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帳のオルガさん

嵐のような男、パックル商会の三男坊が、捨て台詞と共に手下を引き連れて去っていった後、達也はその場にへたり込みそうになるのを、なんとか堪えた。

「……な、なんだったんだ、あいつ……本気で、気持ち悪い……」

顔は青ざめ、まだ心臓がバクバクと音を立てている。あのねっとりとした視線と、強引な物言いが、鳥肌と共に蘇ってくる。


「大丈夫か、タツヤ。顔色が悪いぞ」

マリアが心配そうに達也の肩に手を置き、声をかけてくれた。

「確かに厄介な男に目をつけられてしまったが、ああいう手合いは、意外と打たれ弱いものだ。それに、私たちがついている。そう簡単には手出しさせん」

その言葉には、傭兵としての確かな自信と、達也を気遣う優しさが感じられた。


(マリア……ありがとう……)

達也が少しだけ安堵し、マリアに感謝の言葉を伝えようとした、その時だった。


「ぷっ……くくく……あ、あはは……ひーっ! あはははははははっ!!」


隣で黙って成り行きを見守っていたはずのリリアが、突然、こらえきれないといった様子で噴き出し、やがて腹を抱えてその場に蹲り、大爆笑し始めたのだ!


「ひーっ、お、お腹痛い……! あははは! あのデブ、最高に面白いじゃない! 『必ずお前を俺のものにしてやる』だって! どこの三流芝居の悪役だよ! しかもタツヤちゃん、本気で怖がって顔真っ青だったし! あの怯えた子犬みたいな目! あー、思い出してもウケるー! ひーっ、涙出てきた!」

リリアは涙を流し、息も絶え絶えになりながら、地面をバンバン叩いて笑い転げている。


その、あまりにも不謹慎な、そして状況を全く理解していない(あるいは、理解した上で楽しんでいる)リリアの大爆笑に、達也の中で何かがプツンと切れた。


「―――笑い事じゃないだろ、このスカタン吸血鬼がああああああっっ!!!!」


達也の、普段からは想像もできないほどの怒声が、広場に響き渡った!

「俺は! 本気で! 怖かったし! 気持ち悪かったんだぞ! なにが『面白そう』だ! なにが『ウケる』だ! 少しは人の気も考えろ、この朴念仁ぼくねんじんが! このデリカシー皆無の色ボケ吸血鬼!」

恐怖と緊張で張り詰めていたものが切れた反動か、あるいはリリアのあまりの態度に本当に頭に来たのか、達也は顔を真っ赤にして、普段は使わないような汚い言葉でリリアを罵倒した。


「ひゃっ!?」

さすがのリリアも、達也のあまりの剣幕と、聞き慣れない罵詈雑言に、一瞬だけ笑いを止め、目を丸くして固まった。


「タ、タツヤちゃん…そんなに怒らなくても…ご、ごめんなさい? ちょっと、面白かっただけで…悪気は…」

リリアがしどろもどろになって謝ろうとするが、まだ肩は小刻みに震えており、笑いを堪えているのがバレバレだ。


「まだ笑ってるだろお前はーーーっ!!」

達也の怒りは収まらない。


「まあまあ、タツヤ、落ち着け。リリアも、少しは反省しろ」

マリアが、深すぎるため息をつきながら、二人の間に割って入った。

「リリアの態度は確かに不謹慎だったが、いつまでもここで騒いでいても仕方がない。今は、今後の対策を考えるのが先決だろう? あの男が、本当にまた来るかもしれないのだからな」


マリアの冷静な言葉に、達也もリリアも、はっと我に返った。そうだ、パックルという脅威は去ったわけではない。

リリアはようやく笑いを収め(それでもまだ口元が緩んでいるが)、「…ご、ごめんってば、タツヤちゃん。でも、本当に面白か…ゲフンゲフン。ま、まあ、対策はちゃんと立てないとね!」と誤魔化した。


達也はまだリリアを睨みつけていたが、マリアに促され、渋々ながらも気持ちを切り替えることにした。しかし、心の奥底では(リリア、あとで絶対覚えてろよ…)と、新たな決意を固めていた。


気まずい(そして騒がしい)空気が残る中、三人は(主にマリアが主導して)今後のパックル対策について、改めて話し合いを始めなければならないのだった。


「やっぱり、あのドラ息子がまた来る可能性は高いよな…」達也は深いため息をつく。「場所を変えても、リベルの街で商売を続ける限り、いつかまた鉢合わせするかもしれないし…」


「そうなると、やはり誰か有力な後ろ盾を見つけるか、あるいは裏から手を回して黙らせるしかないだろうな」マリアが冷静に分析する。


「だから言ったじゃない、『帳のオルガ』さんに相談するのが一番だって!」リリアが再びその名前を出した。「彼女なら、パックル商会のボンボンくらい、ちょちょいのちょいよ。もちろん、タダじゃないけどね!」


他に妙案も浮かばず、衛兵長に頼るのもどこまで効果があるか分からない。達也は、リスクがあることは承知の上で、ついに決断した。

「…分かった。そのオルガって人に、会ってみよう。リリア、案内できるか?」


「もちろん! 任せて!」リリアは嬉しそうに頷いた。


その夜、三人はリリアの案内で、リベルの歓楽街の外れにある、古びたレンガ造りの目立たない建物へとやってきた。看板も出ていない、まさに隠れ家のような酒場だ。リリアが特定の合図で重い木のドアをノックすると、中から屈強な見張りの男が現れ、リリアの顔を見て無言で道を開けた。


