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エターナル・フロンティア・オンライン

「やった! やっぱり繋がった!」

達也は思わず声を上げた。理由は全く分からないが、このキャンピングカーのエンジンをかけている間は、異世界にいながらにして元の世界のインターネットに接続できるらしい。


彼は逸る心を抑え、お気に入りのMMORPG「エターナル・フロンティア・オンライン(EFO)」のクライアントを起動した。美しいファンタジーの世界が、画面いっぱいに広がる。達也は自分のメインキャラクター、屈強な鎧に身を包んだ人間族の剣士「TATSU」でログインした。


久しぶりに降り立ったEFOの世界。活気あふれる城下町の広場、行き交うプレイヤーたち、遠くに見える雄大な山々、空を舞うドラゴンの影…全てが懐かしい。達也は、まるで故郷に帰ってきたかのような安堵感を覚え、しばらく目的もなくその世界を散策した。NPCの鍛冶屋の親父に話しかけ(もちろん定型文だが)、昔よくレベル上げをした初心者の森を懐かしく歩き回り、他のプレイヤーたちが楽しそうにチャットをしながら狩りをしているのを遠巻きに眺めた。


(ああ…やっぱり、こっちの世界の方がいいな…)

現実の悩みや恐怖を忘れ、ゲームの世界に没頭していると、心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。


小腹が空いてきたので、達也はアイテムボックスから**カロリーメイト(フルーツ味)**の箱と、パック牛乳を取り出した。これも、元の世界でゲームをする時のお約束だった。カロリーメイトを齧り、牛乳で喉を潤しながら、彼はEFOの世界で次に何をしようか考えていた。


その時、画面の右下にチャットウィンドウがポップアップした。

《フレンドの「KENJI」がログインしました》

そしてすぐに、KENJIからのプライベートチャットが飛んできた。


KENJI: 『お、TATSUじゃん! よぉ、久しぶりだな! ここんとこ全然インしてなかったから、どうしたのかと思ってたぜー! 生きてたか?w』


KENJI――EFOで所属していたギルドの仲間で、リアルでも何度かオフ会で顔を合わせたことのある、気心の知れた友人だった。そのあまりにも普段通りの、気軽なメッセージに、達也の目頭が不覚にも熱くなった。


TATSU(達也): 『KENJI! おお、久しぶり! なんとかな! そっちは変わりないか?』

指が震え、タイプミスしそうになるのを必死でこらえる。


KENJI: 『おう、こっちはいつも通り平和だよ。それよりお前、マジでどうしたんだ? 仕事が超絶ブラックになったとか? それとも、ついにリアルで彼女でもできて、ゲームどころじゃなくなったとか?w 教えてくれよー』


彼女、という言葉に、達也は自分の今の姿(金髪黒目の美少女)を思い出し、何とも言えない複雑な気持ちになる。しかし、それ以上に、誰かに、元の世界の誰かに、今のこの途方もない状況を聞いてほしくてたまらなかった。半分はヤケクソで、半分はSOSのつもりで、達也はキーボードにありのままを打ち込んだ。


TATSU(達也): 『いやー、それがさ、信じられないだろうけど…俺、なんかよく分かんないんだけど、異世界に転生しちゃったみたいなんだわ、マジで。 今、ガチで剣と魔法がある世界にいるんだ』


打ち終わってから、(あ、やべ、こんなこと書いて、どう思われるんだろ)と一瞬後悔したが、もう送信してしまった後だった。


数秒の沈黙。そして、KENJIからの返信。


KENJI: 『は? 異世界転生? ぶはっwww TATSUお前、また新しいラノベかアニメでもハマってんのかよwww それとも、なんかEFOでそういう新イベントでも始まったとか? ネタバレ早すぎだろwww』


やはり、全く信じてもらえない。まあ、当然だろう。自分だって、こんなことチャットで言われたら、絶対に本気にしない。


TATSU(達也): 『いや、ネタとかじゃなくて、本当にガチなんだって! 気づいたら森の中で、しかもなんか…体が女になっちゃってるし!』


KENJI: 『TS転生までしたのかよwww 設定凝りすぎだろwww おいおい、お前、いよいよヤバい領域に足踏み入れたな?www 大丈夫かよ、頭www まあ、その設定で今度ギルチャでロールプレイしてみろよ、絶対みんな爆笑するぜ!』


KENJIは完全に、達也がいつものように新しいネタでふざけているとしか思っていないようだ。そのあまりにもノーテンキな反応に、達也はがっくりと肩を落とした。

(…だよなー。信じてもらえるわけないよな、こんなこと…)


