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考えててもしょうがない

マリアの語った、あまりにも過酷な過去。それは、達也とリリアの心に深く、そして重く刻まれた。その後、車内には言葉少なな、しかし以前のような気まずさではない、どこか互いを労り合うような静かな時間が流れた。


やがて三人は、それぞれの思いを胸に、キャンピングカーの中で眠りについた。リリアは、やはり達也の体にぎゅっと抱きついたまま、安心しきったように穏やかな寝息を立てている。達也も、最初はリリアの体温や存在に戸惑いつつも、いつしか深い眠りに引き込まれていた。マリアはバンクベッドで、静かに夜の気配を警戒していたのかもしれないが、やがて彼女も眠りに落ちたようだ。


***


次に達也が目を覚ました時、キャンピングカーの小さな窓からは、リベルの街を照らす柔らかな朝日が差し込んでいた。小鳥のさえずりが遠くに聞こえる。


(……朝か……)


隣を見ると、銀色の髪を枕に散らし、リリアがまだすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。その寝顔は、昨日までの憂鬱さや、悪夢にうなされていた時の苦悶とは無縁の、まるで天使のように無垢で穏やかだ。そして、しっかりと達也の体に腕を回し、抱きつくようにして眠っている。


(……またこの体勢か……)

達也は内心でため息をついたが、もはやそれを振りほどこうという気力もあまり湧いてこなかった。ただ、リリアを起こさないようにそっと体を起こし(結局、抱きつかれたままの体勢だが)、ぼんやりと天井の一点を見つめ始めた。


昨夜のマリアの話が、頭の中で何度も繰り返される。戦火で家族を失い、生きるために汚いことも経験し、信じた仲間に裏切られた過去…。そんな彼女が、なぜ自分たちのような得体の知れない存在に、あそこまで親身になってくれるのだろうか。


そして、リリアのこと。満月の夜に怯え、「化け物じゃない」と泣き叫んでいた寝言。普段の悪戯っぽく奔放な態度の下に隠された、深い孤独と恐怖。


(マリアも、リリアも、俺とは比べ物にならないくらい、ずっと大変な思いをして生きてきたんだな……)


それに比べて自分はどうか。

確かに、異世界に飛ばされ、性別が変わり、吸血鬼かもしれないという恐怖はある。元の世界にはもう帰れないかもしれないという絶望感もある。


でも、この二人に出会い、助けられ、そして今、こうして一緒にいる。


達也の胸の中に、漠然とした、しかし重苦しい疑問が湧き上がってくる。


(このままで、本当にいいんだろうか…?)


達也は、リリアの穏やかな寝息をすぐ隣に感じながら、差し込む朝日の中で、重く、そして答えの出ない問いを頭の中で繰り返し巡らせていた。自分の体のこと、力のこ と、これからの目標…。考えれば考えるほど、気分は鉛のように沈んでいく。


そんな達也の重苦しい思考を打ち破ったのは、やはりこの吸血鬼少女だった。


「んん……ふわぁ……あれぇ? タツヤちゃん、もう起きてたのぉ…?」

リリアが、長い銀髪をくしゃくしゃにさせながら、寝ぼけ眼でむくりと体を起こした。そして、まだ半分夢の中にいるような、とろんとした赤い瞳で達也を見つめると、突拍子もないことを言い出した。


「ねぇ、タツヤちゃん……昨日の夜、私の銀のクシが、お喋りな三日月さんに盗まれちゃったんだけど……知らない?」


「……は?」達也はリリアの寝ぼけた発言に、一瞬、自分の悩みが吹き飛ぶほど呆気に取られた。「銀のクシ? 三日月に盗まれた? …お前、どんな夢見てたんだよ」


「えー? 夢じゃないよー? 本当だもん。キラキラ光るクシだったのにー…」リリアは本気で残念そうな顔をして、達也の体にぐりぐりと頭を擦り付けてきた。「ねーえ、タツヤちゃん、一緒に探してー? あのクシがないと、今日の私、可愛さ半減だよー」

まだ半分寝ぼけているのか、リリアはそのまま達也の腕に抱きつき、猫のようにじゃれついてくる。


「い、痛い痛い! 髪ボサボサになるだろ! っていうか、そんなクシ、最初から持ってなかったじゃないか!」

達也はリリアの突拍子もない言動と、遠慮のないスキンシップに、うんざりしながらも、そのあまりのマイペースぶりに、少しだけ気が紛れたような気もした。重く沈んでいた思考が、強制的に現実(という名のカオス)に引き戻される。