薄暗く、紫煙が立ち込める店内を抜け、奥の個室に通される。そこには、豪華な絨毯が敷かれ、壁には異国の絵画が飾られた、店の外観からは想像もできないほど趣味の良い部屋があった。そして、部屋の中央にある大きな肘掛け椅子に、一人の女性がゆったりと腰かけていた。


絹のような黒髪を高く結い上げ、東洋風の艶やかな衣装を身に纏った、妖艶な美しさを持つ中年女性。それが「帳のオルガ」だった。その細められた瞳は、まるで全てを見透かすかのように鋭く、そして深い。部屋には、彼女が吸っているのか、甘く exotic な香りが漂っている。


「あら、リリアじゃない。久しぶりね。今日はどんな面白い話を持ってきてくれたのかしら?」

オルガは、リリアの姿を認めると、かすかに笑みを浮かべ、落ち着いた、しかしどこか底知れない響きを持つ声で言った。


「オルガさん、お久しぶりです。今日は、ちょっと厄介な相談がありまして…」リリアはいつもの軽薄さを少し抑え、丁寧な口調で挨拶し、達也を紹介した。「こちら、タツヤ。私の…まあ、新しいお友達。この子が今、ちょっと面倒な連中に目をつけられちゃってて…」


オルガの視線が、リリアから、その後ろに緊張した面持ちで立っている達也へと移った。フードを目深に被ってはいるが、その小柄な体格と、わずかに覗く金色の髪は見て取れる。


オルガは、達也の姿をゆっくりと、値踏みするように眺めた。そして、その瞳が、達也のフードの奥の顔…特に、その吸い込まれるような黒い瞳と、人形のように整った顔立ちを捉えた瞬間。


ピシッ!


オルガの背筋が、まるで何かに打たれたかのように伸び、その普段は冷静沈着な表情が、一瞬で崩れた。彼女の目が大きく見開かれ、その奥に、怪しく、そして熱っぽい光が宿ったのを、リリアとマリアは見逃さなかった。(達也は緊張していて気づいていない)


「まあ……まあまあまあ……!!!」

オルガは、先ほどまでの落ち着き払った態度はどこへやら、椅子から立ち上がり、ふらふらとした足取りで達也に近づいてきた。その顔は、見たこともないほどにデレデレと緩みきっている。


「なんて…なんて可愛らしいお人形さんなのかしら…! このリベルの街にも、まだこんな清純で可憐な蕾が隠されていたなんて…! ああ、神よ、私にこのような至宝との出会いを与えてくださるとは!」


オルガは、達也の目の前まで来ると、その両手をうっとりとした表情で握りしめ、熱っぽい視線で達也の顔を舐め回すように見つめた。そして、甘く、ねっとりとした声で囁いた。

「お名前は、タツヤちゃん、と仰るのね? なんて愛らしい響きなのかしら…! ああ、タツヤちゃん、怖がらなくていいのよ? このオルガお姉様が、あなたをどんな悪い虫からも守ってあげるわぁ…!」

彼女はそう言うと、達也の頬に自分の頬をすり寄せようとしてくる!


「ひっ…!??!?!?!?」

達也は、オルガの突然の豹変ぶりと、そのあまりにもストレートで濃厚すぎる好意(そしてスキンシップ!)に、パックル三男坊の時とはまた違う種類の、しかし同等かそれ以上の恐怖と嫌悪感を感じ、顔を引きつらせて後ずさった。

(うわああああ! 今度の奴は女だけど、なんかベクトルが違うだけで、もっとヤバいかもしれないぞーーーっ!!!)


リリアは(あーあ、やっぱりオルガさんのこの『スイッチ』入っちゃったかー。タツヤちゃん、ご愁傷様♪ でも、これはこれで交渉は有利に進むかも?)と、内心で舌を出しながら、面白そうにその光景を眺めている。

マリアは、オルガの達也への異常な執着ぶりに、眉間に深い皺を寄せ、達也を守るように一歩前に出ようとしたが、オルガの放つただならぬ気配に、迂闊に動けないでいた。


「パックル商会のドラ息子の件ですって? あんな下衆な豚が、この天使のようなタツヤちゃんを困らせているですって!? 許せませんわ! ええ、許せませんとも!」

オルガは達也の手を握ったまま、憤慨したように言った。

「ご安心なさい、タツヤちゃん。あんな小物は、この私がちょっと指を鳴らせば、明日からリベルの街を歩けなくして差し上げますわ。だから、その代わりと言ってはなんですが…タツヤちゃん、今夜は私と、このリベルの美しい夜景を見ながら、ゆっくりとお話でもしませんこと? もちろん、一晩中でもよろしくてよ?」

オルガは、うっとりとした目で達也を見つめ、甘い誘惑の言葉を囁くのだった。


パックル商会の問題は、意外な形で解決の兆しが見えた。しかし、達也は代わりに、リベルの夜の支配者の一人に、完全にロックオンされてしまったのだった…。

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