しかし、KENJIは続ける。

KENJI: 『まあ、その「異世界」とやらがどんなもんか知らねえけどさ、久しぶりにインしたんだから、ちょっと付き合えよ! 最近見つけた新しいインスタンスダンジョンがあるんだけど、ソロじゃちょっとキツくてさ。TATSUがいれば百人力だぜ! な、行こうぜ!』


KENJIからの、あまりにも普段通りの誘い。それは、今の達也にとって、抗いがたい魅力を持っていた。異世界の厳しい現実を忘れ、ほんの少しの間だけでも、昔のように友人と一緒に冒険できるのなら…。


TATSU(達也): 『…ああ、いいぜ。久しぶりに、暴れてみるか!』


達也は、カロリーメイトの最後の一かけらを牛乳で流し込み、ノートパソコンの画面に向き直った。これから始まる、元の世界の友人との、異世界からの束の間の冒険。それがどんな意味を持つのか、まだ彼には分からなかった。


二人はEFOの中でパーティーを組み、KENJIが先導して、リベルの街とは似ても似つかない、しかしどこか懐かしいEFOの街並みを駆け抜けていく。向かうは、最近実装されたという中級者向けのインスタンスダンジョン「忘れられた古城」。


ダンジョンの中は、薄暗く、不気味なモンスターが徘徊していた。TATSU(達也)は剣を抜き、KENJI(彼は魔法使いだった)は呪文を詠唱し始める。久しぶりの連携だったが、二人の息はぴったりと合っていた。


「TATSU、右から来るぞ!」「任せろ! フレイムスラッシュ!」

「ナイス! こっちはアイスストームで足止めする!」


チャットウィンドウには、昔のようにくだらない軽口や、戦術に関する短い指示が飛び交う。達也は、自分が異世界にいること、少女の体になっていること、吸血鬼かもしれないという恐怖、それら全てを一時的に忘れ、純粋にゲームを楽しんでいた。画面の中のTATSUは、力強く、頼もしく、そして自由だった。


ダンジョンの奥深くで待ち受けていたボスモンスターとの戦いは、少し苦戦したものの、二人の巧みな連携で見事に勝利を収めることができた。大量の経験値と、レアアイテム(かもしれない何か)がドロップする。


「やったぜ! さすがTATSUだな! お前がいれば楽勝だわ!」KENJIがチャットで喜びを爆発させる。

「お前こそ、ナイスサポートだったぜ、KENJI」達也も素直に返した。


冒険を終え、城門の前で一息つく二人。夕焼け(ゲームの中の)が綺麗だった。

KENJI: 『いやー、マジで楽しかったわ! やっぱりお前と組むと最高だぜ! またいつでも誘ってくれよな!』

TATSU(達也): 『ああ、こちらこそ。今日はサンキュな』

KENJI: 『おう! じゃあ俺、そろそろ飯だから落ちるわ! TATSUも、その「異世界ごっこ」もほどほどにな!w またなー!』


そう言い残して、KENJIのキャラクターはログアウトしていった。

チャットウィンドウから彼の名前が消え、EFOの世界に再び静寂が訪れる。


達也は、しばらくの間、何もせずにゲームの画面を見つめていた。

束の間の冒険。元の世界の友人との、何気ない会話。それは、今の達也にとって、あまりにも温かく、そして…あまりにも遠いものに感じられた。


ゲームを終了させ、ノートパソコンを閉じる。

途端に、キャンピングカーの中の静寂と、異世界の現実が、重く達也にのしかかってきた。

さっきまでの高揚感は嘘のように消え去り、代わりに、より一層深い孤独感と、どうしようもない喪失感が胸を満たす。


(俺は…もう、あっちには帰れないんだな……)


その事実が、ずっしりとした重みを持って、達也の心に突き刺さった。

しかし、不思議と涙は出なかった。KENJIとの短い冒険が、彼の中で何かを少しだけ変えたのかもしれない。


(…でも、俺はまだ、ここにいる。生きてる)


達也は、自分の両手を見つめた。まだ少しだけ赤みが残っているように見える瞳。そして、この少女の体。

(リリアも、マリアもいる。一人じゃない)


(…逃げてばかりじゃダメだ。俺は、この世界で、この体で、生きていかなきゃならないんだ)


オンラインゲーム。それは達也にとって、つらい現実からの一時的な逃避だったのかもしれない。しかし、その逃避の果てに、彼はほんの少しだけ、前を向くための小さな決意を見つけ出したような気がした。

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