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嘘は難しい

異世界通販でホワイトガソリン(らしきもの)を購入し、最大の懸案事項だった燃料問題に解決の糸口が見えたことで、達也は張り詰めていた緊張の糸を少し緩めた。ノートパソコンの画面から顔を上げ、大きく息をつく。


(これで、少しはマシになったか…)


購入した燃料が本当に使えるかは試してみないと分からないが、それでも手元に「次の一手」があるという事実は、精神的な余裕を生む。達也は一旦情報収集を中断し、後部のベッドスペースで眠っているはずのマリアの様子を確認しようと、そちらに視線を向けた。


「ん…?」


次の瞬間、達也は息をのんだ。

マリアは眠っていなかった。静かに目を開け、ぼんやりとキャンピングカーの天井を見つめている。いつから起きていたのだろうか?


達也の視線に気づいたのか、マリアはゆっくりと首を巡らせ、達也の方を見た。まだ少し焦点の合わない、しかし確かに意思の光を宿した鳶色の瞳と、達也の視線がかち合う。


気まずい沈黙が、雨音の響く車内に流れた。


先に口を開いたのはマリアだった。かすれた、弱々しい声だったが、はっきりとした口調で尋ねてきた。


「……ここは?」

そして、自分の体に意識を向けたのか、わずかに眉をひそめ、付け加えた。

「…体が、少し…楽になっている、ような…?」


達也は、予想外に早くマリアが目覚めていたことに内心動揺しつつも、それを悟られまいと平静を装った。咄嗟にノートパソコンの画面を閉じ(幸い、マリアからは死角になっていたはずだ)、マリアに向き直る。


「気がついたか。気分はどうだ?」


「君は…さっきの、箱の中にいた…」マリアは達也(の少女の姿)を認識し、記憶をたどるように呟いた。「私が…倒れたのか…?」


「ああ、そうだ」達也は頷いた。「アンタ、俺と話している途中で突然倒れたんだ。放っておくわけにもいかないから、とりあえずこの中に運んだ」


達也は、自分がポーションを使ったことまでは、まだ話さなかった。相手の出方を見るためだ。エンジンがかかっていることや、ノートパソコンのことも、今は隠しておくべきだろう。


マリアはゆっくりと自分の体を確認するように手足を動かし、それから達也をじっと見つめた。その瞳には、感謝よりも先に、警戒と探るような色が浮かんでいる。


「…そうか。世話になった、らしいな」傭兵らしく、感情をあまり表に出さずにマリアは言った。「礼を言うべきなのだろうが…まずは状況を確認したい。ここは一体どこで、君は何者なんだ?」


倒れる前と同じ質問。しかし、今度は狭い車内で、顔を見合わせての対峙だ。達也は、再びどう答えるべきか、思考を巡らせる必要があった。


マリアの真っ直ぐな視線を受け、達也は一瞬言葉に詰まった。咄嗟に、また「ハルカ村の…」という嘘を口にしそうになる。だが、目の前で衰弱し、それでもなお自分を警戒し探るような目で見ている相手に、これ以上嘘を重ねることに強い抵抗を感じた。それに、この状況で嘘をつき続けるのは、あまりにも不毛でリスクが高いかもしれない。


(…腹を括るか)


達也は小さく息を吸い込み、意を決して口を開いた。


「…いや、村の者というのは、嘘だ。すまない」


正直にそう告げると、マリアの鳶色の瞳がわずかに見開かれた。驚きと、さらなる警戒の色が浮かぶ。


達也は続けた。言葉を選び、慎重に。

「俺の名前は、シバ・タツヤ。…タツヤでいい」


「タツヤ…?」マリアは異国の響きを持つその名前を、怪訝そうに繰り返した。


「ああ。年は…まあ、見た通りだ。これでも子供扱いされるのは好かないが」達也は少し自嘲気味に言った。「正直に言うと、俺も自分がどうしてここにいるのか、よく分かっていないんだ」


「…どういうことだ?」マリアの声に、疑念が混じる。


「気づいたら、この草原にいた。一人で。ここがどこなのか、どうやって来たのか…記憶が曖昧なんだ。持っていたのは、この車だけだ」達也はキャンピングカーの壁を叩いた。「これも、俺のもの…いや、親のだったか…その辺もはっきりしない。とにかく、道に迷って途方に暮れていたのは本当だ」


達也は、自分が異世界から来たこと、そして元は男だったことには一切触れなかった。それはあまりにも突飛な話だし、今の状況で信じてもらえるとは思えない。通販スキルやネット接続のことも、もちろん秘密だ。


自分の状況を(部分的にだが)正直に話したことで、少しだけ胸のつかえが取れた気がした。達也はマリアの反応を待った。嘘を認めた相手を、彼女はどう見るだろうか。


マリアはしばらく黙って達也の言葉を吟味しているようだった。その表情は硬く、まだ警戒は解けていない。しかし、先ほどのような鋭い追及の雰囲気は少し和らいだように見えた。


「…記憶が曖昧、か」マリアは静かに呟いた。「頭をどこかに強く打ったのかもしれないな。あるいは、何か特殊な魔法の影響を受けたか…」


傭兵としての経験からか、マリアは達也の状況をいくつかの可能性に当てはめて考えているようだ。


「それで、君はこの『タツヤ』という名前と、その『車』以外、何も覚えていない、と?」


「…まあ、そんなところだ」達也は曖昧に頷いた。「だから、アンタにこの辺りのことを聞きたかったのは本当だ」


嘘をつくのをやめたことで、場の空気はわずかに変化したように感じられた。まだ互いに警戒心はあるものの、一方的な尋問のような雰囲気は消え、対話の可能性が生まれたのかもしれない。


