でね、新しい携帯魔力コンロの燃焼効率を上げる実験をしてたら、ちょっとだけ失敗しちゃってぇ…」
彼女は、ぺろりと舌を出した。
「ちょっとだけ、だと…?」店主はワナワナと震えている。「二階の壁が丸ごと吹き飛んだのを、どの口が『ちょっとだけ』だと言うんだ! この極悪非道の破壊神め!」
「……」
達也は、もはや何も言う気力がなかった。ただ、怒りに震えるこぶしを、どうにかして握りしめる。
マリアは深すぎるため息をつき、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえている。リリアだけが、「へー、アクアちゃん、壁を吹き飛ばしたんだ! すごーい!」と、キラキラした目で見当違いの感心をしていた。
アクアは、店主の怒りなどどこ吹く風で、「えー、でもちゃんと修理代は払ったじゃーん。まあ、大部分は僕が発明した『自動修復パテ(試作品)』で治したけど」などと呟いている。
達也は、この歩く災害誘発装置をこれからどうしたものか、本気で頭を抱えるしかなかった。
「 今すぐここから出ていけぇぇぇぇ!!!」
宿の主人の、普段の穏やかな姿からは想像もできないほどの怒声が、リベルの夜の路地に響き渡った。その怒りの矛先は、もちろんアクア一人に向けられている。
達也は、アクアの過去のやらかし(二階の壁を吹き飛ばした)に、もはや怒りを通り越して恐怖すら感じていた。このままでは、自分たちまで同類だと思われて、この街にいることすら難しくなるかもしれない。
達也は意を決した。非情な決断を下すしかなかった。
「……分かった。じゃあ、アクア。お前はここで待ってろ。俺たちはこの宿に泊まるから」
彼はアクアをその場に残し、リリアとマリアだけで中に入ろうと、冷たく言い放った。そして、鬼の形相の店主に向き直り、必死の形相で頭を下げる!
「すみません、ご主人! この子とは、本当に、今さっき会ったばっかりで、仲間とかそういうのじゃ全然ないんです! だから、どうか俺たち三人だけは、とりあえず一泊でいいので泊めていただけないでしょうか!?」
これが最善手のはずだった。しかし―――。
「えええええ!? やだやだやだーっ! 僕も一緒じゃなきゃ絶対にやだーっ!」
達也がそう言い終わるか終わらないかのうちに、背後からアクアが叫びながら飛びついてきた! そして、達也の体に、まるでコアラのように、ぎゅーーーーっと力いっぱい抱きついてくる!
「始祖様と離れるなんて、一秒だって耐えられないんだからねっ! 置いてくなんてひどい! ひどいよぉー!」
アクアは、達也の首筋に顔をうずめて、わざとらしくシクシクと泣き真似までし始めた。
その光景を見て、店主の怒りは再点火どころか、大爆発を起こした。
「なんだと貴様ら! やはり知り合いだったのではないか! グルだったのか! しかも、なんという卑劣な! いい加減にしろ!」
店主は、カウンターの奥から大きな箒を持ち出してきた。完全に臨戦態勢だ。
「もう許さん! お前たち全員まとめて、ここから出ていけぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「えー、なんでー?」「だから仲間じゃないって!」
リリアの呑気な声と、達也の悲痛な叫びも、店主の怒りの前では無力だった。
アクアの行動で、交渉は完全かつ決定的に決裂した。何をしても裏目に出る。どんな言い訳も通用しない。
達也は、自分にぎゅっと抱きついたまま「えーん、えーん」と嘘泣きを続けるアクアと、箒を振りかざす鬼の形相の店主、そして「やれやれだねぇ」と他人事のように見ているリリアとマリアの顔を、順番に見渡した。
そして、天を仰ぎ、全ての気力を失ったように、静かに、しかし心の底から、ぽつりと一言だけ呟いた。
「だめだこりゃ」
宿屋「静かなる梟亭」を追い出され、リベルの夜の街角に呆然と立ち尽くす四人。達也の魂の呟きに、マリアは深いため息をつき、リリアだけが「あーあ、追い出されちゃったねー。で、どうするの?」と、どこか楽しそうだ。
「…もういい」達也は、完全に吹っ切れたような、あるいは全てを諦めたような声で言った。「今夜は、俺の『家』で寝るぞ。ついてこい」
達也は先頭に立ち、三人を連れて、人通りのない裏通りを選びながら、昼間にキッチンカーもどきの営業をしていた街外れの広場へと戻った。幸い、もうそこには誰の姿もなかった。
「ここで何をするんだ?」マリアが尋ねる。
達也は答えず、周囲に人がいないことを念入りに確認すると、アイテムボックスに収納していたキャンピングカーを、その広場の真ん中に出現させた。音もなく、白い車体が月明かりの下に姿を現す。
その光景を見た瞬間、これまで達也の不思議な力にどこか面白がるような態度を取っていたアクアが、これまでにないほどの勢いで目を輝かせ、大興奮で叫んだ!
