餅は餅屋
キッチンカー計画は、開始前から大きな壁にぶつかってしまった。達也は頭を抱え、リリアとマリアも難しい顔で腕を組む。キャンピングカーの中の、ランプ(LED照明)に照らされた小さなテーブルには、食べかけのカップ麺が虚しく置かれたまま、重い沈黙が流れた。
「…まあ、落ち着け、タツヤ」最初に口を開いたのはマリアだった。彼女はテーブルの上のカップ麺の容器を少し端に寄せながら言った。「まずは対策を練ろう。幸い、ここは今の私たちにとって一番安全なお前たちの『家』の中だ。外の連中に会話を聞かれる心配もない」
「そうだよー、タツヤちゃん」リリアも、いつもの軽口とは少し違う、真剣な表情で頷いた。「ああいうボンボンは、自分より強いと分かれば案外あっさり引き下がることもあるし、逆に、いつまでも根に持ってネチネチと陰湿な嫌がらせをしてくることもある。まずは、相手がどう出てくるか、そして私たちがどう対処できるか、ちゃんと話し合わないとね」
「対処って…具体的にどうすればいいんだよ…」達也は弱々しく呟いた。キャンピングカーの中という安心感はあるものの、外の脅威は変わらない。
(以下、場所を変える案や護衛強化案などを話し合うが、どれも決め手に欠ける…という流れは前回と同様とします)
「……やっぱり、こういう時は『餅は餅屋』だよ」
長い議論で少し疲れた表情を見せながらも、リリアが意味深に笑って言った。彼女はキャンピングカーの窓の外に一度目をやり、そして声を潜めて続けた。
「私の言ってた『顔役』に頼んでみるのが、一番手っ取り早くて確実かもしれないね。リベルの裏の揉め事なら、あの人以上に頼りになる存在はいないから。もちろん、それなりの『お礼』は必要になるけど」
「顔役…」達也はその言葉の響きに、改めて緊張感を覚える。キャンピングカーという安全な空間にいても、その言葉が持つ裏社会の匂いは消えない。
リリアは、そんな達也の様子を察したのか、少し表情を引き締めた。
「彼女はね……リベルの夜の世界では、『帳のオルガ』って呼ばれてる女の人だよ」
「とばりの…オルガ?」
「そう」リリアは頷く。「表向きは、リベルの歓楽街の外れにある、ちょっと古びた会員制の酒場の女主人。でも、その店は夜になると、情報屋や腕利きの傭兵、裏社会の人間、時には貴族や大商人の密使みたいな連中までが集まる、ちょっとしたサロン兼情報交換所になってるんだ」
マリアが眉をひそめた。「…つまり、裏社会のブローカーか何かってことか?」
「まあ、そんな感じかな」リリアは肩をすくめた。「オルガさんは、とにかく情報網が半端じゃない。リベルの表も裏も、隅々まで知り尽くしてるって言われてる。それに、交渉術にものすごく長けてて、力ずくじゃなくて、言葉と情報、そして金で、どんな面倒事でも解決してくれるって噂だよ。もちろん、そのやり方は結構えげつなかったり、法すれすれだったりするって話も聞くけどね。敵に回したら、リベルで一番怖い相手かもしれない」
達也はゴクリと唾を飲んだ。(ますますヤバそうな奴が出てきた…)
「でも」リリアは続けた。「オルガさんは、一度『客』として認めた相手や、筋を通した相手には、意外と面倒見がいいっていうか、義理堅い一面もあるらしい。私も昔、ちょっとした『厄介事』に巻き込まれた時に、彼女に助けてもらったことがあるんだ。その時、私が吸血鬼だってことにも薄々気づいてたみたいだけど、何も詮索せずに、ただ黙って力を貸してくれた。もちろん、それなりの『お礼』はしたけどね」
「…そのオルガって人に会えば、パックル商会の三男坊のこと、なんとかしてくれる可能性があるってことか…?」達也がおそるおそる尋ねる。
「うん、可能性はかなり高いと思うよ」リリアは頷いた。「パックル商会もリベルじゃそれなりに力を持ってるけど、オルガさんを本気で敵に回そうなんて思う奴は、そうそういないはずだから。彼女に仲介を頼めば、あのドラ息子も手を引かざるを得なくなるんじゃないかな」
「しかし、そんな大物に頼むとなれば、相応の対価が必要になるだろうな」マリアが冷静に指摘する。「我々に、その『対価』を支払える当てはあるのか?」
「そこが問題なんだよねぇ」リリアはため息をついた。「オルガさんは金にも汚いから、相当ふっかけてくるかもしれない。あるいは、お金じゃなくて、何か別のもの…例えば、タツヤちゃんのその『アイテムボックス(空間収納能力)』とか、あなたの故郷の『特別な技術』そのものに興味を持つかもしれない。そうなったら、もっと厄介なことになるかもね」
リリアの言葉に、達也は背筋が寒くなるのを感じた。自分の能力が、さらに危険な人物に知られるリスク。
三人は顔を見合わせた。パックル商会の脅威を避けるために、さらに大きなリスクを背負うことになるかもしれない。しかし、他に有効な手立ても思いつかない。
三人はキャンピングカーのダイネットのシートで顔を見合わせた。パックル商会の脅威を避けるために、さらに大きなリスクを背負うことになるかもしれない。しかし、他に有効な手立ても思いつかない。