マリアはしばらく黙って達也の話を聞いていたが、やがて一つの結論に達したように口を開いた。


「…そうか。事情は大体分かった。記憶がないとなれば、君のような子供(…失礼、年若く見える者が)一人でこの『ため息の草原』にいるのは危険すぎる」


その口調には、わずかな同情の色と、現実的な判断が含まれているように達也には聞こえた。


「もし君さえよければだが…私が目的地の町アザリアに着くまで、一時的に行動を共にするというのはどうだ? 何か思い出したり、あるいは君の言う『親』の手がかりが見つかるまでの間だけでもいい。アザリアには情報ギルドもあるし、何か分かるかもしれん」


それは、今の達也にとって非常に魅力的な提案のはずだった。経験豊富な傭兵と一緒なら、魔物の危険も減るだろうし、異世界の知識も得られる。アザリアという町に行けば、さらに多くの情報を得られるかもしれない。


しかし、達也はすぐには頷かなかった。マリアの提案を頭の中で吟味し、それから、少しだけ口の端を上げてみせた。


「へえ、アザリアまでね。行きたいのはやまやまなんだが…」

達也はわざとらしく言いよどみ、それから続けた。

「アンタと一緒にてくてく歩いていくのは、ちょっと遠慮したいかな」


「…何?」マリアは眉をひそめた。達也の予想外の返答に、明らかに不快感を示している。


達也は構わず、ベッドに横たわるマリアを見下ろすような形で(実際には運転席から見ているだけだが)、言葉を続ける。


「だって、面倒だろ? 俺にはこれがあるんだからさ」

そう言って、達也はキャンピングカーのハンドルを軽く叩いた。


「アザリアまで、もっと簡単に行く方法がある、と言ったらどうする?」


その言葉には、明確な自信と、少しばかりの挑発が含まれていた。達也は、マリアがこの奇妙な乗り物――キャンピングカー――に強い興味を持っていることを見抜いていた。


案の定、マリアの鳶色の瞳が驚きに見開かれ、次いで強い興味と疑念の色を浮かべて達也に向けられた。体を起こそうとして、まだ少し痛むのか顔をしかめる。


「簡単に行く方法、だと…? 君、一体何を言って…まさか、この箱のようなもので移動するとでも言うのか? どうやって? 馬もいないのに」


マリアは信じられない、という顔でキャンピングカーの内部と達也を交互に見る。


嘘をつくのをやめ、部分的に正直に話したことで、達也は少しだけ強気になっていた。マリアとの関係を、単なる保護される子供ではなく、対等な(あるいは少し有利な)取引相手として築こうとしているのかもしれない。


達也はニヤリと笑みを深めた。主導権はこちらに移りつつある。

「さあ、どうだろうな? それを知りたければ、アンタももう少し俺を信用してみるんだな」


自信満々に言い放ち、マリアの反応を待つ。さあ、どう出る? と達也が内心でほくそ笑んだ、まさにその瞬間だった。


プス、プスプス……ストン。


「……え?」


今まで安定して動いていたはずのキャンピングカーのエンジンが、まるで達也の言葉に合わせるかのように、力なく最後の音を立てて停止した。


次の瞬間、車内は完全な静寂と暗闇に包まれた。エンジンが止まったことで電力供給が完全に途絶え、ノートパソコンの画面も、メーター類のわずかな灯りも、全てがフッと消えたのだ。窓の外は依然として雨が降り続いており、光はほとんど差し込まない。自分の手の輪郭すら見えないほどの、本当の闇だった。


「………」

「………」


数秒間、ただ雨音だけが屋根を叩く音が響く。

さっきまでの自信はどこへやら、達也は完全にフリーズしていた。


「え…? う、うそ…なんで!? さっきまで普通に動いてたのに!」


思わず素の焦り声が漏れる。こんなタイミングでエンストなんて、格好悪すぎる!


すると、暗闇の中からマリアの声が聞こえた。呆れたような、それでいてどこか面白がっているような響きを含んでいる。


「…ほう? それが君の言う『簡単な方法』とやらか? ずいぶんと頼りないようだが?」


「ち、違う! これは、その、たまたま…!」


達也は慌てて言い訳をしながら、手探りでキーを回し、エンジンをかけ直そうとした。セルモーターがキュルキュルと弱々しく回る音はするが、エンジンは一向にかかる気配がない。何度か試しても、結果は同じだった。


(なんでだよ!? まさか…もうガス欠!? いや、メーターの針はまだ少し残ってたはずだが…じゃあ、バッテリー上がりか? それとも何か別の機械的な故障か?)


最悪の可能性が頭をよぎり、達也の背筋に冷たい汗が流れる。さっきまでの余裕は完全に消え去り、焦りと不安だけが心を支配していた。自信満々に「簡単な方法がある」なんて言った直後にこれでは、マリアからの信用など得られるはずもない。むしろ、不信感を増幅させただけだろう。


暗闇の中、達也は為す術もなく、ただひたすらキーを回し続けるしかなかった。

(そうだ、さっき通販で買ったホワイトガソリン…! もしガス欠なら、あれを入れれば動くかもしれない! でも、この暗闇の中でどうやって給油しろって言うんだ!? それに、もし原因が違ったら…)

雨音だけが、彼の焦りを嘲笑うかのように響いていた。

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