バンクベッドからは、マリアが静かに起き出してくる気配がした。彼女はリリアの奇行には慣れっこなのか、特に何も言わず、黙って寝具を畳んでいる。


「…はぁ。とりあえず、朝飯にするか…」

達也はリリアを引き剥がしながら、重い腰を上げた。しかし、昨夜からずっと考え事で頭がいっぱいで、まともな料理を作る気力など全く湧いてこない。


結局、今日の朝食は、達也のやる気のなさを反映した、非常に手抜きなものになった。アイテムボックスから出したのは、元の世界ではお馴染みの、何の変哲もない食パン(もちろん異世界通販品だ)。それをカセットコンロの上に網を置いて、直火で軽くトーストするだけ。そして、市場で買った瓶詰めの赤い果実のジャムを添える。


「ほらよ。今日はこれだけだ」

達也がぶっきらぼうにパンとジャムをテーブルに並べると、意外にもリリアは目を輝かせた。

「わーい! パンだー! このジャム、昨日買ったやつでしょ? 甘くて美味しいんだよねー!」

彼女は寝ぼけ眼もすっかり覚めたようで、早速トーストにジャムをたっぷり塗って、大きな口で頬張り始めた。「んー! やっぱり美味しい! タツヤちゃんが焼くと、ただのパンもご馳走だね!」


マリアも、黙ってトーストを手に取り、ジャムを塗って口に運ぶ。そして、静かに頷いた。

「…ああ。焼きたてのパンは香ばしくて美味いものだな。ジャムの酸味もよく合う」

彼女も、達也の簡素な朝食を、特に不満も言わずに受け入れているようだ。


二人が(達也にとっては手抜きでしかない)朝食を、それでもどこか美味しそうに食べているのを見て、達也は少しだけ救われたような、そして拍子抜けしたような気持ちになった。自分がどんなに悩んでいても、この二人はいつも通りだ。それが今は、少しだけありがたいのかもしれない。


達也は、手抜きだがそれでも「美味しい」と言ってくれた二人の優しさに少し救われつつも、心の奥底に沈殿したような重い気分を拭えずにいた。自分の体の謎、力の不安定さ、そしてこの異世界でどう生きていくべきか…。答えの出ない問題が、頭の中でぐるぐると回り続けている。


そんな達也の様子を敏感に察したのか、朝食のパンの最後の一口を飲み込んだリリアが、パン!と手を叩いて、わざと明るい声を上げた。


「ねーえ、タツヤちゃん! そんな難しい顔してないでさー、今日は気分転換に、ダンジョンにでも行ってみない!?」


「はあっ!? ダンジョン!?」

達也はリリアの突拍子もない提案に、素っ頓狂な声を上げた。

「な、何言ってんだよ! 無理に決まってるだろ! 俺には力なんて全然ないし、冒険者ギルドだってレベル1だって言われたんだぞ!? そんな俺がダンジョンなんて行ったら、最初のスライム(みたいな魔物)にだって瞬殺されるに決まってる! 足手まといになるだけだ!」

冒険者ギルドでの屈辱的な記憶が蘇り、達也は必死に首を横に振った。


しかし、リリアはそんな達也の拒絶など全く意に介していない様子で、ケラケラと笑っている。

「大丈夫、大丈夫! 私とマリアさんがいれば、スライムどころかゴブリンの群れだって余裕だって! ねー、マリアさん?」


リリアに話を振られたマリアは、腕を組んで少し考えていたが、意外にもリリアの提案に反対はしなかった。

「ふむ…。確かに、今の時期、リベル近郊のいくつかのダンジョンは、比較的安全だとは聞いている。強力なモンスターの活動も鈍っており、主に新人冒険者の訓練場所として使われているような、比較的浅い階層であれば、それほど大きな危険はないだろう」

そして、マリアは達也の方を見て、穏やかな声で付け加えた。

「それに、全てのダンジョンが薄暗くて気味の悪い場所というわけでもない。中には、美しい水晶が群生していたり、神秘的な地下湖が広がっていたりするような、景色の良い場所もあると聞く。気分転換には、あるいは何か新しい発見があるかもしれんな」