「……どうする、タツヤ?」マリアが達也に問いかける。キャンピングカーの静かなエンジン音(FFヒーターや冷蔵庫のためか、あるいは換気のためにごく弱くかけている)だけが、三人の沈黙の中に響いていた。
「帳のオルガ」――その存在は、パックル商会という厄介な問題を解決するかもしれない一筋の光であると同時に、さらに深い闇へと足を踏み入れることになるかもしれない危険な賭けでもあった。達也は、リリアとマリアの顔を交互に見つめ、そして深いため息をついた。
「……もう、今日は疲れたよ。頭も全然回らないし、こんな状態で結論を出しても、ロクなことにならない気がする」達也は弱音を吐くように言った。「悪いけど、とりあえず今夜はもう寝ないか? 明日、頭がスッキリしてから、また改めて考えようぜ」
その提案に、マリアがまず頷いた。
「そうだな。焦りは禁物だ。今夜はゆっくり休んで、明日また冷静に話し合うのがいいだろう」
彼女も、今日の出来事でかなり神経を使ったのだろう、少し疲れた表情をしている。
リリアも、最初は「えー、もう寝ちゃうのー? まだ夜はこれからなのにー」と少し不満そうだったが、達也とマリアの疲れた顔を見て、「まあ、タツヤちゃんがそう言うなら仕方ないか。じゃあ、おやすみー!」と、意外とあっさり引き下がった。
三人はそれぞれ就寝の準備を始めた。といっても、キャンピングカーの中なので、できることは限られている。
マリアはバンクベッド(運転席の上にある狭いスペース)に上がり、すぐに静かな寝息を立て始めた。リリアは、後部のダイネットを展開して作ったメインのベッドスペースに陣取り、達也の方を期待のこもった目で見ている。
(……やっぱり、俺もあそこで寝るしかないのか…)
達也は内心でため息をついたが、もはや抵抗する気力もない。しかし、すぐには眠れそうになかった。頭の中が、今日一日の出来事でごちゃごちゃしている。
「俺はもう少しだけ起きてるよ」達也はリリアに言った。「ちょっと、考えをまとめたいから。先に寝ててくれ」
「ふーん? まあ、いいけど。あんまり夜更かししちゃダメだよ?」リリアはそう言うと、毛布にくるまり、すぐにすーすーと寝息を立て始めた。本当に寝つきが良い奴だ。
運転席と助手席をリクライニングさせ、できるだけフラットに近い状態にする。そして、達也はノートパソコンを開いた。キーボードを叩くかすかな音だけが、FFヒーターの静かな作動音と、二人の寝息に混じって車内に響く。
達也は、今日一日の出来事を、思いつくままにテキストエディタに打ち込み始めた。
アザリアの衛兵に追われている(かもしれない)という恐怖。リベルでの商業ギルド登録。フライパンの露店販売の成功と、その後のパックル商会の三男坊とのトラブル。衛兵隊長との意外な取引。そして、帳のオルガという新たな存在…。
『パックル商会対策』
危険度:高(リベルの有力者、手段を選ばない可能性)
考えられる嫌がらせ:露店への直接的な妨害、衛兵への圧力、裏からの脅し…
対抗策:
場所を変える? → リベルは狭い、根本的な解決にならない。
護衛を強化? → マリアとリリアだけでは限界がある。
衛兵長に相談? → どこまで頼れるか不明。パックル商会との力関係は?
帳のオルガに依頼? → 最大のリスク、しかし効果は期待できる? 対価は?
『帳のオルガについて』
リベルの裏社会の顔役。情報屋、交渉人。
酒場が拠点。会員制?
リリアは過去に世話になったことがある(詳細は不明)。吸血鬼だと気づかれている?
依頼の対価は金か、それ以外の何かか? アイテムボックスや通販の能力に興味を持つ可能性は?
『今後の金策』
ライター:卸売りルートの開拓。道具屋、雑貨屋。
胡椒:高級食材店、レストランへの直接販売。商業ギルドの紹介は?
取り寄せ品:何が売れる? リスクは?
キッチンカー計画:パックル商会の件が解決するまで保留? それとも、場所を選んで小規模に?
『自分の体について』
瞳の色の変化(赤みがかる)。力の増減。
吸血衝動(夢、生のひき肉への反応、喉の渇き)。
照会の水晶の結果(男、34歳、スキルなし、レベル1、)。
やはり俺は吸血鬼なのか? 力の制御は?
次から次へと浮かんでくる問題点、疑問点、そして不安。達也はそれらを一つ一つ書き出し、情報を整理し、自分の思考を客観視しようと努めた。カタカタというキーボードの音だけが、静かなキャンピングカーの中に響き渡る。窓の外は完全な闇。リベルの街の灯りも、ここからではほとんど見えない。
どれくらいの時間が経っただろうか。達也が集中してパソコンに向かっているうちに、いつしか東の空が白み始めていた。
(…やばい、もう朝か…)
さすがに疲労と眠気が限界に達し、達也はノートパソコンを閉じた。結局、明確な答えや完璧な計画は見つからなかった。だが、頭の中を整理できたことで、少しだけ気持ちは落ち着いたような気がする。
彼は運転席のシートに深く体を沈め、そのまま目を閉じた。すぐに、深い眠りが訪れた。