「うおおおおおおおぉぉぉぉっ!! これ! この形! この窓! このタイヤ! 間違いない! これ、僕が前世で見たことあるやつだー! 『キャンピングカー』って言うんでしょ!?」
アクアは、まるで憧れのアイドルにでも会ったかのように、キャンピングカーの周りを走り回り始めた。ボディをペタペタと触り、「この塗装技術! 異世界の金属加工とはレベルが違うよ!」「この窓、透明度がすごい! さすが現代技術!」「このタイヤのゴムの弾力! 計算され尽くしてる!」などと、専門的なんだかよく分からない賛辞をまくし立てている。
「きゃんぴんぐかー…?」マリアはアクアの言葉を繰り返し、その異様な興奮ぶりに少し引いている。
「へえー、この鉄の箱、『きゃんぴんぐかー』って言うんだ! 可愛い名前だね! 私もそう呼ぼーっと!」リリアは早速新しい名前を気に入ったようだ。
しかし、達也はそんな三人の様子を、非常に、それはもう非常に真剣な目で見ていた。特に、キラキラした目でキャンピングカーに改造の余地を探るかのように見ているアクアに対し、彼はゆっくりと歩み寄り、その小さな肩をガシッと掴んだ。
「いいか、アクア! よく聞け!」
達也の声は低く、怒りと、懇願と、そして本気の脅しが混じっていた。
「このキャンピングカーは、俺たちの最後の砦だ。寝る場所で、移動手段で、キッチンで、シェルターでもある。これがなくなったら、俺たちは本当に、この異世界で野垂れ死ぬんだ」
彼は、アクアの青い瞳を真っ直ぐに睨みつけ、一言一言区切るようにして言った。
「だから、絶対に、絶対に! 変なことをするな! 勝手に改造しようとか、妙なエネルギーを繋げてみようとか、ましてやお前のポンコツ発明品とドッキングさせようとか、爆発させるなんてことは、金輪際、天地がひっくり返っても許可しない! 分かったな!? これを失ったら、本当に、本当にヤバいんだからな!」
達也の、これまでにないほどの本気の剣幕に、さすがのアクアも一瞬たじろいだ。
「えー……ちぇー…。わ、分かったよー。ちょっとくらいなら、って思ったんだけどなー。最新式の魔力循環式ハイブリッドエンジンとか、空間跳躍ユニットとか、搭載したら絶対カッコよくなるのに…」
彼女はまだ何か物騒なことをブツブツと呟いていたが、達也の鬼気迫る表情に、一応はこくりと頷いた。
「…よし」
達也はアクアから手を離すと、「さあ、中に入れ。今日はここで寝るぞ」と、三人を車内へと促した。
こうして、四人の奇妙な共同生活は、リベルの街の外れ、一台のキャンピングカーの中で、波乱万丈な幕開けを迎えることになったのだった。
マリアも後に続いたが、狭い車内を見回し、すぐに眉をひそめた。
「…む。タツヤ、改めて入ると、ここはかなり手狭だな。大人四人(リリアとアクアも含む)が足を伸ばして眠るのは、少し厳しいんじゃないか?」
(当たり前だろ! これ、元の世界じゃ『軽キャンピングカー』っていう一番小さい分類なんだぞ! 文句言うな!)
達也は心の中で悪態をつきながらも、口では「まあ、野宿よりはマシだろ。我慢してくれ」とだけ言った。
「よし、寝る準備するぞ!」
達也は、後部座席のテーブルを畳んでシートを倒し、フルフラットのベッドスペースを作り始めた。その手際の良さに、アクアが「ほうほう、空間効率を考えた合理的な設計だね。僕の作った試作型居住ユニットMk-IIIのコンセプトに極めて近いな」などと、またよく分からないことを言って感心している。
ベッドスペースが出来上がると、リリアが「一番乗りー!」と叫んで真っ先にダイブした。そして、達也に向かって「ねーえ、タツヤちゃん、こっちこっちー!」と手招きする。
「お前は少しは遠慮しろ!」
達也はそう言いながらも、今日の寝床の割り振りを考えた。
「…リリアとアクアは、そこで寝てくれ。マリアもだ」
「えー、タツヤちゃんはー?」
「俺は上で寝るから」
達也はそう言って、運転席の上にある、小さなロフトベットのスペースを指さした。そこは、一人分の寝袋がやっと収まるくらいの、秘密基地のような空間だ。
マリアは「しかし、それでは君が…」と遠慮したが、達也は「いいんだよ。俺はここが一番落ち着くんだ」と言って、さっさとバンクベッドに梯子をかけて登ってしまった。
やがて、後部のベッドスペースでは、リリアがアクアに「ねえねえ、その『転移マシーン』って、本当に日本に帰れるの? 日本には美味しいお菓子とかいっぱいあるの?」などと質問攻めにし、アクアが「ふふん、僕の計算が正しければ、理論上は可能さ! 日本の『ポテチ』や『チョコ』の美味しさは、この世界のどんな高級菓子も超越していると言っても過言ではないね!」などと得意げに語り始めている。
「お前たち、静かに寝んか! 明日も早いんだぞ!」
マリアに一喝され、ようやく二人はしぶしぶ毛布にくるまった。
やがて、下のベッドから、三者三様の穏やかな寝息が聞こえ始めた。
達也は、バンクベッドの小さな窓から、リベルの街の遠い灯りと、静かに輝く月を眺めていた。
(吸血鬼に、凄腕の傭兵、それにポンコツ天才マッドサイエンティストか……)
達也は、深すぎるため息を一つ、静かに吐き出した。
(はぁ……本当に、ロクな奴がいないというか、変な奴らとばっかり関わりを持っちまったなぁ……。これから、一体どうなっちまうんだか……)
その思考は、呆れか、諦めか、それともほんの少しの奇妙な期待感からか。自分でもよく分からないまま、達也もまた、度重なる騒動で疲れ切った意識を、ゆっくりと眠りの底へと手放していくのだった。
あれ結局爆発オチでは思いつつ見なかったことにする私