「え…綺麗なダンジョン…?」達也は意外な言葉に少しだけ興味を引かれる。


「そうだよー!」リリアが畳み掛ける。「薄暗い洞窟だけがダンジョンじゃないの! キラキラ光る宝石の壁とか、お花畑みたいな場所だってあるんだから! ピクニック気分で行こうよ、ピクニック!」


「いや、ピクニックって…」達也は呆れるが、二人にそこまで言われると、少しだけ心が揺らいできた。確かに、いつまでもキャンピングカーの中に籠って、重い気分で悩み続けていても仕方がない。外に出て、何か新しいものを見れば、少しは気分も変わるかもしれない…。それに、もし本当に安全で綺麗な場所なら…。


「キラキラ光る宝石の壁とか、お花畑みたいな場所だってあるんだから! ピクニック気分で行こうよ、ピクニック!」

リリアは目を輝かせ、まるでこれから楽しい遠足にでも行くかのように、達也をダンジョンへと誘う。マリアも「気分転換にはなるかもしれんな」と、静かに後押ししている。


(ダンジョンかぁ……確かに、このキャンピングカーの中にずっと籠って、自分の体のこととか、パックル商会のこととか、オルガさんのこととか、グルグル考え続けてても気が滅入るだけだよな……)


達也は腕を組み、悩んだ。冒険者ギルドでのトラウマはまだ新しいが、マリアとリリアの二人が一緒なら、本当にリリアの言うような「ピクニック気分」とはいかなくても、ある程度の安全性は確保されるのかもしれない。それに、「美しい水晶が群生する場所」や「お花畑みたいな場所」という言葉には、正直、少しだけ心が動かされたのも事実だ。


「…………はぁ……」


しばらくの葛藤の末、達也は観念したように、大きなため息を一つ吐いた。

「……分かったよ。分かった、行くよ。行けばいいんだろ、その『綺麗なダンジョン』とやらに」


「やったー! 決まりだね、タツヤちゃん!」

リリアは子供のように飛び跳ねて喜んだ。


「ただし!」達也は人差し指を立て、二人に釘を刺す。「本当に安全なんだろうな!? ちょっとでもヤバそうな雰囲気だったり、変な魔物が出てきたりしたら、俺はすぐに引き返すからな! それから、俺は絶対に戦わないからな! 何があっても、後ろでマリアとリリアの後ろで見学してるだけだから! いいな!?」

小心者(いや、慎重なのだと自分では思っている)の達也は、念には念を入れて条件を付けた。


「はいはい、分かってるってー」リリアは楽しそうに手を振る。「私がついてれば百人力なんだから、安心してついてきなさいって!」

「ふむ、それがいいだろう」マリアも達也の条件に静かに頷いた。「無理は禁物だ。あくまで気分転換と、リベル周辺の地理を少し知っておくためだと思えばいい。いざという時は、私が君を守る」


こうして、達也の(非常に消極的な)ダンジョン行きが決定した。


三人は早速、出発の準備を始めた。

達也は、動きやすいように今の旅装束のままだが、アイテムボックスの中身を再確認し、非常食と水、応急手当セット、そして念のため通販で購入しておいた護身用の小さなナイフ(使う勇気はないが)を腰のポーチに忍ばせた。

リリアは、特に何かを準備する様子もなく、楽しそうに鼻歌を歌いながら、達也の周りをうろうろしているだけだ。彼女にとっては、本当にピクニック気分なのかもしれない。

マリアは、自分の長剣の手入れを入念に行い、ベルトに装着されたいくつかの投げナイフの位置を確認し、小さな革袋に入った薬草やポーションらしきものの数を確認するなど、傭兵として完璧な準備を整えていた。


「よし、準備完了だな」マリアが言った。「キャンピングカーはここに置いていくのか?」


「いや」達也は首を振った。「さすがにこんな場所に置きっぱなしにはできない。アイテムボックスに仕舞っていく」

達也は周囲に人がいないことを確認し、キャンピングカーをアイテムボックスに収納した。


「それじゃあ、しゅっぱーつ!」

リリアの元気な掛け声と共に、三人はリリアが知っているという「比較的安全で綺麗なダンジョン」へと向かって、リベルの街の門をくぐり、郊外へと歩き始めた。達也の心の中には、不安と、ほんの少しの好奇心、そして(また何か面倒なことに巻き込まれるんじゃないかという)諦めに似た予感が渦巻いていた。


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